第15話(14) 『傲慢の証明』
地面が抉れる程の剛腕で叩き付けられた俺は、そのまま〖傀儡〗の持つ泥の棒によって殴り飛ばされる。
容赦のない一撃は天使である俺の身体を傷付けるには充分過ぎるもので、これまで受けてきた全ての痛みは自分への罰だったのだと、大切な人に傷付けられたことにより改めて思い直すことになった。
「く、ぅっ……ぐっっ」
立ち上がることは、まだ出来る。
でも俺の頬には涙が流れ落ち地面を濡らしていて、もう心は……限界だった。
傷付いてほしくないから手を止める。
だけど向こうは、殺すために傷付ける。
まさしく子供の頃の俺と立場が逆転してしまっていた。
たとえあの〖傀儡〗がこの街を破壊しようとしても、今の俺はきっとそれを止められない。
子供の頃の俺がそうだったように、幾ら言葉で静止しようと拘束しようと決して成すべきことが決まった相手を止めることは出来ないのだ。
今ならわかる……あの時の、ラックスさんの気持ち。
助けられない自分の無力さと殺しきれない自分の甘さに苛立ちを感じるばかりで、ただ謝りたいという願いだけが心を満たしてしまう絶望感。
「ごめん、なさい……」
今の俺もそうだからこそ、無意味な謝罪の言葉を呟きながら泥の棒を引き摺り近付いて来る〖傀儡〗の音を聞くことしか出来ずにいる。
「ごめんなさい……! 俺がっ、俺なんかが生きてたせいで、あんな、酷いことをっ……!」
この謝罪は命乞いのためのものじゃない。
後悔が湧き上がるように増えていき胸の内から零れてしまっているから、誰に言うわけでもなく零れた分だけ本心を漏らしてしまっているだけだ。
「もっとちゃんと考えて決めていれば……もっと、ちゃんとっ……相談することが出来ていたらこんなことには……! なのに俺は……俺はぁっっ……!!」
自らを守るように倒れながら身体を抱き締め蹲る俺は、きっと誰が見てもまだ子供であると思われてしまう姿だろう。
悪魔の誘惑に乗って……結果的にエウスを助けることが出来た以上、選択肢の一つとしてであれば正しくないとは決して言えないことかもしれない。
でも正しいからと自信を持って前を向けるわけではないのだ。
たとえ結果が期待通りのものだったとしても過程が望むものでなかったのなら、生きてる限り後悔はずっと続くことになる。
『『メビ、ウス……ッ……助ケテ、クレェェ』』
アルカさんとラックスさんは、死んでも尚俺を助けたことを後悔し続けている。
俺を、助けたこと。
俺を殺せなかったせいで、死んでしまったことを。
これは俺への罰なんだ。
アルカさんやラックスさんには、俺を【断罪】する権利がある。
俺が二人にしてあげられることはもう、殺されることしか無かった。
〖傀儡〗が俺の前へ立ち、泥の棒を逆手に持ち振り上げた。
同時にその棒は一度半液体へと変わったかと思うと、再度硬化した際にその姿を鋭利な剣の姿へと変える。
どれだけ天使が頑丈でも、剣で心臓や首を一刺しされたら簡単に死ぬ。
それほどまでに……二人は俺を恨んでる。
だから俺はもう、避けるのは諦めた。
たとえこれに抗った所で、空に逃げれば〖傀儡〗をクーフルによって傷付けられるから逃げられず、かといってその〖傀儡〗を殺せるような覚悟もない。
もう何も出来ないのだ。
俺はもう……あの悪党に勝つことは出来ない。
『『――――』』
故に投げ出すように瞼を閉じ、そして〖傀儡〗の泥剣が……振り下ろされた。
剣先は俺の心臓へと向けられていて、やはり確実に仕留めようとする意思を感じる。
それでも俺は身動き一つ取らずにその先の未来を受け入れていた。
皮肉なことだが数多の重荷が俺の背中に伸し掛かっていたはずなのに、今の俺にはもうそれが何だったのかすら忘れてしまっている。
……いや、思い出さないようにしているだけだ。
一度思い出してしまえば、俺のこの命に価値があるのではないかと思ってしまうから。
だから何も考えない。
考えずに――自分の死の時を、待ち続けていた。
『『――――』』
「…………っ?」
だが……いつまで経っても、俺の死が訪れることはなかった。
困惑しながら少しだけ身体を起こし〖傀儡〗を見上げると、何故か〖傀儡〗は俺の身体の当たるギリギリの所で腕を静止させてしまっている。
それはまるで、何かに抵抗しているみたいで。
「どう、して……」と困惑する俺を前に〖傀儡〗の身体がふと揺れた気がした。
『『メビ、ウス……』』
「――っ」
するとその時泥だらけの二つの兜が……俺を、見ているような気がした。
恐る恐る視線を合わせると、〖傀儡〗は震わせた腕によってカタカタと揺れていた泥剣を地面へと落とし、まるで何かに抵抗しているかのようにその身を揺れ動かしている。
そんな〖傀儡〗の両腕が……ゆっくりと、前へと突き出された。
突き出した両腕は、間に俺を挟むように鎮座している。
動揺する俺を前に〖傀儡〗は俺を……優しく、抱き寄せていた。
「は……?」
隙を見せることで油断を誘う必要もない程、勝ち確の状況だったはずだ。
むしろもしも俺が敵意を持っていたとしたら逆に首を裂くことだって出来る、あまりにも無警戒で隙のある行動でしかない。
なのに……〖傀儡〗は俺を抱き寄せたまま動かない。
俺もまた……空を切る自分の両腕に徐々に力が籠められていくのを感じていた。
「はっ、はっ……はっ……!」
身体は震えて、瞳は潤って、声にならない息を吐く。
尚更自分の犯してきた罪の重さを思い知らされると同時に、どれだけ異形の姿になろうとも大罪を犯した俺をまだ抱き寄せてくれたことに湧き上がる程の嬉しさを感じていた。
俺に、抱き返す権利なんてあるわけがない。
でも、それでも……
『『――――』』
「――――」
アルカさんが、ラックスさんが俺のこと、許してくれるというのなら……なら俺は……俺はっ……!
「クハッ!! 現実から逃げてんじゃねぇよ!! クソ天使ィィィィ!!」
「ごッッ――!!」
だが刹那――〖傀儡〗自体が突如として半液体に変わった瞬間、ここぞとばかりに地を蹴り駆け〖傀儡〗を貫通して突破したクーフルの渾身の足蹴りが俺の顔面を蹴り潰した。
口角を吊り上げ、高らかに嗤い声を上げながらクーフルはそのまま地面に倒れている俺の顔面を何度も蹴り続けている。
「思考も行動も! 全部私がやってるって言いましたよね? 言ったんですよ!! 貴方の抱いている感情なんて、全部この劇場を盛り上げるための小道具でしかないっ!! 完全なる暗闇に浸すのではなく、その暗闇の中に僅かな小さな光を灯す! それこそが【原罪の悪魔】によって教えられた、欲望を蓄積させるための正体ッ!! それこそが悪魔として顕現することが出来る、最凶の悪意なのでございますッッ!!」
「――――」
「貴方によって地に這い蹲された私が、今は貴方を足蹴にしている! その事実こそが! 私が貴方よりも上であるという証明になるのですッッ!!」
両手を広げていたせいでマトモな防御すら行うことも出来ずに、俺はクーフルの絶叫に似た言葉の羅列を聞きながら身体中を蹴られ続け小さな呻き声だけを漏れ出していた。
本来だったらすぐに反撃に転じるこの状況。
だがそれはあくまで俺の身体と心が万全だったらの話だ。
これまで受けてきた『生きる』という行為が限界を迎え、身体と心はもう悲鳴すら上げることが出来ずに力無く垂れているだけ。
ほとんど気合と根性、それと責任だけで立ち上がり続けてきた俺にとって、今の奴の極悪非道な悪意を耐えきることが出来る程の器はもう残されていなかった。
「……痛いでしょう? 苦しいでしょう。もうこれ以上自分が傷付きたくないから、楽になりたいと貴方は思っている。私の創り上げた劇場を、貴方は今、心の底から堪能しているのです……!」
足蹴りを止め、地面に擦り付けるように俺の頭を踏みながらクーフルは俺を見降ろして。
「ぁあ……! 天使は守るものが多くて、大変ですねぇ……!!」
心底嬉しそうにクーフルは恍惚の笑みを浮かべていた。
「――――」
それだけじゃない。
紫色だったはずの奴の瞳は……いつの間にか俺と同じ『金色』に輝いていた。
そしてクーフルは自身の持つ巨大な白い手二つを近付かせ俺の両腕を掴ませたかと思うと、そのまま虚ろな瞳で脱力している俺の身体を持ち上げ奴の目の前へと浮かせて見せる。
「私が貴方と出会ったのはこれで二度目。貴方が私のことを知らないように、私もまた、貴方のことなど何一つとして知りません。……ですがわかるのです。同じ【傲慢】だから、どうすれば貴方に楽しんでもらえるのかが……わかるのですよ。ですが、今後の参考のためにも本人には聞いておかなければ」
そう言いながらクーフルは俺の前髪を掴み上げ強制的に顔を上げさせる。
「私の劇場は楽しんでいただけましたか? メビウス・デルラルト」
そしてあまりにも薄っぺらい紳士的な笑みを浮かばせながら、クーフルは俺にそう問い掛けた。
「あの頃の私は才能すらありませんでしたから、頭の溶けた信者が神に祈りを捧げるように、悪魔になるためにと、いもしない邪神に希望を見出さなければ生きていけませんでした。……ですが今の私には、貴方のおかげで得ることが出来た力があります」
「――――」
「【傲慢】の素質を持つ貴方を殺すことで、同じ素質を持つ私こそが【傲慢】の悪魔になることが出来る」
互いに煌めく金色の瞳は俺のものだけくすんでいる。
クーフルはそんな俺の瞳をジロジロと値踏みするように見ると、やがてニヤリと気味の悪い笑みを浮かべて。
「貴方……今自分が何のために戦っているのか、理解出来ていないでしょう」
「――――」
「聖女を守り、人々を守り、街を守り、騎士を守り、死した魂すらも守りたい……何もかも守りたいだなんて」
「――――」
「ぁぁ……! 貴方……『よくばり』、ですね」
更に口角を吊り上げ、悪魔のような笑みを俺へと向けた。
きっと奴はこの言葉を言いたくて、意趣返しをしたくて仕方が無かったに違いない。
……でもそうか。
俺は……よくばりだったのか。
そうだよな。
誰一人として守ることが出来なかった俺が、今度は全部守りきろうだなんて到底出来るはずもない夢物語だった。
奴の言う通り、今の俺はもう何のために戦っているのかもわからない。
戦う理由が多過ぎて、逆にその重さに耐えきれなくなって潰れてしまったのが今の俺だ。
俺が死ねば街の人達は死に、街は破壊される。
でも、それは今だって変わらない。
俺が守りたかったものはもう既にその半分以上を失ってしまったのだから。
仮に奴を殺せた所で、それでじゃあハッピーエンドとはならないだろう。
俺が弱くて、何も出来ない愚者のせいで……もうそうはならなくなった。
だから俺はもう動けない。
虚ろな目で下を向いたまま脱力し、クーフルに蹴られたことで額に巻いた汚れた包帯の隙間から血をだらだらと垂れ流しているだけだ。
「今の私は【原罪の悪魔】の指示によってこの場にいますが、【原罪の悪魔】は私が貴方を殺せるなど全く思っていないようでした。新たな呪法を得ても尚、お前じゃあれには勝てないと、あれの欲望を超えることは出来ないと、私を嘲笑っていたのです」
「――――」
「だが舞台ももうじき幕を引きます! 【原罪の悪魔】の指定した『貴方の大切な方々を殺さない』という条件。その条件を達成して尚、絶望を与えきり貴方を殺す! それをこの私が今、達成することが出来たのです!! そう、私が貴方の欲望を超える瞬間! フィナーレのお時間でございますッッ!! 大変……お待たせ致しました」
発狂し、絶叫し、そうして俺を満足そうに見下ろした後、クーフルは背中側にあるマントに手を入れそこから一本の短剣を取り出した。
それは初めてクーフルと邂逅した時に奴が持っていた漆黒の短剣。
俺がそれで奴の足を刺し、そうして最後はやけに不気味に感じたから捨て置いたものそのものだ。
今思えば、これもまたベルゼビュートの契約によって生み出された邪悪な武具の一つなのだろう。
俺の剣とは違い奴の短剣に特別な力があるようには見えなかったが、6年の時を経てラックスさんを殺したのと同じ産物で殺されるとは中々に皮肉が効いていて、いつもの俺なら乾いた笑みを浮かべていたことだろう。
でも今はもうどうでもいい。
むしろ巡り巡って同じもので殺されて良かったとさえ思えてくる。
虚ろな瞳から見える視界にはクーフルが漆黒の短剣を俺の首に向けている姿があって、軽く腕を前に突き出しただけで俺は苦しみに悶えながら命の終わりを告げてしまうことを示している。
「地獄でまた会いましょう……堕落天使、メビウス・デルラルト」
そして噛み締めるようにそう言葉を閉じて、漆黒の短剣を――突き出した。
――刹那、俺とクーフルとの間に光り輝く一筋の白炎が走る。
「――つッ!?」
その高温度による熱炎はクーフルの生物としての本能を呼び起こすには充分過ぎるもので、奴は反射的に熱風から距離を取り俺の両腕を掴む白色の巨大手を離させると警戒するように自身の傍へと近付けた。
身体を支えるものが無くなり脱力したまま地面へと倒れ込んだ俺だったが、俺自身もまたその神秘的な白炎を出す者の覚えが全くなくて、ぼんやりとした視界の中どうにか焦点を合わせ白炎が飛んできた方向へと視線を向ける。
「はぁ……はぁ……!」
「カイ、ル……?」
視線の先には未だクーフルによって囲われた防壁の中にいながらも、背中……恐らく酷い火傷痕から発せられたであろう白炎を激しく燃え盛らせ大粒の汗を流しながら両腕をクーフルへと突き出すカイルが立っていた。
その傍で、へレスティルとルビアが驚きの目でカイルを凝視しているのが見える。
感情の大きさは二人程ではないものの、疲弊した俺でさえカイルの纏う白色の炎に困惑を隠せずにいた。
だが……その白炎が何なのかなんて、きっとカイルにだってわからない。
汗と一緒に混じった涙をポロポロと流し、恐怖で足を竦ませながらも必死な顔でクーフルを睨み付けている。
「もう、やめてよっ……! シロ兄を虐めるなよ! 馬鹿野郎――!!」
そしてカイルは、己に湧き上がる恐怖心を乗り越えてでも感情のままにそう叫んでいた。
【作者から】
この話で投稿文字数が100万字を突破しました!
今これを読んでくれている方は100万字分この作品に付き合ってくれた方々というわけで、作者として嬉しい限りです。
これからもよろしくお願いします。