第13話(14) 『突然変異』
もう、死んでしまったのだと思っていた。
だって、あれから何日経ったと思ってる。
あの黒髪の魔族は恐らくベルゼビュートの仲間だろうから、俺に対する目的を達成することが出来た以上用済みとして殺されているのだと、ずっとそう思ってたんだ。
だけど、そう思い諦めていた少女が目の前にいる。
これは夢でも幻でもなく、確かにそこにいるんだ。
ルナはいつもの無表情のまま俺の前に立ち、ジッと俺の目を見つめ続けていた。
「……ぅ、あ」
そんな姿を、俺は未だ呆然と見続けてることしか出来てない。
「……大丈夫?」
だがルナは小首を傾げていつものように心配の言葉を口にしてくれたから、俺の中で強い激情が溢れたのを自覚した。
「……ルナ」
「うん」
噛み締めるようにルナの名を呼ぶ。
その度に反応してくれる女の子が本当に生きているかどうかの証明をしたくて堪らなくなって、血の通っている熱を感じるべく触れようと椅子から立ち上がり震えながらも一歩を踏み出す。
「――――」
「――ぁ?」
――だがその瞬間、突如として俺とルナとの間に割り込む影があった。
驚き、敵意を感じて距離を取ると、そこにはルナを背にし俺に敵意の目を向けるステラがいる。
今まで何もして来なかったから突然の行動に意表を突かれながらも、感動の再会を邪魔されたばかりか退こうともしないステラに俺は徐々に苛立ちが募り出していた。
「退けよ――」
「ルナから離れなさい。このクズが」
「あ?」
いきなり口を開いたかと思えば随分な言い草だな。
まさかずっと、俺の嫌なことをしようと企んでいたのか?
だとしたら性格悪すぎて嗤ってしまいそうだ。
「ルナから近付いて来たのが見えなかったのかよ。そんな目深にフード被ってたらそりゃ見えるもんも見えないよな? 厨二病か? カッコつけてんじゃねぇよダセェから」
「ルナが嫌がってるのが見てわからないの? クズは自分のことしか考えられない自己中だもんね。自分だけが正しいと思ってる愚者を遠目で見てる分には滑稽過ぎて面白かったけど、それをこっちにまで持って来ないでくれるかしら?」
「……目ぇ腐ってんだろ。聖女様に治してもらえよ。良かったら紹介してやろうか?」
「アンタもずっと聖女と一緒に居たのに一向にその性格が治らないだなんて、もしかして聖女でもお手上げだったのかしら。更生の余地も無いなら、いっそ死んだ方がマシなんじゃない?」
「……殺すぞ、てめぇ」
「……次は脅しね。本当にクズなのね、アンタ」
一向に引かない両者はその場に立ち止まり、ただ睨みを利かせ牽制している。
ノアもヨゾラもこうなることを見越していたのか肩を竦めてため息を吐いているようだ。
……いや落ち着け。
そもそもコイツが俺に敵意を向けるに至った経緯を考えるべきだ。
ノアもヨゾラも止めに入らない以上、この状況下でコイツが行動に出ることを予め予期していたということになる。
であればきっと何か、何か俺に不満を抱いていることがあるはずだ。
それさえわかれば、きっとお互いに分かり合える方法も――
「……シロカミ?」
「ちょっ、ルナ……!」
「~~~~っっ!!」
だがステラの背中からひょっこりと顔を覗かせるルナの姿を見て、そんな冷静になることなんて出来るわけがなかった。
故に分かり合う以前に一刻も早くルナを傍に寄せたいという気持ちだけが先行し焦燥感が俺の心を支配する。
……どうしてだ。
どうしてコイツは俺の邪魔をする……!
邪魔する理由なんて無いはずだ。
俺のことを見てきたのなら、邪魔する理由なんて無いはずだろ!?
なのに、どうして……!
「――あっ」
不意に顔を覗かせるルナを止めようと無理に動いたからだろう。
ステラの被っていたフードが僅かにズレたことで引っ掛かりが無くなり、重力のままにフードが脱げて唐突にその全貌が明らかになった。
「……は?」
……思わず、目を見開く。
――黒髪だった。
紛れもない、漆黒に染まった髪を持つ女が目の前にいた。
……髪だけで種族を判断するのは軽率だ。
それはテーラという身近な存在によって気付かされた俺の明確な失態だった。
でも……メリットがあるから、人は髪を染めるんだろ。
テーラに関して言えば、天使だと気付かれたくないから人間の持つ髪色へと変えたんだ。
……魔族になりたい奴がいんのかよ。
魔族として見られることを、メリットだと感じる奴なんかいるわけがない。
「ま、ぞく……」
故に、目の前の女は正真正銘本物の魔族だ。
どうして魔族がここにいるのかとか、そういう思考よりもこの状況は俺の心を乱すにはあまりにも充分過ぎるものだった。
俺の大切な者を全て奪って、壊して、嘲笑うような悪党がルナの傍へと立っている。
ずっと頭にこびり付いて離れない、ルナを奪われたあの日の光景がフラッシュバックする。
その瞬間……膨大な憎悪が俺の心を支配し、瞳を金色へと輝かせた。
「――――」
無言のまま目を見開いて聖剣を抜き、だらりと身体が揺れながらもステラへと近付いてゆく。
だがステラもあくまで退くつもりはないようで、ルナを再度背に隠しながら俺のことを睨み付けていた。
……どうしてだよ。
どうして、守るフリなんかするんだ。
お前が俺からルナを奪ったんだろ。
お前が、ルナの敵だろ……それなのに、まるで俺の方が敵みたいな態度を取るんだな。
瞳が煌めき、どうしてか激怒の感情を抑えることが出来ない。
手は更に強く聖剣を握り締め、瞳孔を開かせながら前に一歩踏み出した。
拮抗する状況が続きながら、俺は聖剣をゆっくりと上げる。
「――それ以上は許可出来ません」
そして一気に振り下ろそうとしたその時、突如俺の身体が硬直した。
「――ッッ!?」
地面から金色に輝く物質が生成されて俺に取り付き、まるで黄金のように俺の両足を固めている。
同時にヨゾラが立て掛けていた大鎌を俺の首へと振るったことで攻撃を認識し、俺もまた聖剣で大鎌を受けることを想定しつつ左手でステラの眉間に向け《ライトニング》の構えを取った。
「くっ――!」
だが俺の《ライトニング》の挙動も知っているのか足だけでなく両手もノアの黄金が固めていて、ヨゾラの大鎌を防ぐことも出来ず俺の喉寸前で止まり、結果的に俺は全身を拘束されることとなる。
土魔法か……!?
だが土魔法にしてはあまりにも異質な物質だ。
全く身体を動かすことが出来ない。
それどころか黄金の金属で包まれている腕内で魔力を溜めようとしても、まるでその黄金がそれを吸収しているかのように魔力がすぐに散って行ってしまう。
……詰みだ。
でもこれでわかった。
やっぱり最初から俺を騙すつもりでここに連れてきたのだと。
「やっぱりお前たちは悪党だ……! ルナを人質にとって俺を脅すつもりだったなんて、流石はベルゼビュートの手先だな……! だったら俺の行動はさぞ滑稽だっただろうよ!」
「貴方の考えは被害妄想でしかありませんよ。ですがこれ以上は危険だと判断し拘束させて頂きました。手荒な真似をしたことは謝罪します」
「魔族を連れてる奴の言葉なんか信用出来るかッッ!!」
「彼女は……ステラは、魔族ではありませんよ」
そんなわけない。
今更そんな苦しい言い訳が通用するか。
「ルナ、こちらへ来てください」
「わかった」
だから信じず動けないままノアを睨み付けていると、ノアはそれを意に介さずにステラの後ろにいるルナに手招きをした。
ルナはその手招きに気付くと、何の躊躇もなくノアのもとへと近付こうとする。
「――ッ! 行くなルナ!」
「……?」
だがそんなこと許されるわけがないからルナに止まるよう叫ぶと、ルナもまた俺を見てすぐに足を止めてくれた。
「アンタねえ!」
「……随分メビウスさんに懐いているんですね」
「はいはいルナちゃ~ん。気にしなくて良いから行こうね~」
ステラが怒り、ノアは苦笑し、そしてヨゾラが止まるルナの両肩を背中から軽く掴んで半ば強制的にノアの方へと向かわせた。
特に抵抗せず成すがままのルナに焦燥感が募るが、ルナが傍まで寄るとノアは微笑みながら問い掛ける。
「私達の口から言っても信用されないでしょうから……ルナ。ステラは魔族ですか?」
「違う。ステラは天使」
そんな問いにルナは答えて。
「シロカミと同じ、天使だよ」
そう……有り得ない事実を口にした。
でもそんなはずはない。
だって、髪が黒髪なんだぞ。
それに加えルナが天使について知っていることにも驚いた。
最初から俺が天使だということを、ルナは知っていたというのか。
だが以前なら今以上にその事実に驚いていただろうが、流石にここまで何度も天使だということがバレていると、この際天使と知っていることにそこまでのショックはない。
むしろ天使であると知っているにも関わらずこの世界の常識での畏まった対応をしないでくれたし、ルナのことだから隠していたわけじゃなく聞かれてないから答えなかっただけなのだろう。
だからこそ、そんなルナだから嘘を吐くとは思えないと気付き直した。
ということはステラは、ルナの言う通り天使だということになる。
「……っ」
黒髪に……天使。
本来交わることのない二つの要素だが、一つだけそれに当て嵌まるものがあることを思い出した。
天使の髪が黒くなるのは、魂に宿る聖なる光が黒く霞むからだと天界では言われていた。
神を見下し、神を足蹴にすることを躊躇せず、神の裁きを恐れず罪に溺れた時、その者の髪と光輪と翼が漆黒に染まるのだと。
つまり所謂――堕天使であれば。
「なら――」
「――堕天使ではありませんよ」
だがその天使特有の考えは一人の人間によって否定されることとなる。
「天使にとって堕天使と呼ばれるのは蔑称だと聞きましたから、より亀裂を生んでしまう可能性があるので割り込ませて頂きました。ステラは正真正銘、貴方と変わりない天使です」
「どういうことだ……」
「私は生まれた時から、髪も翼も真っ黒だったのよ」
「――!」
「家族は受け入れてくれて愛情を注いでくれたけど……天界がそれを許さなくて、秘密裡に追放されたの。人間界に堕ちてどうしたら良いかわからなかった時……そんな私を主様が拾って育ててくれたのよ」
「そんなの……」
そんな事例も話も、聞いたことがない。
秘密裡と言ってるから知らないのも当たり前なのだろうが、仮にも16年天界で生きてきた身としてはどうしても空想の産物だという考えが消えてくれなかった。
「なら……これで証明になる?」
失礼ではあるが信じることが出来ずにいる俺に業を煮やしたのだろう。
若干の苛立ちと呆れの感情を見せながら、それでも俺に証明するようにステラは何の戸惑いもなく天使の翼を出現させた。
「――っ!」
テーラもそうだが、やっぱり天使はみんな本来の姿を人間界でも見せられるのか。
それに確かにステラの言う通り、その翼は漆黒に染められている。
彼女は間違いなく天使だった。
俺は堕天使を実際に見たことが無いためステラと堕天使との違いはわからないが、言い伝えにある堕天使特有の闇の感覚は伝わって来ない。
恐らく、本当に突然変異しただけの天使なのだろう。
でもそれなら別の疑問も浮かんでくる。
「人間界に捨てられたって……てことは天界から人間界に行く方法をあんたは知ってるのか?」
「知らないわ。眠ってて、目を覚ましたらもうこの世界にいたんだもの。だから神様が天使のなり損ないである私を捨てたんだって、そう確信したのよ」
神様、ね。
俺の求める回答は出て来なかったものの、ステラの言葉に嘘は無いように思える。
魔族と同族である天使とでは心象も大きく変わってくるから、天使だと受け入れたことで俺の敵意が大きく削がれたのを感じた。
……だが本来の姿を見せてくれたことで心情が変わった俺とは違い、本来の姿を見せ続けている俺に対するステラの感情が変わったわけじゃない。
ステラは変わらず俺に厳しい目を向けていた。
「だからこそアンタが私と同じ天使なのが許せない。天使っていうのは、とても神々しくて美しい存在になるよう教育されているはずでしょ。なのに……神聖な天使として生まれ育てられたはずなのに、初めて見た天使がまさかこんなクズだなんて信じたくなかった」
ステラはそう言って俺を睨み付けてくるが、そんなのただ天使を過大評価してるだけだ。
話を聞く限りステラは天界での生活をほとんどして来なかったみたいだ。
だからこそそんな理想に近い想像をしていたのだろうが、天界なんて極論神のために信仰だの奉仕だの言ってるか神天使になるためにどうたらこうたら言ってる奴らの集まりなだけだ。
実際そんなステラの理想が偶像だとすぐにわかる程のクズ天使だって俺以外にもそれなりにいた。
人間界に来て思い知ったが、多分天使も人間も本質的にはほとんど変わらない。
この世でいなくなるべきなのは魔族だけなのは言うまでもないが、天使も人間も一定数魔族のような欲望を持つ本物のクズがいるってだけだ。
まあクズじゃないにしても、ステラの理想のような天使はほぼいないけどな。
それにそんな勝手な都合で癇に障る態度を取ってきているのだとしたら自己中過ぎてむしろ困惑してきてしまう。
「その理想を俺に押し付けてたのは勝手だが……あんたが俺に敵意を向けるのはそれが理由なのかよ」
「そんなわけないでしょ……!」
だがその困惑故の問い掛けは逆にステラの怒りを買っただけだったようで、わなわなと身体を震わせ再度キッと鋭い目付きで俺を睨み付けた。
「あの、時……!」
そう言って言葉を続ける。
「あの時……!! もしルナがあの部屋に入ってたらどうなっていたかわかってたの!?」
「あの部屋……?」
「三番街の墓地にある隠し通路のことよ!」
「――ッッ!!」
そしてステラの口から発せられたものは、俺の想像とは大きくかけ離れたものだった。