第12話(9) 『差し出されたもの』
気を取り直し、腰を据えての話し合いを行う。
最初に口火を切ったのはカルパディアだった。
「昨日お伝えしたように、聖女様の在籍する各街で結界が張られていないのはこの【イクルス】の三番街だけです。これまでの襲撃や問題全ての根源はこの本来あるべき結界が存在していなかったからに他なりません。それがたとえ聖女様ご自身の判断だったとしても、帝国としては三番街の聖女様だけに人員を割くことは出来ないという旨は再三伝えてきたはずです」
「……はい」
「聖女様ご自身に責任を追及することは出来ないため、帝国としてもその責任を聖神騎士団に向けるのは当然の事だと考えています。守るべき民と聖女様を守れなかった。どんな事情があろうと、それが事実であることが全てなのですから」
「……」
カルパディアに対する敵意を抜きに考えれば、へレスティル然り奴の言っていることは世界を統治する【帝国】として当然の考え方だと思う。
本来守られるべき平穏の抜け道を聖女自らが作り、実際にそこを悪党が通り抜けたくさんの人を危険に晒した。
ならどうすれば良かったのかと問われれば、騎士団側が悪党が三番街を狙う前にそれを未然に防ぎ且つ捕らえるというあまりにも非現実的な方法しかない。
俺が初めてこの世界に降り立った時にもしょうもない非教徒が来ていたことから鑑みるに、そこらの対処法が確立出来ていなかったことは否めないだろう。
だからセリシアも、その点においては申し訳なさそうに眉を落としてしまっていた。
「……カルパディア司祭の言う通りです。私はそういったことには疎くて、悪い人もいるということを理解出来ていませんでした」
「聖女様が謝ることではありません。仕方のないことなのですよ。聖女様は領主ではありませんし、その仕事をしなければならないわけでもありません。帝国の管理内であるこの【イクルス】において、聖女様がマニュアル通りに行動することが前提としてありましたから、その前提が崩れた時点でこうなることは予期されていたことです」
「……っ」
「聖女様は聖女様にしかなれない。知識のないまま街の安全を維持することなど不可能なのですよ」
カルパディアの言葉を、セリシアは黙って受け入れているだけだ。
実際に彼女にはこれまでの異常事態の数々から多大な自責の念を抱いているだろうから、自分の不甲斐無さにうんざりし三番街のみんなに今も心の中で謝罪しているのかもしれない。
でもそれはしょうがないだろ。
聖女とか関係無しに、セリシアはこの世界のみんなが優しい奴だって信じてる。
常に悪党が来ることを考えるだなんて彼女に出来るわけがないし、それが出来るのなら俺の今知ってるセリシアでは無くなってしまっているはずだ。
そもそも、この【イクルス】の体制自体がおかしいのだ。
街を統治するはずの領主が存在せず街のトップが聖女一人に一任されていて、その聖女はマニュアル通りに過ごし信仰と金を徴収するだけ。
街の治安維持は派遣された聖神騎士団に丸投げし【イクルス】全体の管理は遥か遠くに位置する【帝国】が行っている。
街の機能を聖女一人に依存し過ぎだ。
マニュアル通りに動かなければ街全体が破綻するだなんて、そんなのまるで帝国が聖女を帝国にとって都合の良い状態にしようとしているとしか思えない。
「ですが一度行ってしまったものを元に戻すことが難しいのも事実」
恐らくカルパディアもそれをわかっていて、だからこそそういった事柄に疎いセリシアにあるはずのない責任があるように見せているのだ。
タチが悪すぎる。
カルパディアを睨む俺を無視しながら、奴はそのまま言葉を続けた。
「ですからこの【イクルス】三番街を、一度リセットすることを私は提案します」
「リセット、ですか……?」
「ええ。昨日言ったように聖女様には一度帝国にご帰還して頂き、新たに四番目の聖女様に後釜をお願いしようという話です。ですがそれだけでは足りないと私は思っております」
「……っ」
「――ッ!」
リセットという言葉にセリシアが反応したように、俺もまたその言葉に肩を跳ねさせチラリとセリシアへ視線を向けた。
……やっぱり、動揺してるな。
昨日のあの後すぐに庭で話した内容とほとんど同じことをカルパディアは話そうとしている。
だがセリシアのあの考えはあくまで俺の労力を鑑みての苦肉の策であり、セリシア本人は初見でカルパディアに告げたことをそのまま貫きたいはずなのだ。
だからあの時、俺のことは気にしなくていいというニュアンスのことを言ったがそれでセリシアが納得したとは思えない。
……でもカルパディアはまだセリシアの本音を知らない。
であればセリシアが初見の時の態度のままでいられれば、まだ奴の思惑を断ることが出来るはずだ。
だから少しだけ俯くセリシアの袖を軽く引き、大丈夫だからとアイコンタクトで伝えてみる。
だがそんな俺の想いとは裏腹にセリシアは俺に悲しそうな目をするだけで、すぐに視線を逸らしてしまった。
「今いる三番街聖神騎士団に責任を取らせた所で、根本的な解決になるわけではありません。三番街が安定して生活を送れるようにするためには大きな改革が必要だと思っております。ですから、私主導のもと聖神騎士団のメンバーを全て入れ替え、そして新たな聖女様をトップに置くことで、この三番街に新たな風を吹かし本格的な対処になるのではないかと思うのですよ」
「……確かに、カルパディア司祭の提案は理解出来ます。ですがこの状態で大きく環境を変えてしまえば、街の皆さんにより大きな精神的負担を強いてしまうことになってしまいます」
「……現状以上の負担になるとは到底思えませんが」
「……っ」
カルパディアの吐いた小さな息にセリシアは思わず言葉を詰まらせてしまう。
実際、現状だとセリシアの姿が無い時のみんなはかなり疲弊してしまっているのは否めない。
それは今この瞬間でも同じことだ。
たとえ教会にセリシアがいることをみんなが知っていても、この状況では個人個人で教会には来れないし精神的不安はずっと心につき纏っていることだろう。
みんな、自分の生活を守るだけで手一杯なのだ。
セリシアがいたとしてもそれで街の封鎖が解除されるわけではないし、そもそもセリシアがみんなの前に姿を見せることが出来る時間だって限られているからその釣り合いも取れていないと言わざるを得ない。
……だが、セリシアがいなくなればそれはそれで裏切られたと思ってしまうだろう。
彼女が教会にいるという事実もまた、みんなの堕ちてしまいそうな心をギリギリ繋ぎ止めているのは間違いない。
『変わること』よりも、『変わらない』ことの方が正しいのだ。
だから奴の言葉に耳を貸す必要なんてない。
それに今は言葉を詰まらせてしまってるけど、セリシアの反応だってそこまで良いわけでもない。
カルパディアがあくまでセリシアの良心に付け込むことで提案を呑ませようとしているだけなのであれば、それは未だ彼女を舐めたままでいるということでしかないはずだ。
セリシアはきっと断る。
だから……大丈夫なはずだ。
だがそんな俺の不安を助長するかのように、カルパディアはわざとらしく笑みを浮かべ直すと、
「しかし聖女様の不安を理解出来ます。住民たちが今聖女様を精神的支柱にしていることは確かです。しかしそれとは裏腹に街には見慣れない本部の騎士が街を警備し始めていますから、より精神を消耗していることでしょう。――ですのでこうするのはいかがでしょう? しばらくの間聖女様には教会ではなく三番街内で生活を行って頂き、いつでも住民たちの声が聞ける状態を作るというのは」
「え……?」
「……ぁ?」
流石にセリシアも許容出来ない、あまりにも突拍子もない提案を口し出した。
そんなこと、出来るわけがないだろ。
確かに街のみんなには今、聖女であるセリシアの存在は不可欠だ。
でも大前提として聖女の安全は街のみんなの安心よりもよっぽど優先するべきことで、もしもそれで聖女に何かあればその方が街のみんなにより大きな不安と後悔を抱かせることになる。
みんなが安心した顔を見たいのは事実だ。
でも、短期的な安心よりも長期的な安心を選ぶべきなのだ。
彼女の理想は絶対に実現するのだから、今は耐え忍び未来にある平穏な日々を待った方が良い。
少なくとも俺はそう思う。
でも、口を出せない俺を前に二人の会話は続いていて。
「えっと……ですが聖女が教会を管理しない日が続くというのは……」
「三番街の聖女様はマニュアル通りの活動は行わないのではなかったのですか?」
「それは、そうですが……でも、子供たちとの生活もありますし……」
「教会の結界を一度だけ解いて頂ければ『聖徒』の生活はこちらの騎士たちで対処しますよ。安心と安全を保証致します」
「……それ、なら。でも……」
「……っ!?」
セリシアはカルパディアの提案を強く否定することはせず、むしろ迷うような姿勢を見せてしまっていた。
なんでだ……どんなにカルパディアが妥協しても、こんな提案呑むに足らない程お粗末なもののはずだろ……!?
セリシアの代わりに本部の連中が教会で過ごすだなんて、居候させてもらってる身の俺が言うべきことではないかもしれないがこの神聖な教会にセリシア不在の中そんな奴らを招き入れていいはずがない。
どんなに妥協されても、拒否しなければならない事柄であるはずだ。
セリシアだって間違うことはある。
街のみんなの不安をすぐにでも取り払いたいと君が思ってしまうのは仕方のないことだ。
……だからいつも通り、影である俺がちゃんと止めてあげないと。
そう思い少しだけ強くセリシアの袖を引き直すと、その様子をジッと見ていたカルパディアの眉が一度だけピクリと跳ねた。
「……ふぅ。聖女様。不安に思い心配するのは美徳ですが、時には決断することも大切です。……本当は見せるつもりは無かったのですが、これを見ても本当にこのままでいいと言えるのでしょうか」
「……?」
迷う素振りを見せるセリシアに痺れを切らしたのかカルパディアは小さくため息を吐くと、俺達の疑問を一身に受けながら自身の持っていた荷物から一枚の封筒を取り出した。
そしてその中からそこそこの量の紙束を取り出すと、それを目の前のテーブルへと並べ置き始めている。
「こちらをご覧ください」
写真……だろうか?
彩りのある紙なためそう判断しつつも、出された以上見ない理由は無いと興味本位で覗いてみた。
――だがそのあまりにも安易な行動が、俺とセリシアの顔色を大きく乱すこととなる。
「こ、これって……!」
「ええそうです。聖女様だけが知らず秘匿されてきた、三番街での異常事態の一部始終の写真ですよ」
「――ッッ!?!?」
俺の視界に映る先には、街のみんなが虚ろな目をしながら立ち尽くす、見覚えしかない光景が映し出されていた。
「な、なん、で……!?」
なんとか聞こえないぐらい小さな声にまで抑えることが出来たが、見開いた目が閉じることなくその写真から目を離せない。
すぐさま全ての写真に目を向けても、そのどれもがセリシアの知らない現実を余すことなく示し続けている。
「ここに写った人々は皆、闇魔法によって生命を削られています。もしも解決が遅れていたらこの街の住民は全て餓死していたことでしょう。それか……聖女様がこの事実を知っていたとしたら、他に解決出来る方法があったのかもしれませんが」
「……!」
「もちろん、そこにいる方もしっかり映っているようですよ」
「ぇ……!?」
「――っっ!」
指で前に出された一枚の写真には、確かに他のみんなと同様に虚ろな瞳で立ち尽くしている俺の姿が映り込んでいて、セリシアは驚愕のあまりその写真からしばらくの間目を離さなかった。
「…………!!」
そして……本当かどうか確認するためか、揺れた瞳が俺を見る。
それに反射的に目を逸らしてしまったから、セリシアはそれが本当のことだと確信を得てしまったみたいだ。
動揺するセリシアに笑みを絶やさないまま、カルパディアは畳みかけるように言葉を続ける。
「聖女様。貴方が知らなかった日々の間に、このようなことがまかり通ってしまっているのです。そしてそれを隠し通そうとする民がいるという事実は、果たして本当に聖女様に心配を掛けさせたくないというだけなのでしょうか?」
「え……?」
「今の聖女様は信用出来ない……もしかしたら、そう思われているからこそ街の住民たちは隠し通そうとしたのかもしれませんよ?」
「――っっ!!」
「――ッ!? て――!」
「……」
「くっ……!」
反射的に怒鳴ろうと口を開きかけるが、まるで介入しようとするのを予期していたかのように含みのある視線が俺へと重なり俺はその怒りを呑み込むことしか出来なかった。
マズいマズいマズい……!!
街のみんながそんなことを思ってるなんてこと、あるわけがないんだ……!
でもセリシアは向けられた疑念が自分に対してのものだから、それを完全否定することなど出来ないだろう。
もしかしたら、その僅かな不安がカルパディアの提案に耳を傾けてしまう材料になってしまうかもしれない。
奴の言葉に耳を傾けちゃ駄目だ……!
誰がこの写真を撮ったのかはわからないが、あの状況を撮影出来ている時点でカルパディアはベルゼビュートがあの異常事態を引き起こすことをわかっていたということになる。
それか情報提供者がいるか。
なんにせよ奴は自分がベルゼビュートと繋がっていることを俺に明かしてでもセリシアを帝国に向かわせることを受け入れさせたい理由があるのだ。
それに乗っちゃ駄目だ。
奴の言葉に頷けば頷く程、君の望んでる理想から遠ざかってしまう。
「……」
「ぐっ……!」
だから慌てて先程と同様にセリシアの袖を引いてみるが、彼女の揺れる瞳は絶えず写真へと向けられたままだ。
セリシアがそんな様子だから、カルパディアも笑みを崩さない。
まるで勝利を確信したかのようにつらつらと聞こえの良い言葉を吐き出していた。
「帝国に向かうというのは確かに早計ではありました。ですが信者の皆様の不安を取り除きたいと思うからこそ、聖女様には今行動して頂きたいのです。皆が、笑顔のままでいられるように」
「みんなが、笑顔に……」
「聖女様の……いや、聖女様含めこの街の方々の安全は聖神騎士団が命に代えてもお守り致します。ですので聖女様。ご決断を」
駄目だセリシア。
奴の言葉に耳を傾けちゃいけない。
コイツは他の悪党と同じように、君にとって耳触りの良い言葉を並べてるに過ぎないんだ。
本音は別の所にある。
だからカルパディアじゃなくて、俺を信じてくれ……!
「わか、りました……」
「――っ!?」
だが俺の引いた袖がセリシアの心に響くことは無くて、セリシアはカルパディアの言葉に小さく頷いてしまった。
これできっと、奴の思惑の一つが……成し遂げられたことになる。