第15話(8) 『呪隷【ガミジン】』
三番街に悪党の手が届かないように、これでも必死に頑張ってきたつもりだ。
傷付いて、血が流れて、悲鳴を聞いて……それでも心を無にして悪党を【断罪】してきたはずだった。
それも全部、誰一人死ぬことが無いようにと願ってのことだ。
なのに俺の瞳に映す世界はいつも、いつだって俺の醜態を嗤い続けていた。
俺のしてきたことに……意味はあったのだろうか。
もちろん、騎士が死ぬのは仕方のないことだと思う。
そういう仕事だ。
そういうリスクを背負って、家柄や金、理想を得る存在だ。
だから目の前で死んでしまったことに対しては怒りこそ覚えても決して悲しみを抱くようなことはない。
……だけど。
『不甲斐ない、我らの代わりに……』
『聖女様を、みなを……守ってくれっ――』
部外者の俺に自分の使命を託さなければならない状況がどれだけあの騎士にとって辛かったことか。
そう思うと、理屈を抜きにしてでも怒りに加えて悲しみを抱いてならない。
あいつは……俺がここに来るまでずっと抗ってきてたんだ。
目の前の男が求める思い通りの景色を俺へと見せるための道具として、既に自分が死ぬという運命を理解し尊厳を踏み潰されながらもずっと恐怖に耐え続けてた。
死んでいい奴じゃなかった。
自分の命ではなく守るべき人たちのことを想えるあの騎士は、誰に対しても誇れる本物の騎士だったはずだ。
「は、はっ――!」
決して、そんな誇られるべき奴が受けていい絶望じゃなかった。
平穏な日々を過ごすに値する善人のことを誰であろうと守り切るんだって、俺は……そう決めたはずなのに。
決めた、はずなのに……!
「はぁ……はぁ……!!」
俺はまた……間違えて――!
「――――ごっ!!」
瞬間、突如として放たれた白色の手袋を装着した拳によるロケットパンチが俺の全身を捉え強烈な衝撃によって殴り飛ばされた。
地を跳ね民家に激突し、先程と同様に木片と共に大きな土煙を巻き起こる。
「……」
「ひぅっ!」
そんな様子をクーフルは満足そうに眺めながら、怯えて固まるカイルに視線を向けた。
クーフルの左右に再度白色の拳が浮かび、その拳は今も尚カイルを捉え続けている。
その冷酷な紫色の瞳に射抜かれている間、カイルがその場から動くことは叶わなかった。
たった数十分の間に刻まれた死への恐怖が、子供であるカイルの未熟な心に大きな負荷を掛けてしまったからだ。
だからその威圧に耐え切れずカイルは目は閉じ、身体を縮こませ少しでも痛みを軽減しようと努めてる。
だがそんなカイルを一瞥すると、クーフルは特に何かするわけでもなくそのままカイルの横を通り過ぎた。
それだけじゃない。
カイルの周囲に黒い泥が出現すると、気味の悪い怪物の模様をした固体物へとその姿を変えバリケードのようにカイルの周囲に建てられたのだ。
「この舞台に貴方は不相応です。観客として、大人しくここで見ていることをおすすめします」
「え……?」
何も起きないことに疑問を覚え目を開けたカイルに対し、クーフルは興味無さそうに冷めた目でそう告げた。
困惑しつつも恐る恐る建てられたドーム状の壁を触ると壁はそれに反応し蠢き、カイルは想わず顔を顰めた。
怪物の壁は一応前面に空洞が開けられているため外の様子を見ることが出来るが、多くの不気味な手が揺れていることから、外部からの刺激に反応する形で空洞を覆い攻撃を防御するものだと推測出来る。
だが本当に敵意を向けられていないのであればそれはそれでクーフルの思考がカイルにはわからないから、背を向け歩き出しているクーフルに思わず声を掛けてしまった。
「な、なんで……なんでこんなことするんだよっ……!」
「……なんで、とは?」
「だって、やる意味無いじゃん……! 街を壊して、みんなを傷付けて、命を奪って……そんなのに意味なんてないよ……!」
「意味ですか。……ふふっ」
こんなことをしても、みんなが不幸になるだけだ。
誰もが幸せになりたいと思っているはずで、それはこの事態を引き起こした張本人であっても同じであるはず。
「意味なら、ありますよ」
「……え?」
「この劇場で踊る方々の、心底私に怯えた姿を見ることが出来る。畏怖にひれ伏し踊らされ、そうして手に入れた頂の景色は……きっと更に私の欲望を満たしてくれることでしょう」
だがそんな善の考えによる問い掛けの解はあまりにもカイルの理解の範疇を超えたもので、その言葉を呑み込むことも出来ずに無意識に顔を強張らせることしか出来なかった。
「そんな、ことのために……?」
「貴方にもこの世界のほとんどの人間にも、この崇高な欲望の良さはわからないでしょう。……しかしこの感情を理解出来る人もまた、世界にほんの少しだけ存在するのでございます。その一人こそが……あの少年なのです!」
だがクーフルはそもそも理解させる気などない。
「この感情は心に強い欲望を持つ者にしかわからない! だから私は決めたのです! 私が生きている価値! それを示してくれたのは――!」
まるで目の前の子供ではない、他の誰かに聞かせるように力強い声を上げてクーフルは再度後ろを振り向くと。
「貴方ですっ! 堕落天使メビウス・デルラルト!!」
「……」
そう高らかに宣言した先にいたのは、冷たく憎悪に満ちた金色の瞳を宿らせながら土煙の中から出てきた俺だった。
両腕から雷の魔力を流し、強烈な殺意を放っているにも関わらずクーフルは不敵な笑みを崩さない。
「貴方を殺すことで……私はようやく今までの過去と醜態を清算することが出来る」
「……だから、三番街をめちゃくちゃにして、本来生きるべき善人を殺したって言うのか」
「ええ。私の描く脚本には死体が一人以上必要でした。きっとあの騎士も感謝していることでしょう。私の創り上げた劇場の、重要な配役に選ばれたのですから」
「もう二回目だ……何回、やるんだ……! 子供が見てたんだぞ!?」
「ふふっ。面白いことをおっしゃいますね。私も見ていましたよ……貴方もまた、私と同じ悪党であると改めて親近感を覚えたというのに」
「――っ!」
クーフルが言っていることは恐らく先程大量の怪物が現れた時のことだ。
奴と同じように俺は大人だけじゃなく子供までをも巻き込んで死体の山を築き上げてきた。
奴の言う通り……結果は同じだ。
……でも。
「テメェと一緒にすんじゃねぇよ……! 俺はみんなを守る為に」
「過程など無意味でございます。本質はそこではなく子供が死体を見たかどうか。貴方がおっしゃりたいのはそういうことではないのでしょうか?」
「……」
でもと、自分のことを棚に上げた俺を奴はすぐに看破して値踏みする視線が俺を射抜いた。
確かに奴の言う通りどれだけの大義名分があろうと、それで子供が受けた心の傷の大きさが小さくなるわけじゃない。
へレスティルに指摘された時は理解出来なかったが、同じ悪党に言われたこそ自分のやった行いがどういう意味を持つのかを改めて理解することが出来た気がする。
俺はどうやら……間違っていたみたいだ。
「……そうだな。お前の言う通りだよ、クーフル。お前と同じで、俺もみんなの過ごすべき平穏な日々を壊してしまった。みんなが一生見ることのなかったかもしれない現実を、俺自身が見せつけてしまった。俺の想いと行動はいつだって矛盾していて、俺自身も苦しむばかりだ。……だけど」
言葉を続ける。
「過去は変えられない。無責任だけど、見てしまったものは受け入れていかなきゃならない。それに俺は今でも、悪党を野放しにするのは間違ってるって思ってる」
あの時、たとえあれ以外の方法があったのだとしても、命のやり取りがあったことは間違いないのだ。
奪い奪われ……その矛先がもしも街のみんなに向けられでもしたら、きっと俺は怪物を葬る以外の選択をした自分を酷く責めることだろう。
確かに俺がしたことはクーフルがしたことと同じだ。
でもそもそも、こんな状況を創り出す悪党共が悪いのだ。
事実俺が反省し、今ここでカイルのことを気にしてクーフルを逃せば、必ずまた何の罪も無い善人がその命を残虐に弄ばれることになる。
だからカイルが一度でも、人が死ぬ様を見てしまったのなら。
「だから俺は子供が見ていても、何度だってお前を……【断罪】してやるよ」
たとえ二度と俺のことを兄と呼んでくれなくなったとしても、俺にとってはカイルが生きていることの方が重要なんだ。
死ねば謝ることも、やり直すことも出来ない。
でも生きてさえいれば、何もかもやり直すことが出来るんだから。
「開き直りですか。やはり貴方は素晴らしい。貴方こそ本当の意味で自分の欲望に忠実であると言えますよ。そんな貴方だからこそ私はきっと……憧れている」
「気色悪いこと言うなよ。そのイメチェンもその口調も俺に憧れてるが故にか? 随分と色眼鏡で見られてるみたいだな」
「いえ。これこそが私であり、あの頃の私が壊されていただけですよ。【原罪の悪魔】によって支配された者がどういう末路を辿るのか……貴方もわかっていると思われますが」
「……」
「いや……ふふっ。もしかしたら今も尚、私は【原罪の悪魔】に支配されたままなのかもしれませんね。何故なら、私の魂は今! これほどまでに高揚されているのですから!」
抑揚のあるテンションの差には苛立ちしか感じないが、クーフルの言葉には確かに納得出来るものがある。
失っていた記憶の中でラックスさんが言ってた。
『強大な悪意によって操られ魂が濁って、心が塗り替えられてしまう』のだと。
であればクーフルのあのイカレ具合も納得出来る。
だがクーフル自身も言うように、だからといって今の奴がイカレていないとは思えない。
感情の大小はあっても、奴の悪意の本質はあの頃から何一つ変わっていないのだとわかった。
結局、奴がベルゼビュートに支配されていようがされてまいがどうでもいい。
それでこの怒りも憎悪も無くなるなんてことは決して無いし、奴の高らかな声に苛立ちが増幅していくことに変わりは無いんだから。
「ごちゃごちゃと……よく喋る口だな……!」
「演劇には順序というものがあるのでございます。貴方もまた不用意に攻撃して来ないということは、私を警戒している証拠。私は監督として、演者の警戒の糸を解いてあげるべきだと思ったのです」
「あ゛あ゛?」
「舞台に上がっている以上、貴方には踊ってもらわなければなりませんから」
まるで自分が主役であるかのような物言いに脳が沸騰しながらも、奴の言う通りあの時のように大胆に突撃するわけにはいかないのは事実だ。
俺は確かに一度クーフルを【断罪】した。
なのにどうしてか奴は今も尚生きていて、聖剣で破壊した闇魔法とは違う異質な魔法をその身に有している。
殺したはずのクーフルがどうして生きているかを考えるなんて、目の前に奴が存在しているという事実があるのだからそこに思考を割く意味はない。
どの道もう一度【断罪】するだけだから、大切なのは奴に何が出来るのか、何処まで出来るのかを改めて知ることだけだ。
それに奴がカイルを攻撃するつもりが全く無いのも理由の一つだ。
奴の思考など知ったこっちゃないが、それでも自分の思い通りに状況を支配したい奴のことだ。
この場においてカイルを人質に取らない時点で、この戦場にカイルを介入させる気は毛頭無いのだろう。
「――っ?」
だから様子見が成立していた。
でも、それは劇場では許されない。
「――ッッ!!」
クーフルは近くにいた虚ろな目をする騎士の傍へと寄ると、突然奴の手が一人の騎士の顎を掴み、強引に口を開かせて口内に黒い泥を流し込んだ。
「ぐ、ぅぅっ……!」
「わっ!? シロ、兄……?」
その行為によって、俺が完全に思い違いをしていたことを理解する。
カイルを殺そうとしなかったことと騎士一人だけに焦点を絞っていたことから、もうこれ以上の殺傷はしないと俺はどうしてか信じ込んでいた。
でも違った。
そして既に奴が行動を起こしたということは俺が幾ら全力を出して止めようとしても、これがクーフルの望む脚本のためになるのなら必ず奴は俺を近付かせないようにするはずだ。
それなら俺が出来ることは精々無駄に現実を子供に見せないようにすることぐらいで、俺は駆け足でカイルのもとへと近付くとそのまま困惑するカイルを背に隠し視界を遮る。
「【原罪の悪魔】に命令されたのは、三番街の人間の不殺。そして貴方には強大な悪意と同じくらいに強い甘さがあるということも知っています。であればどうするか……答えは、一つしかありません」
「……やめろ」
「その甘さが……私に甘美な欲望を与えてくれるっ!!」
「やめろおおおおおおおおおおおお!!」
刹那――虚ろな目をしていた騎士の腹から……怪物が炸裂した。
「――――」
『ギャハハハハハハハハハハハハハッッ!!』
『アハハハハハハハハハハハハハハッッ!!』
肉片になるまで細かく刻まれた騎士の残骸が大量の血と共に地面へと散らばると、先程と同じように怪物の亡骸がいつまでも俺を嘲笑い続けている。
……止められるものではなかった。
守るべき人たちが殺されずに足を止めている以上、殺すつもりは無いのだと思ってしまうのは自分でも仕方の無いことだと思う。
でも……わかっていたはずだ。
奴の気分次第で、いとも容易く人が死ぬのはわかっていたことのはずだろ。
俺は同じことをまた、繰り返した。
何度も何度も何度も何度も、俺はどんな状況であったとしても誰一人欠けないように守らなければならないのだとわかっていたのに。
声も身体も、震えてる。
耐え切れない激情が心に強い負荷を掛けていて、足を止めている現状に酷いストレスを感じているのがわかる。
「シ、シロ兄……」
まだカイルには、音だけで何が起こったのかを理解することは出来ない。
でも俺がカイルの視界から出てしまったら、何が起きたのかを嫌でも味わってしまうだろう。
それでも……不安そうな目で俺を見るカイルを無視して、俺はゆっくりと一歩を進めた。
「お前はっ……」
もう――何も聞こえない。
クーフルは未だに値踏みするような不敵な笑みで俺を見続けている。
わなわなと身体を揺らし顔を大きく歪ませながら、雷の魔力を再度両腕に纏わせた。
そして――勢いよく目を見開いて。
「お前は命をッ! なんだと思ってるッッ!?」
「それこそ私を殺した、貴方に聞きたいですねぇ! メビウス・デルラルトッッ!!」
両者共々咆哮を上げ、そうしてクーフルの背後から大量の怪物が湧き出たと同時に【断罪】するべく俺は勢いよく駆け出していた。