第2話(15) 『稲妻が轟く』
地を駆ける。
こちらを見向きもしない大熊の後ろ毛を掴み支えにして、魔導具を足場に大きく跳んだ。
そして背後から木片を逆手に持つと、思い切り左目へと突き刺した。
「グオオオオオオオオオオオオ!!!!」
絶叫が轟く。
操られているといえどどうやら痛覚はシャットアウトされているわけではないらしい。
すぐに大熊の頭をバネにその場から跳ぶ。
そしてそのまま踵落としで刺さった木片を打ち付けた。
大きくよろける大熊を尻目に着地し、次なる攻撃を行おうと大きく軸をズラす。
「――がっっ!!」
だが目の痛みに耐えた大熊の薙ぎ払いが俺の横腹に直撃し、木々が生い茂る森の中へ吹き飛ばされた。
「――うっ!?」
猛烈な吐き気が襲い掛かる。
身体中が悲鳴を上げているのがわかる。
頭に強い鈍痛があった。
額からは鮮血が垂れ、口の中に鉄のような味が侵入している。
けれど大熊はまずは俺を殺そうと進行方向を変更してくれた。
大熊の怒りの感情が魔法に勝ったということなのか、それとも操っている側が俺を先に殺すことを優先させたのかはわからない。
それでも。
森に落ちていた木の枝を拾う。
依然として大熊の左目には木片が強く突き刺さったままだった。
「――おおおおおおおおおお!!」
身体を起こし、聖剣を片手に地を蹴った。
やらなければならない。
勝たなければならない。
勝つ方法なんて思い浮かびもしない。
だけど、思い浮かぶものはある。
頭に浮かぶのは大熊が教会に侵入した後の未来。
そして今まで教会で過ごして来た日々だった。
俺も、テーラもこの大熊には勝てない。
それはつまり、三番街の人間はこの怪物を野放しにすることしか出来ないということだ。
朝起きて、子供たちの騒ぎ声を聞いて。
食卓を囲んで、メイトに嫌な顔をされて。
セリシアと一緒に勉強して、軽く手伝いをして、庭で子供たちと遊んで。
笑い合っていた。
メイトも俺の手を取ってくれたから、こんなことが無ければ今頃笑い合った未来があった。
そんな当たり前の日々すらも、こいつを野放しにしたら失ってしまう儚いものだ。
勝てなくても。
常にどうしようもない相手と戦うことによる恐怖があったとしても。
――俺は。
大熊の剛腕を聖剣で受け止める。
力の差は圧倒的だ。
到底押し返すことなど出来るはずもない。
だから聖剣を捨てた。
大切な、天界にいたという唯一の証拠を捨てて大熊に潜り込む。
剛腕を足場に駆け上がり、木片の刺さった左目に追い打ちをかけるようにして木の枝を突き刺した。
瞳から鮮血が噴き出す。
大熊が左目を庇うようになった。
動きが鈍っているのを感じる。
だがそれはあくまで俺を捉えるのが難しくなっているだけだ。
大熊の攻撃を滑り込んで避け聖剣を拾う。
そのまま勢いよく反撃に映ろうとする俺に、巨大な鉄球が身体をぶつかった。
俺の身体が強く吹き飛ぶ。
激痛が身体を走りながらなんとか視線を向けると、大熊は頭を俺に突き出している体勢を取っていた。
どうやら鉄球ではなく、強烈な頭突きをお見舞いされたらしい。
「……はあ、かはっ……」
息が荒れる。
大熊の動きが鈍っているように、俺自身も蓄積したダメージと疲労が響いているようだった。
絶望が脳裏にチラつく。
勝てない相手ではないはずなのに、勝てる方法がないことがここまで心に響くとは思わなかった。
聖剣では勝てない。
天界時代、聖剣を持って勝てない相手などほとんどいなかったというのに人間界に来てからは何の役にも立っていなかった気がする。
俺はここに来て、何も手に入れることは出来なかったのか。
やったことと言えば、ストレス発散にこの力を使っただけ。
本当にしょうもないことに力は使えるのに、今みたいな守らなければならない者がいる時は何の役にも立たないというのか。
――その時……火花が、強く飛び散った。
「……!」
……違う。
俺には、この世界に来たことによって初めて手に入れた力がある。
この左手で大きな火花が散った魔力が、確かに存在しているんだ。
「まだ、やれる……!」
テーラは言っていた。
『相当威力の高い魔法でないと、魔導具を砕くことは出来ない』と。
つまりそれは、威力のある魔法さえ当てればあの魔導具を破壊出来るということだ。
テーラは魔法を使えるようになるにはイメージが大切だと言っていた。
だがテーラでも出来なかったのに、魔法の魔の字も知らない俺が出来るわけがない。
でも、絶望しかなかった暗闇に一筋の光が見えた気がした。
――最初は俺の持つ属性は炎魔法だと思っていた。
この火花しか出せなかったが、確かな熱を感じていたし、テーラの口にした属性に当て嵌まるものがこれぐらいしかなかったから。
でも、今はそうは思わない。
それは一重に、一番幸せだった頃の天界での日を思い出したからだ。
『父さん、母さん……』
俺が7歳でエウスが5歳だった頃。
静かなはずの真夜中に巨大な轟音と閃光が絶え間なく響いていた日があった。
『あら、起きちゃったの?』
『……ん、眠れないのか?』
『……うん』
俺は生まれてからこの日まで、こんな現象初めてで恐怖を抑えるのに精一杯だった。
それでも父さんと母さんは俺の想いをわかってくれて、真夜中だというのに小さな明かりを付けて家によく置いていた英雄譚を読み聞かせてくれた。
その際、この時の現象について聞いたんだ。
『そうか、メビウスは初めて見るのか』
父さんと母さんは何か知っているようだったが、当時の俺は未知の恐怖でいっぱいでこの現象を知っている父さんたちの傍にいるということが何よりも安心出来ることだった気がする。
『これはな、雷って言うんだ』
『……かみなり?』
『ああ。悪い子を見つけた神様がお仕置きするためにこうやってドカーンって大きな音を出してんだよ』
『ええっ!? わ、悪いことしてない!』
『こら、お父さん』
『はっはっはー、冗談だよ』
天界ではかなり発生は少ないものの、今にして思えば10年に一度は見る現象だ。
父さんの揶揄い癖には困ったものだが、それでも何よりも暖かかった。
『単なる自然現象だ。けどほら、この英雄譚にも書いてあるだろ? 勇者は強大な稲妻を放ち、魔王を一撃で葬ったって』
『うん』
『この稲妻ってのが雷のことだ』
そう言っていた。
だからこそわかる。
これは炎魔法ではなく、雷魔法なんじゃないかって。
テーラは言っていた。
俺の魔力は『変な魔力』だと。
「グオオオオオオオオオオオオッッ!!」
大熊が猛々しく吠える。
頭を切った際の血が目に入り顔を顰めつつも、俺は左腕に自身の魔力を集めさせた。
怪物が強く地を蹴る。
それでも尚、魔力の集中が途切れないよう俺は大熊をしっかりと目で捉えながらもその場から動かなかった。
イメージしろ。
魔力をキューンっと集めるんだ。
自身の魔力が左手へ宿って行くのを感じる。
だがまだだ。
こんなものではテーラの魔力を超えることなんて出来ない。
どれぐらいかはわからないが、こんなものではないはずだ。
もっと、もっと強く、もっと稲妻が走る程に。
大熊は速い。
すぐに距離を縮められてしまう。
もしもあそこで頭突きされて吹き飛ばされていなければ今頃あの剛腕を振るわれていたところだ。
集めた魔力を、ググッと凝縮させる。
あの時はわかるわけがないと思っていたが、いざ冷静になってみると案外すんなりと魔力を操ることが出来た。
やろうともしなかった。
やる必要もないと最初っから諦めていた。
面倒くさい、使う機会もない。
そうやって逃げ続けていたんだろ。
大熊が迫る。
顔前にまで距離を縮めていた。
雄叫びを上げて一切動かない俺に鋭利な爪を尖らせた剛腕を強く振るった。
魔力の通り道は作った。
その感覚もある。
あとはイメージを掴むだけだ。
これも非常に簡単だ。
『その時、勇者はこう魔法を唱えたんだよ――』
だって俺には。
この記憶に、大切な家族との愛情が宿ってるのだから。
『ラーツ! ってな』
「――《ラーツ》!!」
手の平をめいいっぱい開き左腕を大きく上から下へと振り下ろした。
――稲妻が、轟く。
轟音と強烈な閃光が大熊の真上から音速を超えて落下した。
「オオオオオオオオッッ!!!!」
断末魔を上げて、大熊の身体が大きく仰け反る。
強烈な雷撃が大熊の身体ごと魔導具に衝突し、クリスタルが大きな音を立てて砕け散った。
クリスタルの破片が飛び散り、それすらも稲妻によって粉々に砕け散る。
そして魔力の供給源が無くなった大熊の身体から余剰分の魔力が抜けて行き、やがてもとの大きさに戻って地面に倒れる。
「これが、家族の絆って奴だ……」
身体が重い。
完全勝利を収めたことに安心したからか猛烈な倦怠感が襲い掛かって来た。
……勝った、勝ったんだ。
弱々しい笑みを浮かべていると自分でもわかる。
まだ解決はしていないが、言いようのない達成感を抱いていた。
「じぶーん!!」
「……!」
風魔法で浮かんだテーラがやってくる。
そして心底興奮したような表情でこちらへと近付いて来た。
「凄かったで自分! あんな魔法見たことあらへん! あの変な魔力はこういうことやったんやな!」
「随分元気だな……俺傷だらけなんだけど」
「た、助けようとはしたんやで? でもなんか頑張っとるしギリギリなったら助けようかなーってうわあ!?」
「あ、す、すまん……」
あまりに元気な様子だったから完全に気が抜けてテーラ側へと倒れ込んでしまった。
反射的に抱えてくれたおかげで何とか地面に激突することはなかったが、少し申し訳ない気分だ。
「だ、大丈夫。……よく頑張ったね」
そう言ったテーラの声質は、とても柔らかった。
そして何より初めて標準語を聞いた気がする。
というかむしろ何処かの異国語よりもしっかり言えている可能性すらあった。
「住民の救出は終わったのか……?」
「大魔法使いのテーラ様やで? そんなんバッチリや。死者も見た感じおらんかった。完全勝利やね」
「……よかった。ありがとな、テーラ」
「……別に感謝されるようなことしとらんけど?」
「色々とだよ」
「……?」
今回の件、テーラにはたくさん助けられてしまった。
今日会ったばかりだというのに、既に俺の中で信頼度は99%まで上昇しているまである。
三番街のためだから協力してくれたとはいえ、俺の意識を変えてくれる理由を作ってくれたのもテーラが大きく影響している。
それに敬語を使わなくていい三番街の住民というのもポイントが高いかもしれない。
「何はともあれ、あとは森の中にある魔導具を破壊するだけやね」
「そうだな……結局誰が黒幕だったんだろうな」
「さあ? でもこのことは明日には【イクルス】中に広がるやろうし、きっと大規模な調査が始まると思うで。そしたらそう遠くないうちにわかるやろ」
「そうなのか」
さすがにテーラにずっとくっついているわけにもいかないので何とか力を入れて立ち上がる。
初めて魔法を撃ったが、とてつもなく魔力を消費した感覚がある。
2発連続で撃てと言われても現状では厳しそうだ。
正直な話大熊との戦闘で消費した体力よりも《ラーツ》一発での体力の方が大きい気がする。
……チラリと、地面に倒れ痙攣してしまっている熊に視線を移した。
「あいつ、死んじまうのかな……」
「……そうだとしても、自分が気に病むことはないやろ。魔導具に操られてしまっていたとしても、こうしなければうちたちが大変な目に合ってたんや。ちょっち可哀想やけどな」
「……」
人が動物を狩るのは、生きる為には仕方のないことだと思う。
けれどこの熊に関しては最初から最後まで俺達人のエゴによって一生を簡単に無くしてしまうかもしれない。
この世は弱肉強食だとはいえ、俺の心に言いようのない感情が抱かれていた。
「じゃあ最後の仕事や。魔導具を探しに行こか」
「ああ。……?」
元凶である魔導具さえ破壊してしまえば、この一連の事件も一応は幕を閉じる。
しかしふと、先程の大熊との戦いを思い出していた。
何か引っかかるのだ。
何か、大事なものを見落としている気がする。
どうして大熊は急に教会へと進路を変更したんだ。
もう三番街を攻撃する必要が無くなったからじゃないのか……?
それに、俺の魔法もテーラの魔法も魔法陣は現れなかった。
けれど大熊に埋め込まれた魔導具には紫色の魔法陣が浮かんでいた。
俺は、あれを見たことがある。
「……テーラ」
「ん? なんや?」
「魔導具ってさ……普通魔法陣って現れるもんなのか?」
「んー……いや、通常は現れんね。うちは初めて見たから確証は持てへんけど、闇魔法は魔法陣を使うんとちゃうん?」
「……お前ってさ、住民たち全員を教会に送ってからここで静観している時どれくらいいたんだ?」
「んーゆうてもそこまで時間は立ってないで? 聖女様に事情を話したら自分を手伝ってあげて欲しいって言われたからな。確か自分が大熊の目を集中攻撃してた辺りからやな」
どうやらそこそこの時間教会から離れていたようだ。
闇魔法のみ、魔法陣が現れる。
つまり、闇魔法というのは通常『魔族』しか使わないということなんじゃないだろうか。
天界にいた頃、魔族はこぞって魔法陣を展開していた。
だから最初の頃、魔法には魔法陣があるものだと思い込んでいた。
……けれど、もしも一連の出来事に魔族が関係しているのなら。
魔族の特徴と言えば魔法陣以外に、天使とは真逆の『黒髪』ぐらいなものだ。
――そして俺は、魔族を見たことがある。
「――ッッ!!」
慌てて顔を上げ、教会の方向へと視線を向けた。
あいつは……あの男はどんな風貌で教会へと向かっていた?
そうだ、あいつはまるで闇魔法の衰弱を受けているような仕草を取って……!
「セリシアが、危ない……!」
1日は、まだ終わらない。