第15話(4) 『権威を持つ者の責任』
ゆっくりと俺は顔を上げる。
コメットさんの言葉を頭の中で反芻し、その意味を、その言葉に籠められた期待を理解したことで、影で覆われていた俺の顔は徐々に光を取り戻していた。
だが当然へレスティルや本部の聖神騎士団はそんな主張を良しとはしない。
「コメット隊長……! 貴方には騎士としての誇りは無いのですか……!?」
「誇りで命は救えないでしょう。私はあの時、騎士としての役割を果たすことが出来ず無様に地を這い蹲ることしか出来なかった時に痛感しました。誇りや地位では民一人すら守れない。大切なのは、守りきったという結果だけなのだと。それを出来る者が一人でもいるのならば……騎士として恥ずべきことだとしても、その者に託すこともまたこの街を守る者としての責務だと思っています」
「これだけの数の騎士がいながら、それでも三番街の住民ではない少年一人に全てを任せると?」
「それが出来るだけの力を、この街への想いを、彼は持っています」
「……っ」
……思えば、初めて会った時からコメットさんはそうだった。
隊長として重要な地位に立つ自分よりも部下の安全を優先していて、天界で見てきた有象無象の騎士たちや地位の差で優先順位を決めることは当たり前だと思っていた俺や周りとは何処か違っていたんだ。
最初はそんな態度や行動に驚きを隠せないでいた俺だったけど、それが嘘偽りのない本心だということに気付いてから少しずつコメットさんを良く評価するようになった。
今だって信頼を俺に預けてくれているということがまた嬉しくて、俺は思わずコメットさんに視線を向ける。
けれどやはりへレスティルは受け入れない。
コメットさんの主張を噛み締め、理解し思案しながらそれでも首を横に振る。
「……いいえ。いいえ、やはり騎士団長として一般人に街の守護を担わせるわけにはいきません。貴方の言っていることは、騎士として恥ずべき行いです。【帝国】に所属していた時の貴方なら絶対にそのような考えを容認することはありませんでした。聖神騎士のコメットはもっと――」
「私は今この場でどうするかの話をしているのです」
「……っ」
まだ若いへレスティルといえど騎士団長代理という役目を背負っているのだから、コメットさんに対しても教会での時のように強く出て良い立場のはずだ。
だがへレスティルの素を知っている俺からしたら、やはり強く出るという行為自体が彼女が言っていたように公私を分けようと努力しているが故のものに過ぎないのだろう。
長く話せば話す程、どうしても年上相手には態度が軟化してしまっている。
この場において何が重要なのかという会話も、コメットさんの方が一枚上手だ。
過程と結果、どちらが大切かは人によって異なるが、今回に限ってはその対象が『命』である以上、やはりどうしても結果を重要視する考え方の方が話題に対する説得力がある。
もちろんへレスティルが心の底から冷徹な仕事人間であったならコメットさんの発言も戯言のように流すことが出来るのだろうが、救う、守ることへの本質は確かなものを持っているへレスティルはコメットさんの言葉を否定しつつも内心では納得してしまいそうになっていた。
それを証明するかのように、未だへレスティルは目を瞑り深く思案している様子を見せている。
騎士団長としての自分の一言は組織の動きを大きく変えてしまう程の力を持つ。
それをわかっているからこそ、へレスティルはすぐに答えを出せずにいるのだろう。
数秒、数秒と静寂が時を刻む中で、全員の注目がへレスティルへと集まった。
だがやがて……ゆっくりと瞼を開けて睨むように俺を射抜くと。
「――駄目だ。君にはこれ以上頼らない。聖女様の心労については申し訳ないがやはり現実として起こってしまっていることについては全て報告するべきだ。それが【帝国】から派遣された聖神騎士としての役目だと私は認識しているのだから」
「は……?」
俺の言葉もコメットさんの言葉も、聞いておきながら全てを無視した結論を出した。
……別に俺の主張がみんなにとっての正しいことだとは思ってない。
より良い代案があるのなら俺だって自分の意見に固辞せずに素直に言うことを聞くつもりだった。
でもそうして導かれた結論が『聖女様の心労については申し訳ない』……?
これまで何も知らずにいたセリシアに決してすんなりと受け入れることなんて出来ない事実を何度も告げて、その度に自分の行動を責めるセリシアを見て、それでもあんたらはまだ聖女として相応しくないって言うのか!?
そんな暴挙を許していいはずがない。
セリシアに寄り添えていない結論を、受け入れるわけにはいかないんだよ!
「騎士団長であるあんたが、セリシアが自分を酷使することを受け入れるのかよ!?」
「これは騎士団長命令だ! ……騎士も一般人もこの決定には従ってもらう。騎士団長である私の発言が聖神騎士団の総意だ」
「――ッッ! テメェ!!」
あまりの傍若無人ぷりに脳が沸騰し、相手が年上だろうが関係なく俺はへレスティルに掴み掛ろうと前に出る。
「ルビア」
「……! 《チェイン》《ロック》」
「――ッッ!? くっ!?」
だが俺の反論をへレスティルは強引に上から捻じ伏せ、そのまま近付く俺を前にルビアに指示をしたかと思うと、俺の真後ろに現れた二つの魔法陣から光の鎖が射出され俺の胴体に巻き付き拘束された。
――全く身動きが取れない。
この鎖が氷や岩で出来たものだったなら天使の筋力によって破壊することも出来たのだろうが、光の鎖に力は作用されないのかどれだけ身体に力を籠めてもビクともしない。
光魔法というものを初めてこの身に受けたから、その魔力の特異性には驚くばかりだ。
拘束が通ってしまった以上もう俺に何かアクションを取る術は何も無くて、ただ苛立ちを吐き捨てることしか出来なかった。
「傍若無人に振舞って満足かよ……! 違う考えを持つ奴は無理矢理制圧するのがあんたのやり方だったんだな!」
「え、いや騎士団長はこれ以上あなたを……」
「いい、ルビア。……何とでも言えば良い。私はコメット隊長と違い君を使い潰さない。だから君の言葉も私の耳には届かせない。これ以上君が勝手な行動をしないようにこのまま聖女様の所へ連れて行く。――コメット隊長。それで良いですね」
「……騎士団長の命令であれば」
俺のことを案じてくれているコメットさんといえど、やはり権力には逆らえない。
既に騎士隊長としての立場が危ぶまれているコメットさんが権力に反抗を示すことはそう難しくは無いが、コメットさんが背負っているものは決して肩書だけじゃないのだ。
今後も三番街に残る部下の立場もコメットさんは背負ってる。
流石に騎士団長が決定を下した後に先程のような主張をし続けることはどうしても出来ないのだろう。
それは他者を思いやることが出来、尚且つ自身の責任を理解している人だからこその苦悩だ。
だからコメットさんは正しい。
そんな比較対象がいるからこそ、それよりも上の権力を持つへレスティルに憤りを抱いて仕方が無かった。
……やっぱり俺は勘違いしてた。
へレスティルが素というものを俺に見せたから、少しは立場としてではなく個人としての決断をしてくれるんじゃないかって、そう思ってた。
でもそれは間違っていて、コイツもやっぱり権力に浸かるだけの保身的な人間でしか無かったんだ。
そうじゃなかったらセリシアのことをそんな投げやりに考えることなんて出来るはずがない。
三番街の聖女であるセリシアはこの場にいる全ての人間よりも重要で大切な存在なのに、その力に頼るだけじゃあきたらず一人の少女に全てを担わせ酷使させるだなんて、信者じゃない俺ですら思わないことだ。
……何が使い潰さないだ。
ただ単にあんた達の騎士としての尊厳が踏み躙られた気になって良く思えないってだけだろ。
でもそれを言った所でこの場においては意味がない。
むしろこれ以上事を荒げれば、それを見ている街のみんなの信用や不信感が更に高まってしまうのは言うまでもないだろう。
せっかくコメットさんが俺を擁護してくれたのに、その優しさを裏切るわけにはいかない。
だからコメットさんがへレスティルの決定を受け入れるしかなかったように、俺もまた彼女の決断を黙って受け入れることしか出来なかった。
「コメット隊長。住民たちの誘導の指揮は貴方に任せます。教会の警備を担当している部下と入れ替わりますので、部下が来次第住民たちを教会に向かわせてください」
「……了解しました。――みんな聞いてくれ! 既に教会の周りに放たれた火は水魔法によって消火し終わっているが黒煙はまだ残っている。全ての住民をここに集め、煙が晴れ次第教会へと向かうため聖神騎士団の誘導に従って行動してくれると有難い!」
既に騎士団長の中で話が終わっている以上、ささやかな抵抗すら無意味であるとコメットさんは理解しているのだろう。
コメットさんは騎士団長からの命令を受けたことですぐに意識を切り替え、既に騎士隊長としての威厳がある姿で街のみんなへと声を張った。
そんな様子をしっかりと見届けてから、へレスティルは踵を返して教会に続く道へと土を踏んだ。
「……話は終わりだ。ついて来い。ルビアも来てくれ」
「……! わかりました」
「ぐっ……!」
その間ずっと睨み付け続けていた俺に視線を向けると、へレスティルは俺に巻き付けられている光の鎖を掴み強引に引っ張って教会へと続く一本道をルビアと共に進ませてくる。
その行為により鎖に圧迫されて小さな声を上げてしまうものの、残ったコメットさんから発せられた言葉を受け森に意識を向けてみると、確かに黒煙は未だ空へと昇っているが火事特有の発光は既に何処にも見られなかった。
いつの間に消火を終わらせてたんだ。
俺が怪物たちを【断罪】している間にへレスティルが指示を出していたのかと思ったが、確かへレスティルはその間動かなかったとコメットさんが言っていたから恐らくこの事態になった時点で既に部下に指示を出していたのだろう。
怪物が襲撃してきたタイミングと俺が起きたタイミングにどれだけの相違があったのかはわからないが、その時間差が少なかったのであれば俺が外に出た際に消火にあたっていた騎士たちと鉢合わせなかったのも頷ける。
とはいえ消火は完了しているものの、未だ無くならない煙を吸えば肺を侵す。
みんなも混乱していて呼吸も正常では無いだろうし、早く安心したいという気持ちが街のみんなにあるとはいえ完全に煙が晴れてからという選択をするのは妥当な判断だ。
まあ、その煙を俺達は吸うことになるわけだけど。
「おい……その煙を俺達だけ吸うことになるんだけど。コメットさんの判断を見習えよ」
「煙の発生源は全て消火し終えているから長期曝露することは無いし、結界に入れさえすればその心配もすぐに無くなる。それに、今は煙があった方が君にとっても都合が良いだろう」
「あ……? どういう……」
「ルビア、拘束を」
「え、あっ。わかりました」
へレスティルの言葉に疑念を向けるがそれはへレスティルの味方であるルビアも同じだったらしい。
突然の要求に虚を突かれながらもルビアは俺の後ろへと立ち、光の鎖に向けて手をかざす。
瞬間、俺を強く拘束していた鎖はいとも容易く砕け散って、身動きの取れなかった身体はほんの数分で自由を手に入れた。
「何をして……」
「なにって、拘束をルビアに解かせたんだよ」
「そんなことを聞きたいわけじゃねぇんだよ……! なんでわざわざ拘束を解いた……俺が、逃げるかもしれねぇだろ」
「君が逃げた所で、君の嫌な事象が無くなるわけじゃないんだから逃げないよ。そもそも住民たちの前だからああ言ったけど、流石に聖女様の前で拘束する姿を見せるつもりも無かったさ。それは、君の尊厳を無碍にする行為だからね」
「今更そんなこと言うのかよ……!」
「私達以外誰もいない今だからこそさ。君は皆にとってどれだけ恐怖の対象になっていたのかを理解した方が良い。皆の前で拘束を解けば、それこそ住民たちの不安を煽ることになる。だから君を拘束したのは、皆を安心させるためのパフォーマンスだったんだよ」
「……っ」
確かにあの三番街のみんなの様子を見れば、俺が自由に動けないという事実は心身共に大きな安心の材料になったはずだ。
だから今にして思えば俺を拘束したことはへレスティルなりの気遣いでもあったということになる。
「それに君が疑問に思ったように、こちらとしては君を拘束したまま【帝国】に送る準備を進めても良かったんだ。でもそうはせずに聖女様との最後の会話の場を設けようとしているんだから、これでもかなり譲歩してる方だとは思わないか? 君に敵意を向けたいわけじゃないことは、変わらず理解してほしいんだけど」
「【帝国】で法の裁きを受けろってか」
「『君』が【帝国】の法に準ずる必要があるのかはまだわからない。だから、どちらかというと同族に会わせるためという側面の方が大きいかな。とにかく最優先するべきは君をこの場から遠ざけることだと身に染みてわかったからね」
それは、俺が天使だからか。
人の形をしていれば法というものは必ず適応されるべきものでなければならないはずだが、俺は一応ではあるが神の遣いとして人間界では崇められているらしい『天使』という存在だ。
人間の尺度で罰を与えることなど到底出来るものではないのかもしれない。
だがそんなことで法が簡単に覆されてしまうというのなら笑ってしまう。
こんな悪党一人満足に裁くことも出来ない法の無力さには天界と同じようにうんざりするばかりだ。
「ただでさえ司祭様が消息不明になってるんだ。聖神騎士団としても出来る限り優先順位をつけて事にあたりたい。司祭様の捜索と三番街の……聖女様の安全の確保。どちらが重要かは言うまでもないが、【帝国】の名を背負う者としてはどちらも成し遂げたいというのが正直な所だ。だから君にまで意識を割いてる余裕は無いんだよ」
「だから、三番街については俺がやるって――!」
「何度も言ってるだろう。三番街については、もうじき協力者が来るから解決すると。その選択肢はもとから無いんだ。君が子供じゃないというのならいい加減わかってくれ」
「くっ……」
子供子供って、それを引き合いに出せば俺が言うことを聞くとでも思ってんのか。
俺の言ってることは間違って無いだろ……! どちらも成し遂げたいのなら、その片方は俺が担ってやるって言ってるだけだ。
事実俺にはそれを出来る『力』がある。
なのに聖神騎士団というプライドのためにその『力』を利用しないなんて、典型的なルール人間の悪い所が出てるとしか言いようがない。
それに、その協力者とやらも来てねぇだろ……!
「そんなに正義感? があるなら聖神騎士にでもなればいいのに」
歯噛みする俺を横目で見ていたルビアは、眉を潜めながらそう小さく呟いた。
けどその問いすらも癪に障った俺は苛立ちを隠さずに声を荒げる。
「あ……? じゃあ騎士になったら悪党全員裁けるのかよ……!? 法って奴はいつだって権力の前では機能しなくて、本来当たり前の日々を送るべき善人の人生が壊れてから動くことしか出来ない。たとえ動いても、たった数十年……いや、場合によってはもっと短い時間で陽の目を浴びることが出来るようになる。失った命は、戻らないのにだ。それが嫌だから俺は……!!」
「……ふ~ん。まあ、気持ちはわからなくはないけどね」
「わかろうとするなルビア。彼の主張は極端だ。彼の言い分では加害者の将来に寄り添うことが出来ていない。確かに罪は裁かれるべきものだが、同時に加害者にも社会復帰するための権利は与えられるべきだ。それが、社会の秩序というものなのだから」
「だからそんなのはッッ!!」
「私刑も立派な重罪だよ、メビウス」
そんなこと言ったって、実際法によって裁かれる罪状があまりに見合ってないことが多いのも事実だろ……!
天界で一年経たないぐらいまで王家の騎士として働いていた俺ならわかる。
騎士じゃ悪党は裁けない。
だから、死にはより鮮烈で後悔させるような罰を与えなきゃいけないんだ。
そうでなきゃ、死んでいった人たちが納得出来ないだろ。
「……」
でもそう思うからこそ、それは俺にも当て嵌まる。
今までどうしてか記憶になかったけど、たくさんの善人を殺した事実があった。
その人たちの家族や友人が敵意や殺意というものを俺に向けた時、俺を法で裁くことが正しいこととも思わない。
悪党が捕まることに意味がないように、俺が捕まることにも意味なんてないのだ。
罪には罰を。
これから先、俺に裁きを与えようとする人が出てくるのであれば俺はそれに悪党として抗い、そうやって負けた時、残虐な罰を受けることを受け入れる覚悟は出来ている。
「……わかってるよ。そんなこと」
故に、私刑が重罪だとしても必要性があるものなのだ。
それでもこの場で言うことでも無いから、俺は自分を偽り中身のない言葉を吐き出した。
「……まあ、罪や種族に関わらず【帝国】に向かわせたい理由はあるけどね」
「……まだあんのかよ」
「そりゃああるさ。まあ私としても君には驚かされるばかりだけど……君の使った不可解な魔法は【帝国】にとっても貴重なものだ」
「――っっ!!」
そういえば俺の魔法は特別で、むやみやたらに【帝国】の人間に見せてはいけないと以前テーラに釘を刺されていたことを今更ながらに思い出す。
別に俺としても無抵抗のまま雷魔法の研究をさせるつもりなど毛頭無いが、よりにもよってかなりの権力を持つ騎士団長にもったいぶらずに見せるというのは軽率だった。
テーラの過去を知ってる手前、大人しく従ったら何されるかわかったもんじゃない。
故に俺は強い警戒を彼女に示すが、そんな俺にへレスティルは苦笑して見せ敵意が無いことをアピールするように肩を竦める。
そして歩きながらも視線を進行方向へと戻すと、へレスティルの顔付きは再度騎士団長としてのものへと変わった。
「まあそれについては今は関係ないことだ。今大事なのは、【帝国】に行くまでの過程だからね」
「あ……?」
「先程の話に戻るが……君のその考え方を、聖女様は絶対に認めないだろう」
冷たくそう告げてへレスティルが前方に視線を向けると、俺も眉を潜めつつその視線に追従し前を向き直した。
すると既に視界には焼け落ちることのなかった教会があって、その鉄門の前で数人の影があることを見つける。
瞳の焦点が合えば、そこにいるのが誰かがわかった。
深夜で、本当だったらぐっすりと明日に期待して寝ているはずなのに、目の前の光景があるだけで平穏な日々とは程遠い夜を過ごしているのだと思い知らされる。
……セリシアと子供たちが、起きていた。