第12話(7) 『排除のための』
教会にも一応『応接室』というものはあるが、閉鎖的な城塞都市である関係上信者以外の来訪者など中々来ないため、月1で行う掃除以外ではほとんど入ることのない部屋だ。
なので俺がこうして応接室に入るのも、実は初めてだったりする。
やはりここに入ることが多いのは権力を持つ奴ばかりだからか、内装は大テーブルに高級そうな材質のソファーと中々に金が使われているのが伺えた。
そんなソファーに腰を下ろしたカルパディアの対面にセリシアは腰を下ろし、俺もセリシアの隣へと座り込んだ。
カルパディアは何年も【イクルス】を管轄している司祭らしいのだが、見た感じ二人の関係はあまり良好とは言えそうにない。
あの誰とでも寄り添えるセリシアにしては非常に珍しいことだ。
恐らく以前【聖神の奇跡】に弾かれたということで、ほんの僅かな抵抗や苦手意識がどうしても出てしまっているのだろう。
聖女である前に人間なんだと、俺は改めて緊張した面持ちをするセリシアに好感を抱いた。
……まあ俺も初対面でいきなり斬りかかって【聖神の奇跡】を発動させてしまったわけで、事情が事情でなし崩し的に許された面があるからあまり得意げな感情を持つことは出来ないが。
「失礼します。飲み物をお持ちしました」
そんな微妙な関係性だからこそ僅かな沈黙が起きると予想していた俺だったが、その沈黙が来る前に上書きしノックと共に扉を開けたのは年長者であるメイトだった。
こういうのも、教会で過ごす子供の役目なのだろう。
子供だというのにそう思わせる要因を一切見せず、メイトは淡々とこちらへと近付き人数分のカップとテーポットを持って来てくれたみたいだ。
「司祭様、紅茶で構いませんでしたか?」
「ああ構わない。そのまま淹れてくれるかな」
「はい」
カップに紅茶を注ぐ姿は様になっていて、気配りもしっかりしている。
目に入れても痛くない、何処に出しても恥ずかしくない姿だと思うのは、決して俺が情を抱いているからというだけではないはずだ。
セリシアも、まるで自分の家族の成長を見守るように笑みを浮かべながらメイトの勇姿を見続けていた。
「ありがとうございます、メイト君」
「いえ。事前に聖女様に頼まれたことをしているだけですから」
まあ、若干大人ぶってる節はあるか。
とはいえこのぐらいの歳頃だとこういった場面では緊張して入るのも躊躇するだろうし、やはりメイトは他の子より幾分か大人びていると改めて感じる。
俺も暖かな気持ちでメイトの動きを眺めていると、丁度カップを俺の前へと置いてくれたメイトと目が合った。
「……」
俺に向けるメイトの目は、厳しい。
メイトの瞳に映る俺の姿は幾ら身嗜みを整え清潔感を取り戻しているとはいえ、寝なければ決して無くなることのない深い隈が顔にこびり付いている。
それが多分前見た時よりも更に深くなっていることから、昨夜もまた寝ていないことを見抜かれてしまったのだろう。
バツが悪くなって、思わずそっと目を逸らす。
メイトの表情は伺えないが、視線の気配から少しだけ見続けた後諦めて視線を外してくれたみたいだ。
……みんなを守るために行動した結果みんなからの評価が下がるなんて、報われなさすぎるな。
でも、俺が報われるためにしているわけではないのだ。
たとえ俺が嫌われようとも、みんなが平穏な日々を過ごせるのならそれだけで構わない。
だから……これでいいんだ。
「では失礼します」
その後メイトが何をしたかは見ることが出来ずわからなかったが、どうやら一通りの給仕は終えたようで扉の前で一礼し部屋から出て行こうとしていた。
メイトのことを誇らしく感じているはずなのにこの場から出て行ってくれて良かったとも感じてしまっているのは、多分俺が現状をまだ受け入れられていないからだ。
嫌われるようなことをしてるのに嫌われるのが怖いだなんてなんとも矛盾した話だろう。
「出て行く前に、少し良いかな?」
「……?」
だが自分で自分の感情に嫌気が差していたそんな時、流し目を送るようにメイトを見たカルパディアが不意にメイトの足を止めさせる。
あ……?
なんだ急に……
怪訝な顔をする俺を前に、カルパディアはマスク越しにニコニコと笑みを浮かべながら声を上げた。
「聞いた所によると君はもうすぐ13歳になるみたいだね。そうなると、もうすぐここではなく帝国の管轄内になるということだ」
「そう、ですね……」
それは以前から俺もセリシアも覚悟していたことだ。
その上でどうしたいかをメイトに聞いて、出来る限りの協力をするつもりだった。
世間話でもしたかったのか?
でもあれだけ俺に大切な話し合いをするとほざいておきながら、わざわざ呼び止めてまで子供とぺちゃくちゃ話そうと奴が思うとは思えない。
そんなことを今この場で掘り下げて、一体どういうつもりなんだ。
鋭くカルパディアを睨む俺を見ずにカルパディアは言葉を続ける。
「君はこの先の人生を聖神ラトナ様に捧げることが決定している。であれば……君は私のもとに身を置きなさい。帝国に行けば君の処遇がどうなるかは結界を通れるかどうかで決まる。たとえ結界を通れなくとも生活水準が落ちないように、保険としての道を示してあげようと言うんだ」
「……えっと」
「カルパディア司祭。メイト君にそう言って頂けるのは有難いのですが、私はメイト君の人生を狭めようというつもりはありません。勧誘はこの場では控えて頂けませんか……?」
「おや、何か聖女様の不都合になるようなことを言いましたでしょうか? ……わかりませんね。私はいつ如何なる時も、聖神ラトナ様の為を想っているというのに」
「確かに司祭が後ろに付けばメイト君の将来の選択肢も大きく増えるかもしれません。ですが、強制させるような物言いはたくさんの将来を潰してしまうものにも成り得ますし、突然そんなことを言われてしまうとメイト君も困ってしまいますから……」
「……? 僭越ながら、聖女様の仰っている意味がわかりません」
困惑するメイトと、慎むようにと柔らかくお願いするセリシアの言葉を受けても、カルパディアは顎に指を乗せ肩を竦めるだけで口を閉じようとする気配はない。
それどころか、まるで値踏みするかのようにメイトに視線を向けると浮かべていた笑みをより深く見せていた。
「君には誇るべき夢も無いだろう。なにせ選ばれなければ今この場にすら立てていない、おこぼれを貰ってどうにか命を繋いでいるだけに過ぎないのだから」
「……!」
「……ぁ?」
急に……何言ってるんだ、コイツは。
呆然とする俺を前に、カルパディアはそれでもメイトに言葉を続ける。
「本当は君も理解しているだろう。今この場にいるのは立場のある、聖神ラトナ様がお認めになられた者だけだ。そんな場には、一般人が入り込もうとすることすらおこがましい。君は聖神ラトナ様に認められた側ではあるが『聖徒』たちはあくまで期待を籠められているが故の期限付き……それも、あと一年も無いわけだ」
カルパディアは言葉を続ける。
「その期待を裏切った果てに自身に降りかかるものが何なのか……君はよく理解しているはずだ。……そうだろう?」
言葉を続け、ただ淡々と事実を告げているとでも言いたげなおぞましく押し付けがましい態度を見せて。
「何故なら君はあと数ヶ月で私の口から語るのも汚らわしい、残飯を食い漁るだけしか能のないスラム街の人間に戻り果てるのだから」
あまりにも子供に告げるべきではない、どうしようもない生まれを貶すだけの侮辱的な言葉を放った。
「――――は?」
多分……俺もセリシアも、カルパディアの並べ立てた言葉の意味を理解するのに時間が掛かってしまったのだと思う。
それは偏に、互いに教会のみんなの過去についての言及はしないというルールが脳に深く刻み込まれていたからだ。
だからほんの数秒だけ、呆然とカルパディアの言葉を噛み締めるだけの静寂が応接室に訪れ、俺の掠れるような音だけが室内を響かせている。
……でも、思考を停止していたわけじゃない。
徐々に奴の口にした言葉を噛み砕いていった末に理解した瞬間、俺の中で心身共に全ての熱が沸騰し激情が身体を支配して、顔を大きく歪めながら勢いよく立ち上がった。
「~~~~ッッ!! テ――――!」
「――――ふふっ」
「――――ッッ!!」
だがその刹那――俺を見るカルパディアのほくそ笑むような顔によって、俺の激怒は吐き出される寸前で止まってしまう。
……違う。
コイツの狙いはメイトの勧誘なんかでも、ましてや貶すことでもない。
自分の企みをよりスムーズに進ませるように邪魔な俺を排除しようと、メイトを利用して俺の発言を促そうとしているだけに過ぎないと気付いた。
「……くっ」
スラム街というのは天界には無いためお伽話の中でしか知らないが、要は一般社会から弾かれてしまった人たちが行き着く場所……みたいなものだったはずだ。
メイトがスラム街出身だなんて、知らなかった。
そんな過酷な環境で生きてきたメイトがこの世界にとってどのような立場なのかはわからないが、お伽話のどの作品も汚らしいものとして扱われていたことから、恐らく立場としては非教徒以上に低いものなのだと思う。
……でもたとえ立場が低くとも、カルパディアの言葉は紛れもない侮辱であることは変わらない。
「……っ」
だけど……この場において俺はメイトを、守ってやれない。
カルパディアがそういう意図でメイトを貶した以上、俺がその挑発に乗ってしまえば恐らく俺がいなくなった後に奴の目的の多くが成し遂げられてしまうはずだ。
これから起こり得る事態に対して俺が『知らなかった』という事実は、みんなを守り抜くためにも少しでも無くさなければならないのだ。
でも、それでいいのか……!?
ここで怒ってやれなくて、思いっきりぶん殴ってやれなくて、一体どうして大切な人達を守れると断言出来るって言うんだ。
未来にある笑顔のために今ある笑顔を壊すのを見てみぬフリするなんて、事の大きさは違えど、そんなの俺が憤りを感じ忌み嫌っていたへレスティルの考えと一緒なんじゃないのか。
メイトの悲しみよりも命が消えてしまうことの方が大事なのは事実だ。
それでも、だからといってメイトの悲しみを受け入れていい理由にはならないだろ。
メイトは顔に影を落とし、その表情を見ることは叶わない。
……奴が何を企んでいるかはわからないままだ。
それでも、コイツは今この場で【断罪】するべき悪党だろ……!!
「ふざっ!」
「――謝罪してください」
「――っ!?」
だから座り直すことなく立ち上がったまま胸倉を掴もうと指に力を籠めた瞬間――あまりにも冷たい、凍えるような声が俺を上書きするように応接室に響き渡った。