第15話(15) 『腕に力は入らなくて』
怖いはずなのに、これからの人生をずっと明るく過ごすことが出来なくなってしまったはずなのに、今この場において子供であるカイルが一番勇気を持っていた。
自分ではなく他人のために怒れるカイルはきっと、成長したら俺なんか比較にならないぐらい輝いた大人になれてるに違いない。
「だ、だめだ……カイルっ……」
でもだからこそ、その行動はあまりにも無謀だった。
自分が出来ることを理解せず、尚且つ勝ち筋を想像出来ていない者が戦場に介入してしまえば、それが大人であろうと待っているのは無惨な死という結末だけだ。
それに俺は……嫌という程理解した。
クーフル・ゲルマニカという男が、これを受けどのような感情を抱くのかを。
「あの時も……あの時もそうだ……才能があり、神に愛されているだけじゃ飽き足らず、またしても私の描く劇場に割り込み台無しにする……いつも、あと少しの所でぇ!!」
案の定……俺の揺れ動く瞳にはわなわなと身体を震わせ激昂するクーフルの姿があった。
「私は生まれ変わった……だからガキの愚行を引き摺らず【原罪の悪魔】の命令も聞いた! なのにここまで……ここまで、譲歩してもっ……! ガキ共はいつもッッ!!」
両手で顔を覆いつつ放たれた絶叫は恐らく俺含め全ての人間の心に宿る恐怖をいとも容易く増幅させるもので、ビリビリとした威圧感が受ける者の身体を強く震わせている。
「……いえ、むしろ感謝しています。欲望に甘さなど必要無かったと、それを貴方方は私にご教授頂いたのですよね。そうですよねぇ!? ええ、ええ、わかりましたとも。貴方方は素晴らしいのだと私は理解しています。何故ならば私を、もう一段階先へと進ませようとしてくれているのだから……そうだ、そうに決まってる……そうに……!!」
狂ったようにそう呟き金色の瞳を輝かせているクーフルの姿はまさに狂人と呼ぶに相応しい出で立ちで、まるであの頃の俺のようにその瞳孔は開き続けていた。
……わかる。
わかってしまう。
コイツが今、何を考えているのかを。
だから俺の口からは弱々しい、懇願するようなみっともない声が出た。
「カ、カイルは関係ないっ……殺さないって」
「―――くはっ」
だがその揺れる瞳を……クーフルは嗤って見下ろしていた。
「……貴方のその顔のおかげで、むしろ決心することが出来ましたよ」
唐突に柔らかな笑みを浮かべた奴の姿はあまりにも不気味で薄気味悪くて、俺の顔は終始強張り続けている。
その決心が【原罪の悪魔】の意向に逆らうものであったとしても、本物の狂気を、欲望を前にすれば、奴が持つベルゼビュートに対する未来への恐怖など霞んで見えてしまうのは当たり前のことだ。
故に欲望が恐怖心を塗り潰した今、奴は俺の持つ絶望をより強固なものにし嘲笑うためだけに選択をした。
俺にとって大切な人を……残虐に殺す選択を。
「《魔呪召現【終極・千秋楽】》ッッ!!」
そして二つの白手がクーフルの真上へと浮かび上がり、手を重ねる。
呪いの強い抵抗を受けながらも重ねた手を横へと開くと、その中心部には圧縮されたのちに膨張した強大な黒泥の塊が生成されていて、その塊に絡み付くように夢の世界へと誘う悪霊たちがへばり付いていた。
「ぅ、あ……」
見ただけでわかる。
こんなの、俺ですらどうすることも出来ない……人を呪い殺すための力だって。
強烈な悪意が可視化されたかのような禍々しいオーラを放ったその球体。
この呪法からカイルを守るのは不可能だ。
カイルにはクーフルによって創られた攻撃を阻む壁があって、あれは俺であろうと破壊することの出来ない程に強固な代物。
だからこそクーフルは、一人の子供を殺すにしてはあまりにも過剰過ぎる質量を持たせた攻撃をすることを選んだ。
奴があの壁を創り出したからこそ、破壊するためにどれ程の力が必要なのかを本人が一番良く理解しているから。
カイルは、確実に死ぬ。
へレスティルもルビアも何一つとして抗うことなど出来ずに、残虐な死を与えられることになる。
「だ、だめだ……そんな……やめろっ……!」
零れる声は自分でも驚く程に小さくて、客観的に見ても何一つ抑止力にならないことをしていると理解する。
それでも伸ばす手の力が抜けることは無くて、希望的観測による都合の良い未来が来てくれることを願ってしまっている俺は、もう既に誰一人助けることなど出来なくなってしまっていることを突き付けられた。
「私の創り上げた幸せな舞台に魂の演者として生き、肉体は残虐に朽ち果ててゆく! それこそが私の鎮魂歌! 主役である私の作品の終極ッ! ――さあ今ここに、魂の歓声をッッ!!」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
だから動けずにいる俺を前に、クーフルは強大な質量を持った高密度の呪法を――放つ。
その強烈な悪意を形と成した《【終極・千秋楽】》が迫る姿を目の当たりにしたカイルは、恐怖で足を竦ませながらもちっぽけな虚勢で目だけは閉じようとしなかった。
「「―――ッッ!!」」
へレスティルとルビアも、騎士として大人としてカイルだけでも守ろうと動き出す。
へレスティルは自身の両腕に装着された二盾から成る魔導具の力により四重にもなる炎の防御壁を出現させ、ルビアは幾つもの光の魔法陣を展開したかと思うと、魔法陣から何重にも編み込んだ光の鎖を蜘蛛の巣のように前面に出して【千秋楽】を消滅させようと全力を出した。
だが――全て壊れ、呑み込まれる。
幾度となく魔力を注ぎ込んだ魔法であっても呪法の果てにある強大な悪意を防ぎ切ることは出来なくて、粒子となって散る魔法の残滓を見せつけられながらせめて肉壁だけでもなろうとカイルの前へ二人は立った。
それすらも出来ない……無様な愚者がここにいる。
でもそんなことをしても無駄な足掻きでしかないと内なる俺が嘲笑していた。
ああっ……消える。
また、俺のせいで罪の無い平穏な日々を過ごすべき人達が死んでいく。
……もう限界だ。
俺はもう、起こりゆく現実を直視することすら出来ない。
だから必死に伸ばしている腕の意味すら見出せなくなって、俺は虚ろな瞳により濁らせ伸ばした腕を……力無く下ろしてしまった。
―――【終極・千秋楽】は目標地点にまで到達し……爆発する。
「―――ぁぁ」
その刹那の瞬間を涙を流しながら見届ける結果となった俺の身体は脱力して、無力感と絶望に心を苛まれ何のために今この場で生を受けているかがわからなくなった。
巨大な轟音と共に莫大な土煙が中央広場を覆い尽くして、呪法特有の強烈な不快感が俺の身体を浸透し溶けあっている。
……本当なら、立ち上がらなければならないはずだ。
守らなければならない人は、まだたくさん残っているのだから。
それでも……カイルが、死んだ。
俺なんかよりもよっぽど楽しい毎日を過ごして、これから大人になった時も平穏な日々を過ごすべき優しい子が……死んだんだ。
一人でも死んでしまっては駄目なのだ。
大切な人が一人でも死んでしまったのなら……俺はもう、立ち上がれない。
「あはははははははははっっ!! ほらよく見てください! よく見ろよクソ天使ぃッ!! これが私が手に入れた力! 私だけの才能!! 貴方もすぐにあのクソガキ共と同じ地獄へと送って差し上げますよッッ!!」
クーフルの狂気に染まった叫び声に、もう不快感は感じない。
最早怒りや憎しみすらも湧いてくることはなくて、俺はただもうじき訪れる自身の死を悟り気力の無くなった身体を奴に差し出し続けてた。
早くカイルに謝らなくちゃ……
天国に行けるかはわからないけど……早く死んでカイルに、これから殺されるであろうたくさんの人に、心の底から謝らなければならない。
だから俺は死を待っている。
ただただ死を、待っている。
―――だが。
「―――間一髪って所だな」
「……………………はあああああ??」
死して土煙が晴れた後には、大量の肉片とべったりと地面に付着した赤黒い血が見えてくるだけなのだと、きっと誰もが思ってた。
なのに煙の中から聞こえてきたのは聞いたこともない少年のような少し高めの声しかなくて、その存在を確立するかのように煙には多くの人影が揺らぎ存在しているのが見える。
「危ない危ない……これで迷子になって助けられなかったとかになってたら、オレ自身もオレを責める所だった。……まあでも、そんなことは起こらないけどな」
俺もクーフルも目を見開き晴れ始める煙から目を離せないでいる。
だが土煙が晴れていくにつれて、俺の虚ろな瞳にはほんの僅かな光が灯り始めていた。
「だって、いつだって」
煙が晴れる。
晴れた先には三人の前に立ちこの場にいる全ての視線を一身に浴びている存在がいて、自分の存在自体に自信があるかのように堂々と前を向くと。
「勇者ってのは、遅れてやって来るもんだ」
蒼い瞳を輝かせながら黒髪の少年は快活な笑みを浮かべていた。
その時俺は……へレスティルやルビアから何度も聞いた男の名前を、思い出していた。