第14話(10) 『川の字になって』
……落ち着け。
別に焦ってるわけでも緊張しているわけでもない。
言葉を並べれば並べる程虚言にしか見えなくなるが、割とマジで焦ってなどいないのだ。
「シロ兄はこっちで寝ればいいじゃん! パオラは聖女様と寝なよ!」
「なんで……!? 私だってお兄さんと一緒に寝たいもん……!」
「はいはい、はしゃぐ気持ちはわかるけど二人共騒がないの」
「まってまって! リッタもシロお兄ちゃんといっしょにねたい!」
「三人に増えちゃったよ……メイト兄~」
「ん」
俺の隣に寝る権利を巡ってカイルとパオラによる論争が巻き起こり、それを呆れながら仲裁、加えてリッタの追撃を受けメイトに助けを求めるユリアたちの姿を眺めながら俺は一人思考の海に身を沈めていた。
「……」
「~~~~っっ!!」
それは偏に、俺の横目に映るセリシアが布団の上で座り込みずっと硬直してしまっているからだ。
……流石にやめた方が良いだろ。
明らかに無理してるじゃないか。
異性に手を触れられることすら最初の頃は無理だったのだ。
長い月日を掛けて俺との接触はほんの少しだけ耐えられるようになってきたとはいえ、いきなり同じ部屋で一緒に寝るのは積み上げるべき過程を大きく踏み越え一気にハードルを上げ過ぎてしまっているだろう。
たとえカイルやパオラの想いと同じように俺を引き止めるための方法の一つがこれだとしても、君がそこまでする理由としてはあまりにも小さすぎる事柄だ。
「聖女……大丈夫?」
そんなセリシアのあからさまな態度の変化はルナでさえ気付いている。
この場にいないのは傷を癒すために深い眠りに落ちてしまっているテーラだけで、いつも子供たちが使っている大部屋にルナ含め俺達は寝床を共にしようとしていた。
ルナの心配の言葉を受けセリシアは改めて自分の染まる頬に両手を当て苦し紛れの笑みを浮かべる。
「だ、大丈夫ですよルナちゃん。私が自分から受け入れたんです。聖女として、その責任はしっかりと成すつも――」
「あのね、聖女様がお兄さんの隣で寝るに決まってるでしょ? 全く、お子様は何もわかって無いんだからぁ」
「~~~~っっ!!」
「……マセガキ」
……これじゃ埒が明かない。
案外もう明かりを消して布団に潜ったら解決したりするのだろうか。
正直俺としては最早この光景を俯瞰して見れているだけで満足で、誰の隣であろうと全くもって構わない。
窓から照らす月明かりのおかげではしゃぐ子供たちをしっかりと俺の目に焼き付けさせてくれていて、布団の上で胡坐をかきながら見る景色としては充分過ぎるものだった。
むしろ寝なくてもいい。
ずっとこの光景が続いてくれたって構わない。
そう思うから、俺はある程度の解決策を思い付きつつもこの状況を静観し続けていた。
まあそんな俺とは異なり、セリシアの心情は決して静観出来るものじゃないだろうけど。
助けた方が良いんだろうがこの状況を決めたのはセリシア本人だし、余計なことを言ってしまうかもしれないからやっぱり助け船を出すことは出来そうにない。
だがそんな子供たちの可愛らしい言い合いを俺と同じように見続けていたメイトは、ため息を吐きながらジトっとした目をユリアへと向ける。
「ユリアもはしゃぎ過ぎ。どうすれば二人が納得するのかもう気付いてるんだろ」
「え~? もう言っちゃうの? つまんなくない?」
「聖女様を困らせちゃ駄目だ。それに年長のボク達が場をかき乱すのは違うだろ」
「メイト兄は真面目だねぇ」
飄々とした態度でメイトの叱りを躱すユリアだが、あくまでメイトの意見を受け入れるつもりではあるようだ。
そのまま投げ出したように俺の方へと倒れ込み膝に頭を乗せ甘えるユリアを尻目に、メイトは未だ言い合い中の二人へと声を掛けた。
「そんな言い合いする程のことでもないよ。師匠を中央にしてカイルとパオラで挟めばいいだけだ」
「……確かにそうじゃん!?」
「そ、そっか……!」
「リッタには悪いけど、いつものようにボクと寝よう」
「うんっ! いいよー!」
「ホントに聞き分け良いね。ありがとう」
メイトの言葉を受け二人もようやく気付いたみたいだ。
先程までの言い合いは何処へやら既にいつもの仲の良い笑みを浮かべ合っている二人やメイトとリッタの関係に内心微笑んでいると、俺の膝を枕に横になっているユリアが手を上げる。
「はいは~い。聖女様はどうするんですかぁ~」
「……聖女様はやっぱり聖女様だから、出来るだけ気を張るようなことがないようにルナ姉を隣にして寝ればいい。その隣にユリアだろ」
「だめだめ!」
「なんで」
「メイト兄はわかってないなぁ。聖女様はお兄さんの近く! パオラの隣! 私とメイト兄が一番端っこが最適解だよ。嫌よ嫌よも好きの内! ちゃんと女心をわからないと駄目だよメイト兄!」
「い、意味がわからない……」
メイトはユリアの言い分に困惑しているが、当然そんな女心など俺にだってわからない。
当たり前だが、そんなユリアの言葉を聞いてセリシアは完全に委縮してしまっていた。
「……」
流石にそろそろ助け船を出すべきか。
別にセリシアに負担を強いたいわけではないから、子供たちが自分で考えて結論を出せたのであれば俺が口を挟んでも特に非難が出ることはないだろう。
「なあ――」
「あのっ!」
だからそろそろこの不毛な議論を終わりにしようと口を開いた所で、不意にそれに被さる声が出る。
ほぼ同時だったのに加えて俺の声量が小さかったのもあって恐らく俺の声はかき消されてしまったのだろう。
全員の注目がその声の主セリシアへと集まると、セリシアはきょとんとしている小柄なルナの背に隠れ注目を分散させながらも精一杯声を張り上げて。
「わ、私! ユリアちゃんの提案に賛成ですっ!」
明らかに無理をしているであろう言葉を、またみんなに周知させていた。
……だからなんでそうなる。
セリシアの考えていることがもう俺にはわからなかった。
だが彼女がそう言う以上この世界に存在する全ての生物はそれに苦言を洩らさない。
それは当然俺もで、君がそう言うのならと心の中で受け入れるしか無かった。
「いたっ」
とりあえずユリアのおでこに、デコピンをお見舞いしつつ。
――
大部屋に八人分の布団を並べ、左からユリア・ルナ・セリシア・パオラ・俺・カイル・リッタ・メイトの順に川の字になって横になる。
この順番を許可したセリシアはユリアの言葉を意識してか完全に俺に背を向けてしまっているが、そんなセリシアとは対照的にこの並びを誰よりも望んでいたカイルとパオラは眠そうにしながらも必死に俺へと言葉を紡ごうとしていた。
「俺実はこの教会の中で一番足速いんだよ! 足の速さだけはメイト兄にだって負けないんだ!」
「そうなのか? だったら教会どころか三番街の子供たちの中でも一位になれるかもな。今度かけっことかしてみたらどうだ?」
「か、かけっこしようなんて言えないよ……一応俺10歳だし。あと三年で大人なんだ」
「13で大人って……まあでも、今は子供だろ。誘いづらいんだったら俺が主催して大会という体でやってもいい。セリシアたちと弁当作って観戦出来るようにしてさ、運動会みたいな感じで応援し合うんだ。そしたらお前も何の気概もなく参加出来るだろ?」
脳死で思い付いたことを言ってみたが我ながら名案なような気がする。
三番街を駆け回っていた時にかなり広い開けた平原があったから、そこであれば軽い運動会のようなことは出来るはずだ。
頑張り、一喜一憂する子供たちをセリシアや街のみんなと一緒に応援する。
昼時には地面にシートを敷いて、用意したお弁当を食べ合って子供たちによる感想を聞く。
そんな妄想をするだけで、瞬時にみんなやセリシアの微笑みを想像することが出来た。
それはカイルも同じだったらしい。
俺の提案に目を輝かせながら前のめりに顔を出していた。
「面白そう! やりたいやりたい!」
「カ、カイルだけずるい……! お、お兄さん……運動以外は何かない?」
「ん、確かにみんながみんな対決したいわけでもないか。ただ二分割にすると観戦が割れて全部見れなくなっちまうからそこは要調整するしかないな……であればどうするか……」
「どうせかけっこ以外はパオラが勝つんだから良いじゃん~!」
「……ん?」
「そ、そうかもしれないけど、対決なんてしたくないもん……ねぇお兄さん、せめてみんなと一緒に出来る奴がいい……」
「……え?」
なんか今有り得ない事実を聞いた気がするんだけど。
ただカイルが気遣っただけなのかと思ったらあの大人しいパオラがそれを肯定しているし、単にカイルがかけっこ以外苦手なだけなのだろうか。
……あのやんちゃぶりを見てそうは到底思えないけど。
いや、もしかしたら二人共寝ぼけてるのかもしれないな。
「た、確かに『運動が苦手』なパオラならそう思うのも当然だな」
「……? パオラが運動苦手なわけないじゃん。あ、でもそっか。シロ兄は見たことないのか」
「や、やめてよぉ……」
「パオラは凄いんだよ! 木と木をびゅんびゅん飛び跳ねちゃうんだ。今度シロ兄も見せてもらいなよ! こう、空中でくるくるくる~って回りながら着地することも出来るから!」
「……マジ?」
敢えて『運動が苦手』を強調してみたが結局カイルが訂正することは無く、更には信じ難い事実まで判明してしまった。
本気で言ってるのか……?
カイルの言葉が誇張されたものであると信じたいが、もしもそれが紛れもない事実だった場合、パオラは天使である俺よりも身体能力が高いということになる。
いや身体能力が高いだけで出来ることではないだろう。
たとえどれだけ能力が高くとも木と木とを飛び跳ねるとか回転しながら着地とかはどれだけ才能があっても一発勝負で出来ることでは無いはずだ。
そう思い、思わずまじまじとパオラを見てしまうがパオラは幼いくりくりとした瞳と内気な表情で俺と目を合わせているだけだ。
相変わらず寝ている時も被っている身体に合っていない帽子が目を惹きがちだが、やはりこんな子がそこまでのフィジカルを持っているとは思えない。
でもカイルが嘘を言っているとは微塵も思っていないため本当にそれだけの身体能力を持っているのだろう。
パオラが自主的にそういったことを率先して練習するとは思えないし、そうなると……いや。
理由なんてどうでもいいことだ。
どうしてそれだけの身体能力を大人しい女の子が有しているのかを興味本位で聞くのは絶対にあってはならないことだと理解している。
故に言いたい言葉を呑み込んで誤魔化すように笑みを浮かべていると、カイルがぶっきらぼうに言葉を続けた。
「全部ユリア姉のせいだよ。ユリア姉が大人ぶるから、パオラも真似しちゃうんだ」
「お、お姉ちゃんは悪くないもん……」
「まあ、遊び盛りのカイルにはそう見えちゃうよな」
俺が見てきた限りメイトはカイルに構ってやれているが最年長として最年少であるリッタのことを見ていなきゃいけない以上、どうしてもカイルに割く時間は減ってしまう。
ユリアやパオラも激しい遊びについて行くようなタイプでは無いから、必然的に手持無沙汰になり子供たちではカイルを満足させることは不可能だ。
子供たちには大人びた姿を見せるユリアはカイルと馬が合わない。
だからこそパオラの運動神経の高さを買って同時に仲も良いからこそカイルは自ら大人しくしている道を選んでいるパオラに不満を抱いているのだろう。
それは普通だったら、我慢して我慢して……そうしていつか爆発してしまう事柄なのかもしれない。
子供だし、一人だけ思う存分生きることが出来ないもやもやを自分自身で消化することが出来ないのは仕方の無いことだ。
……でも、カイルだからな。
「でもそれで良い! だから俺はパオラよりも凄くなって、この教会のてっぺんに立つんだ! そしたらパオラも自慢出来なくなるからね!」
たとえどれだけ身体能力が高くてそれを活かすべきだと誰もが思ってしまったとしても、それを活かさず好きなことをパオラはして構わないって、そう家族のことをカイルは想うことが出来るから、俺は何も心配なんかしないのだ。
「他になにで自慢したらいいかな……?」
「何でも良いじゃん! ほら、パオラって小さなことをたくさん気付いてくれるだろ? みんな感謝してるんだ。俺達みんなパオラのこと自慢出来るし!」
「……うんっ。私もカイルのこと自慢出来る。いっぱい手を引っ張ってくれる所とか……」
「そんなの当たり前だし!」
「当たり前じゃないよ……!」
「……ははっ。はいはい、ストップだ」
つい先程まで褒め合った微笑ましい光景だったというのにまた言い合いに発展しそうになるという子供特有の早過ぎる日々の進みに笑ってしまいながらも、中間に寝る俺が二人の頭を傍に寄せることで強制的に言葉を止めた。
……そろそろかな。
そのまま温もりを与えるままに、興奮させないよう意識しながら柔らかな声で会話を続けた。
「――――」
「――――」
「――――」
妹をよく寝かしつけていたから子供を眠らせることに関してはそれなりに得意と自負している。
それに加え本来なら既に寝ている時間なのもあって、カイルとパオラから発せられる言葉は徐々に拙くなってきていた。
「でね、で、ね……?」
「おにい、さん……」
「……ああ」
会話だって体力を消耗するのだ。
数分ほどそのまま二人と話していると、徐々に瞼も重くなってきている姿に思わず笑みを溢してしまう。
「……」
そして笑みを溢してすぐに、パオラの瞼が完全に閉じられた。
小さな寝息が聞こえてくると途端にカイルの瞼も露骨に重くなって、これはすぐにカイルも寝るだろうなと思い刺激させることなく無言を貫いてみる。
だがどうしてかカイルはそのまままどろみに身を委ねようとはしなくて、ぼーっとしながらもゆっくりと口を開いた。
「ねぇ……シロ兄……」
「ん……? ……どうした?」
「何も言わずに、いなくなっちゃ嫌だよ……?」
「――――」
それだけ言ったかと思えば、カイルは緊張が解けたのかその後瞼が開くことは無かった。
……そうか。
どうしてカイルとパオラが一緒に寝たいと思ったのかをようやく理解した。
事実それを証明するように、カイルとパオラは寝ながらも決して離さないように俺の漆黒の上着の裾……外着のままである裾を掴んでいる。
俺が今も尚外に出る機会を伺っていたことを子供特有の理由なき勘の良さで見抜いてたんだろうな。
俺がこれ以上疲れないように。
少しでも休む時間を作れるようにと、不安ながらも勇気を出したに違いない。
「あー……」
混ざり過ぎて大きくなり過ぎて、心の中に留め切れない分の感情を息と一緒に吐き出した。
心が弱ってるからかこんなことでも幸せ過ぎて泣いてしまいそうだ。
……みんなを、失いたくない。
その気遣いが、この小さな幸せが嬉しくて堪らないから、俺はどうするのが正解なのかわからなくなってしまいそうになる。
でもこの感情は間違いだ。
大切なのは一時的な幸せよりも、この先もずっと平穏な日々を過ごすことが出来るようになること。
失いたくないからこそしなければならないことがあると思って、俺は起こさないように細心の注意を払いながら起き上がるべく二人の手をそっと解いた。
――だが解いた瞬間、その俺の指に絹のような透明感のある別の細い指がそっと触れる。
「……え?」
軽く驚きながらパオラの方を振り向くと、そこにはいつからかこちらに向き直っていたセリシアが横になっていて、俺に触れた指を、躊躇しながらもほんの少しだけ絡ませた。
二重の意味で驚いた俺を前に、セリシアは羞恥で頬を染めながらも柔らかな笑みを俺へと向けて。
「眠る前に……少しお話しませんか?」
俺のやろうとしていたことを察したが故に、決して指を解くことなく俺をこの教会に引き留めようとし続けていた。