第11話(2) 『遠目で』
森の至る所に血がこびり付いていた。
偽りの平穏を取り戻した三番街。
けれどあれが引き金となったかのように、突如として大多数の悪党が闇夜に隠れて三番街を襲撃してきた。
まるで明確な意思を持っているかのように、何事も無かった以前までの日々は消え去ったのだ。
街のみんなもセリシアも、そのことはまだ知らない。
知っては平穏な日々が壊れてしまうから、バレないように事前に処理をし続けている。
……いつかはバレてしまうのなんてわかってる。
死体は全て土に埋めているとはいえ血は残る。
死臭は徐々に溜まってきて、そう遠くないうちに住宅街にも届くようになるだろう。
今はまだ森自体にも大きな被害は出ていないが、今後強大な敵が現れた場合もしかしたら木々が倒壊してしまうことだってあるかもしれない。
だがここまで露骨なタイミングでの大規模な襲撃をベルゼビュートに関連付けないわけがなかった。
あの悪魔が指示したものなのかどうかはわからないが、確証は無くても確信はある。
だから俺はいつかバレてしまうのだとしても、その時までずっと抗い続ける必要があるのだ。
それが……俺が『変わらない』ということなのだから。
――
太陽が世界を照らす頃。
奴らが現れる入口の場所がわからないまま何日が立っただろうか。
出てくる悪党は全員殺しても、未だ三番街への侵入経路がわからない日々が続いていた。
こんなに探しても見つからないのはおかし過ぎる。
だが捜索が困難となっているのは、奴らが現れる方角がいつも別からなのが大きかった。
東から来たから東側にあるのかと思えば、今度は真逆の方角から奴らはやって来る。
城壁まで遠い場所にいることもあれば住宅街のすぐ傍にいることもあり、侵入した距離も違うとなれば全員の侵入経路が違うと言う他になかった。
だからもう正直、侵入経路を見つけるのは諦めている。
実際たとえ侵入経路がわからなくても、侵入してきた悪党を全員殺すことには変わりない。
もちろん元を絶ちたい気持ちは充分にあるが悪党という名の兵だって有限だ。
全部を殺しきれば必ず元凶はここにやって来るだろうし、元凶を絶つ方法として理に適っている。
……既にもう、子供の頃殺したであろう人数なんて優に超えてしまってるのだ。
それが俺の心を壊している自覚はあるが、辞めるわけにはいかないから俺は三番街をずっと飛び回っていた。
「ぅ、くっ……」
けれど、天使とはいえ俺も動物だ。
頑丈な身体を持ち、1週間以上寝ずに問題なく活動出来るとはいえ、精神的、肉体的疲労が蓄積しないわけではない。
ほんの少しの異変も見逃さないようにと常に集中しいつ起こるのかわからない絶望に恐怖しながら過ごす日々は、想像以上に俺の心を蝕んでいる。
それに俺には有難いことに、帰る場所があった。
みんなが心配しないように必ず朝昼晩に一度教会に帰っている。
けれどそれはあくまで俺が日常を過ごしているとみんなに証明するためのものでしかなくて、自分に甘えて睡眠を貪り三番街の警備を怠ったことは一度も無い。
全ては、偽りの平穏を維持するため。
みんなが生きて、平穏な毎日を過ごし続けることが出来るようになるためだ。
そのためには三番街の安全を確保し、迫り来る脅威を事前に処理し、教会に異常が無いかを確認し、誰一人として俺に心配を抱かないように立ち回る。
それがどれほどの負担になっていたとしても、俺はそれを全て行う必要があった。
俺のミスを、挽回しなくちゃならない。
不安を抱かせるような立ち回りをしてはならない。
次は失敗出来ない。
次こそ成功させなくちゃならない。
誰一人傷付けさせるわけにはいかない。
頑張らないと駄目だ。
頑張って結果を出して、変わらない日々を続けさせなきゃいけないんだ。
そんな強迫概念に似た重責が俺に伸し掛かり逃げ道の無い状態を創り出している。
「みんなが、安心して過ごせるようになるために……」
小さく呟きながら森の中を彷徨い続ける。
寝不足や疲労が重なって、既に俺は一つの目的しか考えることが出来なくなっていた。
何度も呟いているのは、呟いていなければその目的すら見失ってしまいそうになるからだ。
それは教会に戻る度に心配させないようにと綺麗に整えられた身嗜みの中で、唯一目元にこびり付いた隈が物語っている。
重い足取りを必死に前に出しながら、俺は脳裏に過る弱音を必死に掻き消していた。
……疲れた。
「……うるさい」
……眠い。
「……うる、さい」
……全部を助けるなんて一人じゃ無理だ。
「黙れ……」
諦めて……堕落してしまいたい。
「だまれ……!!」
だらりと下がる肩を必死に上げて、俺は真っ直ぐ前を見る。
自分の醜さに苛立ちさえ感じながら、俺は自分の弱さを拒絶するように声を荒げた。
「俺が、一番よく知ってるだろ……平穏な日々は一瞬で壊される。あの時、俺自身がずっとやってきたことだったじゃないか……!」
少しでも気を抜いたら、簡単に人は殺されてしまうのだ。
何の前触れもなく唐突に、抵抗も出来ずに殺される。
殺意を持つ理由を持つ者は、相手がどんなに大切な人であろうと躊躇なく寝込みを襲う。
それを俺自身がしてきたんだろ。
俺のような悪党がいるから、簡単にみんなの平穏は崩れ去っていくんだろ……!?
もしもあの時ラックスさんが非番で寝ていたら……アルカさんは殺されていなかった。
けれどあれはベルゼビュートによって的確なタイミングを狙った故に起きたものだ。
本物の悪党は機を伺う。
それをよく理解しているから、俺は少しでも甘えてはいけないんだ。
だから今日もまた日中だろうが、ぼんやりと薄れている視界のまま森の中を歩き続けている。
日中は流石に空を飛んでいれば俺の存在がバレてしまうため歩くという選択肢しかないのが難点ではあるが、そこは聖神騎士団のパトロールに期待するしかない。
――だが森の中を歩き続けたとしても城塞都市である【イクルス】の構造上外周を進めば徐々に内側へと近付くことになる。
ぐるぐると三番街を周りながら歩いているため結果的に俺はいつの間にか三番街の中央広場が見える位置にまで辿り着いていた。
「……」
木々に隠れながら、中央広場で過ごす人たちを遠目で眺めている。
ここ最近は三番街の人達と会うこともめっきり無くなっていた。
彼らと話すと、あるはずの無かった信頼が向けられて気持ち悪くて仕方が無かったから。
だから、守り続けている平穏の中にいつも俺の姿だけがない。
だが、そんな気持ち悪い信頼を勝ち取る程に完全勝利をしたことになっているにも関わらず、三番街は未だ日常を取り戻せずにいた。
「……やっぱりみんな、まだ慣れないみたいだな」
ベルゼビュートの一件があってからまだ日は浅い。
当然三番街の封鎖はまだ続いていて、客や商品が届かない以上今まで構えることが出来ていていた店も出せず、みんな何をしたらいいか確立出来ていないみたいだ。
聖神騎士団も指示は出せるが生活を安定させるための補助が出来るわけじゃない。
とはいえ元々【イクルス】に移住する権利を持つ人たちは大抵金持ちだから貧困が起きるということはなく、みんな騎士団の指示や判断には納得し協力し合ってるから仲違いが起こるということはないだろう。
……とはいえ物資が無ければ金はただの金属だ。
幾らみんなが協力し合うことが出来ていると言っても、決して我慢や不安が無くなるわけじゃない。
日にちが立つにつれて居もしない神サマに祈りを捧げ始める人が増え、俺は複雑な想いに駆られていた。
徐々に祈りを捧げる人の数は増えている。
「……っ」
……見てられない。
絶望に支配された時ですら誰一人命を救ってくれなかった神なんかに頼っているみんなが醜いと思ってしまう自分も嫌だから、俺はそっと目を逸らして踵を返す。
「聖女様! 早く早く!」
「はやくはやく! せいじょさま!」
「ふふっ。カイル君にリッタ君も、後ろを向きながら走っては転んでしまいますよ~!」
「――っっ!!」
だがそんな俺の嫌な感情は、耳に届いた一つの音色によって一瞬で消え去った。
木の幹に隠れながらすぐに声のした方へと顔を覗かせる。
視界の先には教会側から走って来る元気なカイルとリッタが見え、その後ろで微笑みながら後に付くセリシアがいた。
「「「「聖女様っ!!」」」」
瞬間、街のみんなの顔色が一斉に明るくなった。
席程までどんよりとしていた暗い空気はすぐに晴れ、暖かな太陽の光が地面に届いて世界を明るく彩り始めている。
街のみんなが一斉に駆け寄ってきたことに表情を変えることなく、セリシアは慈愛の籠った笑みを街のみんなに向けていた。
「皆さんお久し振りです。長い間こちらに来ることが出来ず、すみませんでした」
「そんなっ! 気になされないで下さい! それより【聖別の儀式】は無事に終わったのですか!?」
「はい。皆さんの多大なるご協力のおかげで、予定よりも早く儀式を終えることが出来ました。改めまして、本当にありがとうございます」
その言葉を聞いたと同時に、みんなからは歓声が巻き起こる。
当然だろう。
教会に住んでいた俺と違い、元々あの時は【聖別の儀式】による関係者以外立ち入り禁止の盟約があったからみんなはセリシアの顔を見ることが出来ず、声も聞くことが出来なかった。
教会に行くことも出来ないままあんなことが起こってしまったんだ。
聖女であるセリシアの姿が見えるだけで、みんなの不安が取り除かれるのも当然のことだった。
「……そっか」
かくいう俺も、これ以上疲れを見せるセリシアの姿を見たくなかったから。
「セリシア、無事に儀式を終えられたんだな……」
三番街のみんなと同じように、思わず安堵の息を吐いてしまった。
「では儀式完了のお祝いをしましょう! とてもめでたいことですから!」
「そうですよ! 聖女様も長い時間を掛けた儀式でお疲れのはずですから、私達で労わらないと!」
「えっ!? そんなっ、気にしないで下さい。儀式は聖女である私の役目でもありますし、それに皆さんの方が……」
セリシアは謙遜しているが一人一人分担して役目を果たしていた街のみんなと、子供たちの協力があったとはいえ一人で、それも最速で儀式を成し遂げたセリシアとじゃ労わりの大きさが桁違いだ。
どうせ店も出せなくて消費期限の近い食べ物も結構残ってる。
俺もみんなに賛成だ。
流石に盛大な規模のお祝いは今は出来ないだろうけど、ささやかでも祝って心身共に全員休むべきだろう。
その間の警備だって、全部俺に任せてくれればいいんだから。
みんなの提案に感謝しつつ、あとはセリシアを説得するだけだと心の中で軽くみんなを応援してみる。
俺の出る幕じゃないと思い木の幹を背にして安心したように目を瞑った。
「あれ? 今日はお店やってないの?」
「「「「――っっ!!」」」」
「……っ!」
だがその安心もすぐに散る。
カイルの放った純粋故の一言で、俺含め全ての人の肩が跳ねた。