第14話(12) 『幸せとは奪われるもの』
月明かりが照らす夜。
事情がありそうな子供に手を差し出して、だが騎士が来たからと子供のその後を気にしながらも帰宅路を進んでいた優しい女の人は、腰が抜けたのか壁に座り込み頬には一筋の切り傷と赤い血を垂れ流していた。
「う、くっ……!!」
優しくも気の強い瞳の中には僅かな恐怖が覆い始め、そこに映り込んでいる血塗れの子供の瞳は冷たく、先の見えない暗闇を宿している。
右手には血の色すらも隠す漆黒の剣を持ち、剣先は既に女の人を捉えていた。
「……本当にごめんなさい。でも、俺のことを見てしまったから。だから、しょうがないですよね」
しょうがないこと。
そんな容易い言葉でこの行動を正当なものであると評する子供の姿はあまりにも歪だった。
妹を救うためには同胞をたくさん殺さなければならなくて、そんな限界だった一人の子供に手を差し伸べてしまった優しい人が死ぬことが皆が言う神によって決められた運命であるだけのことだと、少年はそう言いたいのだ。
疑問に思う必要もない。
むしろ、その信仰する神様に貴方は愛されているとも言える……なんて、そんな嫌味のような意味を添えて。
「あ、あの騎士様は……」
「殺しました」
「――!」
「本当は苦しめたくなんて無かったんです。なのに最後まで俺のことを大切に想ってくれていたから。だから殺しました。きっと今頃天国に行って、今度こそこんな悪魔とは出会わない人生を送ることが出来るはずです」
ラックスさんを殺した。
明日にはラックスさんが殺されたという事実は騎士団に伝わって、目撃者がいないかの捜索がすぐにでも始まるだろう。
その時に、目撃者が生きているわけにはいかないのだ。
だから……殺すのに丁度良い。
それだけのことだ。
殺す理由に……崇高な理由などいらないのだ。
「貴方も……天国に行けるはずです。俺が保証しますよ」
「なんで……なんでこんなことするの……!?」
「……ああそっか。やっぱり普通は死ぬ理由が必要なのか」
どうせ死ぬのにそんなことを知りたいだなんて理解が出来ない。
だが聞いて、それで納得するのならと少年は淡々と自分の事情を説明する。
「妹を助けるためには、たくさん人を殺さなきゃいけないんです。だから貴方を殺します。納得すること……出来ましたか? なら、もう良いですよね」
事情を説明した先にあったのは、女の人の困惑に近い感情だけだ。
部外者からしてみれば到底納得することなど出来ない、個人的事情による凶行。
理不尽と言われても仕方のないくらいに、他人にとっては関係のない代物だ。
でも……少年もまたその理不尽を押し付けられて、したくもないことを強要されている。
だからせめて怯えないように、痛みを抱かないようにと気を遣いながら事を成そうとしていた。
……それなのに。
「――――ッッ!!」
「――!」
一瞬の隙を突いて女の人は細かに翼を翻し、愚かしくも逃亡しようと考えてしまったから。
「ぃ、ああああああああああああああッッ!?」
「……なんでだよ」
闇に紛れ瞬間移動した少年による一突きによって純白の翼からは大量の鮮血が飛び散り、手を差し伸べてくれた優しい人の絶叫がまたしても闇夜に響き渡ることになる。
「傷付けたくないって、そう言ったじゃん……苦しい想いをさせたくないって言っただろぉ!! なんでそういうことするんだよ!? なんでみんなっ……いつも!!」
そんな悲鳴に耐えられずに顔を苦痛で歪ませながらも、少年は更に強く漆黒の剣を突き刺した。
もう二度と逃げようと思わないように、抵抗することが無いようにとこれ以上の痛みを与えないために必死になる。
少年からしてみればとても大事なことだ。
それでも女の人にとってその思考はあまりにも狂気でしかない。
故に少年の行動を理解することは不可能と『理解』してしまったのだろう。
やがて抵抗する力が弱まり脱力したことで、少年はゆっくりと漆黒の剣を引き抜いた。
「……だから、すぐに殺すべきだったんだ。また俺は間違えた」
「ぅ、くっ……」
「……泣かないで下さい。俺が悪いように見えるでしょ」
そんなことを言う少年の顔はこの状況にも関わらず気遣いに満ちている。
悲しそうに女の人を見るが、その心に助けるという気持ちがあってもその行いが『殺して痛みから解放する』というものである時点でどれだけの狂気を孕んでいるかというのは他人にだけわかることだ。
「あなたは……狂ってる」
「……」
「ただ、被害者面したいだけでしょ……?」
「……は」
「今のあなたは……本当のあなたなの?」
「――――」
だからそう告げる女の人の言葉に少年は驚きと困惑を隠せないでいた。
本当の自分……それがどんなものだったのか、つい先日まで自信満々に告げることが出来たはずなのに、今は思わず言葉に詰まってしまった。
「もうわかんないよ……そんなの……それに俺は、俺も……被害者だ」
でも、だから何なんだ。
被害者面ではなく、正真正銘の被害者だ。
好きでやってるわけじゃない。
ただ、悪魔によってこの行動を強制されてしまっているだけのこと。
だって、もしもこれでも被害者面しているだけだと言われるのなら……あの時悪魔にそそのかされ軽い『選択』をしただけで、加害者になってしまうとでも言うのか。
……だけど、狂っていると言ってくれるのはむしろ嬉しいことなのかもしれない。
だって狂っているのなら、それはそれでこの行いが正当化されるような気がするから。
「……多分、狂ってるんだと思います。でもそれで何かが変わってくれるわけじゃない。俺がやらなきゃいけないことは、変わらない」
だからその全てを受け入れる。
女の人はもう少年に優しい目を向けてはくれなかった。
「あなたには……いつか、天罰が下るわ」
「――くはっ! ……そうですか」
そしてこんな時でも天使らしい言葉を吐き捨ててくるから嘲笑うように嗤って見せて、でもすぐに偽りの表情は無へと還し紅い瞳が煌めいた。
「ならその神サマすらも……殺してみせますよ」
ぎゅっと目を瞑る女の人の死期を目の前で感じ取りながら、横に構えた腕を――振るう。
視界は全て血飛沫で覆い尽くされ吊り上がる口角に合わない歪な涙を流しながら……少年は力無く倒れる女の人の死体を呆然と見続けていた。
――
そんな『俺』の姿を、俺自身が遠目で見せられ続けている。
幼い俺がしてきた新たな事実に俺の心が耐えきれるはずが無くて、両手で顔を覆い尽くし、指の隙間から覗く瞳の揺らぎを押さえ付けることなど出来なかった。
「……ちがう」
何度も、何度も反芻した言葉を今回もまた溢し続ける。
「俺は……俺はっ、こんなこと……!」
だが幾ら否定しても、この光景を見た俺の記憶には確実に当時の俺の姿が鮮明に映し出されていて、これが事実であるということを否が応でも突き付けてきた。
ラックスさんを殺して、その後すぐに俺のことを助けようと手を伸ばしてくれた優しい人すらも……俺は殺したというのか。
善人を何人も……いや、今も尚エウスが生きている以上俺の知らない所で66人は確実に殺したということになる。
何が……【断罪】だ。
こんなの【断罪】なんかじゃない……こんなの、裁かれるべきただの殺人者でしかないじゃないか。
そんな俺があの教会で一緒に笑っていて良いはずがない。
真っ赤に汚れこびり付いた手で子供たちと触れ合っていたのかと思うと、猛烈に吐き気が込み上げて仕方が無かった。
「俺が幸せになっていいの? メビウス・デルラルト」
「――――っっ!?」
自問自答を繰り広げようとした俺の正面から、聞き覚えのある声が聞こえる。
顔を覆っていた手を離し前を見ると、先程まで死体を見続けていた『俺』がいつの間にか俺の方へと振り向いていた。
「たった一人の妹のためにたくさんの人を殺したんだ。女も子供も大切な人も当たり前のように殺すことが出来る天使性を、俺自身が持っているんだよ? いつか……教会の人も全員殺しちゃう未来があるかもしれないね」
「俺はっ……そんなこと……!」
「断言、出来ないでしょ。当たり前のことなんだ。だって俺はこんなにも頑張って助けた妹のことすら、今では忘れたフリをして三番街に残り続けてる。今度は三番街を助けるべき人たちに設定して同じことを繰り返してるんだ。だったら……もしかしたら未来では、三番街のことを忘れて別の人を助けてることだってあるかもしれないじゃないか」
「わ、忘れてなんか……! 俺は、今自分に出来ることを……」
「自分に嘘を吐かないでよ。俺が堕落していることを、俺自身が認めるべきだ。堕落した選択を常にしてきていることを、俺自身が……よくわかっているはずだろ」
「――ッッ!!」
「アルカさんやラックスさん……そして今も、大切な人だったはずのアルヴァロさんを他人のために殺した。そんな俺の何処に、家族を殺さない確証があるんだろうね」
目の前にいるのも俺なのに、俺にはコイツが酷く歪んでいるものに見えて仕方が無かった。
だが『俺』の言う言葉を否定するための言葉を俺は一つも持っていなくて、そして自覚もしているからこそ『俺』から逃げるように後退りし足に力を籠めている。
だが身体は思うように動かない。
それはこれが夢だということを表していて、だからこそ夢の世界に呑まれないようにと意識することで精一杯だった。
これは夢だ、現実じゃない。
『俺』が言ってる言葉も全て偽りなんだ……!
「違うね。その思考も全て、自分を甘やかすための言い訳に過ぎない。いつだってそうだったでしょ。俺は昔からいつも、自分を正当化するための理由を探してた」
「ち、ちが……」
「自分の間違えた選択が正しいものであったのだと思い込みたかったから、俺は単なる人殺しに言葉を被せて――」
「違うっっ!!」
「違わないでしょ」
どれだけ叫んで『俺』の言葉を途切れさせようとしても、『俺』は俺に不敵な笑みを浮かべるだけだ。
もう、止めてくれ……俺にこれ以上、本当か嘘かわからない言葉を吐かないでくれ。
否定しなければならないのに、それが真実だと思ってしまいそうになる。
自分に言い聞かせるみたいに口を動かさなければ、途端に狂ってしまいそうになる。
「俺はいつも、大切な人が平穏な日々を過ごせるために……」
「……くはっ! 大切な人が、ね」
俺はどんな時でも、その日々を過ごすことが出来るようにと必死に頑張ってきた。
なのにそれを一番理解しているはずの『俺』はそれでも俺を見下すように嗤って見せて。
「本当にそう思ってるのなら、相変わらず俺は本当に矛盾してるよ。だってそうでしょ。平穏な日々を過ごすためにはどうするべきなのか。どうしなければならなかったのか……俺は、わかっていたはずなのに」
「なにを……」
困惑すると同時に『俺』の言葉を受け言いようのない焦燥感を感じながらも、なんとか自分を慰めるための言葉を探すが……その考えすらも掻き消すように『俺』は悪魔みたいに口角を吊り上げて。
『また――選択を間違えたね』
俺を嘲笑い、金色の瞳を輝かせていた。
視界が――暗転した。
――
わかっていたはずだ。
寝れば……最悪な現実を突き付けられるということは。
「~~~~ッッ!!」
なのに俺は寝てしまって、またこうして大粒の汗を流しながら勢いよく身体を起こす。
「大丈夫?」
「――ひっ!?」
だが一つだけこれまでと違ったことは、部屋にいるのが俺だけじゃなかったことだ。
目を覚まし身体を起こした瞬間視界に映る一つの影と声が俺の内に宿る恐怖を再熱させて、反射的に怯えた目で影を見た。
「ル、ナ……」
「……大丈夫?」
だがそこにいたのは、伸ばした俺の足に跨り小首を傾げながら俺を見るルナだった。
荒れる息をどうにか呑み込むよう努力しながら、自身を落ち着かせる意味も籠めて揺らぐ瞳をルナへと合わせる。
「どうして……」
「シロカミがずっとうなされてたみたいだったから。だから……だから、えっと……こうしたいと思って」
「ああ……そっか」
心配、してくれたのか。
やはりまだ自分がどんな感情を抱いているのかを言語化するのは難しいみたいだけど、それでもルナなりの心配が今の俺には心地良く、ほんの少しだけ心を落ち着かせることに成功する。
恐る恐る視線を横へと向けると、視界には警戒心など欠片も無いと感じ取れる程にすやすやと寝息を立てながら教会のみんなは眠っていた。
その光景に、今度こそホッと安堵の息を吐く。
起きて……俺を心配してくれたのがルナで良かった。
きっとセリシアや子供たちだったら……今の俺が抱く感情を吐露すれば必ずその行いを止めようとするだろうから。
「ごめん、心配掛けさせたよな……ただ最悪な悪夢を見てただけだ」
「あくむ?」
「ああ……ルナは見たことないのか?」
「うん」
羨ましく思うと同時に、悪夢を見るような人生を送っていなくて良かったとも思う。
ともあれこのままここで二度寝を行うという考えを今の俺はもう持っていないから、ルナと話すのもほどほどで無ければならない。
……やっぱり自分で街の警備をしないと駄目だ。
セリシアや子供たちはきっと朝起きた時に悲しんでくれるんだろうけど……でも、俺が行かなきゃ駄目なんだ。
それに悪夢を見ていたから身体は暑くて相変わらず身体から流れる汗が止まる気配は無いから、夜風に当たることで幾分かこの不快感を解消することも出来るだろう。
ルナと話したおかげで荒れていた心が落ち着いてくれたし、出て行く前にちゃんとルナにはお礼を言わなきゃな。
「ルナ……――っ?」
……ただそこで、ふとルナもそれなりの汗をかいていることに気付いた。
「……あ?」
……違和感がある。
別に悪夢を見た奴だけが寝汗をかくわけではないから、汗をかいているのがルナだけだったら特に何か思うことも無かっただろう。
だが先程俺は確かに見たのだ。
眠っている教会のみんなもまた、少しだけ不快そうに視認出来るぐらいの量の汗をかいていたことを。
……寝る前は。
いや少なくとも猛暑日で無い限り、日の出ていない時間の温度の上昇量など限られている。
俺がこの世界に来てから、多少の増減はあるがこの世界の気温はほぼ一定だった。
それは俺が寝る前までも同じで、決してこの場にいる全員が可視化出来る程の汗を流すような気温ではない。
なのに現実として気温が上がっていることをこの場にいる全ての生物で証明してしまっている。
つまり俺のこの身体の暑さは悪夢によって引き起こされた一時的な体温の上昇によるものではないということを示していた。
「……っ?」
違和感はある。
だが世界が決める気温だけであるなら、思うことはそれだけだ。
窓を開ければその暑さも変わる。
そう思って、俺はみんなを起こさないよう注意しながら立ち上がり、窓を隠すカーテンをそっと開いた。
「――――は?」
だが口から零れたのは――何の感情も乗らないただの絶句だった。
けれど視界に映る『世界を覆う程の赤い揺らぎ』が何なのかを理解していくに連れて俺の瞳は大きく開かれ、半開きの口元が静止も利かずに震え続ける。
「……嘘だ」
嘘じゃない、現実だろ。
「……うそだ」
紛れもない、忘れることなんて出来ない光景が今、目の前にある。
「~~~~ッッ!!」
「シロカミ――」
それを認めたくなくて、まだ夢の中なんじゃないかと思い込みたくて、俺は先程まで意識していたみんなを起こさないという配慮すらも忘れて勢いよく扉を開き外に出た。
一階に降り礼拝堂から外に出て、視界が――広がる。
「ぁあ……ああ……!?」
そこは――火の海だった。
いや……正しくは教会の外が、だ。
教会にはまだ結界が張られているからか火の粉一つ敷地内には入って来ていない。
だがもしこの結界が破壊されたらどうなるのかを……俺が一番よく知っている。
そして……どうしたらこの結界が破壊されてしまうのかも。
「嘘だ……嘘だうそだうそだうそだっ……!!」
呼吸すらままならない程に全力で地を蹴って、三分も掛からずに三番街へと到着した。
肩で息をしながら俺は必死に瞳の焦点を目の前へと合わせる。
「――――――――」
……わかっていた、はずだ。
ベルゼビュートは一夜を寝て過ごすことすら許してはくれない。
それに悪党がどんな時に平穏な日々を奪おうとするのか……俺はずっと、わかっていたはずだろ。
なのに、なのに俺はまた、また甘えて……大丈夫だろうと高を括って……その結果がこれだ。
三番街には狼煙が上がり、数多の怪物の咆哮と人々の悲鳴が混ざり合って中央広場は戦場に満ちている。
「また、俺は……また俺は、同じことを……!!」
両手で自身の頭を掴んで涙を流し、自分をどうにかしたい欲求に駆られながらもこの現実を受け入れなければならない事実に心が壊れてしまいそうになる。
でも、まだ希望があるだけマシなんだ。
まだきっと誰も死んでいないはずだから、この後悔をどうにかするだけの猶予を俺はベルゼビュートによって与えられているのだと本能でわかった。
だから、大丈夫。
たとえ限界でも死ぬまで命の灯火を照らし続けなければならないというのなら、そうすることこそが『変わらない』ことだと思うから。
「……」
俺は腕で涙を擦り落として、両腕に雷の魔力を籠める。
そして一歩足を踏み出して……逃げたくなる現実から、立ち向かうことを今決めた。
――
平穏な日々を過ごすはずだった一室で。
「ん、んぅ……シロ、兄……?」
目を覚ます一人の少年の姿に、気付けないまま。