第12話(5) 『道は変わらず』
事実上の切り捨て宣言。
一瞬だけその言葉と行動に呆然としてしまったものの、そのあまりの身勝手さに苛立ちを隠すことが出来ず思わずへレスティルを睨み付けた。
「俺の話がまだ終わってねぇよ……! コメットさんたちは――!」
「先程も言ったように、コメット隊長の件は私では力になれないよ。騎士団長としてなら三番街聖神騎士団への処罰に異を唱えようとは思わないからね」
既に決まっていることを変えることは出来ないから、へレスティルは俺の問い掛けを待たなかった。
でもだからと言って、それで納得出来るわけがない。
強い憤りを感じながらも未だ僅かな期待と可能性を捨てることなど出来なくて、俺は諦めることなく食って掛かる。
「なんでだよ……!? ただセリシアを……街のみんなを守ろうと頑張ってた人達だけがどうして殺されなきゃいけないんだよ!? 責任を取るべきは……殺すべきは、平穏な日々を壊した、悪党たちであるべきだろ!?」
「……君の言う通りだと私も思う。それにもしかしたら、他の街の隊長であれば多少の温情は効くかもしれないね。……でも、コメット隊長に限ってはそうはならない」
「どうして……!」
「コメット隊長は、貴族上がりではないからだ」
「……は?」
そう言われて、俺は数秒呆然としへレスティルの言葉を処理出来ずにいた。
だが、俺も天界での貴族だからこそ、その立場故に持つ強者と弱者との価値観の考え方の違いを理解出来てしまって、同時にそれがあの時コメットさんが抗うことを諦め、責任を取ることを受け入れてしまっていた理由であると思い知った。
あの時のコメットさんの、街のみんなのために全てを背負おうとした尊敬出来る顔を思い出す。
俺を諭し、頭を下げてまで責務を果たそうとしていた姿を思い出して、俺は沸騰する激怒の感情を抑えることが出来ず勢いよくテーブルに拳を叩き付けた。
「~~~~ッッ!! 平民だから貴族と違って命に価値は無いって、あんたはそう言いたいのかぁっ!!」
「……私はそうは思わないと言ったでしょ。あくまで、この世界での話さ。後ろ盾が有るか無いかで処罰の重さは当然違ってくる。……貴族である私が言うべきではないかもしれないけど、騎士団とはそうあるべき場所でもあるというだけに過ぎないよ」
「それを変えるのが騎士団長であるあんたの役目だろ!!」
「変えられたら良いとつくづく思うよ。……でも聖女様との価値の差を、それこそ騎士団長が履き違えてはならない」
「――っ」
言いたいことは、わかるけど……!!
でもだからって、善人が犠牲になっていい理由にはならないだろっ……!
もう嫌なんだ。
どんな状況であっても、平穏な日々を過ごすべき優しい人達が死ぬのを見るのは。
「それでただの良い人が死んでもいいって、なんで……なんで、いつもっ……!」
悔しくて、でも三番街の住民ですらない俺ではこの街のみんなに何もしてやれることが無くて。
無力感に苛まれたとしても諦めることなく権力を持つ者に説得を試みても、奴らはいつだって『助ける』ことに関してだけ億劫になる。
「だから、騎士団は……!!」
それは天界での騎士団でも同じだったからこそ、俺はこの怒りに意味が無いことをよく理解していた。
人間界ではもしかしたら違うんじゃないかって、そう思っても結局は何処も変わることはない。
幾らへレスティルの本心が違うとわかった所で、騎士団長である限り結局話す意味も寄り添う必要もないことがわかったことが一番この場にいて得たことになってしまった。
「……もう良いだろ。帰る」
だからもう期待はしないと見限ってぶっきらぼうにそう言い放つと、そのままテーブルに置いた本を取りながら立ち上がって背を向ける。
へレスティルはそれを止めず、小さく息を吐くだけだ。
一連の会話を静かに聞いていたルビアもどちらに肩を入れているのかはわからないものの、俺からそっと目を逸らしていた。
「……一つだけ、気になることがあるんだ」
だがそれでも、へレスティルは話すのを止めない。
変わらず俺に寄り添おうとしてくれているのは伝わって来るが、それで俺の苛立ちが消えるわけではないから喉から出る声は低いままだ。
「あんたの言葉全部、どうでもいいんだよ」
「……でも、これだけは聞いてほしい。これは聖女様にも関係のあることだ」
「……」
ゆっくりと語り掛けるように口を開くへレスティルの言葉の中に『聖女』という単語が出てしまったから、俺は背を向けたままでも立ち止まるしか無かった。
俺が話を聞いてくれると悟りへレスティルは安堵しながらも、喉から出る声にはやけに妙な重々しさが含まれているように聞こえた。
「……司祭様は一度、聖女様の【聖神の奇跡】に弾かれたことがある」
「……あ?」
「今回よりも前に一度、司祭様は同じように三番街に来たことがあったんだよ。その時に聖女様と握手を交わそうとした時、聖神ラトナ様によってそれは防がれた」
そしてそんな重い彼女の口から出た話題はこの世界にとって非常に大きな意味を持つもので、俺は思わず身体だけへレスティルの方へと向ける。
そうして彼女の顔を見ると、彼女の顔は真剣そのものだった。
「信者以上に神様に仕えることを約束した『司祭』にとって【聖神の奇跡】に弾かれたという事実は非常に問題のあることだ。聖女様に害意を持っていたという証明だからね。だから一度、司祭様は司祭としての任を解かれた。でも……すぐに戻って来た。どんな手を使ったのかは知らないけど、現実としてまた司祭カルパディアとして活動を続けている」
へレスティルは言葉を続ける。
「そして今日、皆の前で再度聖女様と握手を交わし聖神ラトナ様に全てを捧げる旨を示した。改心したのだと、まるで見せつけるかのようにね」
無言を貫く俺を前に臆することなく言葉を続ける。
「結果としてはそれだけだ。……でも、騎士団長でない私個人の立場から言わせてもらえば、少し話が出来過ぎていると思わざるを得ない」
「……」
「これをどう思うかは……聖女様と唯一暮らしている、部外者の君次第だ」
そうして話を括ったへレスティルの瞳からは何かを望むような、何かを求めるような意思のようなものが宿っているように見えた。
「……」
だが……交差する俺の瞳は冷たく空虚なまま変わらない。
へレスティルは諦めたように視線を落とすと、もう二度と引くことのないであろう椅子をテーブルの中へと片付ける。
「遅刻してまだ来ていないが、もうじき帝都から協力者が一人だけ来る。その子が来てくれたら、今度こそ本当に三番街の安全は守られると断言できるよ」
「これは本当にそうだよ。その協力者……セルス君って言うんだけど、どんなことがあっても負けないから」
ルビアまで会話に入って来るということは、それほどまでに信用の出来る人物なのだろう。
よっぽどのことが無ければ負けないとは随分と大きく出たが、彼女の表情からはそれが誇張されたものには到底見えなかった。
「……」
「だから……少しぐらいゆっくり休むといい。くれぐれも、公私は分けるようにね」
それでも尚何も言わず再度背を向けた俺を前にへレスティルは何処までも気を遣った言葉を言ってくれるが、俺は背を向けたまま振り向くことなくテントを出る。
……既に空は暗く、巨大な満月が俺を見降ろしていた。
俺を取り囲んだ騎士たちももう近くにはおらず、視線を動かす度にチラチラと少数が映り込むぐらいだ。
「~~~~ッッ!!」
そして少し進んだ先で、俺は衝動のままに勢いよく手に持っていた本を地面へと叩き付けた。
まるで子供の八つ当たりのような怒りの発散に使われた本は地面へとぶつかり、一度跳ねた後力無く倒れ込んでいる。
荒々しい息を吐きながら俺は拳を強く握り締め、手の平からは真っ赤な血が垂れ落ちていた。
「だから、なんだ……! それでお前らは、何かするのかっ……? 何も、しねぇだろ……出来ねぇんだろっ……!? いつもッッ!!」
言うだけ言って不審に思って……それで終わりだ。
いつもいつもいつも、自分より上の権力を前に生活が困ってしまうことの方が嫌だから、いつもそのしわ寄せが善人にだけ押し付けられていく。
あの女の方が司祭よりも権力は上のはずなのに想像だけでは動けなくて、かと言って証拠を集めようとする気概も無いから自分の仕事の範疇以外は見てみぬフリだ。
身体中傷だらけで、顔には疲労故の隈が色濃く出ていて……そんな俺を見て休めと言う癖にその後のことは何もせず楽観的なことばかり主張する。
「そんなに難しいことか……!? 地位も権力も何もかも捨ててでも殺されるべきじゃない人を救うことが、そんなに難しいことなのかよ!?」
ただ自分の持つものを全て捨てるだけだ。
そんなものよりも命の方がよっぽど大事で、それが知り合いであれば捨てることに躊躇なんてする意味がないはずだ。
それなのにみんな自分だけが大切で、簡単に今日まで喋っていた人を見捨てていく。
俺には理解出来ない。
リスクを避けて自己を守るだなんて、それで大事な人を見捨てたらそれこそ俺はきっと自分自身を許せなくなる。
「俺が……頑張らなくちゃ」
だからやっぱり……何も変わらない。
全部無駄だった。
結局帝国は何処までいっても三番街にとって害しか与えない、利権主義者の巣窟でしかないことに気付いた。
「俺だけがあの子の理想を……支えてやれるんだ」
もう帝国は信用出来ないから、俺一人で、今度こそ三番街を守り抜く。
もしその障害として帝国が立つとしても知ったことか。
それがあの子の……セリシアにとっての障害になるのなら、もれなく全員『悪党』だろう。
少なくとも、コメットさんたちのような善人を見殺しにしようとする帝国が善人であるはずがない。
助けを求めても何もしてくれないなら、俺のやるべきことは昔から何一つ変わらなかった。
「……みんなの顔が見たい」
叩き付けた本を拾いながら、そう小さく呟いてしまう。
一人で進むのには疲れてしまうから、恐怖の感情すら芽生えず無防備に寝る平穏な子供たちの姿が見たいと思ってしまったんだ。
甘えだって……わかってる。
でもそれが一番の休息になると自覚してるから、俺は背負うものの重さをひしひしと感じながらゆっくりと教会に続く道へと歩き始めた。