第14話(6) 『大丈夫だから』
多分、昨夜のことが無ければもしかしたら俺はテーラの語ってくれたことに対し困惑から入ってしまっていたと思う。
けれどテーラの言葉に思い当たる節があったから、俺は話の腰を折ることなく冷静に彼女の言葉を聞くことが出来ていた。
「うち多分、巨大な塔に転移したと思うんよ。外がかなりの高所だったからきっとそう。広い部屋の中心に転移して、そこには白い布を被った人がたくさんいたんや。生気が感じられなくて……動きを鈍らせるために部屋全部を氷漬けにしてみたけど、まるで無理矢理動かされてるみたいに迫って来てた」
テーラはそのまま言葉を続ける。
「素人みたいな動きやったけど、それでも相当な数に囲まれてたしずっと追われてたから……こんな傷だらけになっちゃった」
俺を安心させるために弱々しく笑みを浮かべているが、そんなテーラの気遣いが功を成すことは無かった。
一切変わることのない感情の渦を抑え付けながら、俺はテーラの情報をもとに思考を続けている。
テーラが見た者は、恐らく俺も出会った【聖隷】たちのことなんだと思う。
その塔に向かおうとしていたカルパディアはテーラのことを知らなそうだったから、テーラが転移してきたから大量の【聖隷】を待機させていたというわけでは無いはずだ。
だから多分、俺達があの墓地に行く以前から、その塔に大量の【聖隷】を配置させていたことになる。
なんでそんなことを。
カルパディアは一体何の目的でその塔に行こうとしてたんだろうか。
……いや、今はそんなことを考えたってしょうがない。
どんな目的があろうと、テーラを傷付けた張本人が【聖隷】という操られているだけの死体であった以上、俺の抱くこの憎悪はカルパディアだけに向けられるだけだ。
だけど、ほんの少しだけ疑問が残った。
テーラならば……テーラであれば、たとえどれだけの人数がいようとあんな雑魚にここまでのダメージを負うなんてことは無かったはずだ。
それこそ、全部殺してしまえば楽にその塔から脱出出来たはずなのだ。
「どうしてそいつらを……殺さなかったんだ?」
だから、心のままにそう問い掛ける。
俺からしてみても【聖隷】たちは弱過ぎた。
でも俺が【聖隷】を殺さなかったのは、あくまで俺の中に線引きを持つ【断罪】という信念があったからだ。
「そいつら全員殺せば、お前の綺麗な肌が傷付くことだって無かったはずだろ……」
けど、お前には無いだろ。
俺みたいな誰にも理解されない信念なんて……お前には無いはずだ。
殺されそうになったんだ。
だったらお前程の力があれば何の気概もなく【聖隷】たちを皆殺しにすることが出来たはずだ。
俺には気付けなかったけど、お前は相手の動きで【聖隷】たちが死人だと気付いていた。
死人であれば、現実として殺したことにだってならない。
それなのに、どうして。
「だって……その人たちは何も悪いことしてないやん?」
「――――!」
だがその疑問は、何の裏表もないテーラの言葉によっていとも容易く解決することになる。
「敵意も殺意も、何も感じなかったもん。きっと不本意なんやろうなって思ったんよ。確かに自分の言う通りずっと追われて、足止めに使った魔力も使い切って、傷付いて、仮眠も取れないような日々やったけど……それでその人たちが悪いことには、ならないもんね」
テーラは、まるで当たり前のことのように普通ではきっと考えられない感情で動いていたことを知った。
その想いに、思考に、俺はどうしようもない激情を抱いてしまう。
……自分を犠牲にしてでも、相手を思いやれるような奴はほとんどいない。
そういう考えを持つ奴は大抵ただの『自己犠牲』でしか無くて、テーラのようにただ単純に理由なく相手を殺す必要が無いという考えは、簡単そうに見えて生死を分ける戦場では非常に難しい思考だった。
「そう、だな……俺も、そう思うよ」
それでも、彼女は。
雑魚相手とはいえ何十日も大量の人間に追われ身体を切り刻まれているにも関わらず、それでも自分の考えを曲げなかった。
そんなこと、ほとんどの人間には出来ない事だ。
自分を軽視している奴以外は、誰だって自分の命が惜しいに決まってる。
テーラだって出来る限り危ない所を避けて長く生きたいと思っているはずだ。
そんなお前の考えは危うく、それでもとても尊いものだと思うのと同時に、やはりそんな優しい女の子を失わせてしまうかもしれなかった自分自身に怒りが湧いて仕方がない。
カルパディアも同じだ。
どうしてこんな優しい女の子に俺やカルパディア、ベルゼビュートのような極悪人がその尊い命を狩り取ろうとするんだ。
自分のことなのにその答えが出ることは無くて、ただただ歯噛みするばかりだ。
「……どう? 少しは自分の役に、立てたかな」
そんな俺の様子を伺いながら、テーラはそう言って俺に判断を委ねてくれる。
……黙っているのは簡単だ。
これ以上テーラに辛い思いをして欲しくないから、これまでと同じように俺一人で抱え込むことはきっと造作もないことだろう。
だけど、テーラはセリシアとは違う。
セリシアとは違い、自分で道を切り開くことが出来る才能がある。
きっと何も言わなくても、テーラは傷が癒え次第俺に手を貸そうとしてくれるのだろう。
また自分が痛い思いをしても、それでも俺なんかのために身を粉にしてくれるはずだ。
だからこそ黙っていたとしてもテーラならきっと俺の目的に辿り着いてしまうのは想像に容易かった。
故に、俺は隠し事をする選択をせず俺の持つ全ての情報をテーラに共有することにした。
「……今三番街では、セリシアを帝国に連れて行って別の聖女と交代させようって話が出てる」
「……!」
「セリシアの持つ【聖神の加護】が、あの遺跡の一件から弱まったみたいなんだ。……それだけならまだどうにでもなるけど、その主張をする司祭……カルパディアがセリシアを使って何かを企んでる。その証拠にお前が戻って来てくれたあの時、奴があの転移魔法陣を使ってその塔って所に行こうとしてた。あの場所を……あいつは、知ってたんだよ」
テーラの証言とカルパディアの行動から、その塔とやらに奴の企みの全てがあるはずだ。
既にその塔に向かうための転移魔法陣は破壊してしまったからすぐには行けないが、それでもテーラが教えてくれた情報は非常に有益なものだったと確信する。
やっぱり事前に奴の思惑を止めるためには、ずっと三番街に留まるわけにはいかないか。
思惑を悪党だけが知っている以上このままここで防衛戦をした所でジリ貧になるだけだし、何より戦いに勝利するためには根本から絶つことが重要だ。
その塔が何処にあるのかを見つけ出し赴き、目的を把握した上で【断罪】する必要があるだろう。
その情報を持って帰って来てくれたテーラには本当に感謝しかない。
だがその感謝はあくまで俺の一方通行故のもので、彼女にとっては感謝を受けるために持って帰ってきたわけじゃないのだ。
三番街より遥かに遠い場所で一人取り残されたテーラの心情は、決して良いものでは無かったに違いない。
「きゃっ!? わっ!? じ、自分……!?」
「……」
そんなテーラの心情に寄り添った時、勝手ながらそのあまりの苦痛さに共感した俺は心のままに労わるべくテーラのことを抱き寄せた。
驚き顔を赤くするテーラの声を聞きながらも、決してその身を離さずに心臓の鼓動を感じ取っていた。
「……怖かっただろ。腹が減って、痛くて、眠ることも出来なくて……すげぇ、大変だったはずだ」
「……っ」
「俺のせいだ」
「……違うよ。うちにも責任があるの」
「俺のせいなんだ」
もしもテーラが天使じゃなく人間だったら、きっと今みたいにはなっていなかったはずだ。
耐久力も生命力も劣る人間ではここまでの日数を生き続けることなど出来なかっただろう。
本当に彼女が生きていたのは奇跡なんだ。
ベルゼビュートの策略にまんまと乗って、テーラを俺の愚行に巻き込ませてしまった。
彼女に落ち度なんか万に一つも在りはしない。
彼女は俺を助けてくれたことしか無かった。
だからこそ俺はこれから先ずっと、テーラに贖罪を果たす必要があるんだ。
「だからもう二度と、お前を傷付けるようなことはしない。させない。これからはお前に頼らず俺一人でどうにかするから。だから……安心してくれ」
あの時……俺は一人でどうにかすることが間違いだと思って、テーラやルナに協力を求めてしまった。
でも、その行動自体が間違いだったのだとベルゼビュートによって気付かされた。
俺では、俺の広げた両手に抱えられるだけの数ですら守れない。
変わろうと思ってしまったが故のその行動がどれだけ大切な人を危険に晒す行いなのかということを、あの時の俺はまるで理解していなかったんだ。
だからもう……決めたんだ。
でもそんな俺とは対照的に、テーラは少しばかり辛そうに顔を伏せる。
「うちじゃ、やっぱり力不足やったかな……」
「ち、違う……! お前が力不足とか、そういうんじゃなくて……!」
ただ俺が何も成し遂げられない、堕落した天使だったってだけだ。
それにそもそもテーラが俺に手を貸す必要自体が無くて、お前にも平穏な日々を送る義務があることを俺は忘れていたんだと思う。
一緒に戦えると……三番街や教会を一緒に守ることが出来ると思ってた。
お前が強いからこそ、間違った考えを持ってたんだ。
だからその考えをもう二度と持たないように、きっちりと線引きをしなければならない。
故に俺はまた自分の顔に仮面を被せて、静かな笑みを浮かべて見せる。
「……ごめん。言い方が悪かったよな。何事もまずは傷が治ってからだろ? セリシアにも安静にするように言われてるはずだ。だからお前は何も気にせず自分の身体の回復のことだけを考えてくれって、そう言おうとしてたんだ。お前のことが、心配だから」
「……その顔」
「……ん?」
「どうして……自分はいつもそうやって嘘を吐くん?」
「――――」
そう思ったから仮面を付けて、テーラを不安にさせないような顔をすることが出来ていたはずなのに。
俺の予想とは違って、テーラはむしろ悲しそうに俺を見ているだけだった。
そして、何故かそんなことを言うテーラの言葉が俺の感情を揺らがせる。
「な、なに言ってんだよ……嘘じゃないって! ほんとに、お前のことを心配してて……」
「それが本当だってことはわかるよ。でも……自分自身に、いつも嘘を吐いてるでしょ。うちには誤魔化さなくていいんやで……? 辛いなら辛いって、そう言うことを誰も否定はしないんだから」
「ち、ちがう……」
「そんなにいつも無理して笑ってたら……いつか自分がどんな顔をしてるのか、わからなくなっちゃうよ」
「――――ッッ!!」
……わからない。
ちゃんと笑ってるつもりなんだ。
でもテーラの瞳に映る俺は俺の想像とは違って見えているのかもしれないと思うと、途端に顔を見せているのが怖くなった。
悲しそうな顔を向けられるのと同時にその言葉があまりにも図星だったから、今まで一度も剥がれなかった仮面の笑顔が今にも壊れてしまいそうになって俺は慌てて顔を隠して立ち上がる。
「そ、そう言えばセリシアに呼ばれてたんだった! 悪いけどもう行くわ!」
「自分……」
「よく食べてよく寝るのが今のお前の仕事だからさ! しばらくは俺みたいにぐーたら生活を満喫しててくれ! じゃ、じゃあもう行くから!」
「……自分」
「――っ」
「うちはこれからもずっと、自分のこと支えるからね」
「……」
自分勝手に捲し立て、踵を返して部屋を出ようとする俺の耳に柔らかな声が届く。
ほんの数秒だけ足を止めてしまったもののすぐに湧き上がる感情を抑え付け、俺はそのままテーラの顔を見ることも出来ずに部屋を出た。
そのまま後ろ手に扉を閉めると、それを背にずるずるとその場に座り込む。
「俺は……大丈夫だ」
顔を腹と膝の中に埋め、ぼそりと呟きながら自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
……無理をしてでも、安心してもらわなければならない。
自分自身を騙さなければ他人を騙すことなんて出来るはずがないから、俺はこれからも仮面を被り続けなければならないんだ。
それなのにテーラに指摘された時、俺は弱音を吐こうとした。
また俺の堕落的思考を曝け出し、甘えようとしてしまったんだ。
「大丈夫なんだ……」
それは駄目だと、理解したはずだろメビウス・デルラルト。
何回同じことを繰り返せば気が済むんだお前は。
……でも、理屈と感情は平等じゃないから、気を抜けばいつだって感情が理屈を覆い尽くそうとする。
だから俺はこれからも嘘を吐く。
それが正しいことだと思い込まなければ……足を止めてしまいそうだから。