第15話(2) 『動乱の象徴』
血の雨が降っていた。
これまで戦い、状況を拮抗させてきた聖神騎士団はただ呆然と剣を持っているだけで、誰一人としてその場から動くことが出来ていなかった。
ただ、目の前の移り変わる光景を見続けてるだけ。
介入することなど出来ない、たった一人による抵抗など一切感じさせない蹂躙の様は、普通に生きてきた人間では適応することなど到底出来ないものだった。
「―――」
……怪物が襲い掛かってきたことで、三番街は阿鼻叫喚に包まれた。
未だに聞こえる悲鳴も絶叫も、何処かから聞こえる嘔吐の音も、全部この化け物共が来たことによる強烈なストレスのせいだ。
だから、早く終わらせなければならない。
雷光が超高速で駆ける度に怪物たちの身体が破壊されてゆく。
『ギャハハハハハハハ、ハ――』
『イヒヒヒ、ヒ――』
煩い声が聞こえる度に、それをすぐにでも止めさせようと幾度となく怪物の頭を掴んで地面へと叩き付ける。
更に音として呻き声すらも上げさせないように念入りに首を雷拳で貫いて、少しでも怪物の声が街のみんなに届かないようにと配慮までした。
――明らかに俺が来てから、中央広場に集まる怪物の数が増えている。
ここまでのリソースを持っていながらすぐにそれらを放出しなかった時点で、俺がここに来ていることに意味があるのだということは想像するに容易いことだ。
ベルゼビュート……。
原罪の……悪魔。
「――――――――」
――スピードが上がる。
《ライトニング【噴出】》によって移動速度を更に増したことによる俺の拳は最早拳としての形すら成しておらず、天使特有の身体の硬さだけを頼りにした指圧だけで数多の怪物を崩壊させていた。
セリシアが守ってきたものを……三番街を壊させるわけにはいかないのだ。
ベルゼビュートがこうして行動を起こしてきたということは、きっとまた俺が『変わっていない』のかを確かめようとしているのだと思う。
俺は……変わってない。
いつだって俺は、みんなが平穏な日々を送れるようにと願ってる。
故にそれをいもしない存在に証明させるかのような過剰な殺戮劇は、中央広場に残る怪物が残り一匹になるまで続いていた。
『ギ、ギギッッ……』
「―――」
血の海を作って、視界に映る怪物が全て亡骸になった後。
不意に俺の後ろからそんな弱々しい呻き声が聞こえてきた。
暗く虚ろな紅い瞳をそちらへと向けると、恐らく意気揚々と戦場に飛び出して来たのであろう2m以上ある大柄な筋肉質の怪物が立っていた。
これまで出てきた怪物共とは若干違う見た目。
それこそお伽話の悪魔に近い、魔人のなり損ないのような姿をしている。
姿が他と違うからこそか、その怪物はこの悲惨な状況を見て狼狽しているようだった。
……知性があるのか。
それかもしくは本能か。
真実はわからない。
だが唯一悪魔のような羽を生やしていたその怪物は何を思ったか僅かに後退したかと思うと、そのまま羽を動かし飛翔を始める。
「―――」
……逃げるつもりか。
逃げるつもりかよ。
ベルゼビュートがこんな雑魚をどうしてここに呼んだのかはわからないけど、逃げる奴ほど状況が有利に働いた時、意気揚々と乱入してくるのは相場が決まってる。
コイツも本来であれば、嗤いながら人を殺すつもりだったはずだ。
ただ平穏な日々を過ごしていたいだけの善人を、悦に浸るためだけに殺すつもりだったはずだろ。
そんな悪党は、丈量酌量の余地なく【断罪】しなければならないよな。
「……」
だから俺はすぐ傍に落ちていた壊れた家による木片を二つ拾い上げると、そのまま『ウイングソール』を起動させ一気に怪物へと距離を詰める。
怪物が追って来ている俺の姿を知覚する間もなくそのまま怪物の首に両足を掛け取り付くことで、怪物の視界には――俺の姿ではなく尖った木片の先端だけが映っていた。
「人を嗤いながら殺そうとしてたんだ。なら殺される時も……嗤えよ」
『ギギッッ!? ――ギャッ!?』
刹那――瞳を貫く。
それを起点に、二つの木片は何度も何度も怪物の顔面を貫いていた。
血が飛び散り顔に掛かり、血の雨がまた降り注ぐ。
赤く染まった怪物の顔には、金色の瞳を持つ……天使だけが映っていた。
『くはっ!』
またしても、嗤い声が何処からか聞こえてくる。
それがあまりにも不快で、不愉快で、俺の心を苛立たせてくるから、その声を終わらせようと振り上げる両腕は加速するばかりだ。
『あははははははははははははははッッ!!』
なのに声は無くならない。
悲鳴も絶叫も何もかも、何一つとして途切れるようなことは無かった。
幾つもに渡って木片が肉を貫いたから、片方の木片は折れ既に機能しなくなっている。
だから最後に俺はもう片方の木片を怪物の首へと突き刺すと、そのまま力を籠めて無理矢理横へと薙ぐことで顔と身体とを分裂させた。
そうして羽を動かすという信号を送れなくなった怪物はそのまま俺ごと落下して、強大な土煙が噴き出し俺と怪物を包み込む。
「……っ」
「……」
誰しもが、恐らく声を出せずにいたんだと思う。
静寂が続きながらも土煙が晴れた先には、怪物の頭部を掴んだ……俺だけが立っていた。
「……」
辺りを見回すがもう生きている怪物は何処にもいない。
中央広場に新たな怪物がやって来るような気配もない。
……守り抜いたんだ、今度こそ俺が。
一度失ってしまったみんなの命を、今度こそ俺が救うことが出来た。
中央広場はまた壊滅してしまったけど命に比べれば安いものだ。
建物が破壊されたのは全部聖神騎士団の責任だから、本部の連中も【帝国】から復興費用を出してもらおうと積極的に動いてくれるはずだ。
街のみんなが教会に向かわずに済んだのも大きい。
セリシアや子供たちを起こさずに済んで、セリシアの疲労も回復し何も知らないまま事後報告で済ませることが出来るのだから。
俺が出来ることの最善を成し遂げた。
完璧だ……寝てしまった分の責任は充分に果たしたと、きっと誰もが俺にそう言ってくれる。
満足感と達成感が俺の心を癒し、まさに今確かな安らぎを感じていた。
「――わ、わっ」
「…………!」
だがそう思っていた時、不意に聞き覚えのある子供の小さな悲鳴が聞こえて俺はゆっくりと声のする方へ顔を向ける。
街のみんなが固まっていた方向には、腰を抜かしたのか一人の子供が尻餅を付いてしまっていた。
……痛そうだ。
なのに大人は誰一人としてその子供に手を差し伸ばそうとはせず、何故かみんな顔をぐしゃぐしゃにして俺を見ているだけだった。
「……」
理由はよくわからない。
けど、子供が意図せず座り込んでしまったのなら誰かが手を差し伸べる必要があると思うから、俺は掴んでいた頭を投げ捨て尻餅を付く子供の前に立つと、安心させるために柔らかな笑みを浮かべて手を差し伸べた。
「ひ、ひっ……!」
「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「ぅっ、ひっ……!?」
……なのに、子供は俺の手を取ろうとせず強く身体を震わせている。
子供の小さな瞳には血だらけの俺が映っているだけでもう怖い怪物は何処にもいないはずなのに、どうしてかその場から動こうとはしなかった。
やっぱり脚か何処かを怪我しているのかもしれない。
そうなれば確かに手を差し伸べただけじゃ立ち上がれるわけがないだろう。
身体を支えて、起こしてあげなきゃ。
そう思い、俺は気遣うように子供の背後に回って抱き抱えてあげようと身を動かした。
なのに――
「う、うちの子供に近付かないで!!」
「――っ!?」
そんな俺の気遣いは、一人の女性によって空を切る。
驚くのも束の間、その女性は座り込む子供を抱えると急いで俺のもとから離れ、子供を守るように身体で包むことで脅威から隠そうとしていた。
そんな行動をされる意味がわからなくて、そんなことを言われる筋合いだって無くて、俺は動揺しながらも何か気に障るようなことをしたのかもと思い反射的に謝罪の言葉が喉から零れる。
「あ、ご、ごめんなさい……俺はただ、ただ起こしてあげようと思っただけ、で――」
だがその謝罪は途中で途切れた。
それは偏に、俺の視界に映り込む光景によってこの謝罪が意味を持たないということに容易く気付いてしまったからだ。
……みんなが、俺を見ていた。
身体を震わせ顔を強張らせ、俺が身を動かす度にビクリと肩を跳ねさせるその姿はどれだけ有り得ないと思っても、恐怖以外の何物でもない感情としか言い表せないものだ。
みんなが……『俺』に、敵意に近い恐怖心を抱いていた。
「なん……」
「最悪なことをしてくれたな、メビウス」
「――ッ!?」
なんで、と……そう理由を聞こうとした所で、唐突な憤りを籠めた声が俺の言葉をまたしても止める。
声の聞こえた方向へと身体を向けると、そこには複雑そうな顔をしつつも俺のことを強く睨み付けるへレスティルが立っていて、それと同時にこの場にいる全ての聖神騎士団が剣を構え素早い動きで俺のことを囲い込んだ。
街のみんなも騎士たちも、みんな何故か俺だけを敵視する。
まるで俺のことを怪物だとでも思っているかのように、本来向けられるべきものとは真逆の感情を助けたみんなに向けられていた。
……なんだよこれ。
なんなんだよ……!?
もしかして何かしらの術をベルゼビュートから受けたのか。
俺が怪物たちを殺している間にそういった術を使われた可能性は充分にある。
だがそんな考えとは裏腹にへレスティルの言葉に含まれている感情は決して敵意だけではなく人間らしい様々な感情が入り混じっているように思えたから、俺もまたその可能性を考えつつも言葉通りの意味を汲むことにした。
「何がだよ……!」
「どうして……魔物たちを殺したんだ」
「はあ……?」
最悪なこととは何なのか。
それを知ろうと問い掛けた時、へレスティルの口から吐かれたものはそんな言葉だった。
あの状況下でそんなことを言う真意がわからない。
呆然と息を吐く俺を前に、へレスティルは心底真剣な目で俺を睨み続けている。
「命を、どうして簡単に奪ったんだと言っている」
「そんなの……! 三番街をめちゃくちゃにして、セリシアに……聖女様にまで魔の手が伸びる所だったんだぞ!?」
「奴らにも生きる権利があった。君の言う通りだったとしても、拘束するべきだ」
「こいつらは人間じゃないだろ!!」
「人間だよ。人間さ」
「ああ!?」
「君は……殺した相手が『何か』すらも見ていないのか」
「は……?」
「君が殺した相手を……よく見てみろ」
目配せするように、されど目を伏せるような態度をするへレスティルに触発され、違和感を感じつつも俺はゆっくりと先程まで戦場だった後ろを振り返る。
「…………!」
目を……見開いた。
俺が先程まで【断罪】していた怪物……その表皮には黒い泥のようなものが溶け出していて、いつの間にか地面に泥溜まりを作り出している。
そして身体全てを覆っていた黒い泥が完全に地面へと落ちた先にあったのは、確かにへレスティルの言う通り……顔を歪ませながら絶命している人間しかいなかった。
多分……一人目を殺した時からこうなっていたんだと思う。
故に一人目の時点で怪物の正体に気付き殺戮の手を止めていたのなら、きっとみんなにこんな目を向けられてはいなかったはずだ。
だから……訳を言わなきゃ。
みんなが納得出来るような訳を――
「き、気付かなかったんだ。みんなを守ることで精一杯だったから」
「それは言い訳にはならない」
「は……?」
「姿が魔物だろうと、たとえどんな者であろうと、命を奪うことは大罪だ。なのに目の前の相手が『誰であろうと』命を奪うことを躊躇せず死んでも構わないと斬り捨てるだなんて……それは【悪魔】の考え方だよ、メビウス・デルラルト」
「―――」
問答の末に告げられたものはあまりにも突拍子もないものだった。
だって……意味わからないだろ。
姿が魔物だろうと命を奪うことは大罪? ならお前らは襲い掛かって来る動物すらも一匹残らず拘束して牢屋にでも入れるって言うのか?
動物相手に……裁判をして法的に裁くのかよ?
しないだろ!?
するわけがないんだ!
確かに怪物の正体は人間だった。
でもこいつらには見覚えがある。
この黒装束の服から見て、恐らくついこの間まで三番街を襲撃しようとしていた連中の残党だ。
仮に正体が人間ではなく怪物のままだったとしても、明らかな敵意を持って平穏な日々を過ごすことを望んでる人達を殺そうとしてたじゃないか。
結局、悪党なんだよ。
なのに俺は……もしかして、みんなに責められているとでもいうのか。
みんなを助けるために取った行動は【悪魔】と罵られることだったとでもいうのか!?
「は、はぁ……?」
幾ら受けた言葉を咀嚼しても、俺には到底理解出来ないものだった。
だから無意識に出た困惑の息はその実この場においてあまりにも浮いているように見えて、俺の考えだけが間違っているような気になってくる。
「そもそもたとえ魔物のままであったとしてもそれは人の姿をしていた。どんなに覚悟を持った者でも、本来であれば躊躇し決心することなど到底すぐには出来ないことだ。それは、騎士であっても。なのに君は躊躇しなかった。それはつまり……君には、常に殺しの選択があったということだ」
「ぅ……!」
それに対してだけは、俺はみんなに納得させられるような答えを持ち合わせてはいなかった。
確かにへレスティルの言う通り、普通は動物だろうと命を奪おうとすることに多大なストレスを抱き躊躇するストッパーというものがある。
それは騎士も同じで、たとえ時に犯罪者を殺さなければならないことがあっても、その一番最初となるものは必ず実戦になるはずだ。
それが初めてであれば、必ず大あれ小あれ心情に影響を与え、その心理的嫌悪が内からだけでなく外にも現れるのは当たり前のこと。
だから、へレスティルが言いたいことが俺にはわかる。
この場において重要なのは、多分俺が怪物たちを殺したことじゃない。
何の躊躇もなく、他の方法すら考えず、騎士という普通の人なら絶対に頼る軍を無視して、あれだけの数を一人で殲滅することが出来るという実力を証明してしまったことが問題なのだと気付いた。
絶対的な力は味方であれば心強い。
その力を殺すことに使用してしまったとしても、人間らしい隙のようなものが見受けられたなら共感することも出来ただろう。
だが、そうはならなかった。
きっとみんなは今初めて、俺のことを得体のしれない存在であると強く認識したに違いない。
そしてこれだけの行動が揃えば、どうして躊躇しなかったのかという問いにきっと誰もが解を成す。
だから俺もまた、この後へレスティルが何を言おうとしているのかがわかってしまった。
「君は……人を殺したことが――」
「違うッッ!!」
だけどそれだけはこの場で認めるわけにはいかないのだ。
それにたとえ俺の行動が結果的にみんなの恐怖を煽ってしまったのだとしても、結局のところ俺のしたことはみんなにとって功績を上げたものであるはずだ。
だって、あのまま怪物たちを放置してたらセリシアにまで危害が及ぶ可能性があったかもしれないんだ。
みんなにとって大切な聖女様が危険な目に遭ってたかもしれなかったんだぞ。
そんなの信者であるみんなは、許せないだろ。
だから俺のしたことは、この世界にとって正当性のあるもののはずだ。
逆にみんなだって悪党がセリシアに危害を加えようとしたら、一丸となってそいつを殺すんだろ……? 殺してきたんだろ……!?
「み、みんな言ってたじゃないか……聖女に仇なす者は全部纏めて殺すべきだって……だから俺は、みんなの代わりに、その役割を……」
俺が初めてこの街に来た時、みんなはそんなことを言って俺を追い詰めた。
あの時の俺には余裕があって、内心人間を見下してもいたから驚きつつもそれなりに飄々とした態度で認めてもらおうとした。
その結果、認めてもらえたんだ。
セリシアが庇ってくれたからとはいえ、俺は本来街のみんなに殺される側だった。
それを今度は三番街の一員として俺が代わりにやっただけのことだろ。
なのにへレスティルは憐むように目を伏せて。
「……誰一人、殺人に手を染めたことは無いよ」
「……ぇ」
俺が今まで抱いてきたものが全部想像や勘違い故のものでしかないと、今更この場で訂正されてしまった。