第12話(4) 『決意の表明』
なんだこれ……!?
まるで眼球の奥から何かが広がるかのように、ジクジクとした違和感の強い痛みが神経を通って脳へと痛覚を刺激させていた。
こんな痛み、人生で初めてのことだ。
失明してしまうんじゃないかと思う程に強烈な痛みは俺の目尻に涙を浮かばせ、抑えようのない痛みに耐え続けている。
痛みの正体がわからず混乱しながらもどうすることも出来ないから、俺はただひたすらに目を手で押さえ付けていた。
「いきなりどうしたの? だ、大丈夫?」
突然の俺の変化に流石の騎士団長も戸惑いを隠せないようで、心配そうな声と共に椅子から立ち上がる音が聞こえた。
ルビアもその突然の尋常じゃない俺の様子に驚きながらも現状をどうにかしようとへレスティルへ声を掛ける。
「医療班を呼びますか?」
「そうだね……悪いけど呼んで来て」
「――っ! いいっ!」
「いいって言ったって、その様子じゃ……」
確かに、耐え難い激痛だ。
でもこんなことで本部の連中の施しを受けようだなんて思わない。
本部の連中にはとっとと出て行って欲しいって思ってるのにこんな時だけ施しを受けられる程俺のプライドは生温くはないからだ。
本部の連中が来たことで俺のやらなければならないことは多少減ったが、その分解決しなければならないことが多く増えた。
メリットよりもデメリットの方が上回っている時点で、たとえ二人に心配の目を向けられようと俺だけがその恩恵を受けるわけにはいかないのだ。
最初はその心配の声すらも受け入れる余裕が無かったが、徐々に痛みは引き始めているようでそう時間も掛からずに目の痛みは完全に引いてくれた。
そう……完全に、だ。
「なんでも、ないから……」
今ではまるで痛みなど初めから無かったかのように何処にも異常が無いように感じてしまう。
ただその痛みが確実にあったと証明する事柄として、俺が先程まで爆発させていた激怒の感情もまた一瞬で離散していってしまっていた。
なんなんだ……?
内傷だろうと外傷だろうと、流石にここまで極端な現象が起こることは無いだろう。
病気……ならあり得るが、天使が発症する病となると既に相当な重症になっている可能性が高い。
聖女の持つ【聖神の祝福】がある以上、この世界にはきっとそんな病を治療出来る技術を持っている病院はほとんど無いはずだ。
だから結局なんで急に目が痛くなったのかはわからないものの、治療する場が無い以上冷静になれたのならいつまで考えていても仕方のないことだと割り切ることにする。
「もう、大丈夫です……続きをどうぞ」
困惑する二人を前に改めて椅子に座り直し続きを促すと、へレスティルも眉を潜めながらも俺と同じように腰を下ろした。
「……言おうと思ってたけど、ちゃんと寝た方がいいよ。さっきも言ったように君は騎士団を信用するべきだ。君の為にもね」
「……」
余計なお世話だと一蹴する意思を示すために無言を貫く俺にへレスティルは小さく肩を竦めるが、それで俺の体調に問題がないこともわかったのだろう。
心配することを諦め、真剣な面持ちで口を開いた。
「じゃあここからが本題だ。……帝国には既に多くの天使様を受け入れる準備が整っている。君が望むのなら明日にでも帝都に君を送ることは出来るだろう。だから……君は帝都に向かうべきだ。君の友人たちも集まっている可能性は充分にある。君の、家族だってそうだ」
「……っ」
「この場所に留まるのは君のためにならない。衣食住の心配でこの場に留まっているのであれば、帝都に行けば天使様としての立場が君にも与えられそれなりに不自由のない暮らしは保障される。あまりにも保護する数が増え一か所に集中すればその分質が下がることが予想されるが、それでも君にとって良いことずくめな待遇になることは約束するよ」
へレスティルの言う通り、ここまで言われては天使として人間界で過ごすことに関しては何一つ困るようなことは無さそうだった。
俺は偶々セリシアのおかげで教会に無償で居候させてもらうことが出来たが、他の天使はそうはいかなかったはずだ。
辺境の地に飛ばされていたり路頭に迷ったり、頼れる所が何一つ無い中での新天地での活動は相当厳しいに違いない。
だが、帝国はそんな天使全員の身の安全を保障してくれると言う。
であればこれまで見つかった天使たちはみんな二つ返事でついて行ったのだろう。
そりゃあ警戒はするだろうがほとんどの天使が学生時代に訓練を受けている関係上自衛の意識は持っているだろうし、同族が集まっているとなればリスクを背負ってでも行かないという選択肢を選ぶ者はいないはずだ。
「……っ」
そしてそれは……俺も、同じだ。
もしかしたら姉さんやエウスも既にこの世界に転移されてしまっているかもしれない。
帝国に向かえば、保護された家族と再会することが出来る可能性があるし、実際に行っていなくても、帝都に居れば常に合流出来る可能性が無くなることはないだろう。
家族の安否を確認する。
それが俺がこの世界に来て、最初に考えていた目的だったはずだ。
それが何よりも大事で、大切で……一時的な拠点だと言った人間界に留まろうと思うなど、正気の沙汰じゃない選択なのは間違いない。
三人の幼馴染みのことだって心配だし、ここまで言ってくれてるのだから、俺が選ぶのはへレスティルの提案に頷くことだけだときっと誰もがそう思う。
「……まだ、帝国に行くことは出来ない」
なのに俺の口から吐き出された言葉は、それとは真逆の、正気の沙汰じゃない選択そのものだった。
「……どうして?」
当然、へレスティルは疑問を抱くだろう。
だがその疑問の中にどうしてか驚きの感情は含まれていなくて、そんなへレスティルに疑問を抱きつつ俺は重い口をゆっくりと開いた。
「悪党は……何処にでも蔓延ってるんだよ。そんな奴らがいるせいで平穏な日々を望んでる人達だけが辛い思いをする羽目になる。それは三番街だって……聖女様にだって同じだ。その安心出来る日がいつ来るのかはわからないけど、それでももう大丈夫だって思えるまでは……ここを離れないって、決めたんだ」
事実、つい昨日まで確かに悪党は三番街に入り続けていた。
ついこの前まではどうやあって悪党たちが三番街に侵入しているのかわからなかったが、昨日の夜に現れた変な口調の女によってその解は成されている。
奴らの裏に、闇魔法を使える奴がいる。
安直な答えかもしれないが、そう思えばこれまでの疑問も全て解消されるんだ。
まだ……あの時の続きのままなのだ。
少しでも気を抜けば全てを失うことになると身体と心が覚えているから、今の俺にここから離れる選択肢など現れようがない。
「三番街は聖神騎士団が守護する。君が思い悩むことなんてないんだよ」
だがへレスティルの言う通り、ここには多くの聖神騎士がいて、そして闇魔法を攻略出来るという退魔騎士までいるとなれば俺のこの考えも杞憂で終わる可能性は充分にあるだろう。
「……そうかもしれない。それでも」
……それでも思い浮かぶのは、教会で優しい笑みを見せてくれる一人の少女の姿だけで。
「あの子には俺が、必要なんだ」
彼女という眩い光の持つ理想を叶えるためには、陰で動ける俺みたいな奴が必要不可欠なのだと。
そんな想いを籠めた瞳でへレスティルへ目を合わせ、俺はそう断言した。
「……なるほどね」
「あ……?」
「いや何でもないよ。別に今選択を強要しようと思っているわけではないし、私がこの場に滞在している間に帝都に向かいたくなったらその時にいつでも言ってくれればいいさ。ちゃんと変わらず君を帝都へ送るから、安心してね」
「……」
へレスティルと違い俺は決して友好的な態度を取っていないというのに、それでも彼女は変わらず俺に対し友好的な感情を向けてくれる。
それは別に不気味では無いが、幾ら俺が天使だとしてもそこまで根気強く関わろうとしてくれる意味がわからなかった。
逃げ道を用意し続けてくれるのは有難いし、悪い奴じゃないことも流石にわかる。
でも、へレスティルが『帝国本部』の騎士団長という立場である以上、三番街に不利益を持って来ていることには変わらないのだ。
セリシアを三番街に留め、コメットさんたち聖神騎士団の処罰を軽くし本部の連中は撤退する。
流石に求めすぎだという自覚はあるが、それでも幾分かの要求を受け入れてくれるというのであればへレスティルに対する評価もまた変わるだろう。
それどころかこの人のことをこれから先ずっと尊敬することだってあるかもしれない。
でもそんなことは起こらないってわかってるから、俺の評価も変わらないのだ。
「あ、でもそうだ。一応可能な限り天使様の意見を尊重したいと帝国も思ってるんだけど、帝国ではまだ天使様についての見解が確立していなくてね。やっぱり人間界と天界とじゃ常識も違うだろうし、本人たちにも聞きたいということでこれだけは貰ってくれないかな?」
「……本?」
そんな時、急に思い出したかのようにへレスティルは自身のテント内にあった荷物から一冊の本を取り出すとそれを俺に渡してくる。
疑問に思いつつもイラスト一つない簡素な白紙の表紙に視線を移すと、そこには『天使様の見解』という名前そのままな題名が映っていた。
ざっと捲ってみた限り、どうやら古くから伝わっている天使という存在と実際の天使とで整合性があるかの修正がしたいみたいだ。
恐らく既にいる天使から聞いたであろうことの数々が確かに本に書かれているのがわかる。
……まあ別にそれぐらいだったら負担にもならないし強制でも無いだろうから構わない。
帝国のためにわざわざ労力を割くのは癪ではあるが、それが今いる天使たちの待遇に影響するのであればこちらとしても協力するべきだとも思う。
見た感じ他の天使も天界にとって重要なことは言ってないみたいだし、こちらも当たり障りのないことを補足すれば充分なはずだ。
いちいち帝国側の解釈に変換されているのが目に付くが、まあ美化したいなら勝手にすればいいさ。
「……わかりました。適当に読んで書いておきます」
「助かるよ。上からの圧力もあってなるべく早く天使様について知らなければならないんだ」
先程へレスティル自身が言ってたようにいつ公表するかの問題もあるし、実際本当に帝国は忙しなく動いてるんだろうな。
だからと言って帝国に対する気持ちが変わるわけではないが、とりあえずその本はしまう所もないためテーブルに置いておくことにした。
……なんにせよ、へレスティルの世間話とやらもようやくここで打ち止めだろう。
俺だってただ理由なくコイツの話にうんうん頷いていたわけじゃない。
彼女の話は聞いた。
解も出した。
であれば次は俺の番だ。
セリシアの件は本人の意思もあるため俺の一存だけでは決められないが、少なくともコメットさんたちだけは温情を向けてもらわなければならない。
そのために敵意を向けられようと利用出来るものは利用する心意気で、俺は口を開きかける。
「……さて。これ以上聖女様に無断で君を拘束するわけにはいかないね。世間話もそろそろ終わりにしようか」
「は?」
だからと話を切り出そうとした時には既にへレスティルは俺に言いたいことを告げ終えたからか、口を開きかける俺を見ずに話を切り上げ椅子から立ち上がろうと腰を上げていた。