第11話(9) 『握手を交わして』
確かにカルパディアの言う通り、三番街の現状を鑑みればそうすることが最も聖女の安全を考えられている。
だがそんな急な話をこの街を大切に想うセリシアが二つ返事で頷けられるわけがなくて。
「そんな、急に言われても……教会には子供たちもいますし、それに【イクルス】の聖女が不在では決して安くない寄付や多大な協力をして下さっている信者の皆さんを裏切ることになります」
「もちろん未来の聖女様を手助けする可能性のある『聖徒』を粗末になど扱いません。信者の方々についての対応もこちらで致します。既に帝国に四番目の聖女様をこちらに招集するよう言伝をしておきましたので『聖徒』たちは変わらずここで日常を過ごすことが出来ますよ」
「……っ」
「これは聖女様のためなのです。一連の事件はどれも【聖神の加護】による結界を街全体に張り巡らせていれば未然に防げたものばかりでした。聖女様のご判断やお考えを否定するつもりなどありませんが、少なくとも四番目の聖女様と代わりさえすれば三番街の安全は保障されることとなります」
「そ、それは……」
「聖女様、ご決断を」
カルパディアは決断を急かすが、そうは言ってもセリシアだってすぐに答えを出せる問題ではない。
確かにそのマニュアルとやらを忠実に行っていればここまでの事態にならなかったのは事実だ。
聖女という特別な存在の守りが唯一手薄になっている場所があると知れば、悪党がそこを突かないはずがない。
「……っ」
「……」
悩み、瞳を揺らがせながら考え続ける彼女を横目で見る。
――街のみんなのためを想うなら、これ以上自分の信念を貫くことなどあってはならない。
きっと君はそう思ってるんだろうな。
だがマニュアル通りの日々を送れば、大多数が恩恵を得る代わりにほんの小さな犠牲が必ず生まれてしまうんだろ?
それが嫌だから君は誰一人犠牲になることが無く、全員が日々を安心して過ごすことが出来るような世界を創りたいんじゃなかったのかよ。
確かに今は上手くいってないかもしれない。
でも誰だって、一度決めたことを失敗せずに成し遂げられるわけじゃないんだ。
たとえより多くの犠牲が出てしまう可能性があったとしても、そんな君の理想を街のみんなは信じて、応援してる。
みんな、セリシアっていう聖女を信じてるから。
誰一人、君の理想を夢物語だと否定する奴なんてこの街にはいないんだよ。
だから……それを否定する信者がいるのは、おかしいよな。
少なくとも聖女である君にそんな顔をさせるような奴が君の気持ちを第一に考えられているとは思えない。
「……」
ゆっくりと……閉じていた目を俺は開けた。
「――司祭のくせして、随分勝手なことをするんだな」
「――っ!?」
「……ほう?」
そしてそう呟くと、セリシアやカルパディアの反応に続いて本部の連中がここぞとばかりに騒ぎ始めた。
「貴様! 司祭様に向けてなんてことを! 無礼だぞ!?」
「何の権限があって聖女様と司祭様の会話に割り込んでいるんだ!!」
喚き散らす外野の声など脳で処理することすら無駄なので聞き流し、俺はジッと顔付きが変わったカルパディアを見続けている。
カルパディアも煽るような言葉をこの場で無視することは立場的にも出来なかったのか、あくまで諭すような口調で口を開いた。
「聖神ラトナ様に愛されている聖女様とはいえ、まだ人間社会での経験が多いわけではありません。聖女様をサポートする役割を担う者として事前に動くのは当然のことですよ」
「……そんなこと考える必要なんかないだろ。あんたらはよく言ってるじゃないか。聖女は、神サマの言葉を代わりに伝えてるんだって。その聖女の判断を待たずに動くなんて……随分と自分に自信があるんだな。司祭サマってのは」
「……まさか。聖神ラトナ様の尊いお言葉を私なんかが測れるはずがありません。ですが……これでも最善の判断をしたつもりですが、何か聖女様に不都合のあることを言いましたか?」
「少なくとも三番街のみんなは、聖女様の決めたことを成してた。たとえ自分たちが危険な目に遭おうとそれに不満なんて抱いてない。それが正しいことだと信じてるし、この聖女様だからこそ、救われた人たちがたくさんいるんだ。何より……敬虔な信者だから、な」
「……」
「あんた以外の誰か一人でも、三番街で暮らす聖女様を変えて欲しいと望んでんのかよ」
あんたの主張は全部、聖女の事しか考えられてない。
セリシアやみんなの気持ちも、想いも、決して見なかったことに出来る程ちっぽけなものじゃないだろ。
事実、別の聖女にしてほしいと思ってるような人なんていなかった。
この街の誰一人、同調圧力に屈して仕方なく現状を受け入れているわけじゃない。
みんな聖女の姿を見ることが出来て、聖女と話すことが出来て……むしろ自分たちは恵まれているとすら思っているはずだ。
姿も見えず声も聞こえない聖女に向けるものよりも遥かに大きな愛をセリシアはみんなから貰ってた。
だから俺の言葉は、今この場にいないみんなの総意だ。
けれどカルパディアは変わらない人の良さそうな笑みを浮かべるだけで、この男に俺の言葉が届いたかどうかは見た目だけで判断することは出来そうにない。
「……私は、もう誰も聖女の恩恵を受けるために犠牲になってほしくないのです」
だけど一人だけ、その言葉が届いてくれた人がいた。
「子供たちや信者の皆さんの気持ちを聞かないまま、一方的に決めることは出来ません。皆さんに迷惑を掛けているのはわかってるんです。でも、私はまだ三番街の聖女として皆さんの助けになりたいと思い続けています」
「聖女様に賛同したい思いは私もあります。ただ現実としてより多くの犠牲を払う危険性が今この瞬間にも存在しています。……聖女様は、理想を叶える為に犠牲を払うことに対しては仕方のないことだと仰るのですか?」
「違います。私は何も出来なくて……皆さんに迷惑を掛け続けている時点で、聖女としては失格なのかもしれません。本来保障されるべき安全に綻びが生じてしまっていますから……相応しくないかもしれないと、そう思い続ける日々を過ごしています」
「それでしたら」
「それでも。私は私らしくて良いって、そう言ってくれた人がいるんです」
その言葉に、俺は遥か昔に思えてしまうような平穏な日々を過ごしていた時のことを思い出した。
それは俺とテーラが子供たちに『魔導具作成体験』をさせていた時にセリシアに言った言葉だったか。
それを今も覚えてくれているというのが嬉しく思えるのと同時にその平穏な日々はもう二度と戻って来ないのだと思うと、やはり俺の顔が浮かばれることはない。
でもそんな俺とは対照的に、セリシアは誇るように胸を張ってカルパディアに向け言葉を紡ぐ。
「課題は多くあると痛感しました。でもだからこそ今は、私が選んだことを投げ出して一人だけ帝国に戻ろうとは思いません。課題を全て成すまでとは行かずとも……もう少しだけ、ご理解いただけませんか」
どの道帝国で行う儀式というものがある以上、セリシアが帝国へ赴くことには変わりない。
でもだからといってそれが一足先に帝国に向かう理由にはならない。
セリシアには聖女としての責任があると同時に自分の選択した行いに対する責任もあると彼女自身が自覚しているからこそ、そのどちらか一方を無視する選択を行うことなどあり得ないのだ。
「……ふっ」
だからセリシアはその優しい見た目とは裏腹に決して退くことはしない。
少なくとも現時点では彼女が勧化を改めることはないと察したのだろう。
カルパディアは諦めたのか小さく肩を竦めて笑みを浮かべた。
「わかりました。ですが三番街に所属している聖神騎士団の怠慢により問題を解決出来なかったのは事実です。その件については本部の騎士の仕事ではありますが、私としてもそれを見過ごしたまま帝国に戻ることは出来ません。ですから今後の方針や対応の話し合いも含め、期限内まで三番街に滞在しても構わないでしょうか? 一連の事件のこともあり、襲撃の可能性も鑑みれば戦力が増えることは三番街にとっても利になるはずです」
「……そうですね。ではコメットさん、カルパディア司祭や騎士の方々を外れの滞在用施設に案内してあげてください。私も街の皆さんに滞在の旨を伝え、理解を得られるように説明しますから」
「……了解しました。聖女様」
こればかりは仕方のないことだろう。
聖女についての話し合いは済んだとはいえ依然としてコメットさんたち三番街の聖神騎士団の処遇についての問題は残っている。
関係のないカルパディアも残るのは意味がわからないが、これについてはセリシアの願いを第一に尊重されるとはいえ処遇を決定するへレスティルの騎士団長としての権限が無くなるわけじゃない。
コメットさんたちがどうなるのか……一応既に解決したこととはいえ救援要請としてここに招集した以上、その対応が終わらない限り仕事であるため本部の連中も帰ることは出来ないはずだ。
……ここが現時点での落し所か。
カルパディアの言う戦力増加の期待など一ミリもしていないが、俺としても夜間警備の範囲が触れるのは多少の有難さがあった。
夜間警備の騎士が増えれば増える程、悪党も自由には動きずらくなるからな。
「お話し中の所申し訳ございません」
だがそこまでぼんやりと考えていた時、先程まで静観の姿勢を取っていたへレスティルが二人の会話に割って入った。
「我ら騎士が司祭様と同じ住居を寝床にするわけにはいきません。そちらの施設は司祭様にのみ貸し出し、我らは中央広場にて警備を兼ねた拠点としてのキャンプ地を設置させていただいてもよろしいでしょうか?」
「えっと……」
「……現在、三番街では他の番街の者が侵入しないように門を封鎖している関係上中央広場に大きなスペースを確保することは可能です。そのエリア内を超えないようであれば、設置することに特に問題はありません」
「ではそのようにしましょう。街の皆さんにはそのこともお伝えします。話し合いに関しましては今日の所は皆さん早朝の到着でお疲れでしょうし、一日時間を置いてからにしましょう。キャンプ地の設置については日が完全に昇り次第、作業を行って下さい」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
……これで聖女としての問題も三番街の聖神騎士団についての今後の流れについても終結したみたいだ。
この場にいる全員がそれ以上口を挟むことなく、各自伝えたいことは伝えきったという雰囲気が辺りを包む。
カルパディアもその雰囲気を感じて、ニコニコと笑みを浮かべながらセリシアに手を差し出した。
「帝国の者とはいえ【イクルス】に滞在する以上、協力出来ることならこちらも手を惜しまないつもりです。ひいては聖神ラトナ様の信仰心を示せるよう最善を尽くしますので、しばらくの間我ら共々よろしくお願い致します……三番街の聖女様」
「ぁ……」
セリシアの治める土地に入り込むため、敵意のないことを証明するかのように友好を示した握手をカルパディアは求めていた。
だがどうしてかセリシアは、伸ばされた手を握ることに躊躇しているみたいだった。
「……っ?」
……僅かな違和感がある。
見た感じセリシアにカルパディアに対する嫌悪感があるわけではない。
カルパディア側にも、気持ち悪い下心がある様子は全くなかった。
セリシアの性格上単に相手が男だから、肌に触れることが恥ずかしいだけなのだろうか。
だがその羞恥の顔をよく見てきた俺としては、セリシアのそれはこれまでとは少し違う気がする。
そもそも司祭とはいえ不用意に聖女に触れていいものではないような気もするが、騎士側が司祭の行動を咎めない以上この世界の常識を良く知らない俺にはその判断もつきそうになかった。
「は、はい。こちらこそよろしくお願いしますね」
「……ええ」
だが結局、セリシアは恐る恐ると言った様子でカルパディアと握手を交わした。
どうしてそこまで躊躇したのかはわからなかったもののセリシアは少しだけホッとした表情を見せカルパディアも満足そうな顔をしていたから、ただの杞憂だったと思うことにする。
「では今日の所はこれで失礼します。また明日こちらに赴きますので、その時はよろしくお願い致します」
そうしてカルパディアが会話の切り上げを行ったことで、突然の来訪は終了した。
鉄門を抜け教会に来た人たちが見えなくなるまでセリシアは見送り、先程までの騒がしさが完全に静寂へと変わる。
「……」
「……」
庭に残ったのは、俺とセリシアの二人だけだ。
それによってずっと後回しにされていた事柄が途中だったことを互いに思い出し、外に出るタイミングを完全に見失ってしまったことに気付かされる。
だがセリシアは、動けずにいる俺に身体を向けて。
「……教会に戻りませんか? 美味しいご飯を、作りますから」
弱々しい笑みと、その瞳に映る不安を俺に届かせていた。
門を超えた後ならともかく、今この場でここまで言われて目を逸らすことは俺には出来そうになくて。
「……うん」
ゆっくりと頷いたことで安堵の笑みを浮かべる彼女を、俺はずっと虚ろな瞳で見続けていた。