第13話(12) 『功績と罪過』
てっきりテーブルと椅子だけ持って来てこの場で再度話を聞くのだと思っていたが、そんな俺の考えとは裏腹にノアが招いたのは非常に大きな土地を持つ植物園らしき場所だった。
燦々と降り注ぐ太陽の光が土地全体を明るく照らし、大きく伸びた草花が心を落ち着かせてくれるような香りを漂わせている。
そして小鳥のさえずりでも聞こえるんじゃないかと思う程にやけに心地よい植物園の中央部に、恐らく目的地であろうティールームがあった。
「どうでしょうか。こんな足ですから、趣味としてこのような場を作ってみたんです。植物の輝きや香りが心身に安らぎを与えてくれるとは思いませんか?」
ノアの言葉には同意だが、趣味とするにはあまりにも規模が大き過ぎる。
これまで見てきた建物内の敷地の広さから察するに、既にノアの持つ資産が相当なものであるのは言うまでもないことだ。
こんなの、それなりの富豪でさえ作れないだろ。
だから俺の思考はどちらかというとこの広い植物園よりも降り注ぐ太陽の光に向けられていた。
「太陽って……まさかもう朝になったのか……!?」
俺がヨゾラに連れて行かれる前はまだ夜だった。
幾ら次元の裂け目に入った際にあまりの暗闇で時間の感覚さえ把握出来なくなってしまっていたとはいえ、俺の体内時計はあれから何時間も経っているとは思えないぐらいに変化がない。
だが空があり太陽が出ているということが既に半日立ったことを証明していて、思わず驚きと困惑が入り混じってしまう。
……流石に日が昇るまで滞在するつもりなんて無かった。
幾ら情報を得るためとはいえそれで三番街に何かあってしまったら本末転倒だ。
少しでも気を緩めば、たちまち平穏は壊されてしまう。
情報は気になるし一度茶会を受け入れてしまったため申し訳なく思うが、流石に日が昇っているのならこれ以上ここには居られない。
「いえ。あれは魔導具によって創られた人工的な明かりですよ。心地よいそよ風も魔導具によって創り出しています。ここで育てているのは全て魔植物ですから、魔力を注ぐだけで成長を促すことが出来るんです」
だから断りの言葉を口にしようとした所、恐らくそれを予期したであろうノアがそれを否定し説明してくれた。
「そう、なのか……?」
とりあえず半日は立っていないことがわかり安堵するが、そんなことまで出来るなんてやはり魔導具便利過ぎるな。
それを動かし続けるだけの魔石を保有しているのも凄いが、趣味のためにこれほどまでに金を掛けていることを考えると、コイツの金銭感覚に理解を示すことは一生出来なそうだ。
……だが魔導具にこれだけの金を掛けることが出来るのなら、きっと管理するための人員も相当なもののはずだ。
だというのに、やはりここにも人はいない。
どういうことだと思いながらも結局聞けば答えてくれるだろうという思考を放棄した考えのまま、俺はノアへと問い掛けた。
「……そこまでして完全室内にする必要あるのかよ。それに管理だって相当大変だろ。まさかたった三人で管理してるのか?」
「ふふっ。疑心を向けているにしては心配も関心もしてくれるのですね。ですがそちらについても問題ありません。あちらを見て下さい」
進みながらもそう言って手を向けた先にあったのはドーム状に造られた建物内の上部。
そこに視線を向けると、そこにはタンクを背負い球体に近い風貌をした機械のようなものが幾つもふわふわと浮いていて、その一部はタンクの横から伸びるホースを二つのアームで持ちながら水を散布している姿があった。
「魔導具とは違い、指定したプログラムに沿って自動的に運用される『魔工機』と呼ばれる物たちです。あれのおかげで、水やりや剪定など必要な工程を全て肩代わりしてくれています」
魔導具に加えてそんなものまであるのか。
その『魔工機』と呼ばれる物には一つ目の魔石が埋め込まれておりモノアイとしての機能も有していることから、魔導具の派生的な物だと考えて良いはずだ。
テーラの店でも見なかったし、恐らくこれも相当貴重で高価なものなのだろう。
もしこれが一般普及しているのなら人間界は一気に高度成長を遂げているだろうし、現実としてそうなっていない以上これから先見ることもほとんど無いはずだ。
わざわざ脳のリソースを使ってまで覚える必要もないか。
「ですから、実際に私だけで管理しているのは……あちらの植物だけですよ」
「私持ってくるね☆」
だから『魔工機』についての意識はそこで閉ざしノアの差し出した手に追従すると、その先には植物園の一角に置かれた小さな植木鉢があった。
トコトコとヨゾラがそこに駆け寄ってその植木鉢を持ち上げると、そのまま戻りノアの膝元へと差し出している。
「どうでしょう? 綺麗だとは思いませんか?」
植木鉢に植えられたものは恐らくツル植物で、一本の支え木に巻き付くように長くツルを伸ばしていた。
だがやはり一番に目を惹くのは、その頂点で咲いている紫色の一つの花だ。
その花は――まるでクリスタルのように輝きを放ち結晶化していた。
「……また珍しいもんだな。あんたもしかして、自分の権威を見せなきゃ気が済まないタイプ?」
「ふふっ、そうかもしれませんね。ですが事情がありまして、この花だけはとても大切に育てなければならないんです。言い訳に聞こえてしまいますか?」
「別にどうでもいいけど……大体こういうのって育てるの難しいパターンだろ? 俺も子供の頃家で適当な花育てたことあるけど普通に失敗したから、あんたがその花を大切にしてるのはわかる。でも、それだけだ」
「……貴方はいつも欲しい言葉を伝えてくれますね。でしたら、この花が完全に咲き誇った時はメビウスさんにも見せて差し上げます。特別ですよ」
別に見せなくていいんだけど。
それにどうせ今後ここに来るようなことだってない。
俺の居場所は、三番街だけだ。
たとえこいつらが俺の思っていたものと違って本当に敵じゃなかったとしても、俺にはずっと居たいと思えるような場所がある。
義理としてこれまでノアのペースに合わせていたが、そろそろ充分だろ。
これ以上無駄話に付き合う義理はもうないはずだ。
「……」
それに……明らかな敵意を含んだ視線も、一つだけあるしな。
「……そろそろ、お話を再開しましょうか」
そんな俺の感情が瞳から漏れ出ていたのか、ノアは俺を一瞥した後ゆっくりと目を伏せそう言った。
気を遣ったのかどうかは知らないが、それは都合の良いものでもあったから俺も頷き、ヨゾラが植木鉢を元の場所に戻したのを確認してから再度ティールームへと足を進める。
各自席に座った所で主催者であるノアが小さく微笑み。
「では、茶会を始めましょう」
その言葉を皮切りに、そうして茶会は始まったんだ。
――
車椅子のノアはそのままにヨゾラと俺が席へと座って、ワゴンの上に置いてあるティーセットを使いステラが茶会の準備を進めている。
「ありがとうございます、ステラ」
ティーカップに注がれた紅茶をノアの前へと音を立てないように置くと、ノアは柔らかな笑みを浮かべて感謝の言葉を伝えていた。
……ステラ、ね。
地味にずっとその名前が引っ掛かっている。
何処かで聞いたことのあるような名前だ。
でも目まぐるしく事態が変わっていたことでそれがいつだったかを俺は思い出せなくて、それでも脳をフルに稼働させ思い出そうと躍起になる。
だがあまりの睡眠不足によってその思考は何度も何度も真っ白に彩るばかりだ。
だから思案するのも放棄しようとした所で、不意に俺の前にもカップが置かれる。
だが座る俺を見下ろすような形になったことで、ステラの被るフードから少しだけ瞳が覗き目が合った。
「……おいおい」
やはり敵視されているとわかるくらい、ステラは鋭い眼光を俺に向けて来ている。
一応ではあるがこっちは警戒を解いてあげているというのに連れて来た側がその態度をするのは些か癪に障ってしまう。
大人げないとわかっていても、俺は若干嘲笑うかのように口角を吊り上げてみせた。
「客人に対して随分とあんまりな態度だな。それが大好きな主様の評価にもなるって理解出来ないのかよ」
「ステラは使用人ではありませんよ」
意地の悪いことを言った自覚はある。
だがそれを咎めたのはステラ本人ではなくノアだった。
「使用人として雇用しているわけではなく、ステラもまた私達の同族です。彼女は行う必要など無いにも関わらず身体の不自由な私の手助けを自主的に行ってくれている、頼りになる優しい子なんですよ。ですが今は……少しだけ、受け入れては頂けませんか?」
「……ふ~ん」
そういうことなら、確かに同族が悪く言われるのはノア的にも嫌なはずだ。
だがそれなら敵意を向けて来ないよう説得しろとも思うし、ノアの心境を考えるような関係でもないからそれで奴の敵意を受け入れようとは思えない。
けれど、幾ら敵意を向けて来ようとそれ以上の行動をしないのは、本人なりに自重してのことなのだろう。
要するに、カルパディアとの対談の時の俺と同じということだ。
であれば俺も空気は読む。
今は他人に気を揉む暇など無いから、あくまで思うだけにし誤魔化すように紅茶を口に含ませた。
「……受け入れて頂きありがとうございます。では準備も整った所で、話を再開しましょうか」
そんな俺の態度をどう思ったのかはわからない。
だがノアは小さく笑みを浮かべると、気を取り直したように口を開いた。
「貴方のこれまで行ってきたことは『目』を通してずっと見ていました」
「目……?」
「ええ。要は観察……監視していたということです。流石にメビウスさんもそうされていたことには気付いたと思いますが」
「……あれだけ俺のことを知ってればそりゃな」
「ですがそれでもわからないことがあったんです。どうして貴方は、戦うのか」
「……」
「ですから私達はそれを知るために、これまでメビウスさんに接触するタイミングをずっと見計らっていました」
どうして俺が戦うのか、か。
あんたたちにはわからないだろ。
どれだけ願っても、当たり前だと思っていても、その平穏な日々がずっと続くわけじゃないということなんて。
みんなそうなんだ。
みんな、今ある日々がこれからも変わらないと思い込んでるから、いつも通りの日々をつまらないと評して世界が『変わる』ことを望み続けている。
それで実際に全てを壊された時、そんな奴らがやることは世界を呪って悲鳴を上げて屍の道を歩き続けるだけだ。
それをわかっているから、俺はそうなる前に戦うことを選んだんだ。
でもそんなの他の奴らには共感なんてされないってこともわかってるからこそ、俺はそれに応えずに顔に陰を落とす。
「ですが、ようやく腑に落ちました。貴方はやはり私達と同じように……罪を犯しながら、それでも自分の信念を貫くために戦っているのだと」
だというのに、ノアは俺の信念を理解していた。
「それはとても孤独で……それでも大切なことなのですよね」
「……!!」
……初めて、共感されたような気がする。
俺の信念なんて、否定されるようなことはあっても肯定されるべきものなんかじゃないと自分でもわかってるのに。
それなのにあんた達は、俺に……理解を示してくれるというのか。
呆然と見る俺を前に、ノアは改めて柔らかな笑みを浮かべる。
「そして貴方はその信念を貫きながらも、数多の功績を上げてきました。本来ならば讃えられるべき、功績を」
「……」
「ですが貴方には、罪過もあります。自分が咎人だと理解し、いつか裁かれることを覚悟しながら、それでも自分の理想のために己の手を汚している」
「……っ?」
「【功罪】という二つの側面を持つ貴方は、最も自分の欲望に忠実であると言えますね」
「……あ?」
だが……告げられたある一言によって、俺がノアに向けそうになっていた感情は偽りのものであったかもしれないと思い直してしまう。
……欲望に、忠実?
違うだろ。
こんな功績を得ることを望んでるわけじゃないんだ。
なのに俺のこの行動が、欲望を受け入れているが故の行為だとでも言うのか。
「何が言いたい……」
「そんな貴方に、私達は手を貸したいと思っているんです」
そんな間違った考えで手を貸したいだなんて、そんなのこっちから願い下げだ。
そもそも手を貸す理由がわからない。
たとえ俺があんたの言う功績を得ていたとしても、それはあくまで三番街にとっての話で、あんた達には何一つ関係のないことのはずだ。
「何のために」
故にそう問う俺に対し、ノアは含みのある笑みを浮かべながらも口を開いた。
「メリットとデメリットは、決して釣り合ってはならないのです」
「……は?」
だが彼女の口から出た言葉は俺の疑問に対する答えではなくて。
呆然とする俺を前に、それでもノアは眉一つ動かさずに言葉を続ける。
「常にメリットが優位である選択を取ることこそが【功罪】である証明になります。善行をしたところで意味はありません。善行ではなく『功績』が無ければ、幾ら正しいことをした所で大罪が赦されることはないのです。……そしてそれは、私達が貴方に手を貸す理由になっているものでもあります」
つまり……あんた達にとっては、俺に手を貸すことこそがデメリットよりもメリットの方が多いと、そう言いたいわけか?
だがそれは答えになってない。
「正直に話せよ」
「ふふっ。本心ですよ」
濁した言葉を並べ立てるノアにそう促すが、ノアの態度は変わらない。
聞きたいのはそんなことじゃないというのに、それでもノアはあくまで話を続ける体で言葉を続けた。
「得た情報から考察するに、貴方の目的は終始一貫していました。……変わらない日々を取り戻す。ただそれだけのために行動出来る者は多くありません。ですから貴方には、私達と同じ『資格』があると言ったのです」
「……っ」
「それに貴方は、聖神ラトナを信じていないでしょう? 神は何もしてはくれません。ですが聖女は、聖女ならば、そこに『存在』しているからこそ平穏な日々を皆に与え続けてくれます。ならばどちらを大切に想うのか……私達なら、貴方の気持ちを理解することが出来るのです」
「……!」
そう言って、まるで本当に俺のことをわかっているかのようにノアは堂々と俯瞰した目で俺を見ている。
その語りは俺の質問の答えになっているとは到底言えないが、それでもその言葉に多少なりとも心が動かされてしまったのは事実だ。
……俺の口から言わなかったからでもあるが、天界でも人間界でも、これまで俺の想いを理解しながら受け入れてくれた人は誰一人としていなかった。
だがそれを、理由は言いはしないが彼女は肯定してくれている。
ノアの言葉が嘘じゃなければ、本当に俺達の思いは似ているものであるのだろう。
……目的はわからない。
まだ全てを理解出来たわけじゃない。
でも、でももしも、本当に嘘偽りなく俺のことをわかってくれているからこそそれで協力してくれるのだというのなら。
俺は……もうこんなに辛い日々を送らずに済むかもしれない。
俺の虚ろな瞳に、僅かにも希望が宿ってしまった。
「貴方が望むのであれば、私達の用いる全てを使って聖女を救う手助けをします。必要な情報があれば可能な限り提供しましょう。貴方が私達を受け入れてくれた時私達は本当の意味で同族になれますから、同族に対する協力は惜しまないつもりです」
「……本当に、メリットがあるってだけで俺に協力してくれるのか?」
「ええ。貴方一人に罪を背負わせはしません。共に、聖女を守り抜きましょう」
……そうしたい。
差し出されたこの手を取ったら、一体どれだけ楽になれることだろうか。
事実ノアの提案は何一つ俺にデメリットのないものだ。
だから思わず期待の籠った目を向けてしまう。
そんな俺の視線にノアは柔らかい笑みを浮かべて、まるで表情で俺の期待を肯定してくれているみたいだった。
……そうだ。
この手を取らない理由なんてない。
「――歯向かう者を全て殺して」
まるで当然のように口にした言葉によってその笑みが酷く歪なものに見えるまでは……本当に、そう思ってたんだ。




