第15話(10) 『殺してくれたおかげで』
『天道』とは、神に仕えるよう運命付けられた天使が必修科目として学生時代から習わされているものの一つだ。
俺というイレギュラーこそあれど、本来天使の持つ翼が消失するというのは有り得ない。
だから生まれてから死ぬまで付き合い続ける天使の翼を使う前提として、天界にあるものは作られている。
『天道』もその内の一つで、武術としての動きにおいて天使特有の身体能力に加え唯一無二の飛行能力があるからこそ出来る技だ。
俺は学生時代、剣術、飛行術、体術、天道共に独自のアレンジを組み込ませ発展させてきた。
それら全てが今の俺を形作り、本来の使用用途とは異なる人を殺すための術へと変貌を遂げさせている。
「がはっ――!?」
「――――ッッ!!」
「ごッ――!?」
天道《天空落とし》によって地面へと叩き付けたことで、クーフルは脳に響く程の衝撃を受けながら反発作用によって宙を跳ねた。
同時に俺は強烈な雷拳をクーフルの腹へと叩き込み追撃すると奴はそのまま直線的軌道で殴り飛ばされ木の幹へと激突する。
だが――追撃は止めない。
無詠唱の《ライトニング【噴出】》によって電光石火の如く急接近した後、すぐに俺はクーフルの顔面に無詠唱の【撃鉄】を繰り出した。
「がはあッ!?」
「――――」
……この世界に、神なんていない。
誰も助けてなんてくれなくて……大切な人は自分の手で守り抜かなければならない。
どれだけ祈っても、平穏な日々すら当たり前に過ごすことも出来ない……酷く残酷な世界だ。
そうならないようにするために、決めたんだ。
悪党は……【断罪】しなければならないんだって。
――――だからッッ!!
一撃。
――殺す。
二撃。
――殺すっ!
三撃。
お前だけは――殺すッッ!!
――四撃。
「ごばッ――!!」
腰の入ったラッシュが入る度に、俺の顔に赤く染まった血が降り注ぐ。
それでも一切の瞬きをすることなく、金色に輝く眼光は終始悪党を捉え続けていた。
「《ライトニング【撃鉄】》ッッ!!」
奴が大きく怯んだ瞬間を決して見逃さず瞬時に魔力を凝縮させて、詠唱による渾身の【撃鉄】を放った。
これが通れば確実に殺せると、そう確信を持って。
「あはははッッ!!」
「――ッ!」
だが拳が届く刹那、俺の雷拳が触れたのは人体ではなく木の幹だった。
雷魔法によって巨大な木は小枝のように容易く割れて、粉々に破壊され塵と化す。
「……」
ゆらりと金色の眼光が走ると、俺の後ろの遥か奥でマントを背後に置いたクーフルが、口元から垂れる血を拭いながら歪んだ顔で俺を見ていた。
「調子に乗った……! ええ、調子に乗ってしまいましたよ! おかげで髪のゴムが切れてしまいました! 舞台に立ち続けるためにも身だしなみは整えなければならないというのに!」
「……」
「何事も事はスムーズに行われるべきです。今の私はただのマリオネット。主役にはまだ成れず【原罪の悪魔】に操られているだけの小道具に過ぎません。……それでも」
「……」
「私の心は今確かに、高揚しています! 私という存在を取り戻せた状態で貴方をようやくもう一度、この劇場に招待することが出来たのですから!!」
「――ッッ!!」
瞬間、俺は心に溢れる憎悪のままにクーフルへ連撃を叩き込むべく【噴出】を使用し接近した。
「《魔呪召現【魂霊媒禍】》ぁぁぁぁ!!」
同時に大きく両腕を広げたクーフルの足元から大量の怪物モドキの土台が現れて、大きく開いた口から無数の岩柱弾を出現させて射出する。
「――ッ」
これを避けてもみんなはクーフルの後ろ側にいるから誰かが巻き込まれることはない。
不可思議な怪物ではなく魔法による攻撃だから、曲がるということだってあり得ない。
だから俺は『ウイングソール』を起動し飛翔することで魔法の照準を上空へと固定させ、細かい動きで岩柱弾を避け続けた。
迫り来る物量による波状攻撃は少しでもタイミングを見誤れば幾ら頑丈な天使といえど大ダメージは免れない。
翼が無いにも関わらず天使のように舞う俺を見上げながら、クーフルは舞台に上がる演者のように紳士的な顔付きで語り始めた。
「私がどうして死して尚、蘇ることが出来たのか教えて差し上げましょう。【原罪の悪魔】は私に契約によって得るべき力が顕現しなかったと思っていたようですが、私自身も知らぬ力が私の魂に刻まれていたのです」
俺にとって、奴が生きている理由などどうでもいいことだ。
今、ここにいる。
その事実がある以上、理由関係なく俺はコイツをもう一度殺すだけだから。
だが殺された側はそうはいかないのか、それとも単に奴が自己心酔しているが故のものなのかはわからないが、俺が岩柱弾の猛攻を避けながら個々の軌道を読んでいる最中もクーフルは言葉を続けていた。
「呪法……《因果転生》。単純な権能です。死して身体を失っていても、天に昇る魂がその器を一度だけ修復させるというだけのもの。己を鍛え、切磋琢磨し、その保険としてであればそれなりに有能な力と言えるでしょう。もちろんそれは、この力があることを理解していたらの話ではありますが。……事実、私は知らずいとも容易く貴重な力を放棄する結果となった。ですが……この力の真義は他にあったのです」
囲むように伸び、俺を潰すべく迫る岩柱弾の束を高速落下することで避け、俺の真上で岩柱弾同士が衝突し粉々に砕け散る。
「それは魂に刻まれた契約の更新。効力が消え、失った呪法を新たなモノへと変化させるチャンス! ただでさえ落ちこぼれだったにも関わらず貴方の聖剣によってなけなしの努力によって得た闇魔法さえも失い、あのまま生かされていたら私の人生は隅に置かれた木の役すらも全う出来ない終焉を迎えていたに違いありません……ですが! その賭けに私は今! 勝つことが出来たのでございます!!」
せり上がるように伸びた一本の岩柱弾に目を付け『ウイングソール』を解除し岩柱弾へと着地すると、そのまま両足に【噴出】を発動させ滑り落ちるように再加速し距離を詰める。
「そうです……感謝しています! 貴方が殺してくれたおかげで! 私は、強くなれたッッ!!」
「――――ッッ!!」
最早絶叫に近い恍惚の感情を吐き出したクーフルの目の前に接近した俺による、強烈な雷拳が振るわれる。
「いひっ」
「――っ!?」
だがその拳は二つの巨大な白色の手の平を重ねることで衝撃を吸収されたことで、クーフルに届くことはなかった。
それだけじゃない。
巨大な手には痛覚というものが無いから、俺の打撃に怯むことなくそのまま腕を掴まれ地面へと叩き付けられた。
「がっ!? ――ッッ!」
叩き付けられ、投げ飛ばされたことで地面を引き摺りながら倒れる俺だが、痛みに悶える間もなくクーフルによるワーム状の多重攻撃が迫って来る。
咄嗟に片腕を起点に宙返りすることで初動を避け、雷拳で迫り来る攻撃を破壊し再度クーフルへと接近した。
微々たるものではあるが、流れを掴むことは出来ている。
【魂霊媒禍】という技も、慣れてきたことに加え要因や効力はどうあれ魔法を使うための技だと思えば初動の対処も難しくはない。
もしも闇魔法を使って来てたら対処も非常に難しくなっていただろうが、それが出来るのなら初めから使っているはず。
つまり、五属性の基本魔法しか使えないと見て間違いないだろう。
万能性こそあるが、闇魔法と違い他者に直接干渉することは出来ず単純だ。
固体か液体かさえ初動でわかれば大体の攻撃方法はわかるし、有難いことに風魔法だったら緑色など、放つ瞬間に見える色で何の属性か知ることも出来る。
避けるものは避け、潰すものは潰す。
我慢出来ず奴が線の細い技を撃ってくれば、喰らってでも一気に近付く。
そうすれば今度こそ、守らなければならない人たちの命が奪われることは無い……!
「メビウスっ!」
「なに、これ……」
「――ッッ!?」
――だが瞬間、俺の耳に届いた二つの声によってそれら全ての有利というものは一瞬で崩れ去る。
咄嗟に視線を向けると、そこには森から出てきたであろうへレスティルとルビア、そして二人が連れて来たであろう騎士たちがいて、視界に映る悲惨な光景に呆気に取られているようだった。
だが騎士団長としての責務を果たすべきへレスティルはすぐに剣を引き抜き、この騒動を起こしたであろうクーフルへ剣先を向けた。
「……ぁ?」
そんなへレスティルや騎士団を見て、瞳を揺らがせながら身体を震わせクーフルは拒否反応から頭に手を乗せている。
……駄目だ。
先程までと違って、聖神騎士団の連中がこの場に来ることは決してあってはならないと知覚している自分がいる。
それはより鮮明に見えてきたクーフル・ゲルマニカという悪党のよくばりで拘りのある欲望がどのような決断を致すのかを、多分もう……理解してしまったからだろう。
「私の……私の劇場なのです。今、良い所だったでしょう。良い所でしたよね? それを邪魔し、あまつさえ舞台を壊す権利を、どうして入場許可を出していない者が持てているというのでしょうか? 配役もない、観客ですらない部外者が私を未だに弱者だと思っているからそんなことが出来るのですね。……ええ、これは私のせいです。幕を開くにあたり状況を整えることが出来なかったから……こんなことになってしまった」
「――っ!」
ビクッと、思わず俺の肩が震える。
奴の感情が俺自身に向けられているものであったなら、恐らく俺はここまでの恐怖を抱いてはいなかっただろう。
だがわかる。
この短時間で何度も後悔と絶望を見せられてきた俺だからこそ、押し寄せる危機感が魂に警鐘を鳴らしていた。
「なら劇場を……創らなければ」
「~~っっ!! 逃げろおおおおッッ!!」
だから、己の勘を信じて勢いよく後ろに振り向きそう叫ぶと同時に。
「――――《魔呪召現》」
クーフルの周囲から現れたツル状の物量攻撃が一斉に聖神騎士団へと襲い掛かった。
「――ッ!! 総員散開ッ!!」
恐らく一般人として扱われている俺と入れ替わるつもりだったであろうへレスティルが先頭に立っていたことで、後方の部隊へ指示を出したと同時にツル状の攻撃への対処が始まった。
仮にも騎士団長としての肩書を持つへレスティルの剣技はかなり仕上がっていて、両腕に装着された小盾による防御もあり物量攻撃をどうにか捌くことが出来ている。
「《チェイン・ジェイル》!」
ルビアも退魔騎士としての肩書を持つに相応しい働きを遺憾なく発揮し光魔法による魔法陣が多数周囲に展開されたかと思うと、そこから射出された大量の光の鎖が自身に迫り来るツル状の黒泥を全て捉え拘束していた。
だが……この世界は酷く残酷で、強い奴だけが生き残り、弱い奴だけが淘汰される運命だ。
「がっ!?」
「がはっ!!」
貫かれ、貫かれ、生命を破壊していく。
訓練を受け優秀な成績を修めた騎士であろうと訓練と実戦が違うというのは当たり前の話だ。
実戦の時にどうアドリブ力を発揮しどう捌き切るのかは、結局の所才能や運が決定付けることはよくあること。
たとえ本部の聖神騎士団という賞賛されるであろう部隊に配属されていたとしても……絶望は平等に牙を向くのだ。
捌ききれた者もいる。
満身創痍でも耐えきった者もいる。
だが同時に……心臓や首、頭を貫かれ一撃で絶命した騎士も多くいた。
血を吹き出し、断末魔を響かせ、守りきるにはあまりにも遠すぎる距離に呆然と見ているだけしか出来ずにいる俺と偶々死の目が合うこともあって。
「あ、ぁぁ……」
何度も聞いた死の歌を今も尚奏で続けている。
もう三度目だ。
俺はまた……守れなかった。