第13話(13) 『【功罪】』
『歯向かう者を全て殺して』
言葉として咀嚼するなら簡単だ。
だが言葉通りのはずがないから、思わず呆けた息を吐き呆然と俺はノアの口にした言葉の真意を暴こうと躍起になる。
「何を、言って……」
だが幾ら考えてもその言葉以上の意味を見出すことは出来なくて、俺は思考を放棄し衝動のままに真意を問うた。
けれどノアは何の躊躇も疑問もなく、当然のように言葉を紡ぐ。
「聖女を悪意から救うことは、誰もが羨み望む程の功績です。実際に聖女に危害を加えようとする罪人を裁くことが許されているように、その行いはとても尊いものとして周知されています。……誰もが、ただの有象無象よりも聖女の方が価値があると理解しているのです」
「そんなのはわかってる! でも、あんたの言いたいことはそういうことじゃないだろ……!」
「はい。ですが事実として聖女を救った貴方の功績の前には、貴方の行動や思考を否定する者が存在する必要はありません。貴方は悪人を殺した代わりに聖女を守り抜いた。殺人という『罪過』は、聖女を守り抜いたという多大なる『功績』によって既に赦されているのです。たとえその矛先が、善人に向くことになったとしても。それが……私が持つ信念。【功罪】というものなんですよ」
だから……悪党以外も殺してしまえば良いって、あんたはそう思うのか。
俺を否定し、俺を止めようとする人がいたとしても結果的に聖女を守ることが出来るのなら邪魔者として殺しても構わないって、あんた達はそう思ってんのかよ。
そんなのは間違ってる。
それにもしもその方法を取るとするのなら。
「俺に……! 【断罪】じゃなく人殺しをしろって言うのか!?」
「功績を得るために罪過を犯す必要があるのなら、それは致し方ないことです。貴方が私達の同族になってくれると言うのであればその罪過は私達が受け取りましょう」
「たとえ相手が誰であろうと邪魔する奴は殺すって、あんたが言ってるのはそう言ってるのと同じなんだぞ……!?」
「その解釈で構いません」
「馬鹿げてる……! そんな簡単に命を奪っても構わないなんて、あんた達はそう思ってんのかよ!?」
「それが、功績を得ることになるのなら」
確かにノアの言う通り、目的を達成することだけを考えるならその考えは正しいことなのかもしれない。
聖女がこの世界にとって何よりも優先される以上、たとえ聖女がその行いに反対を示しても、功績さえ得ることが出来れば聖女に嫌われたとしても信者の支持を得ることは出来る。
でも、それじゃ駄目なんだ。
子供の頃、無差別に何の罪も無い人達を自分の利益のためだけに殺してしまったからこそ、それが間違っているのだということを俺が一番よく知っているんだ。
「それが、間違いだって気付いたからっ……!」
拳を握りノアを睨み付ける。
裁くのは、悪党だけでなければならないのだ。
悪党を【断罪】することこそが、誰もが平和でいられる世界へと導くことが出来る。
「これまでも……そうやって来たのか」
ヨゾラが殺人に対して何とも思っていない態度を取っていた以上、最早聞く必要もないのかもしれない。
それでも聞かなければ受け入れることが出来そうになかったから、俺は予想通りの結末にならないことを願いながらも問い掛けた。
「その通りです」
「――――」
故に、予想通りの答えが耳に届いたことで。
瞬間、俺の中で答えが出る。
椅子から立ち上がり、敵意を含んだ瞳で三人を睨み付けた。
「俺はお前たちみたいには堕ちない……!」
こいつらは人の命の価値を何とも思っていないんだ。
善人も悪人も、【功罪】の前には全て平等だと思い込んでいる。
でなければそんなこと軽々しく言えるわけがない。
人の命を軽々しく考えている奴らの言葉に、耳を傾けることは出来ない……!
だがノアは俺に見下ろされながら、それでも顔色を変えることなく紅茶を一度口に含んだ。
「では貴方に問いましょう。命に価値を見出すのであれば、悪人を殺すことは赦されることなのでしょうか?」
「――っ!」
「悪人の持つ命の価値が低いというのは、あくまで貴方の価値観でしかありません。そもそも命を重く捉えているというのであれば、本来貴方は既に今この場にはいないはずです。自ら法の裁きを、受けようとしているはずです。……ですが現実として、貴方は『今』ここにいる」
「私としては……罪に向き合うのではなく罪から逃げている貴方の方が、余程大罪を犯しているように見えますよ」
「それ、は……」
そう言われ、俺は上手く言葉を紡げずにいた。
それを知ってか知らずか、ノアは更に言葉を並べる。
「どうして【功罪】という言葉が存在しているのかわかりますか? その方が個人にとって人にとって、国にとってメリットがあるからです。……国を例に考えてみましょう。罪過を犯し、それでもそれ以上に国への功績が培われたのであれば、国は全力でその罪過を秘匿して、場合によっては賞賛されるべきものに塗り替えられることだってあります。……その程度のものなのです。法も命も。社会で生きている限り、貴方も私達も、概念としてはそれを享受することになります」
ノアの言っていることは正しい。
実際にそういうことは当たり前のように起きている。
むしろ、そうした悪行によって善人を踏み潰すことで更に権力を得た奴だっているはずだ。
法が信用ならないのは俺もそうで、だから法に助けを求めず自分で事を成そうと今までやってきた。
「……」
だから俺は否定出来ずに押し黙り、何も言うことが出来ずにいる。
だがノアは軽く微笑を浮かべて、そんな俺をやんわりとフォローするよう努めていた。
「……すみません。決して捲し立てるつもりも考えを押し付けるつもりもありませんでした。貴方にも貴方の考えが、信念がある。私達は貴方のそんな想いも受け入れたいと思っているのですよ」
「そんなの詭弁にしか聞こえねぇよ」
「本心です。貴方も本当は、今のままでは駄目だと思っているんじゃないですか?」
「っっ……!」
……それは、そうかもしれないけど。
でもだからと言ってノアの提示しているものはあまりにも堕落したやり方だ。
カルパディアを殺してセリシアを守る為に、場合によってはへレスティルや本部の連中を殺すことも厭わないとノアは言ってる。
それで三番街のみんなが俺を非難するようなことがあったとしても、セリシアを守り抜いたという功績が全てを無かったことにするのだと、ノアはそう言っているんだ。
それは例えば、助けられた側のセリシアが俺を糾弾することが出来ずに庇ったり、帝国側が俺の功績を讃えようと介入して来たりと様々だ。
どう転んでも、誰かしらの権力者は俺の功績を前に罪過を責めることが出来ず守ろうとしてくれるのだろう。
彼女の手を取れば……きっと楽だ。
善人によるたくさんの血を流す代わりに俺もゆっくり眠ることが出来て、今度こそセリシアやみんなに俺の本心からの笑顔を見せることが出来るかもしれない。
駄目だとわかっているのに、その甘い誘惑に悩んですぐに答えを出すことは出来なかった。
否定しろと脳が警鐘を鳴らしていても、それを心が聞こえないフリをしてしまうのだ。
「ですが私も、他に方法があるのなら貴方には是非欲望に抗って欲しいと思っているのですよ? 貴方には……【悪魔】になってほしくはありませんから」
「は? 悪魔に……?」
「ええ。貴方が私達と同族である資格を有したように、もう既に貴方には【悪魔】になる資格も手に入れてしまっていますから」
「意味が……」
「言ったでしょう? きちんと教えると。貴方のその金色に輝く瞳こそが、悪魔になるための『資格』だということです」
そう言われても意味はわからないままだ。
確かにヨゾラにもそのようなことは言われたが、結局この瞳の根本的な説明は成されなかった。
見てきたと言っていたように、ノアもヨゾラの発言を聞いていたのだろう。
あくまでヨゾラの説明を聞いている体で話を続けた。
「ヨゾラも一度貴方に説明したと思いますので補足としてになりますが、この世界……いえ、人間界、天界、魔界、全てを含めて悪魔は合計7人が存在を許されています。現時点で存在を確認されているのは――【原罪の悪魔】ベルゼビュートだけです」
「ベルゼ、ビュート……」
「ですから、残り六人の悪魔がこれから先発現する可能性は充分にあります。世界で一番の欲望を持った者がその証として金色の瞳である『悪魔の瞳』を宿し、そしていつの日か……本来の名を忘れ、自分の名前が悪魔の名前であったのだと気付くのです」
「でも、俺は……」
「このままでは貴方も、自分が悪魔であったと強制的に気付かされることになるでしょう」
「――っ」
信じられない。
でも実際、あの時の俺の瞳はベルゼビュートと同じ異常な金色に輝いていた。
そもそも俺があんな悪魔と同類になる可能性があることすら信じられないし認めたくないのに、それで本当に悪魔になりでもしたら誰一人として顔を向けることが出来なくなってしまう。
俺は……天使なのに。
そんなの、嫌だ。
「……どうしたら、この瞳を無くすことが出来る」
「無くすという概念は存在しません。これは貴方が貴方である証明であるだけですから、立場によっては褒め称えるものにも成り得ます。ですが貴方の立場を重んじた上で強いて言うのであれば……『今』の貴方で無くなれば、悪魔になることは無いでしょう」
「今の俺じゃ無くなれば……」
「ええ。貴方の魂に宿る名も無き欲望を無くし『変わる』ことが出来れば、貴方はメビウス・デルラルトのままでいられますよ」
「……っ」
……それは駄目だ。
それだけは駄目なのだ。
確かに悪魔になんかなりたくない。
この瞳を無くす方法があるのなら、すぐにでも行動に移したいと心の底から思ってる。
でも変わることを俺は許されていない。
他に方法を、他の方法を考えないと、俺が悪魔になるならない以前に俺の大切なものは全てその悪魔によって壊されてしまうのだ。
ベルゼビュートには逆らえない。
逆らったことにはならない範囲で、俺は俺の出来ることをする必要がある。
「……」
膝に拳を置きながら下を向いてしまっている俺にノアは何も言おうとしない。
俺の中で答えが出るのを待っていてくれているのだろうか。
その真意はノアの顔を見ることが出来ない俺ではわからなかった。
俺の『今』は変えられない。
変えられなければ現状を抗うのは俺一人では出来ず、悪魔にならないためにも手を取る必要があるのだとノアは暗示しているのだろう。
……協力を、求めるべきなのだろうか。
だがもしもノアの手を取ってしまったら、きっと俺はもう今までの俺ではいられなくなってしまうだろうという確信があった。
悪党だけを【断罪】しているから、まだ俺は堕落への道をギリギリ進まないでいられている。
でももし目的を成すために手段を一度でも選ばなくなってしまったら……きっと俺の手に残るのは平穏な日々では無くなってしまうのだろう。
血と泥がこびり付いた地面を背に隠して笑うだけの、ただの道化に成り下がってしまう。
「……っ」
そんなの嫌だっ。
俺は……たとえ自分が堕ちているとわかっていても、それでも心の底から笑ってみんなと平穏な日々を過ごしたいんだ。
だから答えは出ない。
悩み、悩み、悩んで……そうして暫し長い沈黙が茶会を制している。
「……あーあ。もぉ、時間掛かり過ぎだよ~」
……だがそんな時、先程までずっと大人しく話し合いを眺めていたヨゾラが落胆するように息を吐き唐突にそんな言葉を口にした。
疑問を浮かべる俺を前に、その言葉に同調するようにノアも小さく肩を竦め苦笑している。
「ふふっ。私も、流石にここまで粘られるとは思っていませんでした。段取り不足でしたね」
「都合の悪いこと言わなければ良かったのに」
「そうはいきませんよ。同族であると認めた以上、私は彼とは対等な立場で話したいと思っていますから」
二人揃って共通の話題をしているようだが完全に蚊帳の外になっている俺には何一つその意図を理解することが出来なくて、下を向きながらも瞳だけヨゾラへと向け睨み付けた。
「……何の話だ」
「ここに来る前に言ったでしょ? 天使君が焦がれる子に会うことが出来るかもって。運が良いことに会えて……良かったね☆」
そんなヨゾラの含みある微笑みと同時に植物園の自動ドアが――開かれた音がした。
「……ただいま」
「――――ぇ」
…………聞き覚えのある、声が聞こえる。
反射的に肩を跳ねさせ目を見開く俺の様子を満足そうに見つめるヨゾラと事の結末を見守っているノアが視界に入りながらも、それはすぐに俺の視界から消え去り、すぐさま顔を上げ後ろを振り向いた。
「――――――」
――少女が、立っていた。
いつもの黒く染まった猫耳フードのあるローブを着込み、薄紫色の髪を横に一つで束ね片目だけハイライトの消えた瞳を持つ少女がぼーっとその場に立ち尽くしている。
「あ……シロカミ」
そして俺を見るなり、まるであの時のことなど何も無かったかのように怒りも憎悪も無いいつもの無表情のまま、無警戒に近付いて来る少女の姿から目が離せない。
……生きてるはずがない。
あれから……何日経ったと思ってる。
これは幻覚だと、都合の良い妄想でしかないと、そう思った方が幾分か可能性が高いはずだ。
……それなのに。
「……ル、ナ」
俺のせいで失ったはずの少女の名前を、俺は小さく呟いていた。