第14話(11) 『平穏な日々を過ごす権利は』
セリシアの考えていることがわからない。
いや……そもそも俺は今まで、セリシアが何を考えているかを考えたことがあっただろうか。
いつも俺はセリシアならこうする、こう思うだろうって……そうやって自分の価値観でセリシアを評して行動してきた。
でもそれは全て正解で、事実セリシアや三番街を正しい未来に進ませるための手助けになれているから、俺はこれまで彼女が何を思っているかの興味を持っていなかったのかもしれない。
だが今は……いや、ここ最近は。
俺の価値観がセリシアの抱くものと合っているかがわからなくなって、だからこそようやく興味を抱くようになっただけなのだと思う。
でも結局、どうしてセリシアが自分の異性への耐性の無さとそれに伴う羞恥心から逃げずにこうしてずっと俺の傍に居ようとするのかが、俺には理解出来なかった。
「私、眠れなくて……ですがメビウス君と二人のお話を聞いていて、私まで楽しみになってしまいました。運動、会……? とても良い案だと思いますっ」
「……この世界にはそういう行事とか無いのか?」
「そうですね……少なくとも私はそういった行事は聞いたことがありません。あ、ですが【帝国】には冬に一度『聖誕祭』という帝国主催の大規模なお祭りがあるみたいですよ」
「へー……そりゃ何とも面白そうな行事だな」
彼女が何を考えているのかわからないから、俺も漠然とした感情のままセリシアとの会話を続けている。
寝るパオラを間に挟んで手を重ね合う俺達の姿は何とも誤解を生ませそうなものだが、実際にそうしている俺達の心情は決して浮足だったものではなかった。
「運動会をやる時が来たら、私、腕によりをかけてお弁当を作りますよ。無礼講ということで聖女という肩書関係なく、街の皆さんにも是非楽しんでもらいたいです」
「そうだな……みんなで笑い合って、きっとあっという間だったって思えるような一日になるさ」
「ふふっ……想像しただけで心が温かくなってしまいますっ」
顔を綻ばせるセリシアを見るだけですぐにでも準備を始めたいという気持ちになる。
でも……そうはならない。
現状の三番街は平穏とはあまりにもかけ離れているから、これはあくまで妄想上の戯言でいとも容易く片付けられてしまうものでしかない。
だからこの暖かな会話が、あまりにも生産性のない空虚なものだと感じている。
それはきっと……お互いに。
本当はもっと言いたいことがあるのに互いに気を遣っているからこそこんな中身のあるようで無い会話をしてしまってるんだ。
「……」
「……」
でも、それを変えるつもりはない。
というより、セリシアの本当の想いを知るのが怖い。
セリシアが何を思っているのか興味があっても未だ暴こうとしないのは、きっと暴いたことでこの関係が崩れてしまうのが怖かったからだ。
「……メビウス君」
「……!」
だがもしかしたら俺と違い、セリシアはそう思っていないのかもしれない。
俺の名前を呼ぶセリシアの声で俺はビクリと肩を跳ねさせる。
「今日一日教会で過ごして、どうでしたか?」
「は……?」
だが何を言われるのかと身構えた所で、セリシアから問われたのはそんな言葉だった。
思わず呆然としつつも、そこで改めて今日一日を思い出す。
……そういえば結局ヨゾラに連れて行かれてから日が昇ったから、確かに三番街に戻ってからの俺は今日一日のほとんどを教会で過ごしていたことになる。
教会で過ごしていたにしてはほとんどの時間を一人籠って過ごしていたから、言われるまで実感というものを感じていなかった。
教会で過ごした中ではっきりと感情が芽生えたのはカイルが懺悔室に来てからの時間だけだ。
そう考えれば……そうだな。
「……こんな日々がずっと続けば良いなって思ったよ。これから先も、ずっと」
「なら……明日も、皆さんに『おはよう』って言ってくれますか? ……今までのように」
「――――」
そういう……ことか。
セリシアが俺の手を握る理由がようやくわかった。
これはさっき話した【聖痕】を通しての約束の続きだ。
寝るのに未だ外着な時点で当然のことではあるが、俺がまたこの教会を出ることを見越して、約束という言葉で俺をここに繋ぎ止めようとしてくれているのだろう。
羞恥心や様々な感情を押さえ付けてでも、ただ……俺のためだけに。
「……誰もそんなこと求めちゃいないだろ」
だがそれなら……明日わかってしまうことに嘘は吐けない。
だから俺は多分初めて……ほんの少しだけセリシアに本心を曝け出した。
「元々さ……こうやって教会で寝させてもらってること自体、良くないことなんだよ。たとえみんなが優しくて部外者の俺のことを受け入れてくれているとしても、本部の連中の言っていることが正しいって今では思う」
「……どうして、そう思ったんですか?」
「それは、だから本来……」
「初めて会った時のメビウス君は、むしろ受け入れてもらおうと頑張っていたはずです」
「……っ」
「頑張って、街の皆さんからも受け入れてもらえて……私、自分のことではないのに胸が温かくなって、とても嬉しかったんですよ?」
「……」
「なのに、どうしてそう思うようになってしまったんですか?」
そりゃ……思ってたさ。
もちろん最初はただ無償で衣食住を得るための手段のために頑張っていた。
でも今はこの場所が大切で……だからこそ一度全てを失わせた俺が何食わぬ顔で居て良い場所じゃないって気付いたんだ。
だがそれを言った所でセリシアには訳がわからないだろう。
俺の想いを理解出来るのは本人である俺と……そしてベルゼビュートだけだから、だから俺はこれからも心に蓋をし続けなければならないのだ。
「メビウス君」
故に言えない。
なのにセリシアはその蓋を開けようと躍起になってくれている。
絡めていた指を解き、今度は俺の片手を両手で包み込んでいた。
すると俺の手のひらが淡く光って、【聖痕】を通じて疲れを癒すような柔らかな熱が身体へと伝わってくる。
セリシアが何かしているわけじゃない。
これはきっと、セリシアの気持ちを俺の【聖痕】が俺に伝えようとしてくれているのだ。
「平穏を過ごす権利は、全ての人にありますよ。もちろん……メビウス君にもです」
「……!」
「ご飯を食べる権利も、睡眠を取る権利も、誰にでもあるものなんです。もしもこんなにも頑張って、傷付いて、それでもこうして子供たちに微笑んだ顔を見せることや人の気持ちを思いやることが出来るメビウス君にその権利が無いという人がいるのなら……私がその人を怒ってみせますっ」
「――――」
……やっぱり君は何もわかってないよ。
君がそうやって俺に優しい言葉を掛けてくれる度に、俺はもっと頑張ろうって思ってしまうんだ。
けれど同時に……君の言葉だけは、いつだって俺の心を照らしていた。
ぼんやりとした淡い光に照らされたセリシアの顔は……とても綺麗だった。
「ははっ……そしたら、君に怒ってもらおうかな」
自分でも驚くくらい正直な言葉を口にした。
それと同時に心が正直になったからか身体の方も素直になって、身体の力が抜けていくのがわかる。
【聖痕】が伝える熱が俺の疲れを眠気へと変えて、瞼が徐々に重くなっている自覚があった。
「……! ……はい。そうしたらメビウス君も、少しは安心出来ますよね……?」
「うん……そしたらまた君と、みんなと……平穏な日々を、過ごせるだろうから……」
「……はい」
今日だけ……今日だけだ。
教会も三番街も、本部の聖神騎士団が総出で守ってくれている。
だから今日だけ、みんなの想いに応えても良いのかな……
「なあ……セリシア……」
「……はい」
「俺……君の力に、なれてるかな……」
「……!」
自分がセリシアに何を言ったのかが脳に入って来ない。
思考じゃなく口からだけで出た言葉にセリシアがどう返答したのかの記憶も定着しないまま、俺のまどろんだ意識はゆっくりと闇の中へと落ちていった。
「おやすみなさい……メビウス君」
ただその慈愛のような言葉だけは、はっきりと聞こえたような気がしたんだ。