第13話(1) 『帰還』
付加価値ではあるが、転移魔法陣を破壊したことでカルパディアは転移先と三番街とを行き来する手段を失ったはずだ。
だから恐らく、転移魔法陣を起動する際の生贄として死んだ騎士二人を弔ってあげることが可能になったことだろう。
でも、騎士二人と今腕に抱えている大切な女の子のどちらを優先するのかと聞かれたら俺は一切の罪悪感や躊躇なく後者を選択する。
だってテーラが、生きていたのだ。
俺というゴミ野郎のせいで自分の命を差し出してしまったはずの少女が、今確かに俺の両腕に抱かれている。
それだけで救われた気分だった。
でも、生きていたからこそそんな気分になる権利は俺にない。
死者より生者を。
あの二人には悪いが、今はテーラをどうやって生かすかしか考えられない。
だから俺は死体となった二人の騎士を尻目に『ウイングソール』を起動し、腕に抱くテーラを抱え直して急ぎ墓地を飛び出した。
傷だけなら、天使としての価値観であれば致命傷とまでは行かないものだ。
だけど怪我に加え何十日も生き永らえてきた故の衰弱が酷い。
たとえ天使だろうと衰弱までしてしまったら早急に長い休息が必要だ。
既に普通の応急処置でどうにかなるものじゃない。
傷の回復を待っていたらその前に衰弱死してしまうことだろう。
ここが天界だったらもう助からない。
でもセリシアの持つ『聖神の祝福』があれば、まだ挽回が効くはずなのだ。
「くっ……!」
意識を完全に失ったからか徐々にテーラが施した止血のための氷は溶け始め、少しずつ水と混じった血が垂れ落ちてしまっている。
焦りは募るばかりで、そう遠くないうちに俺の腕に感じる熱が冷たくなってしまうんじゃないかと不安だけが増幅してしまっていた。
とにかく、一刻も早く教会に向かわなければならない。
セリシアの力さえ借りることが出来れば、必ずまた意識を取り戻してくれるはずなのだ。
だから俺は戦うための魔力の余力も残さずに全てを『ウイングソール』に送り込んで莫大な突風を巻き起こす。
天使としての人生で得たものをフルに活用して木々を少ない動きで避け続け、教会へと一直線に飛翔し続けていた。
――
ほんの数分で教会へと辿り着いた俺だったが、このまま教会に入れる程人生は甘くないことを痛感することとなる。
今すぐにでも教会に入りセリシアに助けを求めたい。
だが俺とは違いテーラは教会の結界を通り抜けることが出来ないため、このまま鉄門を超えようとすれば以前メイトを担いだ時と同様にテーラだけが侵入を拒まれてしまうという事態に陥ってしまうのだ。
……本当に神サマがいたとして。
大切な人達を助けてくれないどころか助けることの邪魔しかしない神サマとやらを、一体どうやって受け入れれば良いというのか。
だが今まさにその神サマの力を借りなければならない現状は明らかに矛盾していて、セリシアに助けを求めることしか出来ない自分の無力さに嫌気が差すばかりだ。
「……すぐにセリシアを呼んでくるからな」
それでも、お前を助けるために。
俺は慎重にテーラをすぐ傍にある木の幹に寄り掛からせると、そのまま焦りで顔を歪ませながら全速力で教会へと入り礼拝堂の扉を開いた。
「セリシアいるかっ!?」
「きゃっ!?」
あまりにも勢いよく扉を開いてしまったから、礼拝堂の掃除をしていたセリシアは大きく身体を跳ねさせながら慌ててこちらを振り向いた。
心底驚いただろうが、今の俺にはセリシアに気を遣うための冷静さを持ててはいなくて、緩急を付ける間もなくセリシアの腕を取る。
「お、おかえりなさいメビウス君っ。思っていたよりお早いお帰りで――」
「すぐに教会の結界を解いてくれ! 時間が無いんだっ。一刻を争う事態なんだよ!」
「お、落ち着いてください……そんな、大きな声を出さなくても……」
「話してる場合でも落ち着いてる場合でもないんだよ! 時間が無いんだ! とにかく早くっ!!」
「そ、そんな――いたっ……」
「――ッッ!?」
人は、すぐに死んでしまうんだ。
故に悠長なことをしてられないからとセリシアのペースに合わせず無理に腕を引いたことで、彼女は小さな悲鳴を上げ、痛みから軽く身体を震わせたのが俺の腕から伝わってきた。
その悲鳴を聞いた瞬間、俺の沸騰した脳は急激に鎮火して反射的に手を離し顔を歪める。
恐る恐る視線を向けると、セリシアは手首を庇いながら半歩下がり、少しだけ怯えた様子で身を竦めて俺を見ていた。
「う、ぁ……」
その姿を見たことで、俺はまた彼女を傷付けたのだと突き付けられた。
痛がらせるつもりも無理矢理連れて行くつもりもなかったのに、冷静さを失った結果セリシアの想いを疎かにした。
「ち、ちが……ご、ごめっ……!」
サーっと血の気が引いていくのがわかる。
動揺で頭が真っ白になりかけるが、だからといって今は以前のように彼女から逃げるわけにはいかなかった。
腕を強く引いてしまったとはいえ、俺の言った言葉は全て真実なのだ。
本当に一刻の猶予もない、生死の分かれ目が刻一刻と迫ってる。
「……あ、の」
「――っ」
でもだからってセリシアに酷い事をしていい理由にはならない。
恐らく【聖神の奇跡】の発動があまり機能しなくなってからだ。
セリシアが『痛み』という感情を知ったのは。
彼女が初めて受けたであろう『痛み』という感覚を何度も味合わせたのはよりにもよって俺だった。
事実セリシアは怯えと動揺の混じった目を俺に向けている。
家族に向けられたとしたらそれは信頼が崩れる象徴でもある小さな恐怖の積み重ねにより変化した瞳だ。
どうしようどうしようどうしよう。
どうすれば許してもらえるだろうか。
でもそんなことを考えてる場合でも無いんだ。
ほんとに、早くテーラを……でもそのためにはセリシアを……けれど彼女を説得出来るような言葉だって今の俺にはすぐに思い浮かばなくて。
「俺じゃ、駄目なんだっ……」
だから俺は取り繕う余裕もない自分を、拙い言葉を、初めてセリシアに隠さずに吐き出すしかなかった。
「今教会の外で、テーラが傷だらけで倒れてて……おれ、俺、もうどうしたらいいのかって……それでっ……」
「ぇ……!?」
「早く、治療しないと……だからっ……」
片手で頭を抱えながら情けない醜態を晒して、何がみんなを俺が守るだ。
それでもこれは取り繕っていない本当の自分、本物の本心だから、これ以上に並べられる言葉を俺は有していなかった。
カッコ悪い……俺だったらいとも容易く軽蔑してしまうような、父さんの足元にも及ばない俺の本音。
こういう姿を見せないために俺は今までずっと仮面を被り続けてカッコいい姿を見せてきたというのに。
自分の愚かさには吐き気を催すばかりだ。
……だけどセリシアには、それだけで充分だったみたいで。
下を向き、彼女の顔を見れない俺の小指をセリシアはそっと絡めて軽く引き、俺の顔を上げさせる。
弱々しい目で視線を向けるとセリシアの表情は既に真剣そのもので、俺の視線と重なると小さく、それでいて強く頷いていた。
「わかりました、すぐに結界を解除します。メビウス君はテーラさんを二階に連れて行ってあげてください!」
「……! あ、わ、わかった!」
そう言うなり俺より先に礼拝堂を出るセリシアに従うことにして、俺もまたその後に付いて行く。
教会の結界を解除したであろう光が見えたと同時に俺はテーラを優しく抱き抱え、セリシアより先に二階へと上がり自室のベッドにテーラを寝かせた。
「くっ……!」
だが寝かせたベッドシーツはすぐに垂れ落ちる血で赤く染まってしまって、俺の焦りは再度その熱を上げ始めている。
氷も既に完全に溶けてしまっていて、綺麗だった肌を深く抉る傷が俺の憎悪をより強固なものにさせていた。
「お待たせしましたメビウス君っ!」
「――っっ!!」
ただそんな憎悪も、セリシアの神秘的な声色ですぐに心の奥底へと沈んでゆく。
ぱたぱたと軽い足音を鳴らしながら部屋に入ってきたセリシアの両手には以前俺も使っていた救急箱に加え、何故かそこそこの量のタオルがあった。
「《聖神ラトナ様……どうかこの者に癒しの加護をお与え下さい》」
それらをベッドのすぐ横に置くと、セリシアは早速【聖神の祝福】を発動し聖なる光が意識を失うテーラへと注がれる。
「すみませんメビウス君。深い傷から治療を行いますので、その間の止血をお願い出来ませんか?」
「えっ、あ、う、うん……!」
だが祝福を発動して終わりというわけではないらしく、セリシアに指示され俺は慌てて流れ出る血を止めるべくタオルを傷口に押し当てた。
実際に【聖神の祝福】で傷を治すのは初めて見たが、確かにこの治癒能力は神の力と呼ぶに相応しいものだ。
あれだけ深かったテーラの傷が少しずつ修復されていっている。
こうして修復した傷の内部は衛生的に大丈夫なのかという疑問も浮かびはするが、そういった副次的問題が報告されているとしたらセリシアもここまで躊躇なく祝福を使いはしないだろうし、恐らくそこも【聖神の祝福】はケアしてくれているのだろう。
テーラは天使としての特徴を理解しているからか、幸いにも見る限り受けた傷は全て急所を外していた。
この傷の受け具合を見るに相手は相当数がいたはずだ。
それなのに急所を外し多量出血をもカバーすることがどれだけ大変なことだったか。
でもそこまで頑張ってくれたからこそ今がある。
この調子ならいける……助けられる。
……ただ。
傷口を抑えながら、俺はチラリとセリシアに視線を向ける。
「……っ」
「……」
彼女の頬には一筋の汗が流れていた。
その様子を見て察した俺は何も言わずにすぐに視線を戻し自分の役目を果たすべくセリシアの補助に徹する。
……そうして、大きな時間を費やして。
無事テーラの治療は完了したのだ。
――
集中を切ったことで疲労が一気に身体に来たのだろう。
セリシアはぺたりと床に座り込み肩で息をしながらも、テーラの傷を全て癒せたことに安堵した表情を見せていた。
【聖神の祝福】は凄い。
死なないための癒しの力は、傷だけじゃなく衰弱による心身の負荷をも癒すことが出来ていて、傍から見ても信者たちが神々しい力だと信仰するのも納得の出来るものだった。
死ななかった……生き永らえたんだ。
ほんの少しだけ落ち着いたテーラの息遣いを聞いて、俺も脱力したように息を吐く。
でも今はテーラばかりに意識を向けてセリシアの頑張りを無碍にするのは間違っていると思うから、俺もゆっくりと腰を下ろしてセリシアに感謝の言葉を口にした。
「ありがとう……ほんとに、君がいなかったら最悪の結末になってた」
「私だけの力ではありませんよ。メビウス君も、手伝って頂きありがとうございました」
「俺は、何も出来なかったよ……ただ君に酷いことをしただけだ。本当に……ごめん」
「テーラさんがこんなに大怪我をしていたのですから取り乱してしまうのは当然のことです。私の方こそ――」
「いや! ……俺が、全部悪いんだ」
こればかりはセリシアの優しさに甘えては駄目なんだ。
どう考えても悪いのは俺だけなのに、セリシアはいつも「自分も」と責任を半分受け取ろうとしてくれる。
でもそれを受け入れてしまったらテーラにしてしまった罪すらも渡して楽になろうとしてしまうから、俺は首を横に振って彼女の言葉を突き放した。
「……」
「……」
俺が無理矢理話を切り離したから、僅かな静寂が部屋全体を包み込む。
最近セリシアといるとこういったことが多くなってきたことに加え、俺はほんの少しだけ気まずくなって顔を落とした。
それは偏に。
「……どうして」
「……っ」
「どうして、テーラさんはこんなにも傷だらけだったんですか……?」
この後セリシアが言う言葉が何なのかを、理解しているからだ。