第13話(10) 『導かれた先』
何秒……何分立っただろうか。
暗く、何もかも見えない視界の中で、やがて世界は鮮明に色を作った。
「もう目を開けてもいいよ☆」
どうやらあまりにも暗すぎて自分が目を開けているのかもわかっていなかったらしい。
ヨゾラにそう言われることで自分が目を瞑っているのだということに気付き、俺は目が光に慣れるよう気を遣いながらゆっくりと瞼を開いた。
「……なんだここ?」
――視界が開けた先に映ったのは、何処かの建物の中だった。
恐らく俺が今いる場所は廊下だと思う。
廊下の横幅は広く長さもあって、素材も木材なんかじゃない。
三番街の自然溢れる風景に慣れてしまった俺にとっては非常に技術進歩が進んでいると思える景色だった。
風貌的には天界の建物に近いが、それでも天界の技術より劣っているとは思えない。
廊下に一つも窓が無いことが疑問ではあるが、それを差し引いても余りある照明が天井に数十歩ごとに設置されているから明かりの面も余裕でクリア出来ている。
天界から人間界に転移した俺だが、今度は人間界から別の世界へと転移してしまったような気になって、警戒も含め絶えず辺りを見回し続けていた。
「も~ずっとそこにいるつもりなの? 早く行こうよ」
「ちょっ……! そもそも何処に行くんだよ……」
だが流石にずっと立ち止まっているわけにもいかないと、ヨゾラは俺の手を引いて廊下を歩き始めてる。
馴れ馴れしい態度に思う所はあるが、あの時《ディストーション》に入る選択をした時点で俺にはこの少女に身を任せるしか道は残されていないから、その馴れ馴れしさも甘んじて受け入れるしかない。
でも、そもそもヨゾラの話では次元の裂け目に入りさえすれば俺の知りたいことを教えてくれるというものであったはずだ。
にも関わらず何処かの目的地へと足を運ばせてこようとする少女に俺はどうしても不信感を拭えずにいた。
「言ったじゃん。天使君の知りたいことを教えてあげるって。でもぉ、ヨゾラちゃんがそれを教えるとは一言も言ってないでしょ?」
「俺を騙したのか……!!」
「も~なんでそういう風に捉えるのかなぁ。単純にヨゾラちゃんよりも色んなことを知ってる人の口から話した方が良いだろうなって思ってるだけだよ。そろそろ安心してほしいな。ヨゾラちゃんたちは天使君の味方だよ」
「だったら、わざわざあの時に接触する必要は無かっただろ……!」
「こっちにもこっちの事情があったんだよ。別に悪いことは一つもしてないんだからいつ現れようが良いじゃん。それに、ヨゾラちゃんは天使君を助けてあげただけなんだよ?」
「助けてくれなんて頼んだ覚えはない」
「もぉ。捻くれてるなぁ」
何が悪いことはしてない、だ。
俺を助けたからといって、それで壁に無駄なメッセージを書いたことが相殺されるわけじゃない。
信用してほしいと思ってるのなら、そちらの事情はどうあれ然るべきタイミングで俺に接触するべきだ。
それを疎かにしているにも関わらず信じてほしいと宣うなんて、それも結局そちらの都合でしかないだろ。
だから俺は信じない。
それでも、ヨゾラたちが何か情報を持っているというのなら、俺はそれを受け取らなければならないのだ。
俺にとって大事なのは、三番街の平穏だけなのだから。
「ほら、入って?」
そんなことを思いながら廊下を歩いていると、ある金属の扉の前でヨゾラが止まる。
そのまま壁に取り付けられた魔導具に魔力を注ぐと、突如としてロックが解除され扉が開き、数人程しか入れないであろう狭い個室へと入ってヨゾラは俺に手招きしてきた。
随分狭い部屋だな……
物なんて一つも置かれていなくて、壁に多数の魔力回路が施されたボタンが設置されているだけの味気ない部屋だった。
ただ……その壁に一つだけ突起のような物が設置されているのが見える。
何かの魔導具だろうか?
ご丁寧に手の平の模様が描かれていることからあそこに手を置くという意図はわかるがその必要性がわからない。
「こんな狭い部屋で何すんだよ」
「まあ見ててよ」
疑問を向けるが素直に教えてくれる気はないようだ。
仕方なく壁に寄り掛かりながらヨゾラの行動を注視していると、やはりヨゾラは壁に取り付けられた突起のある魔導具に手を合わせた。
そして魔力を流したのだろう。
魔力を流したことで手の平の模様が淡く光り、突如として部屋の扉が閉まり始めた。
「――っ!?」
すると突然ガタンと部屋が揺れて、僅かな重力の変化を身体が感じ取り始めていた。
これは……下に落ちてるのか……?
部屋の下が空洞になってること自体驚きだが、部屋自体が落下しているにしてはやけにその速度が遅い気がする。
まるで落ちることを目的としているような部屋の変化に、俺は困惑することしか出来ずにいた。
「どう? 凄いでしょ」
「……何が起きてるんだ」
「そこの認識装置に魔力を登録した人だけが手を置くことで、地上と地下とを行き来することが出来るんだよ。天界にはこういうの無かったんだ?」
「俺達には翼があるからな。でもこんなのがあるなら、なんで一般普及してないんだよ。人間たちにとってはかなり便利な代物だろ」
「相当魔導具に精通してる職人たちがチームを組まないと作れないみたいだよ? ただでさえマトモな魔導具職人って少ないのにそれを何人も集めるなんて、帝国が主体にならないと厳しいって主が言ってた。これも主のために考えた結果生まれて、何年も時間と資金を使った上で作られたものだしね」
「……主、ね。それが俺の知りたいことを教えてくれるのか?」
「せいかーい」
であれば、その主とやらは相当な資産を持っているということになる。
そんな奴の仲間がどうして三番街にいて、どうして俺に接触してきたのかは定かではないが、そこまでの権力と富を持つ個人に対して警戒するなという方が無理な話だ。
元々期待してはいないが、そういう奴は往々にして知りたいことをタダで教えてくれはしないだろう。
何を要求されるのかは知らないが、今更ながらについて来たことを後悔していた。
……いや、たとえ何を要求されようとも、そもそも俺に出来ることなんてほとんどない。
この際気楽に望むべきか。
どうせもしも三番街を陥れるような要求をするようなら……ここでどちらかの血を見ることになるだけなのだから。
「主は良い人だよ~。きっと天使君も気に入ってくれると思うな」
「その良い人が、人殺しを許容するわけねーだろ」
「ふ~ん? ……なら天使君の思う良い人って、どんな人?」
「そんなの……」
セリシアみたいな人。
だが彼女の名前を見知らぬ少女の前で言うのは多少なりリスクがあるから、あくまで俺の中の『良い人』を想像して言うことにした。
「……嘘を吐かず、間違ってることは間違ってるって言えて、たとえ成し遂げることが難しくてもより良い日々をみんなが送れることを願ってひたむきに頑張れる……そんな人なら、良い人だって胸を張って言ってやるよ」
「そんな人いるのかなぁ? 仮にもしいたとしたら……くすっ。天使君とその人は絶対に理解し合えないだろうね」
「……ああ?」
何も知らないくせに、よくそんなことが言えるもんだ。
でも別に、他人に何と言われようが構わない。
だから怒ることでもない。
あの子が俺を受け入れてくれている限り俺のこの考えが変わることなど無いし、俺とセリシアは……ちゃんと理解し合えているんだから。
「――着いたみたいだね」
「――っ」
ヨゾラの言葉を皮切りに再度ガコンと音がして、同時に重力の変化が訪れ駆動が止まり、恐らく到着の知らせであろう軽快な音が部屋に響いた。
ディスプレイにはご丁寧に『地下3F』と記されていて、3Fにしては到着が遅かったなと思いつつも気を引き締めることにする。
「この先に主がいるけど……出来れば剣も魔法も使わないでほしいな。もしも君が主と敵対することに決めたのなら……殺し合いをしなくちゃいけないから」
そう言いながら流し目を送るヨゾラの瞳は、先程三人の女の子たちを殺した時と同じとても冷たい目をしていた。
やはりコイツは……他の悪党共と同じ、人を殺すことを常に選択肢に入れている側の人間だ。
けれど今まで見てきた悪党とは違う『信念』のようなものが彼女にはあるように感じて、俺も虚ろな瞳を交らわせながら言葉を紡ぐ。
「自殺願望がある割には随分とその主にご熱心なんだな」
「ヨゾラちゃんの願いと主を守る意志は競合しないから。主はヨゾラちゃんに……みんなに、手を差し伸べてくれたもん。だからもし天使君が牙を向けたら……ヨゾラちゃんはその恩に報いるためにも自分の命を捨ててでも天使君を殺すよ。それに……兎は寂しいと死んじゃうからね! ぴょんぴょん!」
自身のフードを目深に被り兎耳を立ててそんな軽口を言ってはいるが、その瞳の奥には確かな殺意が宿り煌めている。
この少女もまた、自分の顔に仮面を被らなければ生きていけない人種なのかもしれない。
「……恩に報いるために、か」
その殺意を受け流すことは簡単だけど、ヨゾラの嘘偽りない想いには俺も共感出来る所があった。
「天使君とはこれからも仲良くしたいからさ。先入観無しの、対等な目でみんなを見てあげてね。みんな良い人だから☆」
「……善処する」
ヨゾラの言葉はあまりにも身内贔屓によるものとしか思えないが、それでも彼女の願いは俺にも理解出来るから、それは尊重するべきものだと思う。
俺だって別に事を荒立てたいわけではないから、ヨゾラの言う通り今回ばかりはむやみに敵意を向けることは止めるべきだと思い直した。
それにこの少女にそこまで言わせる『主』には少しだけ興味が湧いたのも事実だ。
全ての結論は結局、実際に会って話してみないとわからないだろう。
「じゃあ入ろうか☆」
ヨゾラが先程の魔導具に手を伸ばしたから、固く閉ざされた扉ももう開く。
ここに来ることを選んだ時点で、俺の生死はこの少女に預けられたも同然だ。
だから意図的に警戒を解いて、ヨゾラの操作で開かれる扉をただただ見つめることにした。
「――――」
警戒を解いていたから、何か攻撃が来た場合俺は必ずそれを喰らう。
だが……自動扉が開いた瞬間扉の先から魔法が俺に撃ち込まれるようなことは無かった。
ただ同時に、俺の思っていた光景もまた訪れるようなことは無くて。
視界に映る光景は俺の想像していた、『主』を象徴するために人と金を使ったような部屋では無かった。
「誰もいないぞ……?」
部屋としては魔法陣のある遺跡よりは狭いが、一部屋としては広めの大部屋だった。
ただ何も無いわけじゃない。
部屋の全貌はとても近未来然としていて、奥側には魔力を具現化したかのような多くのディスプレイが、机にある魔導具から照らされた光から浮かび上がっている。
その他にも天界でも見たことのない機器が多く設置されていて、こんな心境でここに来てさえいなかったら、もしかしたら今頃はしゃいでいたかもしれない光景だ。
でも今はそんな感情を抱くリソースなど持っていないから、何も言わずにただ一点を見つめるヨゾラに向け吐き捨てるように軽口を叩いた。
「……ここまで来て、まさか自分がその主でしたってオチか? それが面白いと思ってるなら今ここで笑ってやるよ」
『――いえ、その必要はありません』
「――――!!」
だが刹那、俺達以外に誰もいないはずの部屋で女の声が反響する。
驚くのも束の間、部屋の中央部の床にある円型の溝から黒い煙が噴出されまるで霧のように部屋全体を包み込んだ。
「――ようこそ。私達と、貴方にとっての楽園へ」
黒色の煙で人影は見えない。
それでも確かにそこには誰かがいて、今度は反響ではなく直接女の声が俺の耳に届いているのがわかる。
「ここは貴方にとっての休息の地。お互いが唯一落ち着くことが出来る場所」
語りながら、徐々に煙は晴れていく。
「私達はいつだって、貴方を歓迎します。堕落天使……メビウスさん」
そんな声が聞こえた直後に煙が晴れると――そこにはハイテクな車椅子に座ったミステリアスな雰囲気を持つ灰髪の女が、慈しむような目で俺を見ていた。