第16話(10) 『心の傷跡』
教会へ続く道を歩いている間、俺とカイルはずっと無言だった。
それでも手だけは決して離さないようにしっかりと握っていて、そこから伝わる熱が俺達二人が互いに生きているということを証明し続けている。
あの時……カイルが俺を助けた時に使った、光り輝く炎は何だったのかを聞きたい気持ちはあったが、カイルの受けてきた恐怖を考えれば流石に聞くことは出来ないだろう。
でも今まさに、何か気の利いた言葉でも言うべきであるはずだ。
何かカイルの恐怖を和らげることが出来るようなことを並べることが出来ていたら、俺達二人が揃ってずっと無言になる状況になんてならなかっただろう。
けれどもう、教会の中で唯一カイルにだけはこれから先嘘偽りを語ることは出来ない。
その事実が俺の口を強く閉ざさせている。
……カイルは俺の全部を知った。
俺の想い、醜さ、醜態や信念も何もかも。
耳を澄まして、しっかりと聞き続けていたはずだ。
それだけじゃない。
10歳が受け入れるべきではない命のやり取りも、カイルはその目で見続けてしまったのだ。
残虐で残忍で、酷く暴力的な一時だったはずだ。
たくさんの人が目の前で殺されて、自分の命の灯火が消え失せる予感もカイルはしっかりと感じ取らされた。
……同じ歳の頃の俺と同じ。
もうカイルはきっと、輝かしい平穏な日々を歩むことは……出来ない。
「……あのさ」
それでもそんな事実を認めたくなくて、俺は弱々しくも無謀な希望のままに口を開いた。
「今日遭ったこと……もうこれ以上考えなくて良いからな。ゆっくり、ゆっくり……忘れるんだ」
こんなのカイルが覚え続けるべき事じゃない。
まだ子供なのだから、たくさん寝て、たくさん楽しい日々を送って、そうやって意識せずに生きていけば新しいことをどんどん吸収していく中でこんな不要な記憶などすぐに消えてしまうだろう。
……6年立った今でも覚えていて、尚且つそれで自分を形作っている俺が言っても説得力など欠片も無いが、それでもあの輝かしい教会でこれからも過ごすカイルならきっと……忘れることが出来るはずなのだ。
だが、言われたカイルの表情は晴れない。
ギリギリ生気を保っている瞳には暗い陰が掛かっていて、俯くカイルはいつもの笑顔を俺に見せてはくれなかった。
「そんなの……無理だよ……」
「む、無理でもだ。無理矢理にでも楽しいことだけを考えるんだ。5年もすれば、こんな数時間のことなんてすぐに忘れるさ。だから」
「忘れて……みんなみたいにのほほんと生きていくのが正しいことなの?」
「……っ」
その言葉に、思わず言葉を喉に詰まらせてしまう。
すぐに肯定しようと口を開いたものの、既にカイルは言葉を続けた後だった。
「みんな何もわかってないんだっ。俺だってわからなかったよ、シロ兄がどうしてあんなに傷付いて疲れ果ててたのかって。みんな、何も考えずに生きすぎなんだ……聖女様だって!」
「カイルっ……」
「聖女様だってって……これから先ずっと、そう思っちゃうよっ……」
それは今までのカイルであれば絶対に思いもしない思考だろう。
セリシアに欠片程でも不信感を抱くだなんて、そんなことあっちゃいけない。
確かに普段のセリシアは凄くゆっくりと人生を歩んでいるように見えるかもしれない。
でも、それこそが平穏な日々の証なんだ。
街の人達の言葉を、声を真剣に聞いて、教会の維持をするための業務をこなして、みんなに慈愛のような笑みを心から浮かべることが出来る……それはとても幸せなことなんだ。
それにセリシアは決して、何も考えずに生きているわけじゃない。
それはお前だって……わかっているはずだ。
「セリシアはこんな未来が来ないようにって、凄い大きな理想を持って生きてるんだ。それに……忘れちゃ駄目だ、カイル。教会で過ごしてきた日々は、決して間違っていたわけじゃないだろ?」
「……間違ってるよ! だって俺、シロ兄があんなに頑張ってたのに何も知らないでずっと遊んでたんだ!!」
カイルの喉を震わせる程の叫び。
だけど喉を通ったその声は震えていて、ただ強がっているだけなのだと気付いた。
カイルは優しい子だ。
徐々に耐えられなくなって、カイルの目尻からは涙が流れ落ちている。
既に進めていた足も止まってしまっていたから、俺は再度膝を折りカイルと目線を合わせ慈しむような笑みを浮かべた。
「それで良いんだよ……それで良いんだ。子供が生き死にを考える日々なんて、そんなのあっちゃいけないんだから」
「う、ぐすっ……」
そうだよな……子供とはいえカイルにもちゃんとした思考がある。
恐怖に身を浸け続けて、それで精神的に安定出来るわけがなくて、強がらなければ心が壊れてしまいそうなんだ。
言いたくも思いたくもないことを言わなければ、後悔の念に押し潰されてしまいそうになるのだろう。
俺なんかのために、そんな苦悩してほしくなんかない。
だからこそ俺は義理の兄としての責務を果たさなければならないと思って、俺は再度カイルを優しく抱き寄せた。
「お前が生きてて良かった……ほんとに、ほんとにだ」
「~~~~っっ!!」
本心から成るその言葉が、どれだけカイルの心に響いたのかはわからない。
それでもカイルの瞳は大きく潤んで、より強く俺の身体を抱き締め震えた声で言葉を吐き出す。
「俺だって、シロ兄が生きてて良かったっ……良かったよぉ……!!」
強張っていた心を解いた瞬間、決壊するように大粒の涙を流して俺を抱き締め返すカイルの姿は、いつも見慣れているとても子供らしいものだった。
俺のことを心の底から心配してくれていたのも嬉しくて、子供特有の暖かな体温を感じながらもそっと抱き締めていた身体を離し立ち上がった。
「みんなお前の顔を見たら、ホッとしすぎて今みたいに泣いちゃうかもな。せっかく今日はみんなで川の字になって寝てたんだ。今はその幸せを噛み締めようぜ」
「悪夢、見ないかなっ……ルナ姉だっていないのに……」
「見ねぇさ。ルナも安全な所に避難してちゃんとした治療を受けてる。セリシアもみんなも……俺もいるんだ。きっとみんなで平穏な日々を過ごす夢を見るに違いない。少なくとも俺は、自分の見る夢がそうであったらいいなってずっと思ってるからな」
「……うんっ」
確証は持てないしきっと悪夢は見るんだろうけど、それらを馬鹿正直に言って怖がらせる必要はない。
悪夢を見ずに幸せな夢を見れる可能性に賭けることは決して無謀ではないのだから、断言することで少しでもその確率を上げるべきだ。
カイルも涙を拭いながらもようやく笑みを浮かべてくれたから、もっとそれを続けさせたいと俺は心底そう思う。
でも、その思いもすぐに訪れるという確信があった。
だってもう……教会は目と鼻の先なんだから。
二人でまた手を繋いで一緒に緩やかな坂を上ると、俺達の視界には見ただけで心が安らぐ教会があった。
辺りの森は火事の消火によって焦げ朽ちてしまっているが、それでも中心に佇む教会の姿は決して色褪せてなどいない。
それに、心が安らいだ気持ちになれたのはそれだけじゃなかった。
より安心することが出来たのは、俺達の視界に必死な顔で鉄門の内側に立ち守る騎士たちと口論しているセリシアの姿があったからだ。
「お願いします! 門を開けてください!」
「……指示されておりませんので、申し訳ございませんが聖女様のお言葉であろうと叶えるわけには参りません」
「既に聖女として成すべき街の皆さんの治療も完了しています! 意識を失った皆さんの姿は、カルパディア司祭から拝見した写真とそっくりでした。街の中で、私の知らなかったことがまた起きているんですよね……!?」
「……指示されておりませんので、その質問にお答えするわけには参りません」
「……っ」
懇願するように頼み込むセリシアに対し、本部の連中の態度は厳しいものだ。
だが毅然とした態度を取ってはいるものの奴らの視線はその実セリシアを直視出来てはいなくて、本来であれば一生見ることも出来ない『聖女様』の神々しい姿に内心委縮し願いを叶えてあげたいという欲求を押さえ付けている姿が遠目からでもよくわかった。
けれど当の本人であるセリシアだけはそのことに気付けない。
騎士団の言葉を真に受けて、感情の昂りによってぽろぽろと涙を流しながらも必死に言葉を並べようと躍起になっていた。
「もう……嫌なんです。何も出来ずにただ見ているだけでいるのは……ですからどうか! どうか、お願いします! 門を開けてくださいませんか!?」
「――っっ!? か、顔をお上げください聖女様! 聖女様のお言葉通りにしたいと私共も思っていますが、騎士団長から指示されておりませんので門を開けたくても私達の一存では出来ないのです! どうかご理解ください聖女様!」
「それでも、私はっ……! もうこれ以上メビウス君が傷付いている時間を黙って見ているなんてことはっ……!」
言葉を言いきれずに身体を震わせるセリシアだが、それでも決して諦めず引くことなくその場に立ち尽くしていることで、流石の本部の連中もたじたじになってしまっている。
聖女には絶対に強く言えないことに加えセリシアのその姿に、騎士として、信者としての魂が揺らがされているのだろう。
聖神騎士団もその中身は敬虔な信徒だ。
聖女の願いは可能な限り叶えるべきだと心の底から思っているはずだ。
だが聖女という存在が大切だからこそ、クーフルの脅威を知っているが故にセリシアを外へ出すわけにはいかないという切実な理由もある。
どちらも一歩も引けない理由があるからこそ、言い争いに近い願いのぶつかり合いが生じているのだ。
「聖女様~~~~!!」
「――――っっ!?」
だが、その争いはたった一人の声によって簡単に中断されることとなる。
教会に届く程に大きな高い声はセリシアにとってあまりにも聞き慣れたもので、驚きのままに視線を向けると、そこには疲れ切った状態でも拙く地を駆け教会へと向かっているカイルの姿が見えた。
「カイル君っ!」
ぱあっと一瞬で表情を明るくさせたセリシアは胸の前で両手を握りながらも、カイルの元気な姿に瞳を大きく潤している。
……だがそれだけじゃない。
「気持ちはわかるけどそう慌てんなって……」
「~~~~っっ!!」
ずっとカイルと手を繋いでいたから当然ではあるが、駆け出したカイルに引っ張られるような形で早足で近付く俺の姿を捉えた時、セリシアは全身に力が抜けたのかその場でへたり込んでしまっていた。
突然脱力したセリシアを見て大慌てで駆け寄る本部の連中の姿を尻目に、俺達も突然の異常事態に思わず目を見開いてしまう。
「聖女様!? シロ兄! 聖女様が!」
「……っ」
驚いたカイルは勢いよく俺の腕を振ってくるが、いつもだったら心配する俺の心情は今回に限って言えば微妙に異なっていた。
多分……驚きと安心、そして後悔を三等分した感情が一気にセリシアに襲い掛かったに違いない。
それは偏に、自意識過剰でなければ俺が帰って来たこと、生きていたこと、そして……一度戻ってきた時よりも更にボロボロの姿になっていたことが起因しているのだと思う。
『聖女様には、自分から報告するんだぞ』
へレスティルにはそう言われたけど……やっぱり俺にはまだその覚悟がない。
だからこの血で真っ赤に汚れた手で彼女に寄り添うことに、俺は躊躇してしまっているのだ。
「こんな真夜中まで帰って来なかったお前が帰って来てくれて、嬉しさのあまり一気に疲れが押し寄せちまったんだ。きっと早くカイルが元気な姿を、近くで見たくて堪らないはずだぜ?」
「……!」
だから俺はまた、こんな時ですら……日和った。
露点をすり替えて、ギリギリ嘘にはならない安牌択を取ってこの歪となった関係性を未だに維持しようとしているんだ。
「シロ兄も早く行こっ!」
「お、俺は流石にちょっと疲れちゃったからゆっくり歩くよ。ほらっ……俺のことは気にせず行って来い」
「あ、そうだよね……うんっ、わかった!」
あんな酷い光景を見て、それでも母親代わりでもあるセリシアを見つけたことによる安心感はきっと俺の想像を大きく超えているはずだ。
なのにそれでも俺のことを気にしてくれるカイルは、やっぱり目に入れても痛くないぐらいの良い子だった。
だからこそ顕著になる。
せっかく手を引いてくれたカイルの想いに気付かないフリをして誤魔化している俺が、やっぱり何処までも堕落しているんだって。
まだ気を揉んでくれているからこちらからそっと手を離すと、カイルは自分の感情に正直になって駆け足で教会へと足を進めた。