第15話(5) 『違和感の正体』
どうやらへレスティルが事前に指示を出していたようで、鉄門の前には二人の騎士が待機しており教会のみんなを外に出さないように留めているのが見える。
恐らくこの騎士たちは火災の消火にあたっていた騎士たちだ。
たった二人しかいないことから、それ以外のメンバーは教会の周囲に異常が無いかの確認を行っているのかもしれない。
なんにせよ騎士たちがいるからか、セリシアは寝起きだろうに寝間着姿からいつもの純白の正装へと身を包んでいる。
だがセリシアだけでなく子供たちも外着に着替えていることから、教会のみんながどういう想いでそこに立っているのかがわかった。
多分……いや確実に俺が外に出てることがバレたんだ。
みんなで寝てたんだから当然だ。
きっと、俺がまた約束を破ったんだと、そう思っているはずだ。
なのに俺はまたのうのうとここに戻って来ようとしている。
それどころかセリシアの負担になるような重荷を持って帰って来ながら、だ。
なんて言えば良いんだよ……絶対、言わない方が上手くいくのに。
俺は……ただセリシアに毎日を笑顔で過ごせるくらいの平穏な日々を過ごしてほしいだけなんだ。
「本当に……セリシアに伝えるのか……?」
「伝えるよ。でも、言わずとも聖女様は気付くことだろう。君のその血に濡れた姿を見れば、嫌でもね」
「――っっ」
そう言われて改めて自分の身体を見てみれば、服装は黒色のジャケットと黒ズボンを着ているため薄暗い視界では赤く染まっているようには見えないものの問題は俺の露出している黒ではない部分。
つまり肌と、純白であるべき白髪だけが言い訳すら出来ない程に赤黒く染まっていた。
……こんなのみんなに見せられない。
そりゃ何日も帰らなかった時は見られたさ。
でもあの時まではそれなりに血がかからないよう意識していたし、そのおかげで自分の怪我だと誤魔化せるぐらいの範囲に収められていた。
けれど今回に限って言えば、風呂に入ってすぐの有様だ。
何がどの時間に起こったかなんて、子供にだってわかってしまう。
こんな血生臭い死臭を放っている俺に誤魔化す言葉なんて並べられるはずがなかった。
もしも、教会のみんなが街のみんなみたいな目を俺に向けてきたとしたら……
…………むりだ。
やっぱりこんな姿、あの子たちには見せられない。
一瞬考えただけでどうしようもなく胸が痛くなってしまう。
「や、やっぱり俺は――」
「覚悟を決めるべきだ。君がやったことが、皆に褒められるべきことであるのだと思っていたのならね」
「ぐ、うっ……!」
だから怖気づいた俺に対しへレスティルが放った言葉はつい先程までの俺の判断を咎めるようなもので、ここで拒否すればそれは俺のやったこと全てを自分自身で否定するのと同義であると暗に示していた。
……でも、俺のしたことは気を遣えなかった部分はあっても決して間違ったものじゃない。
事実あの怪物たち全部を捕らえるだなんて馬鹿げた考えを持っていた聖神騎士団よりもよっぽど三番街を救うことに貢献した。
「……」
……そうだ。
みんなにとっての救世主になったはずの俺が聖神騎士団よりも間違っているだなんてそんなことあるはずがないのだから、堂々と……前を向くべきだ。
「……理解出来ないな」
だから言われた通り覚悟を決めて一歩を踏み出すと、それを冷たい目で見ていたへレスティルは俺に聞こえないくらいの小さな声で何かを呟く。
だが何を言ったのかを聞き返すつもりも無いから立ち止まらないまま進み続けると、やがてへレスティルとルビアも俺の後をついて行くようになった。
……セリシアと騎士たちによる言い争いに近い声が聞こえる。
いや、言い争いというよりはセリシアの気迫に聖女を神聖視し信仰する聖神騎士がたじたじになっていると言った方が正しいか。
「い、幾ら聖女様の願いといえど我ら聖神騎士団としてはここを通すわけにはいかないのです。それは聖女様の身の安全を何よりも考えているからなのですよ!」
「でも、でもっ……なら何があったのかだけでも教えてください! 森に火が放たれて、それで黙って教会で待っていることなど私には出来ません! お願いします、どうか道を開けてくださいっ……!」
「うっ……! で、ですからそれも、騎士団長の許可が無い限り我らとしても出来ないのです! 聖女様のお役目を思い出してください。本来であれば聖女様がその神秘的なお姿を我らにお見せすることなどあってはならないのですから、結界の外に出すなど、我らの判断で決めることなど出来ません!」
「もうじき騎士団長もここを訪れます。それまでどうか教会の中でお待ちください聖女様!」
幾ら聖女という存在が絶対的な力を持つとはいえ、聖女を死なせてしまったらそれこそ自身の全てを失うのと同義だからか、騎士たちも決して退こうとはしなかった。
人の理を超越した力を持つ聖女の言葉が大衆のものと同等であるということは決して無いし聖女の言葉を受け入れることを可能とするために【聖神の奇跡】という権能があるのだろうが、だからといって本来姿を現すことのない聖女を一介の騎士がどうにかすることなど出来るわけがない。
けれどそんな正論を告げられた所で、優しいセリシアがその場で足踏みすることなど出来る筈も無くて、どうにか道を開けてもらおうと説得の言葉を探し続けている。
「でも……!」
「――! 聖女様、あれ」
だがそんな時、不意に傍にいたユリアに袖を引かれたことで意識を乱され、セリシアはユリアの指した方向へと視線を向ける。
ユリアの指が向けられている場所は鉄門を塞ぐ騎士たちの更に奥。
騎士たちに目の焦点を合わせていたらぼやけて見えない奥深くにセリシアが目のレンズを合わせると、その綺麗な瞳が薄汚れた紅い瞳と交差した。
「――――!! メビウス君っ!」
そして完全に俺の姿を捉えた瞬間、セリシアは目を見開きぱあっと表情を明るくさせる。
「――――」
その顔を見ただけで、自分のしたことがやっぱり正しいことであったのだと自信を持って言えるようになった。
もちろん、決して胸を張って言えることではないということはわかってる。
俺の独り善がりな考えだなんてこと、わかってるんだ。
だって、この後セリシアの顔がどう変わるのかを……俺は知っているから。
それを証明するように、俺が近付くに連れてセリシアの顔は強張ったものへと変わっていった。
「……ただいま、セリシア」
「メビウス、君……えっと、あの……」
俺が鉄門の前に立つと同時に、鉄門前に立っていた騎士二人が強烈な敵意と共に一斉に剣先を俺へと向けた。
セリシアも困惑と動揺が入り混じった様子で俺から目を離さずにいて、それは子供たちも同様だ。
……いや、メイトとユリアだけは驚きつつもやけにすんなりと俺の姿を受け入れているような気もする。
「何を……していたんですか……?」
「…………」
問われても、何も答えることは出来ない。
多分セリシアは本気でわかってないのだろう。
俺が何をしてきたのか、なんで俺の身体に大量の生臭い血が付着しているのかを、聖女であり箱入り娘でもある彼女では想像すら出来ないはずだ。
「ご無事で何よりです、聖女様。聖神騎士団団長へレスティル、ここに参上致しました」
「――!」
だから互いに硬直していた最中、見兼ねたへレスティルが前に出てルビアと共にセリシアに向け頭を下げる。
セリシアもへレスティルとルビアの存在に気付き、騎士二人に行く手を阻まれ続けながらも必死に言葉を紡いでいた。
「あのっ、一体何があったんですか!? 森に火が放たれていて、メビウス君もこんな……三番街に何かあったんですよね!?」
「先程、三番街に突如として大勢の『魔物』が現れ中央広場のみを襲撃しました。中央広場は崩壊状態。ですが住民に怪我はなく現時点で完全に制圧することが出来ています。……そこの少年の手によって」
「……っ」
それ言わなくていいだろ……!
へレスティルが余計なことを言ったせいで居た堪れなくなって俺を見つめるセリシアから反射的に顔を逸らす。
「メビウス君、が……で、でも崩壊状態って」
「既に事後報告となってしまうため、申し訳ございませんが詳しい説明は全てが落ち着いてからにさせてください。街が街としての機能を一部失ってしまっていることに加えて今後これ以上何も起きないという保障もありません。ですので半日だけでも三番街の住民を教会で保護して頂けないでしょうか?」
「も、もちろんです! むしろ半日とは言わず好きなだけ使ってください!」
「ご厚意、痛み入ります。……一時的だがここの警備は私が変わろう。各位、中央広場に向かい住民たちをここへ保護出来る準備が整ったことを三番街騎士隊長に伝えてくれ」
「「はっ!」」
セリシアからの許可が出たことに加え既に森の中に充満していた煙もほとんど晴れていることから、街のみんなを教会に向かわせることのリスクは限りなくゼロになった。
だからへレスティルは騎士二人へと指示し、二人は三番街に向け走ってゆく。
以前に一度このような事態になっていたこともあり、今後同じようなことが起きた時にすぐ対応出来るようにと必要な物の準備はすぐ出来るようになっているから、簡易的な対応はすぐにでも行うことが出来るだろう。
教会を解放することに今の所問題はない。
その確信が安心へと繋がったからか、騎士二人の後ろ姿を見送りつつも俺達の落ち着きようも見てセリシアも一応であるが平常心を取り戻せたのだろう。
……それでもその平常心の中に多大な罪悪感と不安が含まれていることを、セリシアの顔から目を離せずにいた俺だけは気付いていた。
「怪我がないという皆さんの姿を見れなくて不安でしたが、別行動をしていたのですね」
「はい。……これ以上被害を増やすことのないように我ら本部の騎士団が来たにも関わらず役目通りの成果を上げることが出来ず、申し訳ございません」
「そんな、顔を上げてくださいっ。……本来であれば、街に被害が出ることも無いはずなんです。今までずっと……こんなことが起きて、皆さんにご迷惑を掛けてしまったのも全て聖女としての役目を果たせていない私のせいなんですから、むしろ頭を下げるべきは……私の方ですよ」
「――っ!」
まただ。
また、こうやってセリシアが自分のことを責めてしまう。
だから言いたくなかったんだ。
隠したままでいたかったんだ。
そんなことはないって何度も何度も言ってもセリシアが自分のことを責めるのを辞める日は来ない。
そして徐々に自分の願いが、理想が間違っていたのではないかと後悔の念を抱き続けることになる。
でも違うんだ。
悪いのはセリシアじゃなくて、こんな平穏な日々を過ごしていた三番街を壊そうとする悪党たちだけなんだよ。
そう思うからこそ、俺はセリシアに声を掛けようとする。
だが俺がセリシアのことを想いどう思っているのかを理解出来ているように、多分セリシアもまた、俺が何を言おうとするのかをこれまでの経験から理解しているのだろう。
気を取り直すように無理矢理にでも笑みを浮かべて見せて、セリシアは声のトーンを意図的に高くしながら口を開いた。
「でもっ、カイル君が教会を出て行ってしまったと聞いた時は気が気がじゃなかったのですが、皆さんと一緒にいるのなら安心しましたっ。教会で皆さんが不自由なく過ごせるよう、すぐに受け入れの準備をしますね!」
「……っ?」
だが……その無理のある元気な様子から発せられた言葉には引っ掛かりのようなものがり俺は思わず眉を潜める。
その正体にすぐに気付いて、本来出るべきではない名前に違和感を感じた俺は戸惑いながらも訂正をした。
「いや、カイルは寝てるだろ?」
「…………ぇ?」
……けれど、次に困惑した姿を見せたのはセリシアで。
やけに現実味のある嫌な予感というものを感じる中、傍にいたパオラが不安げな顔をしながら俺の裾をそっと引く。
「お兄さん……カイルは……?」
「は……?」
「カイルが、いなくて……お兄さんもルナお姉ちゃんもいなかったから、てっきり一緒にいると思ってたんだ、けど……」
――確かに、教会側からしたらそう思うだろう。
みんなで一緒に寝てたんだ。
その中で極一部の人間だけがいなくなって、そして外でも異常事態が起きていたとしたらみんなで一緒に居ると思って当然のことだ。
特にカイルは、夜中に結界の外に出てはいけないというルールはちゃんと守るが如何せんやんちゃな子だ。
俺が拒否したとしても無理矢理ついて行く可能性は充分にあるし、ついて行くのであれば俺が必ずカイルを危険から守るであろうという信頼だって、きっとみんなは持ってくれていたはずだ。
つまり本来であればカイルは余程のことが無ければ『俺』と一緒に外に出ない限りルールを破るようなことは絶対にしない。
……余程のことが、無ければ。
「――――は、はっ」
……息が荒れる。
ずっと違和感があった。
俺が殲滅した怪物たちは一度だって魔法を使っては来なかった。
なのに森には火が放たれていて、それが人為的なものであるということは誰にだってわかることで。
どんな理由であろうと子供が外に出たという結果だけが、最悪の結末を迎えてしまう未来を俺に見せることになる
もしもまだ、まだこの教会の近くに森に火を付けた悪党が潜伏していたとしたら。
もしもカイルが、ルールを破ってでも外に出る理由があったとしたら。
『ねぇ……シロ兄……』
『何も言わずに、いなくなっちゃ嫌だよ……?』
「――――ッッ!!」
目を見開き顔を強張らせ、勢いよく後ろを振り向く。
刹那、遠くの森から轟音と共に巨大な土煙が空を舞っていた。
……夜はまだ、終わらない。