第12話(2) 『ただの世間話』
テーブルに置かれたマグカップに入ったコーヒーを口に含みながら、俺は拍子抜けな感情を吐き出せないことに僅かなもやもやを感じていた。
「騎士団長だけど、今日の夜だけ特別に非番にしてもらったんだ。だから今の私はただの一般人。畏まらなくていいからね」
上司が部下を差し置いて初日から非番って、随分とブラックな職場だな。
俺のすぐ目の前では騎士団長としての威厳など欠片もないへレスティルが余韻に浸るようにコーヒーの苦みを舌で味わっている。
今の光景だけを見ればただの一般人にしか見えず、やはりコイツが今朝見た騎士団長には到底見えなかった。
「騎士団長には到底見えないって思った?」
「……!」
「よく言われるんだよね。騎士団長だろうと、気を休めたい時は誰にだってあるのにさ」
いや気を休めること自体は別に問題ないことだ。
ただ俺を含めてみんながそう言うのは、一重に騎士団長と今の姿とであまりにも違いが大きいからに他ならない。
正直未だに瓜二つの他人が来たんじゃないかという疑惑を払拭出来ていないが、その答えを出したとて然したる問題にはならないためもう気にしないことにしておくことにした。
「……気を休めるのは勝手ですけど、騎士団長としての立場があるなら少なくとも身内以外には素は隠すべきなんじゃないんですか」
「あはは、正論だね。でももちろん相手は選んでいるさ」
そうは思えないけど。
だったら素性の知れない俺に素なんて見せないだろ。
「……それで。俺に話ってなんですか」
だが無駄話をしにここに来たわけではないのだ。
連れて来られた以上その無駄話に付き合わなければいけないのは重々承知だが、目的があるのならさっさと話して解放されたいというのが正直な所である。
だから話を切り出すために視線を向けると、へレスティルは自分の調子を崩すことなく俺の態度にも笑みを浮かべて見せていた。
「そう警戒しないでよ。友好的である証明も兼ねているからこそ、こうして素を見せているんだよ?」
「素を見せてでも聞きたいことがあるんでしょ」
「ただ雑談がしたかっただけさ。教会での君の様子を見て、少し誤解されていると感じたんだ。あくまで私達は敵ではないことを伝えておこうと思ってね」
俺の警戒の言葉に対して、へレスティルは言葉を続ける。
「実際の所、私個人としては君の功績を評価しているんだよ。【イクルス】の聖女様に何かあったとなれば、三番街聖神騎士団どころか三番街の民全員が帝都の信者の前で公開処刑されていただろうからね。未だここで不自由なく暮らせている現状はまさに奇跡としか言いようがないよ」
「……っ。一人に対して随分人の命を軽く考えてるんですね。仮に聖女が殺されたとしても、それを命で償わせようだなんて狂ってるとしか言いようがないですけど」
「そうでもないさ。聖女様……特に【イクルス】の聖女様は世界で一番、二番、三番目に聖神ラトナ様の加護を多く受け取っている方々なんだ。その命が失われたとなれば世界にとっての損失になる。当然、価値が高ければ対価も増えるものさ」
「……だったら最初から帝都で過ごさせろよ」
「知らないの? この城塞都市はたった三人の聖女様を守護するためだけに作られたんだ。防衛力に関して言えば帝都を軽く超えてしまうよ。ちゃんと【聖神の奇跡】による結界の範囲内がピッタリに収まるよう計算されて作られ、選ばれた者以外は立ち入り出来ないよう厳重に管理されてる。……まあそれも、今じゃ全く機能してないみたいだけどね。君がここにいるのが良い証拠だ」
へレスティルの言う通りそんな厳重に管理されてるとは到底思えないけど、きっとそれもセリシアの結界の収縮によって変わってしまったものなのだろう。
俺は『聖女』という存在自体セリシアしか見たことが無いし他の街にも行ったことが無いから、イマイチそういったこの世界故の価値観というのがピンと来ない。
でも『聖女』が死んだら連帯責任で全員殺すだなんて、どの道聖女以外の命を軽んじていることには変わらないだろう。
罰を受けるのは守れなかった善人じゃなくてその平穏を壊した悪党にだけ受けさせるべきなのに。
「……終わってるな」
それなのにただ毎日を必死に生きている人達にだけその責任を被せるだなんて、その法は腐ってるとしか思えない。
呆れて小声でそう呟くと、意外にもへレスティルもそれについて思う所があるのか特に咎めることなく肩を竦めた。
「本来はそうさせないために、聖神騎士団が聖女様の安全を守護してるはずなんだけどね。ここでは上手く行かなかったみたいだけど」
「……っ! コメットさんはっ!」
「わかっているよ。彼らだけに非があるわけではないことはさ」
「……っ?」
また今朝と同じ侮辱をするのかと思い声を荒げた俺だったが、へレスティルの同調により口に出かかった言葉を呑み込んだ。
「ルビア」
「はい」
奴の考えが理解出来ず困惑する俺を前にへレスティルは隅で立っていた少女へと手招きをする。
ルビアと呼ばれた少女は素直にへレスティルの言うことを聞き、彼女の横へと立って見せた。
「この子はルビア。ルビアの他にも何人か修道服を着た人達がいたでしょ? あれは『退魔騎士』と言ってね。闇魔法を唯一打ち消すことの出来る光魔法を持った【帝国】で抱え込んでる部隊の一部なんだ」
「……改めて。こんばんは」
「――っ!?」
確かに初めてテーラに会った時に、そんな名前の属性魔法があることを教えてもらったような気がする。
闇魔法と対を成す、異質な効果を持つ魔法だと。
つまり先程俺に当てた光の鎖こそがルビアの持つ光魔法だったのだろう。
何かの魔導具を使ったのかと思っていたが、闇魔法だけじゃなく光魔法にも魔法陣が展開されるとは思わなかった。
――そんな奴がいるなら、なんでここに置いといてくれなかったんだよ……!?
へレスティルの言葉が本当であれば、その光魔法を持つ奴がここにいたら三番街の状況はもっと良くなっていたはずなのだ。
だからこそ、その『退魔騎士』を三番街に置いてくれていなかった帝国に強い怒りが湧いて仕方が無かった。
もしもあの時……あの時、そいつらがいたら……あんな悲劇が起こることなんて無かったかもしれない。
実際には起こってないことになったさ。
でも、あの夢の世界の出来事こそが本来起こるべき結末だった。
だが俺のその心からの憤りはへレスティルによって明かされることとなる。
「光魔法をその身に宿す者は非常に少なく、また見つけるのも困難でね。帝国としては少ない『退魔騎士』は出来る限り帝都に置いておきたいというのが本音なんだよ。実際ルビアも正式な騎士ではなく条件として『退魔騎士』の称号を与え協力してもらっている立場の人間だ。今回だって数人連れて来るだけでも面倒な手続きをたくさんしたんだから」
「だとしても、クーフルが死んだ時には既に闇魔法についての情報は来てただろ……!」
「……クーフル・ゲルマニカだったか。確かに君の言う通り、あの一件が起きた以上『退魔騎士』の存在が必要だという声は少数からも出ていた。元々コメット隊長からも『退魔騎士』を寄こすよう要請があったからね」
「……! なら!」
「でも丁度その時期、帝都でもある重要な要件があってね。それが三番街まで手が回らなかった要因だよ」
「重要な、要件……」
それが何なのかはわからない。
だがこの宗教世界を鑑みれば、きっと三番目の聖女であるセリシアの危険と同等かそれ以上に大事なことだったんだとは思う。
……でも。
「そんなことのために……!」
そっちの勝手な都合で、安全になったかもしれない三番街を危険に晒し続けてたって言うのか。
お前らはコメットさんを非難してたけど、コメットさんは事前にそうならないように対策を講じていたんじゃないか。
それを棚に上げてよくコメットさんにあそこまで言えたもんだ。
たとえ素を見せてきたとしても、口にした事実は変わらない。
俺があんたらを敵だと思う事実が、変わることはない……!
「それをわかっていながら、コメットさんたちに責任を追及すんのかよ……!?」
「騎士団長としてなら、コメット隊長に対する評価は間違っていないと今でも思うよ。責任を追及する際の論点として挙げられるのは退魔騎士がそこにいたかどうかじゃない。『聖女様を守れたか』『騎士としての責務を果たすことが出来ていたのか』……それだけだ。帝国の名を背負い、聖女様を守るために命を捧げる聖神騎士団がただの浮浪者に二度も街を救われるなど有ってはならないんだよ」
「そんなのっ……!!」
「でも私個人としてなら、そこまで厳しくする必要はないと思うけどね。コメット隊長には帝都での実績もあるし、良くて減給……悪くても降格ぐらいが妥当かな。まあ、そんなことは絶対にあり得ないけどさ」
騎士団長としての理屈と一般人としての感情。
二つの感情が入り混じることで内心は複雑なのだとへレスティルは言う。
だけどそんなのは諦めてるだけだ。
他人事だからと三番街の聖神騎士団を見捨ててるだけだ。
あんたがそう思ってても、結局あんたは一般人じゃない。
騎士全員の人生を背負う騎士団長なのは事実だろ。
それなら……!
「そう思って、自分に立場があるのなら……! 少しは味方のために動こうとは思わないのかよ!?」
本当に助けたいと思ってるのなら、全部を投げ打ってでも助けようと行動するはずだ。
思ってるだけで行動しないのなら見捨ててるのと何も変わらない。
ただ自分を慰めるための言い訳に立場を無くすだなんて、あまりにも卑怯だと俺は思う。
だから叫んだ。
声を荒げ、敵意の籠った目でへレスティルを睨み付ける。
「……私もね。君と同じ考えを持ってて、公私についてずっと悩んでいたんだ」
「あ?」
「言ったでしょ? 雑談をしようって。私についても教えておこうと思って」
だがへレスティルは動じない。
まるで懐かしむように俺へと視線を合わせると、へレスティルは一度目を瞑りゆっくりと語り掛けるように言葉を紡いだ。
「……そうだね。じゃあ例えばもしもの話だけど……争いが起きててこちらが劣勢の状態。撤退しなければならない状況下で部下が一人取り残されてしまったと仮定しよう。この時、騎士団長である君ならどう皆に指示する?」
いきなりなんだ。
だが雑談だと告げられた以上深く考えても仕方ないと思い直し、俺の正直な考えを伝えることにする。
「……俺一人でそいつを助けに行く」
「騎士団長自ら? 確かに救えれば部下の信用は上がるかもしれないけど、指示者が不在の兵は混乱し滅びるだけだよ?」
「確かに騎士として働いてる以上死ぬことはきっと誰もが理解している……それでも。俺が騎士団長だったら、一人も死なない戦いをする。誰一人として死ぬために戦ってるわけじゃないんだから、助けられるなら助けるべきだ」
「……若いね君は。私もそう思ってた時期があったよ」
若いと言うが、へレスティルも外見だけ見れば20代前半ぐらいだ。
だというのにまるで自虐するように息を吐くと、話のペースを握りながらも言葉を続ける。
「東西南北、そして中央。それらには各大陸を代々治め守るよう命じられた家系があってね。東の『不死鳥』西の『鷹獅子』南の『海大蛇』北の『一角獣』……そして中央の『古龍』。私はその『不死鳥』のエンブレムを持つ家系の一人娘なんだ。所謂、公爵という奴さ」
だから本部から来た騎士たちには『不死鳥』にエンブレムが付いてたのか。
この世界の世界地図を見たことが無いから確信は持てないが、『不死鳥』の人間がここに来るということは恐らく【イクルス】は東側に位置しているのだろう。
「実は私が騎士団長になってからまだ二年も立ってないんだ。【聖神の祝福】でも治せない再発性の病になった父上の後釜でね。経歴もまだ浅かったから本来団長の器として認められるような女じゃないんだけど、家系を重んじる帝国にとって私が騎士団長の席に座るのは当然だった。まあもちろん副団長殿がサポートしてくれているから業務自体は滞りなくこなすことが出来ていたんだ」
「だが――」と、へレスティルは表情を変えることなく言葉を続ける。
「ある日私は先程例に出した状況に直面して、撤退の判断が出来なかった。君と同じように私なら助けられると慢心し、結果はそれについて来てくれた部下を多く死なせただけだったんだよ。全て、騎士としてではなく私個人としての判断が招いた結果だ」
後悔よりもその過去に対する諦めの方が強いのか、へレスティルは自身の胸に溜まった苛立ちを小さなため息と共に吐き出している。
「……結果として、その部下一人を救出することは出来たさ。でも、一人を救うために多くの命を失わせた。だがその逆は、一人の命を失わせる代わりに多くの命を救うことに変わるだけだ。……命が消えることには変わらない。私はずっと、どちらが正しいことなのかわからなかったよ。ずっと悩んで、寝れない日が続いてた」
騎士団長としてなら、選ぶべきものは後者だ。
貴重な兵の数を出来るだけ温存し少ない被害で収めることが出来れば、その選択は次へと繋げることが出来る。
でも、目の前に助けられるかもしれない人がいるのであれば助けたいと思ってしまうのもまた否定されるべきものじゃない。
たとえ私的な感情だったとしてもたった一人の部下を助けたいと思った騎士団長を、俺が騎士の立場だった尊敬してるはずだ。
だがきっと、変えの利かない家系の娘がそれでは駄目なのだろう。
話を区切るように一拍置いたかと思うと、へレスティルは騎士団長の時と同じ鋭い目に変え真剣な面持ちで俺を見た。
「だから……決めたんだ。公私の区別を付けるって。コメット隊長の予定されている処罰はきっと、重すぎる。だがそれが帝国に所属する者の責任だ。コメット隊長もそれを理解して【イクルス】の三番街担当になることを承諾した」
「……っ」
「だから私は……帝国の決定に反対はしない」
へレスティルの瞳には覚悟が映し出されてる。
毅然とした態度には騎士団長の時の凛々しさが外に出ていて、俺が弱気な性格だったらその圧に負けてしまいそうな程高貴さを醸し出していた。
「でもね……それでも、大事なのは後悔しない選択をすることだとも思うんだ。私が心身共に限界だった時、ある友人が未熟な私に教えてくれた。『人の人生を抱えきれない程預かっているのなら、どんな状況でも『公私』の区別を付けなさい』。『けれどその選択の中にあなたにとっての大切な人が入っているのなら、迷わずそれを選びなさい』って。『それがあなたにとっての盾にもなる』とも言われたの」
へレスティルは言葉を続ける。
「その通りだと思ったし、スッと心に入ってくる言葉だったよ。……だから私は決めたんだ。たとえ融通が利かないと言われようとも業務内でだけは、世界のルールに則って選択すると。申し訳ないけど……この街の聖神騎士団は仕事仲間ではあるけど、私にとっての大切な人ではないから」
「……っ」
それが騎士団長としてのあの姿だと、へレスティルは言う。
それは騎士団長としての責任を果たすにはあまりにも臆病な思考ではあるが、その言葉のおかげで彼女の胸につっかえていたものは晴れて、実際に騎士団長として成功しているのだそうだ。
実際、その友人とやらの言葉は俺ですら好感の持てるものだった。
一見厳しさを感じさせる言葉ではあるが、その厳しさの隙間に優しさが見え隠れしている。
「……その友人って人も、騎士なんですか」
「帝国内で働いてはいるけど、厳密には違うね。所属も『不死鳥』じゃなくて『古龍』だから。彼女も忙しい身だから中々会う機会も少ないんだ」
彼女ってことは女か。
忙しく尚且つ騎士団長と普通に話せるとなると、帝国内でもかなり立場が上の人間のようだ。
『公私を分ける』その言葉が今のへレスティルを形作ったのだとすれば、朝と今とで俺への対応を変えた理由にも納得が出来る。
「……まあ、あんたの境遇は何となくわかりました」
「そう? 少しは君に好意的に接したいと思ってることが伝わってくれたかな」
「……今の、あんたには」
「ならよかった」
恐らくへレスティルの目的は騎士団長として話す言葉の節々に裏がちゃんとあるということを知ってもらいたいだけなのだと思う。
要するに、自分の言う言葉は帝国のルールに則ったものであるから、決して敵意を向けているわけではないとわかってほしいということなのだろう。
であれば確かに印象は変わった。
それにコメットさんたちの対応をコイツの思考では変わることは無いと知れたのは良かった。
これで俺がやるべきことは、コメットさんたちの処遇が甘くならざるを得ない状況を創り出すことだと理解する。
「……」
こういう場を作ったのが印象を変える目的でのことなのであれば、もうその話は終わりでも構わないはずだ。
夜ももう更けてきている。
ただ権力を行使して話を付き合わされた……だけで終わらせるつもりは毛頭ない。
俺の目的の一つだったコメットさんたちの処罰についての説得を成し遂げるためにも、話を聞いた代わりとしてこちらの要求(脅し)を告げるべきだ。
「なら次は俺の――」
「それにしても、随分三番街は君にとっての大事な場所になったみたいだね」
「……あ?」
そう思い、切り返したがへレスティルの言葉が途切れることはなくて、思わず怪訝な顔を向けてしまう。
「だってそうでしょ? 元々三番街に住んでいるわけではない君は、本来帰るべき場所があるはずだ」
「……俺のことはどうでもいいじゃないですか。あんたと違って俺は自分のことは喋らないぞ」
「そうはいかないよ。君だから、私は君がどう思っているのかを聞きたいんだ」
意味がわからない。
重度の睡眠不足なのもあって、流石にそろそろ心の安静を保ち続けるのが難しくなってきた。
意図的に含みを持たせた言葉の不自然さに徐々に苛立ちが募っていき、ふつふつとした感情の憤りを抑え込みながらへレスティルを睨み付ける。
「……何が言いたいんだよ」
「幾ら三番街で功績を残していたとしても、流石にそれだけで騎士団長自ら話そうとは思わないってことさ。君が『特別』だから、こうして話を設けることにしたんだ」
俺の睨みを受けても尚、へレスティルは余裕の顔を崩さない。
だが流し目で俺を見ながら、へレスティルはどうしてか手を逆さにし不敵な笑みを浮かべつつ人差し指を俺へと向ける。
困惑する俺を前に、へレスティルの指先はゆっくりと上がっていき。
そしてそれは、俺の小汚くなった白髪へと向けられていて。
「……ね? 天使様」
まるで俺の反応を楽しむかのように、へレスティルは満足そうな笑みを浮かべていた。