第11話(5) 『陰に射す光』
――全く殺気を感じなかった……!
幾ら疲れていたとはいえ決して警戒を怠ったつもりはなかった。
悪意は暗闇に溶け込むと理解していたから、常に僅かな気配すらも意識していたつもりだ。
にも関わらず直近で初めての攻撃をその身に受け俺は思わず顔を顰める。
これまで放たれてきたものとは比べ物にならないくらいに精密な魔法だ。
実際俺の脇腹を貫通した弾痕を見れば、そこには強固な岩塊が木に突き刺さっているのが見える。
「だ、誰だか知らねぇが助かっ」
「――【撃鉄】》……!!」
だがそれでよろけ、激痛に悲鳴を上げたくなったとしても、そのまま痛みに耐えて身を翻し安堵のあまり呆けた顔をする悪党に【撃鉄】を放った。
明確な殺意を乗せた拳が悪党の身体を破壊し大量の血と共に肉片が飛び散ったのを虚ろな瞳で一瞥しながら、俺は重力に沿って倒れる男を見下ろしている。
「どれだけ俺が傷付いたとしても、絶対逃がさねぇよ……」
たとえ痛くても、苦しくても。
助けることが出来ず死んでいった人たちはもっと苦しんでいたはずだ。
だから我慢出来る。
我慢出来るからこそ、悪党は一人残さず【断罪】しなければならない。
「絶対、絶対だ……」
視線だけを発射された岩弾の軌道へ向け『ウイングソール』に魔力を籠めて突風を巻き起こす。
そのまま飛翔し、木々の隙間を縫って一気に空を駆け抜けた。
先程の魔弾で敵の方向は理解した。
俺を捉えるまでの速度は《ライトニング》より僅かに遅いが、空気を切った際に発生する音の遠さから鑑みるに俺との距離感もある程度なら把握することが出来ている。
魔法を放ってからの経過時間も1分経ってもいないだろうから、すぐに身を隠していたとしても発射ポイントから大きく離れているということは無いはずだ。
それに単純に、空を駆ける天使故の才として得ている広範囲を聞き取る聴覚は他者が土を踏み締める音を俺の鼓膜に届かせてはいない。
――つまり。
敵はその場に、留まっている。
「――ッッ!」
それを事前に予測出来ていたから、飛行経路に設置されていた多数の岩針によるトラップをすんでの所で身をよじることで両腕の皮膚を軽く切るぐらいのダメージで何とか回避することに成功した。
そのまま『ウイングソール』を細かく操作して、迫り来るトラップを回避しながら加速する。
「―――!!」
そして月明かりによって生まれた僅かな明かりが、一つの影を捉えていることに気付いた。
「……いた」
見失わないように一気に近付こうと『ウイングソール』の出力を上げるが、影は俺の存在に気付き身を隠そうと木々の闇に溶け込んでゆく。
だが魔法を使わずに距離を取ることなど『ウイングソール』を前に出来るわけがない。
俺はそのまま距離を詰め、左手に雷の魔力を纏わせて最後の木々を曲がった瞬間手を開き突き出した。
「――ッッ!!」
けれど木々で埋まっていた視界が開けた瞬間、追っていた影は何故かその場で立ち止まり杖のようなもの俺に向けているのが見えた。
既に杖の先には1m程の岩砲弾が生成されていて、影は俺の登場と同時に岩砲弾を発射する。
「ライトニング【擲弾】》……!!」
それが顔前まで迫った瞬間、俺は左手に溜めていた魔力を瞬時に別のものへと変換し岩砲弾を爆破させた。
《ライトニング【爆弾】》は光球が爆発する関係上全方位に対して爆発が起きるため、至近距離だと自身も爆発に巻き込まれてしまうという欠点がある。
それを踏まえて、投擲出来る利点と飛距離を捨てる代わりに掌の先から直接小型化させた光球を創り出すことで前方にのみ爆発を起こすことが出来るよう昇華したのがこの《ライトニング【擲弾】だった。
「――っ」
だが掌を魔力で保護しているのもあり、どうしても威力は【爆弾】と比べ下がってしまう。
爆破させたことによって生まれた岩砲弾の欠片が、俺の額にぶつかり割れて血が流れる。
巻き上がる土煙も瞬時に『ウイングソール』による突風によって払い、視界の塞ぎを阻止することに努めた。
だが完全に払いきる前に、前方にいるであろう悪党の声が聞こえてくる。
「孤独じゃのう、お主は」
「――っ」
女の、声……?
口調はアレだが、声質的にはかなり若い女の声だ。
別に男女平等についての理念があるわけではないが、単純に女が三番街を狙いに来るなど初めてのことで少しだけ眉をピクリと跳ねさせてしまう。
……でも、殺し合いの最中でその躊躇は命取りになる。
だから俺は相手の姿が見えずとも声質と口調で知り合いではないと瞬時に判断し、すぐさま《ライトニング》を連射した。
命中は、しない。
それは偏に、すぐ傍に出現している次元の裂け目に女が入り込んだからだと土煙が晴れたことで気付いた。
裂け目に入った状態で女は決して姿を見せずに言葉を続ける。
「望まぬ孤独は精神を闇へと堕とす。続けていれば、そう遠くないうちに全てを失うことになるぞえ」
「……いきなり何を」
「必要なことじゃったとはいえ、お主を傷付けた詫びを兼ねたただのお節介じゃよ。それに、お主のような愚者をうちはもう二度と見たく無いのでな。忠告じゃ」
勝手な言い分だ。
平穏な日々を過ごしてきたみんなに恐怖を与えようとわざわざこんな所にまで来て、それで口にするのが説教だなんて自分勝手にも程がある。
こんな悪党の言葉なんかに耳を貸す必要などないだろう。
……だがコイツにはどうしてか敵意を全く感じなかった。
それにあの時、最後に殺した悪党はこの女の存在を認識しておらず攻撃の予測も出来ていなかったことから、恐らくこれまでの悪党共とこの女は別個の存在であるという可能性が浮上している。
味方ではない。
だが、敵だという確証も持てないから、俺も迂闊に攻撃することは出来なかった。
それは目の前の女がたとえ三番街に侵入した輩であることに変わりないとしても、悪党であると断言することは出来ないからだ。
事実俺を攻撃したのは事実だが、この女の攻撃には殺意が無かった。
あの時完全に攻撃に気付かなかった俺に心臓や頭などの急所を狙うだけで勝てたのに、この女はそんな単純な思考を抱かなかったのだ。
……俺はただ、みんなを守りたいだけで無駄な殺傷がしたいわけじゃない。
だから警戒しつつも動かない俺を前に、女は姿を見せないままゆっくりと言葉を紡いだ。
「『悪魔』のエゴには付き合うな。大事なのは、どんな絶望に支配されても己を律すること。目先の結果ばかり見ては、自分自身をも失うことになるぞよ」
「……」
「うちはお主の人生をどうするつもりも無いが……先輩からの忠告じゃ。ちゃんと、考えることじゃな」
何の先輩かは皆目見当も付かないが、恐らくこの女には俺のことを何かの後輩だと思う要因を見出しているのだろう。
含みを持たせた自分勝手な言葉を最後まで俺に押し付け、女はそのまま攻撃することなく次元の裂け目と共に消えていった。
……殺伐とした戦場で疑問を抱くことになるだなんて思わなかった。
「前も、同じようなことを言われたっけな……」
でも、聞き覚えのある言葉だと感じた。
それは以前にも同じように初対面にも関わらず理解の追い付かない言葉をぺらぺらと吐かれた記憶があったからだ。
茶髪の青年。
確か……エルケンドと言ったか。
あの時は言ってる意味がわからなかったけど、今ならわかる。
ああ、その通りだと思うよ。
醜いエゴに付き合えば付き合う程破滅に向かっていってるなんてことは、嫌という程理解したさ。
……だけどさ。
「そう言うのなら、全部あんたがなんとかしろよ」
ならお前らが代わりにやれよ。
俺以外の誰でもいい。
必ず三番街を守れる保証があって、24時間365日悪党一人殺し逃さないと断言出来るような奴を、俺の前に連れて来いよ。
どうせ、出来ねぇんだろ?
なのに口だけは達者だなんて……何様のつもりだ。
出来ないなんてのはわかりきってるんだ。
俺だってきっと、そんなこと出来っこない。
いつかは身を滅ぼすだけだって……わかってる。
「それが、出来ねぇから、俺は……」
でも他にやってくれる人がいないなら、俺が頑張らなきゃいけないだろ。
全部を失っていたはずの俺に『もう一度』が出来たんだ。
今度こそはそれを失わないように命を削ってでも助けなくちゃならない。
「……」
変わらない感情のまま、虚ろな瞳で痛む横腹に手を添える。
血生臭いこの場から無意識に離れたいと思ってしまったからか、俺は徐々に昇り始める太陽を見ながらゆっくりとボロボロの足を動かした。
――
また、月は太陽……朝日に変わった。
すぐに血と土埃で汚れてしまう自分の身体に嫌気が差しながら、まだみんなが寝ているであろう時間に教会へと戻ってくる。
礼拝堂に入り、リビングのある部屋へと進んで丁寧に整理された救急箱を手に取った。
「……ぃっ」
傷口を消毒して、額と両腕、腹に包帯をしっかりと巻く。
止血したとはいえ血はどうしても滲んでしまって、すぐに赤く染まる包帯を俺はぼんやりと眺めていた。
あの岩砲弾が内臓や骨を傷付けなくて良かった……貫通して横腹に小さな穴が開き筋肉も酷く損傷しているとはいえ、天使の修復力にかかれば穴を塞ぐまでもないだろう。
だから痛みに耐えつつそのまま洗面所へと向かって、『ウインググローブ』を外し血塗られた両手を洗い流した。
何も思わない感情を受け入れながら機械的に手を動かしていると、ふと視界に入った鏡に視線を向ける。
「……誰だこいつ」
鏡に映っていたのは、汚く醜いだけの、痛々しい姿を晒すただの人間だった。
天使の証明である翼や光輪は何処にも無くて、綺麗で透き通った純白の髪も今ではボロボロに汚れている。
こびり付いた隈と半開きの目から覗く紅い瞳には生気というものが宿っているようには到底見えなくて、身体中に巻かれた包帯もあって教会にいるに相応しくない風貌を鏡に映るソイツはしていた。
「……ははっ」
だけど、現実逃避するにはあまりにも見慣れた顔だ。
これが俺……メビウス・デルラルトであると、働かない頭でも認識することが出来てしまっている。
日に日にやつれてゆく姿に思わず自虐的で乾いた笑みを浮かべてしまった。
……こんなのが教会に居て、いいのだろうか。
ずっと土を踏み締めているから、俺が教会に帰る度に多少なりとも教会は汚れてゆく。
気付かないフリをしてたけど、きっと子供たちも俺の変化に気付いているはずだ。
だから今日だってみんなが寝ている間に帰ってきたのだ。
もう既に食事を取ることだって辞めて、なるべくみんなに会わないようにと時間とタイミングに細心の注意も払っている。
こんなの、まるで教会に侵入する賊みたいだ。
「教会にも、居づらくなっちまったな……」
もう、帰って来なくてもいいかな。
ずっと姿を見せなければ、きっとみんなも少しずつ俺の事なんか忘れて変わらない日常を過ごしてくれるはずだ。
全部が解決して、本当に平穏な日々を取り戻すことが出来たら……その時は胸を張って戻ってくればいい。
そしたら今度こそ嘘偽りのない笑みを向けることが出来て、俺は本当の意味でみんなと目を合わせることが出来るようになると思うから。
「……」
今後教会に戻って来ないのなら服を変える必要も無いため、俺は手を拭いた後そのまま自室に戻ることなく礼拝堂に続く廊下を歩いた。
……思えばみんなには貰ってばかりで何も返せてない。
なのに何も告げずにこの場を去ろうとしている自分が、本当に恩を仇で返す典型的なクズだということを突き付けられる。
なんなんだろう、俺は。
どうしてここまで昔から思い描いていた自分と大きく離れてしまったのだろうか。
昔からただ、父さんみたいにみんなに頼られ、そして笑い合える日常を守れるような英雄になりたかっただけなのに。
「……まあいいや」
結局それは子供の頃の戯言……理想でしかなかっただけのことなのだろう。
ほとんど働いていない頭を使ってまでわざわざ自問自答することでもない。
……今やるべきことは一つだろ、メビウス・デルラルト。
弱々しい息を吐き出しながら、また三番街を周るべく教会を出るために礼拝堂に入った。
「……ん」
だが扉を開くと、俺は薄っすらとした視界の中でふと礼拝堂の長椅子に誰かが座っていることに気付く。
扉の開く音が聞こえたからだろう。
その子は神秘的な雰囲気を持つ本を手に取り礼拝堂の窓から僅かに射す朝日の光を一身に受けていたが、やがてゆっくりとこちらへと振り向いた。
その目が、柔らかなものから驚きへと変わる。
ぼんやりとした思考でその光景を見ながらも、徐々に意識が覚醒していくにつれ俺の魂が警鐘を鳴らしていることに気付く。
……その子が、小さく震えた声で口を開いた。
「メビウス、君……?」
「……――ッッ!?!?」
少女の瞳には血が滲んだ包帯を巻き、血や土埃で汚れたボロボロの衣服を身に纏い、酷く濃い隈のある白髪の少年が映っていて。
「セリ、シア……」
俺の瞳にもまた、純白で綺麗で、何一つ汚れていない平穏の証である神聖な少女の姿が間違いなく映り続けていた。