第11話(7) 『本部の聖神騎士団』
三番街には元々、本部のある帝国の聖神騎士団が来る予定だった。
クーフルの一件があって、三番街に所属しているコメットさんたち聖神騎士団の責任の有無が問われていたからだ。
コメットさんは『使者』という言葉を使ってはいたが、騎士の編成を巨大組織である騎士団以外で決めるとは思えない。
皇帝一人が世界を治める帝国であるからこそ、騎士団の権力というのは俺の想像以上のものであるはずだ。
だから俺は今までずっと、その使者が来る日を心の隅で待ち続けていた。
けれど待てど暮らせどその使者は来なかった。
だというのにこちらが応援を呼んだ途端、奴らは待ってましたとばかりに三番街にやって来ている。
恐らく【イクルス】が聖女を悪意から守るために外部との交流を厳しく規制している城塞都市だからこそ、たとえ帝国の人間であろうとも酷く工数の多い手続きを踏まなければならないからだろう。
それはきっと、こちらから呼ばれた場合のみほとんどの工数を省略出来るのかもしれない。
真意はわからないし知ろうとも思わないが、なんにせよ現実としてあるのは今更本部の連中が堂々とこの街に足を踏み入れたという事実だけだ。
唯一の道を塞がれてしまっているため教会を出ることが出来ず呆然と立ち尽くす俺を前に、帝国の連中は鉄門の前に立ち教会の扉の前に立つセリシアに視線を向ける。
「ぁ、ぁああ……!!」
「ぅ、ああっ……!!」
だが、聖神騎士団の様子がおかしい。
全ての騎士たちが驚愕に顔を強張らせ、足をガクガクと揺らし眩い光に震えを止められずにいた。
騎士たちの視界にはたった一点以外が全て白色に塗り潰され、神秘的な一人の少女の姿に目を離せずにいるみたいだ。
その視線の先にあるものは――当然、三番街の聖女セリシアで。
困惑する俺を前に、突如として全ての騎士たちが地に膝を付き純白の騎士服を汚しながら涙を流し、深々と祈りを捧げ始めていた。
「聖女様……ぁあ、聖女様だ!!」
「ぁぁ、聖神ラトナ様……! 一介の信者である我らに聖女様のお姿を拝謁するご機会を与えて下さり、心より感謝申し上げます……!!」
「なんと神々しいお姿……! 何もせず聖女様のお姿をお目にかかってしまうなどなんと罪深いことか……!! この慈愛の祝福は必ず、必ずこの身全てを持って何もかも捧げる所存です……!!」
「……ぁぁ?」
なんなんだよ……一体。
なんとも気味の悪い光景だ。
全員がセリシアを前にひれ伏し、敬服し、多くの騎士たちが大粒の涙を流しながら地面に頭を擦り付け祈りを捧げている。
確かに三番街のみんなもセリシアに対して敬虔な信者以上の想いを持ち、行動していた。
だけど流石にこんな光景はセリシアと日常を共に過ごす三番街では有り得ないことだ。
でも確か前に普通聖女は表立って姿を見せることは無いと誰かから聞いた気がする。
聖女を初めて見る敬虔な信者であれば、案外こういう反応をするのは普通なのだろうか。
「総員!! 敬礼ッッ!!」
呆然とその異常な光景を見ていた俺だったが、突然教会中に響いた張りのある大声により先程まで祈りを捧げていた騎士たちは勢いよく立ち上がり、全員揃った敬礼を始めた。
「お久し振りです三番街の聖女様。長らくお待たせしてしまい大変申し訳ございません。我ら帝国直属、聖神騎士団東陣営ここに参上致しました」
その騎士団の先頭に立ち深く頭を下げているのは一人の女騎士だった。
両腕に小盾、純白色の騎士服に胸当てを装着し、太陽に照らされて光る長い金髪を一つに纏めた長身の女だ。
胸当てに刻まれた不死鳥のエンブレムは着た者の権威を象徴しているようで、凛々しい顔付きも相まって責任の重さを表しているようにも見える。
「ぁ、えっと……」
全員に頭を下げられている状況を理解しながらもセリシアは返答に困っているように見えた。
それはセリシアからの視線を背後から感じる俺もよく理解している。
公務である以上本部から来た聖神騎士団の訪問を無視することなど出来はしないが、かと言って先程の一件がまだ終わっていない関係上、セリシアとしても俺をここで逃がすことは避けたいのだろう。
だがそれは彼女が何かをしなくとも既に成されている。
どの道正規の方法で外に出ることが出来ずに足を止めざるを得ないため、その後も動かない俺を前に安心したのかセリシアも改めて意識を切り替えて騎士団に視線を向けた。
「こちらこそご足労いただきありがとうございます。すぐに開け」
「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」」」」
「ひゃっ!?」
「静粛にしろッッ!!」
聖女の声を聞くのもまた、初めてだったに違いない。
引く程の絶叫を上げて感極まる騎士たちを前にセリシアは肩を跳ねさせ、先頭の女も険しい顔で他の騎士たちを静止させていた。
「あ、開けますね……?」
この様子だと、三番街のみんなも最初にセリシアの姿を見た時はこんな感じだったんだろうな。
それがあそこまでセリシアと話せるようになったということは、それ程までにセリシアが身を粉にして頑張ったのだろう。
最早反応しないようにと目を瞑り出す騎士団の連中に苦笑しながら、セリシアはこの世界のほとんどの存在よりも偉いというのに律儀に頭を下げて結界を解き、鉄門を開けて本部の連中を教会へと招き入れた。
セリシアに感謝の言葉を言いながらぞろぞろと入ってくる本部の連中を横目に見る。
騎士たちが通る度に、敷地内にいるボロボロの男の存在に疑問と不快感の籠った目を向けて来ていた。
「……っ」
ぞろぞろと俺の横を通り過ぎていく騎士団の面々を呆然と見ていると、不意に誰かの肩が俺の肩へと辺り、力の入ってなかった身体はいとも簡単に尻餅を付いてしまった。
前髪が靡き、隈のこびり付いた虚ろな瞳が隙間からチラリと見える。
「ぁっ……!」
それに気付いたセリシアが小さな声を上げるものの、近くにいる騎士たちは俺を一瞥するだけで誰一人手を貸すつもりはないみたいだ。
「うわっ……汚ねぇ……」
「なんでこんな神聖な場所にこんな浮浪者がいるんだよ……」
むしろ尻餅を付いてしまったことでより注目を浴びてしまったからか、教会にとって異質な風貌の俺に嫌な顔をする騎士も何人かいた。
俺には聞こえるように、けれどセリシアには聞こえないように小声で呟く騎士たちの声だけ聞きながらも、実際その通りだから反論する気にもならない。
……情けねぇな、俺。
自分の醜さを他人に指摘されたからこそ、こんな自分が嫌で嫌で堪らなくなる。
それこそ本当なら騎士団のことなど考えずに鉄柵を乗り越えれば教会を出ることが出来るのに、それをしなかったことこそが俺が醜い証だ。
俺は出て行くと言いながら、ホントは出て行きたくなんかなくて理由探しをしていただけなのだろう。
「――っ」
セリシアは慌てて俺を起こそうと一歩を踏み出す。
でもそれは悪手だ。
彼女が聖女として輝き続けるためにも、俺に手を差し伸べて良いわけがない。
「……」
今度こそ出よう。
焦点の合わない瞳に陰が掛かりながらも、俺は行動するべくゆっくりと身体に力を入れた。
「あなた、大丈夫?」
だがそんな時、俺に声を掛ける物好きが一人だけいたらしい。
進む騎士団の列からわざわざ離れて、俺の前へと膝を折る黒みの掛かった深緑の服が視界に映る。
純白の騎士服ばかりなのに珍しいと思いゆっくりと顔を上げた。
そこには子供たちが着ていた物とは違う正規の修道服を着た茶髪の少女が俺に手を差し伸べていた。
先頭のとは違い、まだ幼げのある少女だ。
歳だって俺とほとんど変わらないだろう。
少しだけ気が強そうだが、汚らしい俺を前にしても一切目を離すことなくすらりとした手を差し伸べ続けている。
「教会の敷地に立つに相応しくないのは事実ね。嫌な気持ちになりたくないのなら身嗜みぐらいは整えないと」
「……余計なお世話だ」
「まあそうだけど。でも、そう思うなら立ちなさい。ここで立たずに座り込んでいるだけなら、ただ同情を誘っているようにしか見えないわよ?」
「……」
初対面のくせに言いたい放題のこの女には言いたいことが色々あるが、残念ながらそこまでの気合を捻り出すことは出来そうにない。
だから沈黙を選びつつも相手の動向を伺っていると、やはり女は俺に厳しい目を向けながらも伸ばした手を引くことは一度も無かった。
「……汚ねぇぞ」
「構わないわよ。それが手を貸さない理由にはならないし」
……なんなんだコイツ。
進む騎士たちもその少女を一瞥し、複雑な目を向けている。
なのに少女は何も気にすることなく我を通し続けていた。
そんな姿を見せられてしまえば、敵意を向ける気すら起きない。
だから弱々しくも少女の手に自分のを重ねると、少女は俺の手をしっかりと掴み勢いよく立ち上がらせてきた。
敢えて感謝の言葉を言わない俺に対し少女は気にする様子を見せないが、それでも俺に向ける厳しい目は変わらない。
「……その自分は死んでも構わないみたいな諦めの目は辞めなさい。私、そういう人を見るの嫌いなの」
「……ならほっとけよ」
「言ったでしょ。私の感情があなたを助けない理由にはならないって」
そう言うだけ言って、少女は列へと戻って行った。
よく見れば少女の他にも黒色の修道服を着た者が少数ではあるが男女共に何人かいた。
あの少女だけ修道服の色や形もカスタムされているが、何か特別扱いされるようなものがあるのだろうか。
そもそもどうして修道服を着た奴らが騎士団に混じっているのかは定かではないが、きっと何かしらの役目があるのは間違いない。
だが全部どうでもいいことだ。
手を差し伸べてくれたことには感謝しているが、だからといって興味が惹かれるわけではないのだから。
……けれど少し疑問もある。
てっきり本部の連中が来たのならこっちの聖神騎士団も何かしらの対応を取ると思っていたのだが、この列の中にコメットさんの姿は無い。
見過ごしただけかもと視線を向けてはみたが、残りの騎士たちも全員教会へと入り終わったみたいだ。
……やっぱりいない。
疑念を抱きながらも、全員が教会内に入ったことで先頭の女は改めて口を開いた。
「まずは【聖別の儀式】の完了、おめでとうございます。そして改めて、到着が遅れてしまい大変申し訳ございませんでした。既に聞き及んでいるはずですが、我らがここに来たのは三番街担当の部下より送られてきた救援要請に準じたからです」
「――っ!」
「救援、要請……? 以前コメットさんが提出したという報告書についてのお話ではないのですか?」
「それも並行して行うつもりですが、ここに来た直接の要因ではありません。……もしかして、伝えられていないのですか?」
……まずい。
そうだ。
このためにコメットさんが必要なのだ。
三番街に起こった異常事態についての報告はセリシアには伝えられていない。
それは一重に彼女が【聖別の儀式】により蓄積している疲労を更に増やしたくないからという強い想いがあったからだ。
本来ならセリシアにはこのまま伝えず、本部の連中が来た時に問題は解決したと称してすぐに追い返す手筈だった。
既に問題が解決した以上本部の連中がこの場に滞在する理由なんて無いから、セリシアの体調が芳しくないと伝えれば奴らも無理に入ろうとはしないはずだと、そうコメットさんからも太鼓判を押された作戦を考えていたんだ。
この場にコメットさんがいれば幾らでも誤魔化しは効いていただろう。
けれどこれでは誤魔化すことなんて出来そうにない。
……だがそう思うのとは別に、もうバレてしまっても構わないと思う自分がいた。
もう事は終わったのだ。
あの時はこれ以上セリシアの負担にならないようにと秘匿する方向で決めたが、今それが明かされたとしても単なる事後報告でしかない。
バレた所で彼女がこれ以上頑張ることなど一つも残っていないのだから、隠した分の目的は達成したと言えるはずだ。
だから俺の感情が大きく揺れ動くことはなく、ただぼんやりとこの状況を眺めていた。
「つい先日まで三番街にて大量の住民の意識が闇魔法により消失するという事件が起きていました。徐々に被害は拡大していくと推測されたために三番街を封鎖し、原因の究明と解決を行うべく早急に応援が欲しいとの話でしたが……現在は既に解決したようです」
「そんな……三番街の封鎖は森で活発化した動物が危険だからと……」
「三番街隊長の考えはこれから聞くつもりです。入れ違いではありますが既に帝国にそちらの報告書も提出されたと伝達がありました。なんでも……騎士団でも何でもない、白髪の少年が一人で解決したとか」
「えっ!?」
「……っ」
そう言ってチラリと俺に流し目を送る女に共鳴するように、この場にいる全員の視線が俺へと注がれていた。
セリシアも、驚きの目で俺を見ている。
彼女と一瞬だけ目が合うと、その瞳が悲しそうなものに見えて思わずそっと目を逸らしてしまった。
「ただの一般市民が聖女様の暮らす街の問題に介入するなど由々しき事態です。いや……そもそも少年が三番街に所属していない身元不明人であることも調査済みであるため、この場にいること自体が場合によっては極刑になる場合もあります。状況の説明をしてもらう必要もあるため、彼の身元は我ら聖神騎士団が引き受けることになるでしょう」
「それはっ……!」
そう言う話になるのか。
確かに俺の現在の立ち位置が定まっていない以上、今更過ぎるが聖女の傍にいることを本部の連中は良しとしないだろう。
元々、こうなる可能性は前々からあった。
それこそ『使者』の話が出た時からそう突っ込まれるだろうなというのは想像の範疇にあったものだ。
だから今更驚くことでもない。
ただきっと当時だったらもっと喚いていたんだろうなという昔の自分の醜さを思い知るだけだ。
むしろ、より正当性のある教会の出て行き方が出来るはずだ。
「へレスティル団長ッッ!!」
だがそう思っていた時、不意に教会内に届く程の声量を上げ結界の解けた教会に入ってくる一人の男がいた。
コメットさんだ。
彼は憤りを顔に貼り付けながら足を踏み込み、通りざまに俺の姿を見ると目を見開いてはいたが、それでもすぐに視線を戻して女の前へと立った。
へレスティルというのは恐らく、先頭の女のことだろう。
コメットさんは団長という目上の人間を前にしても動じることなく厳しい目をへレスティルに向けていた。
「門番を担当している部下から来訪を聞きました。三番街の安全を確保するのが我らの仕事です。その我らに断りもなく聖女様に接触するなど、一体何を考えているのですか!?」
「頂いた報告書によれば事態は急を要すると認識していました。まずは聖女様の安否を確認する。騎士として当然の判断だと自負しています」
「急を要する……!? 街の中を歩いて、それでそう思ったと言うのですか!?」
「確かに、思いませんでした。ですが報告書による被害の性質から現地の人間の発言を信用することは出来ません。それなら聖神ラトナ様によって守護されている聖女様に話を聞くことが一番合理性があるでしょう」
「組織の団長である貴方がそれをするのかッッ!!」
こんなコメットさんの声、初めて聞いた。
見るにあのへレスティルという女はまだ20代にギリギリなってないぐらいだが立場的にはコメットさんよりも上の存在であるのは間違いない。
だというのにコメットさんは、団長に対し物怖じせずに声を荒げている。
民を守る為に相手がたとえ上の人間であっても正しさを問うことが出来るのは誰にでも出来ることじゃない。
きっとそれが三番街の隊長として選ばれた理由でもあるはずだ。
その行動の可否はともかく、俺はそんなコメットさんに好感が持てた。
だが、へレスティルもまた動じない。
「役目を果たせず子供に全てを押し付け今も尚使い潰している騎士の言葉に、一体どれ程の価値があると言うのですか?」
「――ッ」
へレスティルもまた、コメットさんに厳しい目を向けていた。
そう言われてコメットさんはゆっくりと後ろを振り向く。
ボロボロで、今にも崩れてしまいそうな俺を見てコメットさんは肩を跳ねさせ眉を下げる。
その顔には申し訳無さが滲み出ていて、そんなコメットさんの姿に俺は言いようのない不快感を抱いた。
なんでコメットさんが悪いみたいになってるんだよ。
あいつの言っていることは全部見当違いだ。
クーフルの時もあの時も、闇魔法という災悪の力が相手だった。
【聖痕】の力で守られた俺ですら、後者に対してはどうすることも出来なかったのだ。
たとえ騎士としての実力があったとしても、決して抗えない力には誰だって負けてしまうものだ。
なのにコメットさんは言い訳もせず自責の念に駆られて、悔しそうに目を伏せてしまっている。
「それに、確かに判断を下したのは私ですが、提案した方は他にいます」
そんなコメットさんをジッと見つめながらへレスティルはそう口にして避けるように横へとズレた。
それを皮切りに先頭近くの騎士たちも一斉に横へとズレた動きは、まるで誰かに道を開けるかのような洗練された動作だった。
「――ええ。教会に向かうように指示したのはこの私です」
そして、一つの影が一歩を踏み出す。
騎士全員が敬意を示し頭を下げた人物は……一人の男だった。
一目で聖職者と分かる純白の装いをし、口元に隠すように特徴的なマスクを着用している。
初対面でも友好的であると思わせるような柔らかな目付きは、一見聖職者として相応しいものに思えた。
「司祭様……!」
「カルパディア司祭……」
コメットさんもセリシアも知り合いなのか順々にその名を呼んでいる。
恐らく司祭よりも地位が高いであろうセリシアはともかく、隊長という役職でしかないコメットさんはその姿を見て他の騎士たちと同様に深く頭を下げていた。
……けど。
その場のほとんどが同じ動きだったからこそ、俺の虚ろで生気のない瞳だけは見逃さなかった。
「……」
カルパディアを見るセリシアの眉がほんの少しだけ、複雑そうに動いていたのを。