第13話(2) 『分かつ道』
聞かれると思っていた。
というより、疑問に思って当然の事柄だ。
俺が教会を出てからまだ半日も立っていないのに、教会に帰って来たと思ったら傷だらけのテーラを持って帰って来てそれで疑問に思わないわけがない。
「……」
……でも、それに答えることは出来ない。
たとえセリシアが既に三番街の異常事態のことを知っていたとしても、これ以上情報を開示することはセリシアに余計な負担を強いてしまうことになる。
君に無理をして欲しくないんだ。
これまであったこと全てを君に伝えたら、きっと君は自分自身をまた責めて二度とそういった事が起きないようにと動き続けてしまうじゃないか。
これは当事者である俺とテーラだけの問題だ。
むしろ今までこういったことがあったと包み隠さず伝えたとして、それで俺が大切にしている思い出の中にあるセリシアの微笑みが間違っていたと本人に思われてしまう方が我慢ならない。
だが当たり障りのない言葉を言っても、それはそれできっとセリシアはまた悲しみに暮れてしまうのだろう。
でも俺だって……何も最初から何も言わないでいることを決断出来ていたわけじゃないということは、君が一番よく知っていたはずだ。
あの日……アルヴァロさんを【断罪】した後気を失って、そうして目が覚めた後のことを思い出す。
君のおかげで俺が変われた、あの日のことを。
「……君が俺に言ってくれたんじゃないか。言いたくないことは言わなくても良いんだって」
「……! それは、メビウス君のお知り合いの方と何かあったのだと思って……お二人の関係性に私達が土足で入り込むのはいけないことですから、子供たちと同じように気にせず日々を過ごしてほしくて言ったんです。ですが、今回のことは……」
「なら、今回のことだって同じだよ」
「そんな、ことは……」
一言一句覚えてる……君が言ってくれた、俺にとって大切な言葉だ。
あの言葉を聞いてから俺はずっと救われた気持ちになれて、その言葉が俺の行動の指標となった。
「君は俺に言ってくれたじゃないか……聞きたい言葉は、笑って話せるものだけでいいって。だから、心の底から笑えるようになったら話すって決めたんだ。君に教えないんじゃなくて、まだその時じゃないってだけなんだよ」
「その時じゃない……ですか」
「ああ。必ずまた笑い合える日々がやってくる。それまでの間みんなの笑顔を維持するためにも、君にはずっと笑っててほしいんだ」
「笑って……」
「そうだよ。だって君はこの街にとって唯一の希望である、立派な聖女様なんだから」
「――――」
街のみんなも、子供たちも……みんなそれを望んでる。
君がみんなの笑顔を守って、俺がそれを壊そうとする悪党を【断罪】する。
……それでいいんだ。
それが一番、みんなが望んでる平穏な日々なんだから。
「……そう、ですか」
顔に陰を落とすセリシアの表情はわからない。
でも、セリシアが納得してくれるような言葉を並べることは出来ていたはずだ。
だから彼女の短く発した理解の言葉を受け俺はそっと安堵の息を吐きつつも、ならばとセリシアに労わりの言葉を渡すべく軽く視線を彼女に合わせた。
「わかってくれた…………はっ?」
――だがぽろぽろと零れ落ちる雫が視界に映った瞬間、思わず俺の喉から……音が鳴る。
「な、は……ど、どうし……」
セリシアは……泣いていた。
もしかしたら俺が気付くまでは我慢していたのかもしれない。
けれど徐々に肩に震わせて必死に涙を拭う姿に、俺は動揺を隠しきれずにいる。
セリシアの泣いてる姿なんて、初めて見た。
そしてその初めての涙を、また俺が流させてしまった。
その事実が深く強く俺の心へと伸し掛かり、俺は咄嗟に身を引いて衝動のままに謝罪の言葉を口にする。
「ご、ごめっ…………っ」
だが……一体、何に謝ろうとしているというのか。
決してセリシアを泣かせようとしたわけじゃなくて、むしろ彼女に安心してもらおうと思ったが故の言葉だった。
だから今の俺には彼女を慰めたり、あまつさえ泣き止ませることが出来るような言葉が何なのかがわからなくて、どうすることも出来ず身を硬直させてしまってる。
わかってくれたって思ってたのに……一体、どうして。
「私の安易な言葉のせいで、メビウス君はそんなに疲れても頑張り続けてしまっていたんですね……」
だがその疑問は、固まったままの俺に視線を向けることなく口を開いたセリシアによって解が成された。
「あ、安易だなんて言うなよ……少なくとも俺はっ」
「ですが本来であれば、メビウス君のその想いを叶えるのは聖女である私でなければならないはずです……! それが、私の仕事で……少なくともこの街の平和のためにメビウス君が身を粉にして頑張っているのなら、それは聖女である私が不甲斐ない証でもありますっ……」
「それは違う! 君は充分頑張ってるからこそ、その残りを俺がどうにかしてあげようって、そうやって……」
「私はメビウス君の笑った姿も守りたいんですっ!」
「――っ」
「ずっと……そう言ってきたつもりです……」
それが出来ていない以上まだ自分の頑張りが足りないのだと、そういった意味を籠めた言葉をセリシアは吐き出した。
涙を流しながら眉を潜めてこちらを見るセリシアにまたしても俺は言葉に詰まる。
彼女の表情に籠められた意味を……俺は理解することが出来ない。
それ程までに俺はずっと、君の気持ちがわからなくなるまで自分から遠ざけてきたのだと突き付けられた。
「メビウス君がそんなに疲れた姿を見せて、テーラさんがここまで傷付いてしまうような出来事もあって……それでもメビウス君は私が聖神騎士団の皆さんに事情を話して、そしてまた止まってほしいとお願いしても、止まっては頂けないんですよね」
「……っ」
「わかっています……わかって、いました」
違う……違うよ、セリシア。
テーラがこんなにも傷付いているからこそ、尚更止まっちゃいけないんだよ。
セリシアの言い分もわかる。
常識的に考えれば一般人がしゃしゃり出るよりこういったことの解決を仕事としている聖神騎士団に任せるべきだ。
それが普通だ。
だが……その頂点にいる司祭が一番の悪党だというのに、一体どうしてその傘下である聖神騎士団を頼ることが出来るというのか。
結局、どうしたって俺は一人で頑張るしか無いのだ。
そして一人で全てを成し遂げることが出来る程の力を……俺は持っているはずだ。
持っていると自分を鼓舞しなければ、誰一人守り救うことなど出来ないのだから。
「……」
だから俺が彼女に言える言葉は何もない。
その態度を正面で受け止めたセリシアはグッと一度瞳を潤わせたかと思うと、今度は強く涙を拭ってふらつきながらも立ち上がろうとする。
「ぁ――――」
ふらついた彼女を支えてあげようと伸ばした手は、小さく漏れ出た声と共に途中で固着し動かない。
彼女に触れる資格が俺には無いのではないかという不安が俺の動きを止めたから。
「……ぇ」
「……」
でも彼女は、そんな空を切る俺の手を決して見捨てはしなかった。
伸ばしかけた俺の手をそっと両手で包み込むと、雫を頬に流したままセリシアは俺がどんなに同じ答えを告げようと慈愛の籠った顔を向けてくれる。
そんな目を以前のようには直視出来ない自分に嫌気が差しながらもセリシアから逃げるように顔を伏せるが、それでも彼女は決して俺の手を離すことはしなかった。
「メビウス君がたくさん頑張っていることを知りながら、私は何もしてあげられませんでしたっ……あの時、教会に帰って来たメビウス君が涙を流していた時も、何もしてあげられなかったんです。子供たちと同じように見守ることが大切だと、そう思って……」
「違う……君は俺にたくさん……」
そんな俺の呟きにセリシアは首を横に振る。
「私の覚悟が、足りなかったんです。……ですから、私は私の出来ることを精一杯することに決めました。これ以上メビウス君が頑張らずに済むまで、やらなければならないことはたくさんあるのだと気付きましたから」
「なんでだよ……君は聖別の儀式を終わらせたばかりで、もっと長い時間休むべきで……これ以上君が頑張るなら、それこそ俺は……」
「……きっと。私もメビウス君もお互いに頑張りすぎてほしくないと思っているんですね。そのことは……凄く、嬉しいです」
俺だって同じだ。
そう言って、そう思ってくれるのが嬉しいからただそれだけで良いって、頑張れるんだって思えるんだ。
だが、だからこそ俺以外の頑張りは不要だとも思ってる。
俺とセリシアは敵じゃない。
でも決して共存することは出来ない関係だ。
眩い光に影が入り込んではいけないように、混沌の影に光を引き込んではならないのだ。
俺の弱った姿をセリシアが許容出来ないように、俺だって彼女が疲れ切った姿を見ているだけでいることなど出来ないから、たとえ共に手を取り合っていた世界線があったとしてもやり方が違う以上必ず何処かでその共存は破綻していたはずだ。
結局どちらも引く気が無い以上、どれだけ話した所で話し合いは平行線になるだけ。
それを多分……俺だけじゃなくセリシアも薄々気付いてる。
だから、嬉しいで終わらせるわけにはいかないのだろう。
「でも、やっぱりメビウス君が疲れ果てていても頑張り続けなければならない現状はおかしいです……どうしてメビウス君がそこまで頑張らなければならないのか……たとえメビウス君が教えてくれなかったとしても、それを知る必要があると痛感しました」
多分セリシアはその判断が本当に正しいのかどうかを、まだ決めきれていないのだと思う。
事実人の事情を強引に暴くことは彼女からしてみても褒められた行いではないと子供たちを通して知っているだろうし、今でもきっとその想い自体は変わらないはずだ。
事情を暴くことが俺のためになるともきっと思ってない。
でも……それでもって、そう決断したセリシアの想いはこの世界の誰よりも尊重するべきものだ。
「……」
でも……君じゃ絶対に暴くことは出来ないよ。
優しい君では想像すら出来ない、脳裏にすら浮かばない現実がここにはある。
だから俺も止めはしない。
その態度をどう解釈したのかはわからないが、セリシアは目を伏せそのままそっと俺の手を離すと、踵を返してドアノブを掴んだ。
「……私が教会を不在の間は、子供たちにテーラさんの看病をして頂くようお伝えしておきます。もし万が一にも容態が悪化するようであればすぐに駆け付けますので安心してください」
「……うん」
どうやら、もう行くみたいだ。
最後までこの場で強引に理由を聞くことなくテーラの現状を受け止めてくれたセリシアには感謝しかない。
「本当に、助かった。テーラを助けてくれて……ありがとうセリシア」
「……はい」
だからその意を示すために頭を下げると、セリシアは悲しそうな顔をしたまま目尻に乗る涙を最後に拭って、そのまま部屋を出て行った。
……一気に静かになった部屋の中で聞こえるのは、テーラの小さな息遣いだけだ。
「……」
ベッド傍に置いた椅子に座り直して、改めてベッドに横になっているテーラを見つめる。
【聖神の祝福】により重傷だった場所はほとんど癒えたとはいえ、セリシアの体力的にも全てを一回で完治することは出来なかったから、頭やその身体には俺と同じように怪我人の証である包帯が巻かれている。
それがあまりにも痛々しいから、俺は脱力した手を労わるようにそっと握った。
これも全部……俺のせいだ。
目の前に無かったことにはならなかった自分の罪の証があって、そんな悪党を裁く権利のある奴が何処にもいないからこそ、その罰は自分で課さなければならないと思うのだ。
だからテーラの寝顔を見ていると自分の罪を自覚して、セリシアには言えなかった心中が零れ落ちる。
「こんなはずじゃなかったって、もう言わねぇよ……たとえ今嫌われることになっても、平穏な日々を取り戻した先に見据えた笑顔がある。だから……これが俺の選んだ道だ。その道がたとえどれだけ困難なものであっても……変わりさえしなければ、必ず救われるんだから」
ベルゼビュートが言っていたように、選択肢はいくつもあった。
もっと良い結末ももっと悪い結末もあって、そのいくつもの選択肢の中で俺が選んだ道が今だってだけだ。
「……選んだ道は、決して戻れない」
たとえテーラが生きていてくれたとしても……ルナが悪党に誘拐されたという事実も一緒に変わったわけじゃないんだ。
結局、俺の罪は罪のままだ。
……でも。
「……でも今だけは」
それでも、今だけは。
「生きてて良かった……ほんとにっ、ほんとにっ……!」
両手でテーラの手を握りその血の通った熱を感じながら涙を流すことぐらいは、赦して欲しかった。