エピローグ(4) 『天縛』
……また、夢を見ている。
たくさんの罪も無い人を殺し、自分が何者かもわからなくなったみたいな、気味の悪い笑みを浮かべている『俺』がいた。
漆黒の剣を手に逃げ惑う善人の命を狩り取る姿は闇夜にある月に照らされていることもあってあまりにも天使とは思えないくらいに闇色に輝いている。
既に寝込みを襲うだとか、見られていない間に殺すだとか……そういう甘い殺し方は鳴りを潜めていて、ただただ恐怖に染まった顔を見たいがために堂々と暗闇に溶け込んでいた。
「うーー!! んーー!!」
夜道を歩いていた一人の男に奇襲を仕掛け、数多の傷を付けながら叫び声が響かないように手で口を塞いでいる俺の姿はきっと酷く恐怖心を煽らせているに違いない。
子供特有の屈託のない笑みを浮かべながら、俺は漆黒の剣先を男へと突き付けていた。
「痛いの痛いの飛んでけ~。痛いの痛いの飛んでけ~。……くはっ! どうかな? もう痛くないと思うんだけど……」
「ん゛ん゛――――!!」
刺し、斬り、抉り……そうして幾度となく噴き出す鮮血に恍惚な感情を抱きながらも、その言葉に嘘偽りは含まれていないように見えた。
きっと『俺』は心の底から、本当にそう思ってたんだ。
こう言えば痛みも無くなるだろうって、あまりにもイカれた思考を持っていた。
それはやっぱり、契約によって悪意に支配されていたからだと思う。
未だ苦しんでほしくないと思いその通りの行動をしているはずなのに、実際にはそれとは真逆のことをしているのがその証拠だ。
抵抗されないよう既に両手両足は潰されているから、男はただ激痛に耐えることしか出来ずにいる。
しかも天使故の強固な忍耐力によって痛みによる気絶をすることすら出来なくて、自身の身体が汚され、壊されていく様をただ見ていることしか出来ずにいた。
早く殺してあげなくちゃと、そう思いながらも『俺』の持つ剣先は急所ではない場所にまたしても向けられていて、更なる苦しみを与えるための準備を意気揚々と行っている。
「くはっ! ほら、もう少しだけ…………あれ?」
だがふと今の自分の行動を客観視した時――言いようのない疑問が浮かび上がった。
「あれ……? 違う……ちがう。俺は、こんなことがしたかったわけじゃなくて、ただ……あれ? あれっ……?」
それは悪意に支配されかかっていることによる抵抗の一種で、自分の望んでいることと異なっている現状に魂が否定し続けているのだ。
だから男の口を押えていた手を離し、痛む頭を押さえ直した。
瞳孔が開き揺れ動きながらも、何とか荒れる息を整えようと躍起になる。
「俺はただエウスを、助けるために……」
「ぶはっ! だ、誰か! 助け――」
「――――ッッ!!」
「ごッ!? ご、あっ…………」
だがその魂もまた――目的を忘れてはいなかった。
醜くも助けを求めようとしてしまったから、俺の揺れ動く瞳は一瞬で男の心臓へと固定されて、衝動のままに漆黒の剣を男の心臓へと突き刺した。
「ぁあ……ああっ……!」
噴水のように噴き出る鮮血が俺の顔にかかると、それによって完全に正気を取り戻した俺は両手に持つ漆黒の剣を力無く落として、腰が抜けたかのように後退りしながら仰向けになっている男から距離を取る。
また……やってしまった。
しかも今回に至っては、他の人にバレたくないからという自己中心的な考えだけで目の前の善人を殺してしまった。
俺がやったことは、たくさん苦しめて、命を弄んで、大義名分もなく自分の都合だけで一つの命を奪っただけだ。
「おえええええええええっっ!!」
それがあまりにも心身に負担を強いて、俺は強烈なストレスに耐え切れなくなり胃に入ったものを全て吐き出す。
……もう、いやだ。
もうこんなこと……! こんなこと、たくさんだっ……!
だけど俺の心はすぐにまた悪魔の悪意に侵食される。
「はぁ……はぁ……――あれ? そうだよ、これでいいんだ」
嫌な気持ちも逃げたい欲求も全部真っ黒なモヤによって包み隠されて、俺はぼんやりとした思考のままにやるべきことだけを見続けていた。
死体は残るけど、俺がやったという証拠はどんなものだろうとベルゼビュートが消し去ってくれる。
だから俺は死体を放置し、よろめきながらも闇夜の中へと消えていった。
「あと……17人」
左手の甲に、17という呪印を刻みながら。
――
どうしてか寝る度に過去を思い出す。
一度はぼんやりとした意識だったが、自分の存在というものを認識した瞬間意識は一気に覚醒し、夢の世界の自分との同化の感覚に加え止めどない不快感と罪悪感によって強烈な吐き気に見舞われた。
だが俺はクーフルとの戦いで気付いたはずだ。
今は俺の過去のことなんてどうでもいい。
今一番大事なのはセリシアや子供たち、街のみんなが平穏な日々を過ごせるようになるためにどうするべきなのかを考えることだって。
だからその不快感や罪悪感に呑み込まれる前に俺は脳裏にセリシアの笑顔を浮かばせて、極光ような輝きで自身の心を覆い隠した。
何日も食事を取っていない影響で胃の中に胃液しか残っていなかったのも大きかったのだろう。
喉が焼ける感覚に苛立ちを覚えながらも俺はなんとか立ち直ることに成功する。
「大丈夫……大丈夫だ。あの子が見ていてくれるなら、俺は……俺の罪は……」
思考せずに零れ出る言葉は、俺の心を落ち着かせてくれた。
だが彼女の姿を思い浮かべたからこそ、すぐに俺は気を失う前の出来事をも思い出す。
「そうだ……! みんなはっ! ぐっ!?」
だが、その出来事の結末を知るべく身を動かそうとするが両腕がどうしか動かなかった。
「――っっ!? は、あ……!?」
故に疑問を抱き自身の両腕に視線を向けると、そこには手枷のようなもので拘束されている俺の両腕があった。
手枷から伸びる鎖が壁へ固定されていることから、最初から誰か一人を拘束するつもりでこの場が作られているということになる。
「くっ……! 《ライトニング【爆弾】》……!!」
それが俺だったのか、はたまた他の誰かだったのかはわからない。
だが拘束されている以上、その状況下で良い思いをすることはまずないだろう。
故に一刻も早く手枷を破壊し自由を確保する必要があると瞬時に判断した俺は、テーラの時と同様に俺の腕ごと破壊することを躊躇することなく雷魔法を発動した。
――だが手枷による拘束はそれすらも行えない。
「――ッ!? な、なんで魔法が……」
どうやら凝縮した魔力を手枷が吸収しているようで、俺の魔法が発動する直前に魔力が足りなくなってしまっているらしい。
これでは手枷を外す方法がない。
この過剰とも言える拘束具を用意した悪党はよっぽど捕らえた奴に逃げられるのが嫌みたいだ。
だが……それにしては俺の明らかな逃走行動に静止の声を上げる者がいないことに気付く。
状況を把握するべく周囲を見渡してみると、俺の思考は瞬く間に困惑に支配された。
「何処だよ、ここ……」
そこはまるで……遺跡のような部屋だった。
いや、流石にその感想は安直か。
壁は全て石造りで明かりとして灯されているのがランタン型の魔導具だったから、雰囲気的にそう思っただけだ。
墓地の下に創られたものよりかは各段に光源はある。
それに遺跡には無いであろう窓代わりのような空洞も点々と存在している。
その空洞から見えるのは晴れやかな青空だけだ。
「もう……朝になったのか」
深夜で気を失ったから当然ではあるが、どうやら結構な時間眠ってしまっていたらしい。
窓から見えるのが青空だけとは何とも不思議だが、とはいえ長時間眠ってしまっていた以上、不安になる事柄は大量に浮かび上がってしまう。
「セリシアやカイル……みんなは……」
あれからみんなは、どうなった?
他にどれだけベルゼビュートの手先がいるのかわからない以上、あそこはもう安全な場所とは到底言えない。
へレスティルやルビア、そしてセルスが残っているとはいえ、これだけの増援が来ているのにも関わらず未だ解決の兆しが見えていないのはこちら側がかなりの劣勢であるからだ。
街のみんなも教会の結界内にいる以上、奴らが教会を突破するのは現時点では不可能だ。
だけどこの先三番街を……守りきれるのか?
流石に食料やその他諸々もあって長期間あれだけの数を教会に滞在し続けさせるのは不可能だし、最終的にはみんなを死地へと送らなければならなくなる。
クーフル一人でもあれだけの犠牲者が出たというのに、それ以上の敵が襲来してくるとなれば正直俺とセルスがいたとしても全員を無傷で守りきるのは不可能だ――
「いや……!」
弱気になっては駄目だ……!
決めたんだろ……みんなの、平穏な日々を守り抜くって。
俺がやらなきゃ誰が出来る……あの子の、セリシアの理想を叶えてあげることが出来る奴がこの世にどれだけいるのかをちゃんと考えろ……!
俺しかいないんだよ。
そして俺の光も、みんなしかいないんだ……!
だから一刻も早くこの場から脱出しなければならない。
そう思って現状の把握に意識を向けると、ふと自分の身体の違和感に気付く。
「――っ?」
傷の治療が……されていた。
包帯もきちんと新しく巻かれていて、傷にも塗り薬のようなものが塗られたような馴染みある湿り気を感じる。
一夜にしては痛みがかなり緩和していることから痛み止めまで俺の身体に入れてくれているのだろう。
けど一体誰がと、そう思っても俺はあの魔法使いの女に意識を狩られてから誰の接触も受けていないはずだから、味方が俺を治療してくれたということは無いはずだ。
……ならあの魔法使いが敵である俺を治療したとでもいうのか。
ぼんやりとした意識だったけど、奴の姿はちゃんと記憶に収めてる。
ルナ以上に低いかなり幼い体格に一目で魔法使いだとわかるトンガリ帽子を被った、暗めの青と黒を基調とした魔法使いの装い。
それに加え、水色の瞳に勿忘草色の肩に行かないぐらいの髪を持っていたが、特筆すべき点はそれじゃない。
奴の耳は……横方向に尖っていたのだ。
恐らく父さんの作ってくれたおとぎ話にも出てきた、森人族という名の種族。
きっとこんな状況下でなければ俺はその姿に驚き感動していたことだろう。
だからぼんやりとした意識下でも鮮明に記憶に残すことが出来たのだ。
だけど、そんな森人族の、しかも俺の横腹に穴を開けた張本人である女に治療される筋合いなどない。
けれど事実として治療が施されている以上、敵側の目的は未だわからずじまいだ。
……でもわからなくて当然だ。
相手は……みんなも、俺すらも絶望へと堕とし続けた【原罪の悪魔】という災厄。
俺すらも『普通』の存在だと突き付けて来る程に欲望にまみれた悪意を、俺なんかが理解出来るはずがない。
だから目的なんか考えずとにかく目先のことからどうにかしようと身じろぎすると、不意に鼓膜に床が跳ね続けているような軽快な響き渡った。
「――目が覚めたか」
「――ッッ!!」
そしてそんな声が聞こえ、顔を上げ瞳のピントを合わせると、入口からぞろぞろと雁首揃えて近付いてくる者がいる。
そのほとんどが顔を隠し純白のローブを着込んだ騎士たちだった。
……いや、あれが騎士ではなくただの女の子だということはわかってる。
そして、そんなただの女の子たちを雑兵のように扱い、命を軽んじている頂点が誰なのかも……わかってるんだ。
「お、まえは……」
聞いただけで、怒りと憎しみを抱く声。
その権威を示すためだけに作られた司祭服に身を包み、口元をマスクで隠し人当たりのよさそうな笑みを浮かび続けている一人の男が最前列に存在していた。
「本当は聖徒の方が都合が良かったが、ちっぽけな欲望に支配されているだけの有象無象が貴様を連れて来てしまったのだから仕方ない。目的を成すための支障にならないよう代案を多く作るのが私のモットー。貴様であっても、代役は務まるだろう」
どれだけその見た目で他者を欺けようと、悪意を知る俺だけは欺けない。
奴がここにいることから窓から見えたのが青空だけなのも、以前聞いた、帰って来てくれたテーラの言葉とへレスティルの言葉を照らし合わせればここが何処なのかも見当が付く。
……そうだ。
ここは、あの悪魔の手先が根城にしている総本山。
「ようこそ、堕落天使メビウス・デルラルト。私のための……楽園へ」
「カルパディア……!!」
【レイクレアの塔】。
その塔の上層階で、拘束されている俺はカルパディアと対峙していた。
第四章(完)
【あとがき】
第4章終了しました!長い間ありがとうございました!
第5章の更新は第5章の執筆が完了し次第更新致します。
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