第13話(9) 『ただ示された道』
反射する自分を見て、瞳の色が変わったことなんて一度も無かった。
当然のことだ。
人間であろうと天使であろうと魔族であろうと、その人の身体というものは親から受け継がれ、未来永劫変わることのない家族の絆の証として残される。
だから瞳の色が変わることなんて、それこそテーラの髪色のように自分から変えておかなければ有り得ないはずなのだ。
なのに今の俺の瞳は、見るだけで人を堕とすことが出来るのではないかと思ってしまう程に恐怖で目が離せない金色だった。
それだけで窓に映る自分が、自分じゃないように見えてしまう。
故に今の俺には、窓の向こうに金色の瞳を煌めかせ笑みを浮かべながら俺を見下ろす【悪魔】がいるようにしか見えなかった。
「うわあああああああああああああッッ!?!?」
なんで!? どうしてッ!? どうしてだッッ!?
こんな瞳の色になるようなきっかけなんて無かった!!
なのに、どうしてッ……!?
あまりの恐怖に絶叫を上げ、反射的に瞳を両手で隠し蹲る。
最早涙が出そうなぐらいの混乱と恐怖が俺の心を支配して、今すぐ自分の目を抉り取りたい欲求を抑えるのに必死だった。
「そんなことしても意味無いよ」
「――――ッッ!!」
窓に映っていたのはベルゼビュートだ。
だからこそ俺は既に目を抉り取るべく指が目尻にまで掛かっていて、けれどそんな欲求を感じ取ったのかヨゾラは背後からそっと俺の両手を目から離し自分の手で包み込む。
衝動を抑え込まれてしまえば、もうそれ以上身体に力は入らない。
放心状態のまま全身に起こる震えによって俺の心を蝕み続けている視界をヨゾラが前に立つことによって塞ぐと、そのままヨゾラは何故か嬉しそうに笑みを浮かべた。
「も~ずっと待ってたのに痛がってばっかで全然開眼しないんだもん。このままヨゾラちゃんの役割が果たせないままタイムリミットが来ちゃうんじゃないかって、実はちょっと不安だったんだよ~?」
「――っ!? テメェがやったのかぁ!!」
「やだなぁ。人のせいにしないでよ」
やっぱり何か知っているのは間違いない。
だというのにわざとらしく肩を竦めて見せるとヨゾラは一歩を踏み出し、俺の耳元でそっと囁いてくる。
「それは天使君が、この世界の誰よりも欲深いから出て来たんでしょ? まるで……【悪魔】みたいにさ」
「俺は天使だ……! 悪魔なんかじゃないッッ!!」
「関係ないよぉ。人は等しく悪魔の素質を持っている。悪意によってその欲望の蓄積がこの世界の誰よりも強くなった時、人は悪魔と呼ばれるんだよ。そして素質を見出された時……その人の瞳には、悪魔が宿るんだって」
「俺が……あんな奴と一緒だって言うのか!?」
「それにここ最近、ちゃんと予兆があったはずだよ」
「……!!」
予兆というのは、それこそ突然起こり始めた目の痛みのことなのだろう。
思えばいつも痛みが起こる時は俺が強い怒りや憎悪を感じた時だったような気がする。
だが少なくともその時は、俺には抱く欲望など一つも無かったはずなのだ。
敵意や殺意を抱いていたという事実は認めるが、それだけで【悪魔】だと呼ばれる筋合いなんてない。
それに仮に何らかの欲望を俺が抱いていたとしても、それもこれも全部俺にそう思わせるようなことばかり起きるからだ。
「全部お前らが悪いんだろ……! いつもいつもお前らが余計なことばかりしてくるから、俺の神経を逆撫でしてくるんだろうが……!」
「ふ~ん? つまり天使君の思い通りに動いてくれさえくれれば怒ることも無いんだって、そう言いたいんだ?」
「ああそうだよ。お前たちは間違ってる……! 善人の命を簡単に奪えることも、大切な人を簡単に見捨てられることも、あっていいはずがないんだ……!」
この少女もへレスティルも、簡単に人の命を天秤に掛けている。
その天秤に悪党を乗せて正しい方へと大きく傾かせることはあっても、それ以外で傾けさせるなんてことは決してあっちゃいけないんだ。
それは大切な人と知り合いでもない善人が別々に天秤に乗ったとしてもだ。
優先順位こそあれど大切なのは、どちらも同様に助けること。
それを成し遂げるために自分の命を賭ければいいだけの、簡単で常識的な考え方のはずだ。
なのにヨゾラはそんな俺の睨みにクスリと笑うと。
「それってなんだか、とっても傲慢で高慢だとは思わない?」
「――――!!」
それこそが欲望の果てにあるものであると、そんな意図を籠めた言葉で俺を射抜いていた。
「ち、ちが……俺は……」
口から反射的に出た否定の言葉とは裏腹に、確かにとそれを肯定する自分がいた。
今まで何の疑問も思っていなかった己の感情に名前があるということに初めて気付いて、それでもそれを認めたくないという酷く独善的な考えを抱いてしまっている。
でも仮に、それが欲望の一つだとして。
俺が世界中の誰よりも傲慢だなんて、そんなことあるはずがない。
だってもし本当に俺が一番傲慢なのだとしたら。
この世界に蔓延る全ての悪党よりも、俺が一番本物の悪意を持っているということに――
「聖神騎士団だ!! この屋敷は既に我ら騎士団が包囲している! 大人しく投降しろ!」
「――――っっ!?」
だが思考の闇に呑まれていってしまいそうになっていたその時、不意に一階から張りの利いた鋭い声が施設内に響き渡って俺はハッと我に返った。
今の声……へレスティルか……!
というかもうそんなに時間が立ってたのか……!?
だがおかしい。
当初の予定ではここの警備担当が帰って来ることは想定していたが、侵入者がここにいることを騎士団側が知ることは出来ないはずだ。
確かに一階は漁ったが、それでも証拠は残さないよう1cmのズレも無いように注意しながら動かした物を全て直した。
外から見ても侵入者が中にいるとはわからない。
それなのに既に包囲されてしまっているというのはあまりにも不可解過ぎる。
「包囲って……なんでそんなことに」
「……あっ」
そこまで考えて、ふと少女の無意識に出た声が耳に届き衝動のままにヨゾラへと視線を移す。
互いに目が合うとヨゾラは気まずそうに目を逸らしながら悪びれもせずに言い放った。
「……てへっ☆ あまりにも暇過ぎたからここの壁に赤色ででっかく『死神参上!!』って書いちゃった☆」
「……はあ!?」
「だって天使君が全然この部屋に入らないんだもん~」
その塗料が何なのかはわからないものの、カルパディアが失踪したことになっている現状で警戒色の赤色で大きくメッセージを残しでもしたら当然大事になるに決まってる。
しかも三番街にまた侵入者が出たとなれば、聖神騎士団のセリシアに対する風当たりがより強くなってしまうだろう。
バレずに事を成すつもりだったのに……!!
直接的な原因はどうあれ、セリシアをより不利にする状況をよりにもよって俺自身が作ってしまったことが俺の心を酷く乱した。
「余計なことを……!」
「いやぁ確かに天使君の言う通り、思い通りにいかない人生って大変そうだね~」
「テメェ……!!」
「でも未来は変えられても、過去は変えられないでしょ? 起きてしまった以上、これからどうするのかを考えなくちゃ」
「お前がそれを言える立場なのかよ……!」
「立場なんて関係ないよ。だって私は普通に見られないままここから逃げられるもん。ピンチなのは天使君だぁけ」
そんなの強がりだ。
ここから出るには窓からか入口からしかないから、どう足掻いてもお前だって聖神騎士団に見つかってしまうはずだ。
だというのにそう言うヨゾラからは虚勢というものが一切感じられなくて、少女の言葉にはそれが事実なのだという妙な説得力があった。
「だからさ。ヨゾラちゃんと一緒に来てよ」
「……は?」
だから何も言えずにいた俺に向け、ヨゾラは突然手を差し出してきた。
それと同時にもう片方の手を横に向けると、ヨゾラの指に嵌められていた指輪が淡く輝きそこから突如として闇の魔法陣が浮かび上がる。
――闇魔法だ。
その魔法陣は死体となった女の子三人のいる床にも一つずつ出現していた。
「お前、闇魔法を……!」
ヨゾラの髪は黒色ではなく桃色だが、既に魔族以外でも闇魔法が使えることは知っているため種族に対しての驚きはない。
だがルナを除き、依然俺の中で闇魔法を使える奴が味方という考えは未だに無いから、むしろ闇魔法を使われたことで俺の中で疑惑が確信へと変わった。
コイツは、信じるに値しないって。
「今天使君には二つの選択肢がある。反逆者として聖神騎士に捕まるか、ヨゾラちゃんと一緒にこの場から逃げるか。……どっちにする? ヨゾラちゃん的にはどっちでもいいよ?」
「最初から俺を嵌めるつもりだったのか……! 助けたのも!」
「そんなつもりないよ~。でももしヨゾラちゃんの手を取ってくれたら、天使君の知りたいことを教えてあげることが出来る。それに……天使君の焦がれる子に、もしかしたら会うことが出来るかもしれないよ?」
「俺の、焦がれる……?」
こんなの、俺の選択を自分の有利なものにさせようとする戯言に過ぎない。
到底信じることなど出来ないし、そこまで言ってくるということは自分の手を取ってもらいたいが故の接触だということが浮き彫りにもなっている。
つまり奴には、俺を頷かせなければならない理由がある。
そんな見え見えの企みについて行くわけがない。
――だがそんな心情など意にも返さず当たり前のように時は過ぎていくから、徐々に床を強く踏む音が耳に届いた。
「――ッッ!!」
どうやら既に万が一にも逃げ切られることが無いよう完全に退路を塞ぎ終え、騎士団は突入することを決めたみたいだ。
ここにはほんの数十秒で辿り着いてしまうだろう。
今は扉を閉めているが、蹴破ってロックを破壊した以上強行突破することは造作も無いことだろう。
「くっ……!」
ヨゾラも魔法陣に魔力を籠めると、魔法陣からは何度も見てきた次元の裂け目が現れて死体となった女の子たちを呑み込んでいく。
そして自身の真横にもまた次元の裂け目を呼び出していた。
「さあ……選んで?」
あくまで少女は、俺の選択を尊重するつもりらしい。
……だが、残念ながらそもそもこの状況下での選択肢など一つしか無いのだ。
どの道色々言われようが今の俺には示された道を辿るしかなくて、その無力感に苛立ちが募りながらも俺はヨゾラの要求を呑むしかなかった。
「……わかった」
苦渋の決断から頷き、するとヨゾラの満足そうな笑みを視界に捉える。
既に階段を駆け上がる音も聞こえてきて最早時間が残されていないのは明白だった。
……いつもこうだ。
この世界に来てからずっと思ってたけど、過去の記憶を取り戻したことで、俺はいつも自分で決めたことを成し遂げることなんか出来なくて他者によって示された道を流されるままに歩き続けていたことに気付かされた。
そしてそうやって失敗する度に、俺はそれを受け入れざるを得なくなるのだろう。
それをわかっていても、別の道を作ることの出来ない無力な自分にほとほと嫌気が差してくる。
俺が全て、一人でやらなければいけないのに。
他人に頼れば、結局大切な人だけでなくその人をも失ってしまうとわかっているのに。
「聖神騎士団だ! 貴様を反逆者としてこう、そく……」
それでも俺は抗うことなく、次元の裂け目へと身を捧げて。
「もぬけの殻……だと?」
勢いよく扉を破ったへレスティルの前には、大量の血痕が月明かりに照らされながら残された……ただの部屋だけだった。