第15話(11) 『傲慢な眼光』
確かに、本部の連中は嫌いだった。
セリシアが守り抜いてきた三番街の日常をいとも容易く変えようとして、コメットさん一人に責任を押し付け権力の限りを尽くしていたから。
それがたとえ騎士の仕事として当然のものだったとしても、感情が奴らを許しはしなかったんだ。
追い込まれ、殺してしまえばと思ったこともあった。
すぐに自分で否定したけど、やっぱり騎士団に対する嫌悪感が無くなったわけじゃない。
本部の連中は嫌いだ。
でも……それでも。
死んでほしいわけじゃなかった。
それなのに今日見てきた死の中で一番の生が消える瞬間というものを目の当たりにした俺の口は、絶えず渇きを覚え死の空気を付着させてしまっている。
「もう止めろぉぉぉぉぉ!」
それが嫌で嫌で堪らなくて、俺は目尻に涙を浮かべながら一刻も早く攻撃を止めさせるべくクーフルに突貫した。
「私はもう、弱者ではありません……強者となったのですっ!」
雷拳と黒泥による攻防が巻き起こる最中、どちらの攻撃も僅かに届かず一方的な展開にならない互角の状況が続いている。
奴の隙らしい隙はマントの《ディストーション》を巧みに使った自身の逃走と白色の手の召喚により幾度となく阻まれている。
「貴様、何者だ!」
「――っっ!? ぐっ!?」
だが互いに決定打を与えられないそんな中、突如として聞こえた張りのある声によって俺は顔を歪め注意を逸らし、結局クーフルの一撃を貰い吹き飛ばされてしまう。
苛立ちを覚えながらも顔を上げると、視界の先には剣をクーフルへ向け警戒の目を向けるへレスティルが立っていた。
見れば既にクーフルによる殲滅に向けての物量攻撃は収まっていて、そこには見るに無残な死体と痛みに耐える騎士たちに無傷の騎士が寄り添っている姿があるだけだ。
そんな中で退魔騎士として優秀な力を持つルビアだけが、へレスティルに追従するようにこちらへと近付いていた。
「聖女様の管理する神聖なる土地に対しこのような行い……極刑では済まないぞ。これ以上の愚行は我ら聖神騎士団が防がせてもらう」
「……数多の犠牲を生み多くの血を流しながらも、自らの行いが正当であると思い込む貴方こそ、愚行であるとは思わないのですか?」
「我らの責務はこの街を危機に陥れる罪人を排除し、聖女様が成すべきことを安心して行えるよう手助けすること。我ら騎士団の行いが間違っていることなど万に一つもありはしない」
そう告げると同時に、先程まで負傷者の安否を確認していたはずの騎士たちもクーフルへと剣を向け既に臨戦態勢を整えていた。
……やっぱり、本部の連中の行動は正しい。
聖女がいない限り、負傷者をすぐに回復させることが出来る手段は存在しない。
だからといって、この状況下で負傷者を一人ずつ教会に連れて行くという行為をすることも騎士として出来ないだろう。
だからたとえ放置しなければ生還する可能性のある負傷者がいようと、それよりもそれ以上の負傷者を出さないようにと行動することは、きっと組織として正しいことなのだと思う。
「これだけの人数、一人でどうにか出来ると思ってるの?」
「これだけの人数、ですか。ふふっ……あははははははっっ!!」
それでも……間違ってるだろ。
お前達にはわからないんだろうな。
悪党が嗤うということが、どういうことなのか。
俺は……知ってる。
思い通りにならない悪意の矛先が何処に向かうのかを……俺は、知ってるんだ。
「貴方方は何も理解していません。私を含め悪魔に支配された者たちの……心に宿る欲望の本質を」
そう語るクーフルの瞳は、紫色に煌めいている。
そして呪法《魔呪召現》による黒泥球を5つ、自身の周りに展開させる。
「くはっ!」
刹那――既に俺は地を蹴り駆け、聖神騎士団を超えてクーフルを蹴り飛ばしていた。
「そうですよね! どれだけ雑魚が束になろうと意味がないことを、貴方が一番よく、理解しているッッ!!」
「クーフルッッ!!」
黒泥により奴自身にダメージは与えられなかったもののクーフルを奥へと飛ばし、強制的に騎士団の連中との距離を離させながら攻防を繰り広げる。
少しでも奴が意識を俺以外に向けてしまわないように、僅かな隙すらも見せてしまうようなことが無いようにと、俺は金色の瞳を輝かせていた。
故にその動きは他の者が介入出来ない程に近く、拮抗していて、無理に入れば味方にも被害が出てしまうと思わせるぐらいに乱暴だ。
怪物たちが三番街を襲撃した時と同様にこれではまた一般人によるワンマンバトルになってしまうことへの危惧から、へレスティルは荒げた声で俺を静止させようと試みていた。
「止めろメビウス! 君はこの場に相応しくない! ここは我らに任せ退避しろ!」
「来なくていい! お前らは街のみんなを連れて教会に避難してくれ!」
どうしてわからないんだ。
俺がここから離れるようなことがあれば、クーフルは俺を釣るために必ず夢の世界にいる騎士を一人残らず殺すはずだ。
それが終われば、次の矛先はお前達に向かうことになる。
そしてお前らはさっきと同じように、死んでいった仲間たちを見捨てるなんていう薄情な行動を取るんだろ。
そんなの許されていいはずがない。
たとえ組織として正しい行いだとしても、一人で状況を拮抗出来る奴がいるのなら一時的であってもそいつに任せるべきなんだ。
生きる選択肢があるのなら、生きるべきなんだよ!
「何故君一人だけで戦うことに拘る!? 先程も言っただろう! 三番街を守ることは我ら聖神騎士団の責務だと!」
「だからっ……!」
苛立ちが激情へと変化していくのがわかる。
幾ら言っても、騎士団の連中はそれを理解しようとしない。
そういう組織だから、そういう社会だからって、柔軟な発想を持つこともせずに同じことを繰り返す。
いい加減に、してくれっ……!
頼むから……俺にみんなを、守らせてくれっ……!!
頼むから……!!
「君は一般人で、我らは聖神騎士団だ! 【帝国】の命令を聞くんだメビウス!!」
「~~~~ッッ!! いいから黙って俺の言うこと聞けよッッ!!」
それでも聞いてくれなんてしないから、俺の感情は爆発し、より鮮明に光り輝く金色の瞳が激怒を宿してへレスティルらを威圧した。
「「――ッッ!!」」
瞬間、金色の瞳から放たれた『何か』が強大な威圧感となって、視界に入った者全ての魂に極一部の者しか受けたことのない絶望を纏う絶対的な『恐怖』が触れる。
生物としての危機を知らせる本能が逃げろと警鐘を鳴らす程の、死よりも怖いと思わせる『何か』。
それはこの場で唯一それらを知ってる二人だけには効かなくて、身体を硬直させてしまっているその他大勢を見ることもせずにクーフルによる物量攻撃を押し切ろうと攻防を繰り広げていた。
「そうです! 貴方の欲望の源は、徐々により強く貴方の魂を縛り付けている! もっと自分を曝け出してください! 貴方の傲慢で憤怒な欲望を、もっと私にぃ!!」
「何がしてぇんだよテメェはッ!!」
「互いに嗤いましょうメビウスゥゥ!! 人間如きが介入することなど出来ない、天使と魔族による本当の戦いというものを!!」
話を嚙み合わせるつもりなど微塵もない二人の絶叫は、傍から見ればあまりにも異質で目的のない殺し合いに見えるのかもしれない。
だが同じ悪党で、殺し殺された間柄だからこそ、その思想はわからなくてもその結末がどうなるかだけはわかるのだ。
故に、この戦場はたった二人の男によって支配されている。
目の前の悪党を殺すことだけで全神経を尖らせている俺には、既に他の声など耳に届いていなかった。
「《魔呪召現【魂霊媒禍】》!」
「――ッッ!」
クーフルの呪法の発動によって、奴の背に円を描くように無数の怪物球が展開される。
そして大口だけを開いたその球から、凄まじい水圧による誘導ビームが一斉に放たれた。
【魂霊媒禍】によって得た、水魔法による攻撃。
『ウイングソール』を起動し空を飛ぶことで三次元的回避を実現させるが、俺を通過したビームはまたしても中央広場を破壊し尽くしていた。
「く、ううっ!」
駄目だっ……!
この手数に対して人だけじゃなく街すらも守るなんて不可能だ。
「く、そっ!」
街を破壊するウォータービームを見て歯軋りしながらすぐにクーフルに顔を向ける。
この水魔法を消滅させる手段が俺に無い以上、一刻も早く生成された怪物を潰すしかない……!
これ以上奴の好きにさせるわけにはいかないっ!
「貴方の持つ欲望! 貴方の持つ堕落した感情は、私の心を酷く震わせてくれる!」
この後迫り来るであろう物量攻撃を動きを止めずに壊しきるためにも両手に【擲弾】の魔力を付与させながら『ウイングソール』のリミッターを解除し、波状攻撃の僅かな隙を掻い潜るようにバレルロールで一気に突っ込む。
予想通りクーフルはワーム状の怪物二つを巻き付け強化し俺へと迫らせたから、俺はそれを跡形も無く爆破させ、更にクーフルを守ってくるであろう白色の手も一緒に爆破させるべく無詠唱ながら持てる力の全てを魔力へと変換させた。
コイツを殺す……!
ここで、必ずッッ!!
「ですがまだ、欲望が僅かに……足りないのです」
「は――――がっ!?」
膨大な殺意を見せ凝縮させた魔力。
けれどそれは突如として俺の横腹へと何かがぶつかったことで無残にも散ってしまった。
「なんっ……」
僅かに見えた視界にはクーフルの後ろの地面から伸び出た巨大なツルがあって、恐らくそれによって叩かれたのだと推測出来る。
けれど地面に叩き落されても尚俺の身体には重さがあったから、痛みに耐えつつも視線を向けると、そこには腹から血を流しぐったりと倒れ込む一人の騎士の姿があった。
「――っ!?」
その真っ赤に染まった純白の騎士服が俺の思考を酷く乱して、焦るように慌ててどくどくと流れる血を止めようと両手で必死に傷口を押さえ付ける。
腹に穴が開いてるんだから、こんなの無駄な抵抗でしかない。
それでも諦めなかったのは、偏にまだこの騎士の身体がほんの少しだけ揺れていたからだ。
まだ息がある……!
俺には、目の前で足掻く生を見殺しにすることなんて出来なかった。
「お、おいっ! 大丈夫か!? 気をしっかり持て!」
「う、ぅっ」
「……!」
人間がどれだけの損傷に耐えることが出来るかなんて、種族が違う俺にはわからない。
でもこれまでこの世界で生きてきた経験から、人間は場合によっては少しの痛みだけでも死んでしまうくらいか弱い生き物なのだということはわかっていた。
だからこそ、こんなことに意味なんてあるのか。
人一人助けたとして他の奴も全員助けられるのかと、そう自問自答する冷静な俺がいるのと同じように、それでも助けられるのなら助けなければならないと思う俺もいる。
生死が掛かっている状況で正しい正しくないを論じる必要など無いから、俺は自分の心のままに行動することに決め、無駄な止血は諦め一刻も早く騎士団に明け渡して教会に連れて行ってもらおうと騎士を抱えた。
「もう少しだけ耐えてくれっ、すぐに騎士団に明け渡すから! 教会にさえ着けば必ずあんたも助か――」
『――バアッ!』
「――――」
刹那――――騎士の腹が……裂けた。
『ギャハハハハハハハハハハハッッ!!』
「――――――――」
どろどろと塊のように流れ落ちる血と泥の混ざり物の中に、まるで腹から生まれたみたいな未熟な姿を晒した四肢の折れた小さな怪物が、呆然と見続ける俺に向け大口を開けて嗤い続けていた。
腹を裂かれた騎士は僅かな呻き声を上げた後に絶命し、虚ろな瞳が俺ではない何処か遠くを見つめ続けているのがわかる。
だらりと、力無く落ちる腕や唐突に重くなる身体を感じたことで、どれだけ見ないフリをしようとも目の前の騎士がドス黒い悪意によって殺されたことを俺に鮮明に突き付けていた。
『ギャハハ――ギャッ!』
騎士の腹から流れ落ち地面に落ちても尚嗤い続ける赤子のような怪物の顔面は、俺の叩き付けた拳によって地面と同化しすり身となった。
ビクビクと拳の中で脈動する何かを感じながらも、俺の揺れる視線は終始倒れ込む一つの死体へと向けられている。
「――」
……今、声を聞いた。
俺はちゃんと……命の声を、聞いていたんだ。
同じことは繰り返さないって誓ったはずだ。
それがテーラでなくともルナでなくとも、もう二度と同じ過ちは繰り返さないって……そう、決めたんだろ。
「――――」
なのに俺は、また同じ過ちを犯した。
……いや、本当はわかっていたはずだ。
クーフルの呪法によって貫かれたということは、その身体に奴の呪法が入り込むということになる。
俺を含め、全員がそうならない現状を鑑みるにその後の起動方法があるのだろうが、理屈はともかくまた先程のようなことが目の前の騎士にも起きる可能性はあるって、本当はわかってた。
でも希望を捨てたくなくて、そんなことは起きないんだと自分に言い聞かせてたんだ。
それが自分の心を痛め付ける結果になると、気付いていたのに。
「――――――――」
湧き上がる後悔と憎悪が、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってる。
金色の瞳はこれまで死んでいった善人たちの末路を映し続けてた。
「――あぁ……く、ぁっ……!」
両手で頭を抱え、頬に触れ、その指と指の間に金色の光が漏れ出ている。
その瞳孔には最早殺意という感情すらなくて、ただ自分の無力さに打ちひしがれた想いに侵されているだけだ。
「ああああああああああああああああああッッ……!!」
地面に肘を付き絶叫を上げた所で、死んだ人は戻って来ない。
こんなのただ、多大なストレスによって引き起こされた自傷行為による癇癪に過ぎない。
「うっ、くっ……!」
……でもむしろ、それだけで済んでいる。
泣きながらでも、俺はまだ戦える。
ベルゼビュートに突き付けられた絶望よりはマシだ。
大切な人は、まだ誰一人死んでなんかいない。
今の俺の心はまだ、絶望で覆い尽くされてなどいない……!
……決めたはずだろ、メビウス・デルラルト。
人間はすぐに死ぬ。
みんな弱くて、俺だけがみんなを助けることが出来るから。
「――――」
俺は……一人だけで戦うんだ。
「――ッッ!! ……来た。遂に来ました! 貴方の瞳に宿る悪魔の素質が、ようやく! 完全に開眼致しましたっ! 姿が変わらなくとも私にはわかる! やはり貴方は私と同じ――【傲慢】だったのだと!」
涙が頬を伝いながらも虚ろな瞳がクーフルを射抜くと、クーフルもまた瞳を大きく見開いて感激したように口角を吊り上げていた。
「《魔呪召現――!!」
だがそれで終わることはなく、クーフルは焦るように両手を叩き徐々に広げると、手と手との間で黒泥が凝縮されるように小さくなりやがてそれは爆発的に巨大化を始めた。
まるで粘土のように変形を続けた泥の塊が形を成し始めたかと思うと、やがてそれは異質な人型の怪物へと変貌を遂げる。
「【魂霊媒禍――傀儡】》」
そしてそう告げたと同時に、泥人形は完全に存在を形成させた。
……泥で汚れた兜が、二つあった。
同じく汚れた鎧を一つに着込みながらも横に広がった身体はぱっくりと二つに割れ、どちらにも自我があるのではないかと思う程に互いの身体をゆらゆらと動かしている。
両手には泥で作られた鈍器に近い大小別れた剣を握り、二本の筋肉質な脚はしっかりと地を踏み締めていた。
これまでクーフルが出してきたモノとは違う、あまりにも不気味な……怪物。
だがどれだけ異質な存在であろうとどの道クーフルごと殺すだけだと思って、俺は身体を起こそうと脚に力を籠め膝に手を置いた。
『『メ、メッ……』』
……けれどその力は、あまりにも聞き慣れた声によって遮られることになる。
『『メビ、ウス……』』
「…………え」
上げようとした顔は上がらず、だが下を向いたままでも誰に見せるわけでもないのに俺の顔は強張っていた。
……人間らしい声質ではない。
だけど、その二重になる声は俺がつい最近聞いたばかりの男のものだ。
「……嘘だ」
だからわかる。
そんなはずがないなんてことが実際にそうだったことなんてここ最近で一度だって無かったから、今俺が脳裏に過ってしまっている二人の大切な人の顔が記憶から離れてくれなかった。
「うそだ、うそだうそだうそだ……!」
嫌だ……もう、止めてくれ。
これ以上俺の、戦う覚悟を奪わないでくれ……。
ゆっくりと……顔を上げる。
相変わらず怪物の姿は初見で見たものと何一つ変化はない。
……それでも、揺れる視界から脳に送られてくる情報は決してそれをただの怪物だと結論付けてはくれなくて、怪物の上から貼り付けるように幸せだった子供の頃の日々が脳に流れた。
多分あれは……俺が心の底から大切だった人。
俺が殺し、俺達家族が平穏な日々を過ごすために踏み台にしてしまった後悔の象徴。
『『メビウス……ッ……助ケテ、クレェェ……』』
あれは父さんの弟子の……アルカさんとラックスさんだ。