第15話(7) 『創られた絶望』
既視感のある登場と同時に、蹴り飛ばした白拳は勢いよく木の幹へと叩き付けられた。
『ウイングソール』のリミッターを解除したことで暴風を巻き起こしたことが功を成したのか、進む度に僅かに感じていた魔力の乱れもほとんど無くなり、現状は魔法の使用も問題ないだろう。
だが俺のことはどうだっていいのだ。
大事なのは、誰一人死なずにいられているかどうかだけ。
「大丈夫かカイル!? 良かった……! ほんとにっ、ほんとにっ……!」
だから俺はすぐにカイルへと詰め寄り、涙を流しているカイルを力いっぱい抱き締めた。
もう二度と離さないようにって、そう思って。
だけどカイルの表情は依然強張ったままで、俺の胸から顔を出すと焦りながら指を指す。
「俺は大丈夫っ! でもルナ姉ちゃんが!」
「え――」
そんな緊迫した言葉を聞いて、俺もカイルの指差す方角へと視線を向ける。
……そこには、小さな血溜まりを作りながら力無く地面に倒れている一人の少女の姿があった。
「ル、ナ……」
目を見開き、そんなはずはないと現実逃避をしてしまいそうになる。
だがそこにいるのは間違いなく俺の知ってる大切な女の子だ。
それが、こんな……絶対になってはならない姿を俺の視界に映り続けてしまっている。
「は、ぁ、あ…………!?」
ぺたぺたと自分の顔を触り、わかっているのに何度もこれが真実なのかを確認していた。
でもこれは……紛れもない、現実だ。
……想像してたのと同じだ。
ルナは魔族に連れて行かれて、無残な死を遂げるって。
その魔族が俺の想像とは違い彼女にとっての味方だったと知っても、その結末がこうなるのであれば結局は何も変わらない。
俺のせいだ。
俺が、何もかも、守れていないから……!
誰一人、おれは……!!
「ぁぁ……ああ……!! ルナ、ルナ……!」
顔を手で覆い、絶望と憎悪がぐちゃぐちゃに混じり合い自分が何者かもわからなくなるような感覚に陥っている。
心が黒い水面に堕ちていくような、そんな自殺願望と破壊衝動に――
「生きてるっ! 生きてるよ!!」
「――ッッ!!」
「なんか魔力がどうとかって、それでルナ姉ちゃんがあのデカい手を石に変えてくれたの! でもそしたらこうなっちゃって……俺もよくわかんないけど、でも!」
「そう、なのか……?」
絶望に堕ちていく俺を必死に掬い上げようとするかのように、カイルは拙いながらも俺にそう教えてくれた。
それが俺を奮い立たせるための嘘の可能性もあるが、カイルがそんな嘘を吐ける子じゃないということは俺だって良くわかってるつもりだ。
それに近付けば確かにルナにはまだ息がある。
吐血したことによる窒息も無さそうだし、生きているだけでも俺の感情に僅かな希望が生まれてくれた。
生きているのなら、出来ることはまだたくさんある……!
「良かった……! この後すぐに騎士団の連中も来る。カイルはルナを連れてすぐに――ッッ!!」
「わあっ!?」
セリシアの元へ――そんな言葉が出ることはなくこの場はすぐに悪意によって危機へと再度塗り替えられた。
白色の拳が俺達に突貫する。
それを咄嗟にカイルを抱き寄せ横に飛ぶことによってなんとか回避するが、もう一つの拳が俺達を捉えていた。
それを『ウイングソール』の暴風で一瞬だけ軸をズラすことで回避する。
あのマントは攻撃してくる様子はなく、高みの見物を決めてるだけだ。
……やっぱりこいつら、俺が来るまで待ってたな。
さっき一切攻撃して来なかったのもそうだし、ここまでの速度を持ち更に二体もいる状況でカイルとルナが無傷でいられたというのは有り得ない。
カイルやルナが外に出てくることは予期出来るものではないし、こいつらも中央広場を襲った怪物と同じ黒い泥が見えることから恐らく同じ奴がやっていることだと推測出来る。
ベルゼビュートの手先か。
その内面を把握することは出来ていないが、それでも俺に執着してる悪党の思惑によるものだということはわかる。
「……っ」
どちらか片方だけなら逃げ切ることは可能だが、カイルとルナを抱えて教会へ帰るのは多分無理だ。
なら騎士団が来るまでここで耐えるか……? でもそれだって何かの拍子にルナに標準を向けられてしまったら途端に苦しくなるだろう。
かといってこいつらを速攻で破壊することが出来るかもわからない。
一体だけならすぐに出来るだろうが、二体ともなると二人に意識を向けながら戦うのはかなり難易度が高いだろう。
『――――』
『――――』
「ぐっ――!」
二つの拳によるロケットパンチは止まらない。
四方から何度も往復する拳をカイルを抱えながら回避するのは至難の技だが、天使として過ごしてきた飛行術のおかげで何とかかすり傷一つ負うことなく状況を維持することは出来ている。
だが同時に周囲の木々が薙ぎ倒され、けたたましい轟音が森の中で響き渡っていた。
倒れた木がルナを潰さないか、それだけが心配で注意力が散漫になってしまっているのを自覚する。
……でも、違和感がある。
こんな不用意に轟音を響かせたら、聖神騎士団が大量にやって来るぞ。
本体は未だ見えないが、それでもこの三体を仕留められたらこうして俺をこの場に引き付けた意味が無くなってしまうはずだ。
俺をここに引き付けることに意味があるのだとしても俺の大切な人達の傍には常に聖神騎士団の面々が護衛しているし、そいつらが即死してしまう程の相手ならそもそも中央広場の時に出てくればいい話だ。
だから俺がいない間に大切な人を殺すという手段を、悪党は取ろうとしていないのだろう。
なんだ……?
何か気色の悪い、自分が状況を操作したいという醜い欲望を感じて仕方がない。
「シロ兄どうしよう……! 俺のせいでルナ姉ちゃんが、ルナ姉ちゃんが!」
「大丈夫だ! お前は何も気にしなくていい!」
「俺じゃなくてルナ姉ちゃんを助けて! 俺のことは置いていいから!」
「出来るわけないだろッ!」
だがそんな悪党の気色悪い意図を予想することに意味はない。
それよりも問題なのはカイルだ。
多分ルナを連れてきたのはカイルだからか、自責の念によって泣きながら必死に俺に懇願していた。
気持ちは痛い程良くわかる。
自分のせいで大切な人が傷付いたんだから、自分が責任を果たさなきゃ駄目だという強迫観念に支配されてしまうのは仕方の無いことだ。
でもだからこそ、俺は決して離さないようにより強くカイルを抱き締めながら二つの拳の攻撃を避け続ける。
気持ちはわかるがカイルの願いを聞くわけにもいかないため、カイルが二度とそんなことを言わないようにルナも一緒に助ける方法を考えなければならない。
ルナの体重はかなり軽いから、二人を抱えること自体は造作もない。
だがルナの身体はかなり消耗しているだろうから、無理に動かすのはルナの身体を更に酷使させる結果になってしまうだろう。
安静にさせるのが一番だ。
でも俺のこの考えは完全にこいつらがルナを狙って来ないことを想定しているものであって、カイルの不安通り確実性のない考えだ。
……やっぱり無理をさせてでもルナを抱えて一度退くしかない。
このダメージが病気で無いのであれば、最悪生きてさえいればセリシアの【聖神の祝福】によって傷は完治するはずだ。
それに『ウイングソール』で最初に吹き飛ばした変な色の煙も徐々にまた漂い始めてしまっている。
これだけ暴風を巻き起こし続けているにも関わらずだ。
このまま長引くことになれば、そう遠くない内に魔力を乱す煙によって俺も後から来るであろう聖神騎士団も身動きが取れなくなってしまうだろう。
悪党の思考がチラチラと透けて見えて腹が立つ。
それでも一刻も早く行動を起こさなければならないから、俺は一度着地しルナのもとへと駆け寄った。
「カイル。ルナも連れて一度ここから逃げるからしっかり捕まっ――」
「――っっ!? シロにっ」
『――――』
「……ぁ?」
だが――不意に真横に、無機質なマントが浮かんでいた。
カイルも顔を強張らせながらそれを見てるが、俺は呆然と不可解さを感じることしか出来ずにいる。
だって、ただの布でしかないのだから。
けれどこれまで暗闇で遠目だったこともありその全貌がわからなかったものの、目の前で見ればそのマントの表面がやけに歪んでいることに気付いた。
……闇色に歪む景色。
俺はこれを何度も、見たことがある。
「――ッッ!? ごッッ!?」
刹那――俺は地を……飛んでいた。
恐らくマントには《ディストーション》の効果があった。
マントの中から大きく手を広げた白色の物体が飛び出してきて、カイル共々強烈な速度で叩かれ木々を薙ぎ倒しながらぶっ飛ばされたのだと今更気付く。
「うわああああああああああああああああッッ!!」
「ぐッ! うぅッ――!!」
最早本能でカイルを隠すように背を向けたおかげでカイルは無傷だったものの、強い空気抵抗と速度に驚きカイルが絶叫を上げている様を、俺は激痛と木にぶつかる際に生じる強烈な吐き気に耐えながら抱えた傍で聞き続けていた。
身体が悲鳴を上げているのがわかる。
天使特有の耐久力が無ければ完全に骨どころか内臓を粉砕されていた所だ。
だが動けるのであれば、これから起こる最終到達地点での強烈な衝撃をカイルに受けさせるわけにはいかなかった。
だから俺は飛ばされながらもすぐに『ウイングソール』に取り付けられている切替機構を蹴り飛ばし、発生する暴風を逆噴射する。
これが超高級魔導具が故に取り付けられている余計機能であることに加えそもそも魔法でなければ到底出来ない荒業だが、結果的に無事に速度を低下させつつ地面へと着地することに成功した。
「ぐううううううううううううッッ――!!」
だが当然、これほどまでの速度をこの短時間で完全に落とすことは『ウイングソール』を持ってしても不可能だ。
素では勢いを殺しきれず、かといって無理な体勢をしてカイルを傷付けるわけにもいかないため背中から着地するしかなくて、砂や小石の凹凸と加速による摩擦により更なる激痛を伴いながらもなんとか速度を殺していくしかなかった。
――そして遂に、最終到達地点となった建物の壁に激突する。
砲弾の如く、既にほぼ崩壊している建物に衝突したことでソレは完全に建物としての形を失い大量の建材が落下していく中、それらがカイルの身体に落ちることが無いように最後の最後まで身体で庇った。
「ぅ、ぅう……シロ兄!? 大丈夫!? シロ兄!?」
「あ、ああ……これでもお兄ちゃん頑丈だから大丈夫だ。カイルも平気か……?」
「俺はシロ兄が守ってくれたから大丈夫だけど……でも、俺が外に出たからあんなことに……」
「お前は悪くねぇって。それに、お前が大丈夫ってことは二人共無傷ってことだ。どうやら神サマは俺達に手を貸してくれたみたいだぜ」
どうやらカイルは無事だったみたいだ。
カイルを心配させないように仮面を付けてでも言いたくもないことを言い笑ってみせるが、その実俺の服の中は相当エグいことになってるに違いない。
服が肌に触れる度に激痛が走ってるのだ。
恐らく皮は剥げ肉は抉れ、服を捲ればそれはもう痛々しい姿をお目にかかることが出来るだろう。
完全に油断してた。
マント如きじゃ何も出来ないという、そういう舐めた考えがこの事態を招いたんだ。
カイルが無事で良かったが、すぐに戻らなければならない。
ルナと距離を大きく離されてしまった以上、いつルナが殺されてもおかしくない。
もしもルナが殺されてしまったら……俺は今度こそ仮面を付けた笑みすらも浮かべることが出来なくなってしまう。
とにかく状況を理解しないと。
そう思い辺りを見回せばそこは見覚えしかない場所で、あそこの森から中央広場まで叩き飛ばされたのだと理解した。
かなりの激痛を伴ったものの中央広場までワープ出来たと考えれば、考え方によっては好都合であると捉えることも出来る。
中央広場まで来れたということは一本道を進むだけで教会に辿り着くことが出来るということでもある。
ルナが未だに放置されているという前提の話ではあるが、『ウイングソール』があればカイル一人を速攻で教会に預けることは造作もないことだ。
だからその旨をカイルに伝えようと口を開きかけた時、ふとそれ以外の方法があることに気付いた。
……そもそもそれ以前に中央広場にまで来れたのなら、カイルを教会に向かわせるのは俺じゃなくても良いのか。
流石にこの短時間で聖神騎士団が街のみんなを教会に連れて行くことが出来たとは思えない。
その輪の中にカイルを預けてしまえばすぐにでもルナのもとへと向かうことが出来るだろう。
その際わざわざ俺が騎士に伝えなくても、10歳になるカイルなら拙くともちゃんと説明出来るはずだ。
「カイル、悪いがルナを森に置いたままお前を送ってやることは出来そうにない。丁度中央広場にまで来れたし、今聖神騎士団が街のみんなを教会に連れて行く準備を進めてる。代わりに説明出来なくて悪いけど、カイルなら一人でみんなと一緒に――…………は?」
だが……気付くべきだった。
中央広場という人の目が必ずある場所に轟音を響かせながら現れたのに、悲鳴一つ起きることのなかった理由を。
静寂に支配されていた……意味を。
――街のみんなも聖神騎士団も、皆、生気のない目をしながら呆然とその場に立ち尽くしていた。
「ぃや……待て待て待て」
大粒の汗が垂れ、やけに心のざわつきを感じながら無意識に否定の言葉が吐き出てた。
忌々しくて最早トラウマに近い同じ光景を、俺は見たことがあった。
でも、そんなの有り得ないのだ。
何のためにコメットさんが自身の立場を失う決断をしてまで本部の連中を呼んだと思ってる。
こんなことが起きないように、もう二度と誰も死ぬことがないように退魔騎士とやらを連れて来たんだろ。
なのに、こんな……
だがその理由もすぐに視界に映ったものによって証明されることになる。
……中央広場にいた退魔騎士もまた、他のみんなと同じように虚ろな目で立っていた。
この状況をどうにか出来る力を持つと言ってここまで連れて来たはずなのに、その役目は一度だって発揮されてはいなかった。
「どういうことだ……だって、それじゃ何のために……」
「シロ兄……みんな、どうしたの……?」
カイルの不安げな表情を和らげる術を今の俺は持っていない。
そもそも、どうしてこんな状況を創り出す必要がある。
一度この状況を創り出され全てを失ったあの時、ベルゼビュートは俺に解を示したはずだ。
この状況下のみんなを、教会の結界に入れてしまえばいいって。
それだけでみんなはいとも容易く意識を取り戻すんだって。
無駄なのだ。
ベルゼビュートがこんな欲望の一つも得ることの出来ない状況を何度も創り出すはずがないという確信がある。
……違和感だ。
やはりどうしてもベルゼビュートのような絶対的な絶望を感じさせない、歪で中途半端な絶望感。
「…………ふ、ふっ」
「――っ!!」
だが疑念を抱きつつも警戒の意味を籠めて周囲を伺っていた時、不意に一人だけ瞳に生気を宿したまま擬態するようにみんなのいる所で立ち尽くしている一人の騎士がいることに気付く。
あれは……怪物と戦う時に俺が奪うような形で退場させてしまった若い騎士だ。
その騎士は身体と声を震わせながら、嗚咽に近い息と共に涙をだらだらと流し続けていた。
理由はわからない。
だけどこの状況を唯一見ていたであろう人物であることには間違いないだろうから、俺は痛む身体に鞭打って立ち上がりカイルと共に騎士のもとへと近付いていく。
「おい大丈夫か!? 何があった!?」
「ふ、ふうっ……!」
……安心するか、怒るべきタイミングのはずだ。
俺が来たことで、『ただの人』として少なくとも平常を保てているのが自分だけではないという安心感を得れるし、俺が来たことで『騎士』として一般人が出る幕じゃないと叱咤するという選択肢も生まれるだろう。
どちらでも構わなかったし、俺は騎士の言葉を受け止めるつもりだった。
なのに騎士は、未だに自身の震えを治められない。
いや必死に抑えようと自分の身体を強く抱き締めているが、その実騎士の瞳には騎士としてだけでなくただの人間としての恐怖が刻まれてしまっているように感じた。
何を、そこまで怖がってるんだ。
俺には……俺ではその恐怖の理由がわからない。
「ふ、ふ……」
「ふ……?」
だからと、その訳を聞こうと騎士の言葉を一言一句聞き逃さないように耳を澄ませる。
「不甲斐ない、我らの代わりに……」
「あ、ああ……」
「聖女様を、みなを……守ってくれっ――」
――――瞬間。
俺とカイルの目の前で、騎士の身体から大量の鮮血が吹き上がった。
「――――」
俺もカイルも、唐突に赤く染まる視界に思考が停止し呆然とその行く末を見ていることしか出来ずにいた。
腹から真っ二つに割れた騎士の身体からは怪物の亡骸のようなものが幾つも血と共に地面へと落ちて、それはやがて黒い泥となり血と一緒に混ざり合っているのが見える。
「――――は?」
「…………え?」
俺達の身体の前面が赤く染まり、生臭いような鉄臭い臭いが鼻孔を酷く侵していた。
『ギャハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!』
『イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッッ!!』
怪物の亡骸が零れ落ちる度に怪物の瞳は俺達を見上げていて、脳に響く不快な嗤い声を断末魔として浴びせながら黒い泥へと変わってゆく。
『ギャハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!』
嗤って。
『イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッッ!!』
嗤って。
「う、うわああああああああああ!?」
その嗤い声がカイルの絶叫によって上書きされることで、俺はようやく今見ている景色が現実なのだと思い知らされた。
「は……は、ぁっ……!!」
上手く息、出来てるだろうか。
本当だったらすぐにでもカイルの目を塞ぐのが兄としての役割なはずだ。
それなのに俺は顔を強張らせ荒く息を吐き、視界がぐるぐると歪み始めて動けない。
魂に刻まれた絶望が思い起こされる。
みんなが、死んで……何もかも失った悪魔の思い通りの人生を歩んだ……堕落した天使の、末路を。
なんでだ……俺はっ、俺はちゃんと、『変わらない』ままでいたじゃないか。
何かベルゼビュートの癪に障るようなことをしてしまったのか。
なにか……間違えた選択を、俺はしてしまったというのか。
ルナの時とは違う。
今度こそ本当に……この世界で初めて。
――人が、死んだ。
「――ずっとこの時を待ち望んでおりました」
……現実を直視出来ず瞬きをすると、俺達の視界の中心に一人の青年が立っていることに気付く。
「苦汁を舐めさせられ、無様な姿を晒し……私の描いた劇場をいとも容易く、躊躇なく壊した貴方の顔を、どうしたら歪ませることが出来るのかを」
魔族の証である漆黒の髪。
長い後ろ髪を二つに束ね、白と紫、黄色で装飾された長い貴族服のようなものに身を包んでいる。
紫色に煌めく瞳は柔らかく何処か紳士的な雰囲気を醸し出しているが、その実その顔には俺だけがわかる醜悪な欲望が見え隠れしていた。
「残念なことに街の方々を殺しては駄目だと命じられていますから惨殺しておくことは出来なくて、けれどもただ中途半端なことをしても、既に闇に染まっている貴方の心にはそこまで響かないと思ったのです」
まるで自分の世界に入り込んでいるかのように俺達を見ているようでその実自分の創り出した光景しか見えていないであろう瞳孔が、顔を強張らせている俺達を優しく包み込もうとしているように見えた。
……だけど俺は知っている。
このあまりにも自分勝手で、あまりにも『よくばり』な感情を抱いた男の正体を。
「だから、再現することに致しました! ええ、私の脚本通り、今の貴方はとても良いお顔を私に見せてくれていますよ!!」
感極まり、両手を大きく広げ高らかにそう告げると、青年のすぐ後ろに先程戦ったマントと白色の両手が現れ鎮座する。
男の瞳には終始顔を強張らせた俺の姿だけがあって、今だけは自分の創った景色すら見えていない自己中心的な思考回路がそこにある。
「……おっと。舞台を整えたのであれば、改めて自己紹介をしなければなりませんでしたね」
こんな悪党が、二人もいてたまるか。
口元が震え目を見開く俺を前に、青年はボウ・アンド・スクレープと呼ばれる片手を前に振るお辞儀を俺達に見せて。
「お久し振りでございます。私の名は――クーフル・ゲルマニカ。今の名を……呪隷『ガミジン』と申します」
あの時、初めて悪党を殺すことでこの世界での俺の役割を理解させた張本人が。
「素敵な劇場へようこそお客様。さあ幕を上げましょう! 私ガミジンによる再演の……始まり始まり」
あまりにも自分に酔った……悪意に満ちた宣言をした。