第11話(4) 『背負っている重荷』
幾ら、命を奪っても。
幾ら、三番街を突破することなど出来ないと示しても。
変わらず、悪党の手は三番街へ伸び続けている。
それを処理していく度に、俺の心は擦り減っていくように感じた。
一睡もせずふらふらのまま、それでも身体に纏う火花は閃光を上げていて。
綺麗だった漆黒の上着も今では以前まで着ていた純白の上着と同じように返り血で赤黒く、更には土埃で汚く染まっていた。
それでも、確実に三番街の平穏は守られている。
誰もが三番街に脅威が迫っているなど微塵も思わず、不便ながらも慣れ始めた生活をし続けていた。
これも全部、セリシアのおかげだ。
みんなの日常を確認する度に安心する自分がいる。
でも、その安心の要因は決して三番街のみんなだけじゃない。
それは教会にいる時にこそ顕著に出ていた。
「は、はやくはやく! お姉ちゃん!」
「もーパオラ待ってってぇ。そんなに急ぐことないでしょー?」
礼拝堂から表庭に出て来たのは走るパオラとそれについて行くユリアだった。
いつもはパオラがユリアについて行くことが多いのに、どうしてか今日は違うらしい。
後ろを向きながらパオラは拙い足で直進し駆けている。
だがパオラの性格上走り慣れていないことに加えいつも着ている長めのワンピースという弊害もあって、足をもつれさせてしまうのは当然だった。
「だって早く行かないといなくなっちゃうかもだか――わっ!?」
「あ、パオラ!」
ユリアの小さな悲鳴と同時にパオラは盛大に背中から倒れてしまう。
「――――」
瞬間、俺は『ウイングソール』を起動させ一気に跳躍し、純白の上着が風で広がりながらパオラの背中を優しく支えた。
そのまま体勢を整えて身体に負荷が掛からないよう注意しながら地面に足を付かせると、驚き固まっていたパオラもゆっくりと目を開ける。
「走ったら危ないぞ、パオラ」
「ぁ……ごめんなさい、お兄さん……」
「気にすんな。元気なのは良いことだから」
丁度教会に帰って来るタイミングで良かった。
罪悪感を抱かせないように柔らかな笑みを浮かべてみせたものの、結局パオラに謝られてしまった。
謝らなくていいのに。
だがパオラの性格上そういうわけにもいかないのだろうし、その謝罪は素直に受け止めることにする。
「……」
「……どうした?」
正直、感謝も謝罪も必要ない。
ただただ、怪我をしなくて良かったという事実だけで充分だ。
だからそうこっそり安堵していると、どうしてかパオラはその場から動かず不安そうな目で俺の全身を眺めていることに気付いた。
……気になるような所は無いはずだ。
一度深夜に教会に戻って、ちゃんと血も土も洗って上着も予備の物に変え漆黒の上着は自室の奥に隠してある。
それに加えて、僅かな疲れも見せないように身体の軸が曲がらないよう意識しながら立ってもいる。
何処から見ても……大丈夫なはずだ。
だから敢えてとぼけるようにそう問い掛けると、パオラはぎゅっとワンピースのスカート部を握りながら意を決して口を開いた。
「あのっ! ……良かったら、一緒に遊んでくれませんか……? 久し振りにお兄さんと、遊び、たいです……たとえば、お昼寝とか!」
……パオラは俺に何かを求めてる。
そんなことがわかるくらい、パオラの瞳には何らかの想いが詰まっているように見えた。
……いや、本当はわかってるんだ。
ただ心配されていると認めるわけにはいかないから、こんな風にずっととぼけようとしているだけだ。
『お昼寝』。
その単語が出ているだけで、俺がパオラにどう思われているなど手に取るようにわかる。
「……ごめん。また今度、誘ってくれると嬉しいな」
「ぁ……ごめん、なさい」
だからそっと目を逸らしながら断ると、パオラは小さく目を伏せて肩を下げてしまっていた。
それがあまりにも居た堪れなくて、思わず声を掛けてしまいそうになる。
けれどそれをした所でどうせ遊びに付き合うわけでもないのだから、結局ただの自己満足でしかないと思い直し口を結んだ。
……遊んでる暇はないんだ。
あの頃の俺はいつも楽観的に物事を考えて、どうせ何とかなると高を括ってた。
でも悪党はいつもお前たちを狙ってる。
だから俺はもう、外から見守っているだけでいい。
俺に日々を楽しむような資格など、もうないのだから。
「……悪い。この後もちょっとやることがあるんだ。二人で遊ぶなら、怪我しないようにな」
「……ぅん」
……この場にいても、パオラに気を遣わせるだけだ。
元々教会に戻って来たのも、周囲に異常が無いかを見ると共に安否確認を兼ねていただけだ。
見て回った限り変化はない。
そろそろ日常を見るだけの休憩は終わりにしてまた街の中を飛び回るべきだろう。
だから軽くそれだけ言って、俺は背を向け鉄門に向け歩き出す。
「服は綺麗なのに顔はやつれてる。なんだか凄く歪に見えるね、おにーさん」
「……ユリア」
だが、そんな俺を引き止めたのは先程まで無言で俺を見ているだけだったユリアだった。
ユリアの瞳に映る俺の姿は、確かに清潔であり一見何事も無いように見える。
けれど俺の瞳の下にある深い隈が、それをより歪な姿として見せているのだろう。
それを俺もわかってるから、誤魔化すように顔を逸らした。
だがユリアは逃がすつもりも毛頭ないようで、隣のパオラに視線を向けながらも肩を竦める。
「パオラが自分から誘おうとするなんて、珍しいと思わない? 最近はカイルもそう。ずっとお兄さんのこと探してる。どうしてだろうね?」
「……さあ。俺の事なんか気にしないで、好きなことをしてくれればいいのにな」
「……本気で不思議そうにするんだね」
確かに、珍しいとは思う。
実際パオラがユリアより前に立つ姿を見るのは新鮮だった。
……だけどもしそれが俺を探していたが故のものだったのだとしたら、無理しなくて良かったのにとも思う。
俺を探そうとして怪我をするくらいなら俺の事なんて忘れてしまっても構わないって本気で思う。
「抽象的なことばかり言うのは止めるよ。……カッコいい姿を見せてくれるんじゃなかったの?」
「……」
「家族なんだから。自由気ままに生きていいって、そう言ったのに覚えてないの?」
だがユリアは言葉通り、含みを持たせず真剣な顔で俺の顔を見た。
ユリアの言葉は、俺が大人げない思考と間違いのせいで傷付けてしまった時に言ったものだろう。
ちゃんと覚えてるさ。
俺はユリアを傷付けたのに、逆にユリアに励まされた。
いや、ユリアだけじゃない。
俺はみんなのおかげで、少しずつ変われるような気がしてたんだ。
……けど、それはもういい。
「……もういいんだ」
「……」
「見てもらおうって思うこと自体が、そもそもおこがましかったんだよ」
誰も見ていなくても構わない。
見てもらおうって、俺の力を証明しようって……そう思った結果があの慢心だった。
死んでしまったらもうおしまいなのだ。
誰も俺を見ていなくても俺がみんなを見ていられるのなら……それでいいんだよ。
「……帰って来たあの時からやっぱり変だよ。子供である私達に相談してとは言わないけどさ。聖女様には頼ってみたら? 何か胸に引っ掛かってるものが少しは取れるかもしれないよ」
「俺は……大丈夫だよ。お前も俺の事ばかり気にしてないで、いつも通りの日々を送ればいい」
「いつも通り、ね」
ずっと、平穏な日々を過ごしたかった。
教会には俺の理想があった。
だけど、一度それを失わせた俺にその輪の中に入る資格はもうない。
だから気にしなくていい。
そう言ったのに、ユリアとパオラの顔は今より変わることは無くて。
「……一人で抱え込んで。ねぇ、お兄さん」
「……」
「お兄さんは私達のこと、なんだと思ってるの?」
なんだと、思っているのか。
そんなの……決まってる。
「……大切な、家族だ」
今は無い腕輪の残滓をそっと触ってそう言った。
思い出はたくさんあった。
たくさん、あったんだよ……でも『変わらない』ためにはそれを付けていると弱音を吐いてしまいそうだったんだ。
「だから俺は、もうお前らを……」
でもそれじゃみんなを守れない。
少しでも気を抜けば、鮮明に思い出してしまうのだ。
みんなの平穏が、強大な悪意によって奪われた世界のことを。
「……っ」
自分の震えを隠すように片腕を強く掴む。
荒れそうになる息をゆっくりと吐き捨て気持ちを落ち着かせた後、俺は再度二人に背中を向けた。
「俺は、大丈夫だから」
そしてそうぽつりと呟いて、俺は鉄門を開け外に出る。
「……お姉ちゃん」
「……うん」
俺の後ろ姿を見つめる視線を感じながら、俺は振り返らずに歩き続けた。
――
俺は、大丈夫だ。
「――っ!」
この日の夜は雨が降っていた。
『ウイングソール』によって空を飛び回りながら俺は迫り来る無数の魔弾を避け続け、その一つを勢いよく真上へと蹴り上げそのまま魔弾に自身の魔力を纏わせる。
「《ライトニング【誘導弾】》……!」
瞬間――打ち上げた魔弾は強烈な火花を飛び散らせながら加速し、大きく曲がって何処かに隠れている悪党へと進路を変え降下していく。
森の中に入った途端に聞こえた小さな断末魔が辺りに響くが、それを気にせず俺は再度空を飛び回った。
みんなを守る為には。
カッコいい姿を見せるだけじゃ足りないんだ。
時に残忍に、残虐に……到底見せることなど出来ないことに手を染める必要だってあることを知った。
少しずつ……そんなことをしなくても大丈夫なんじゃないかって思ってたさ。
でもそれはベルゼビュートにとっては都合の悪いもので、肉体的にも精神的にも、徹底的にそれが間違っているのだと教え込まされた。
だけど、教え込まされたというだけでこうしているわけじゃない。
たとえ現状がベルゼビュートにとって都合の良いものになっていたとしても、今は俺もこれが正しい行いだと思うから。
「ぎゃっ!?」
「がっ!?」
だからもう俺のこんな姿を、みんなに曝け出すわけにはいかないんだ。
以前までとは違い大きくばらけながら移動し俺を迎撃しようとしている悪党たちを一人ずつ一撃で沈めてゆく。
鮮血が飛び散り身体に付着する度に、俺自身も薄汚く侵されているように感じた。
こんな俺じゃ、もうみんなの傍にはいられないんだ。
だからもう、心配なんてしなくていい。
「なんでだ!? なんでこうなった!? どうして!」
「――【断罪】の時だ」
「ひッッ!?」
今回はこれまでとは違い侵入してきた悪党の数が少なかった。
だがその分魔法による攻撃が一気に増え、個々の実力も高かったような気がする。
それでも、所詮は有象無象。
全部を殺し、最後は逃げ惑う悪党一人を潰せば終わりだ。
既に瞬時に悪党を捉え真横まで一気に近付いている。
手を強く握って拳を作り、怯えた顔を向ける悪党の顔面に狙いを定めた。
「《ライトニング――」
そのまま拳に雷の魔力を纏わせ『ウインググローブ』を起動する。
……たとえ三番街を狙っている悪党共が相手だとしても、俺の信念は変わらない。
殺すのなら、なるべく苦しませずに殺す。
何故かずっと忘れていたけど、今思えばそれは子供の頃に抱いていたものだったのだろう。
打撃では適当な場所を狙ってしまうと絶命するまで苦しみ続けてしまう。
だから直接、頭を潰す。
そう思い俺は地を踏み締め腰を引いた。
恐怖に慄く悪党の瞳に映る俺の瞳は空虚なもので、きっとあの悪党にとって自分の所業以上の裁きを受けさせられていると思っているはずだ。
でも俺は、未遂だからといって罪を軽くしたりはしない。
被害者が悲しみを背負わなければ加害者への罰が軽くなるだなんて、そんな腐った法に順守することなんて出来ない。
個人にとって大事なのは平穏な日々を過ごしたいというちっぽけな願いなのであって、世界の秩序ではないのだから。
風が――吹く。
だがまるでその思想が間違っているとでも言うかのように。
「ぃっ――!?」
その刹那、森から成る暗闇から突如として魔弾が迫り俺の脇腹を貫いた。