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【第四章完結!】堕落天使はおとされる  作者: 真白はやて
第三巻 『1クール』
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第10話(10) 『白は黒く染まって』

 いつも通りの朝が来る。

 カーテンで遮光された僅かな光が部屋を照らして、暖かな熱を送り込んでくれていた。


「エウス、食べられそうか?」


「うん……あむっ」


 そんな部屋のベッドの傍で椅子に座りながら、俺はエウスにスプーンで掬ったお粥を食べさせる。

 まだ自力で起き上がるのは難しいエウスの背中を支えながらも、妹は口に含んだお粥をゆっくりと咀嚼出来ていた。


「具合悪くなったらすぐに言えよ。ほんとに、無理しなくて良いから」


「うん……ありがとう、お兄ちゃん」


「ああ」


 ……ちゃんとご飯を食べれてる。

 まだ食欲自体は戻っていないようで半ば無理矢理胃に収めている状態だが、それでも生きるために必要なエネルギーをきちんと確保出来ていた。


 この調子なら妹は必ず助かる。

 今はまだ弱々しいけど、そう遠くないうちにまた俺に屈託のない笑顔を見せてくれる。


 それが今の俺の唯一の希望だった。


 お茶碗に入っていたお粥を食べ終えた妹の背中を支えてゆっくりとベッドに戻す。

 布団を被せた後、俺はエウスの頭を軽く撫でた。


「……エウス」


 撫でながら、最愛の妹の名を呟いた。

 喋れはするが現状声を出すのもやっとなエウスは、これ以上体力を消耗させないように視線だけをこちらに向けてはにかんでくれている。


「お兄ちゃんが必ず、お前を助けてあげるから」


 そう言うと、エウスは弱々しい笑みを浮かべてゆっくりと目を瞑った。


「……」


 首元から見える黒い模様は初日と比べれば著しい程に色を薄くさせている。

 その模様をジッと見つめながら、エウスが眠ったのを確認した後俺は後片付けをして部屋を出た。


 ……父さんはまだ、帰って来ない。

 身体が頑丈な天使が病気になるのはとても珍しくて、今までは俺達の誰かが病気になったら仕事を抜け出してでも毎日様子を見に来てくれていたのに、どうしてか今回は一度もエウスの様子を見に来てくれることは無かった。


 父さんはエウスのことが心配じゃないんだろうか。

 きっと何も出来ない無力なままの俺だったら、そんなことを思っていたかもしれない。


 だけどいいんだ。

 エウスは必ず治るって、もうわかってるんだから。


「……ふふっ」


 だからるんるん気分で廊下を歩く。

 光を取り戻していた俺の紅い瞳にはいつの間にか陰が掛かっていて。

 それに付随するように、いつの間にか消え去っていた右腕の模様がうっすらと浮かび出す。






 右手の甲に刻まれた数字は……『60』と記されていた。



――



 エウスの食べ終えた食器を洗うためにリビングにあるキッチンへ向かうと、リビングに置かれている固定電話を取って何やら話し込んでる姉さんがいた。


 その様子をチラリと横目で見つつも、俺はそそくさとキッチンへと向かい食器を洗う。


 蛇口から流れる水が喋る姉さんの声を掻き消しながら、俺は変わらない空気に、日常に、癒しを感じていた。


「――メビィ」


 水を止め、洗い終わった食器を乾燥機に掛けると、丁度通話が終わったらしい姉さんが俺を呼びテレビの前にあるソファーへと座り手招きしてきた。

 手を拭いてからそちらへと向かい隣に座ると、姉さんは少しだけ寂しそうな顔をしながら口を開く。


「お父さんからさっき電話があったわ。エウスの容態のこと、凄く心配してた。私やあなたのこともね。久し振りにお父さんの真面目な声を聞いたけど、まだ私達に迷惑を掛けることになるって謝ってた」


「そうなんだ」


「……もっと反応があると思っていたけど、随分落ち着いてるわね」


「そうかな……まあいいじゃん。エウスの容態も良くなって来てるんだしさ。父さんの心配も杞憂で終わるはずだよ。迷惑だとも思ってないし」


「それはそうだけど……お父さんに会いたい、喋りたいって騒ぎだすと思ってたから少し意外」


 確かに姉さんの言う通り、以前の俺だったら電話の相手が父さんだとわかった時点でどうして変わってくれなかったのか~って騒ぎだしていただろう。


 そんな子供な自分の姿を簡単に想像出来て、俺は思わず自虐的な笑みを浮かべてしまう。


「父さんはいつ帰ってくるの?」


「……少なくとも、まだ帰って来れないって言っていたわ。エウスのことも、まだ治療法は見つかっていないみたい。あとこれは別件だけど、騎士の方の仕事も急に忙しくなったみたいなの。ここ最近無差別に天使が殺される事件が起きてるからくれぐれも戸締りを忘れないようにって言っていたわ」


「……そっか」


 無差別殺人だとか急に物騒な言葉が聞こえたがそんなのはすぐに俺の耳を通り過ぎ、然したる反応を示すことはなかった。

 ただただ俺には姉さんの『父さんがまだ帰ってこれない』という事実のみが頭の中を反響していて、ゆっくりと顔を両手で覆い隠す。


「父さん、やっぱり帰って来れなかったんだ」


 気持ちが昂って昂って、手で覆い隠さなければ吊り上がる口角を抑えることが出来なそうだったから。


 ……やっぱり俺の『選択』は間違ってなかったんだ。

 あの時もしも俺があの人の手を取らなかったら、きっと今頃エウスはこの世にいなかったかもしれない。


 エウスが死んで……姉さんが悲しんで、父さんも救えなかった自分を責めて。

 そして俺も――選ばずに父さんを信じた俺自身を殺したくなるはずだ。


「メビィ、大丈夫?」


 ……こうして俺を心配してくれる姉さんの感情も、きっとエウスがいなかったら違っていただろう。


 未来がそうならなかったことに安堵すると同時に、俺は今ある現実を噛み締めていた。


「うん……大丈夫だよ。それより、天使が殺された事件ってなに? 無差別にって言ってたけど」


「……まだ情報不足で公にされてはいないみたいなんだけど、どうやら殺された人たちも、殺された場所も、何処にも共通点が無かったそうなの。外で殺されていたり家の中で殺されていたり……警備の厳重な王城でも死者が出たって言っていたわ。それに……その全てに、エウスと同じ模様が出ていたとも」


「……」


「お父さん、私に伝わらないようにしてたみたいだけど……少しだけ怒ってた。多分お父さんの、私達の知り合いが殺されてしまったのかもしれないわ。いつか私達にも伝わることになると思う」


「……ふ~ん」


「だから今王城の警備もより力を入れなくちゃいけなくなってるみたいなの。内部犯の可能性もあるからって、王族の護衛はお父さんみたいな信用出来る騎士だけで配置されるらしいわ。外の見回りも強化するって」


 いくら父さんが比較的自由に動いてるとしても、騎士団長としての立場の重さは父さんもしっかりと理解している。

 きっとエウスのことを最優先に考えたいけど、自分の仕事の責任とアルカさんが殺されたことによる憤りもあって思うように動けないのが現状なんだと思う。


 当たり前だけど、姉さんはその犯罪者について良い思いを持ってはいないみたいだ。


「天使としての責務を放棄して堕落し神様に抗うなんて、その犯罪者は少しでも早く裁かれるべきだわ。堕落した天使を野放しにしたらどうなるか……それは歴史が証明しているもの。……メビィ。お父さんの代わりに、あなたもエウスも私が必ず守るから。だからあなたも前みたいに夜中出歩いたり、知らない人に絶対について行かないでね」


 そう言って姉さんは、心底心配そうに俺に身を寄せて抱き締めてくれた。

 きっと姉さんも未知の恐怖を感じて怖いだろうに、それでも父さんがいない中家族を守れるのは年長者である自分だけだって、恐怖を表に出さないようにしながら姉としての責任を感じてくれているのだろう。


 その愛情が、温もりが、嬉しくて堪らない。


 ……だけどそんな心配、する必要なんかないんだ。

 姉さんとエウスを傷付けようとする奴がもし仮にいたら、俺がなんとかしてあげる。


「……大丈夫だよ、姉さん」


 抱き締められたことによる暖かさを感じながら、俺もゆっくりと姉さんを抱き返した。

 姉さんから見えない俺の瞳は、またしても黒く陰が掛かり濁り切っている。


「……それにさ」


 そもそもそいつが戸締りしてる家の中に入って来てるとしても、そいつが姉さんやエウスを狙うことなんか絶対に無いし。


「きっとその人は、堕落してなんかいないから」


 その英雄は俺達家族にとって、正しいことをしてるだけなんだ。



――



 ……また、夜がやって来る。

 窓から見える月は世界を明るく照らしていて、星々は俺の門出を祝福しているように思えた。


 誰もいない自室で、俺はただ立ち尽くしている。

 右手には包丁を握って、俺は閉まっている窓を見続けていた。


「……っ」


 何も起きない静寂が。

 でも、これから何が起こるのかがわかってしまう現実が。


 日中抱いていた俺の柔らかな感情を強く乱して、今では窓を見るだけで動悸が起きてしまうぐらいだ。


 ……それでも。

 意を決して、一度瞬きをする。


 ――そして目を開けると、開けてないはずなのに窓から風が吹き込んで俺の純白の髪を勢いよく揺らした。


「……っ」


 少しだけ心が躊躇しながらも更にもう一度瞬きをすると。


「――だから言っただろ? 人は、やろうと思えばなんだって出来るんだって」


 あれからもう聞き慣れてしまった声が耳に届き、開いた窓には初めて出会ってしまった時と同じように一人の男が窓枠に座っていた。

 漆黒に染まる髪色にハイライトが中心に寄った特徴的な金色の瞳を輝かせ、不敵な笑みを浮かべたまま小さな俺を見下ろしている。


 ……あれから、もう5回も会った。

 その度にこうやって同じ夜の、同じ時間に男が現れるのを待ち、指示を受けてそれを実行に移し続けている。


 怖くて、まるでどんどん自分が自分じゃ無くなっていくみたいで。

 それでも止まることなんてもう出来ないから、俺は少しだけ喉を震わせながらもゆっくりと口を開いた。


「次は……誰を殺せばいいですか」


 これまでも男の言われた通りの天使を殺してきた。

 もう、寝ている誰かを殺すことに躊躇しなくなってしまった自分から目を逸らしながら。


 今回もそれを続けるだけ。

 いつも通りこの人の嘲笑するような笑みに耐えながら、言われたことをするだけでいい。


 それをしてさえすればエウスは助かるのだから、それは今回もこれからも変わらないと、そう思いながら問い掛ける。


「なんだ。人の人生を奪ってることに心は痛まないのか? 君は既に、たくさんの人の幸せを奪ってきたというのに」


「……っ。他人、ですから。そう言えば納得するんでしょ」


「納得、ね」


 だけどどうしてか今日は含みのある笑みを俺に見せるだけで、一向に男が次のターゲットを教えてくれる気配はなかった。


 チラリと困惑する目を向けてはみるが、それでも男はあくまで自分のペースを乱すことなくジッと金色の瞳で俺を射抜き続けていた。


 腰を上げ、部屋に入り、まるで俺の心に入り込むようにゆっくりと俺の周りを歩き始める。


「女も、子供も……もうすぐ死ぬ老いぼれまで殺したんだ。なあ……何か、思うことはないのかよ?」


「――っ。思うことはあるに決まってる! でもそれはあんたが――!」


「くはっ! 違うだろ? 君は今……優越感に浸ってるはずだ」


 そしてすぐ真横まで寄った男は、俺の耳に向けそう呟いた。


「……は?」


 何を、言ってるんだこの人は。

 人殺しを強要されて、辛くて辛くて苦しいのに、優越感なんかに浸れるわけがない。


 だけどそんな俺を見透かすかのように、金色の瞳は紅い瞳を揺らがせる俺を見続けている。


「自分に嘘を吐くなよ。君は今、英雄になれてる自分に酔いしれているはずだ。本当のことを知ってるのは自分だけ。自分だけが影から家族の平和を守れてる。家族から受ける愛情に心の底から肯定されている気持ちになって堪らなくなってるんだろ?」


「ち、がう。俺は、あんたに言われてることをしてるだけで……」


「ああそうだ。君には僕に『やらされている』という免罪符があるんだもんなぁ? そりゃあさぞかし自分を騙すのは楽だろう。他者に責任を押し付け、正当な理由を持った悪行は、過ごしやすくて堪らないはずだ」


「ち、ちがっ!」


 動揺する必要なんてないはずなんだ。

 俺はそんなこと思って無い。

 俺は……俺も、被害者だからって。


「……っ」


 だけどもしもそれが、この人の言う通りの感情を持って俺自身そう思っているのだとしたら。


 俺は現状に優越感を抱いてるのだろうか。


 いくら否定したくても、男の発する『言葉』はどうしてか俺の心にいとも容易く侵入を果たし、内側から感情を包み込んでゆく。

 そしてそれが俺の中にある『何か』を変異させ、受け入れさせようとしているように思えた。


「ち、違うっ! 俺はそんなこと思ってない!」


 それでも、それを認めるわけにはいかないから。

 だから取り込まれそうになっていた心情を強引に振り切って、勢いよく男から離れ精一杯の敵意を籠めた瞳で睨み付ける。


 この人の言葉に惑わされちゃ駄目だ……!

 妹を助けるためには、これしか方法が無かった!


 エウスを助ける方法を父さんは見つけられなかったから……だから俺の選ぶ『選択』はこれしかなかったんだ。


 それが分かっていても、睨み付ける俺の瞳はずっと揺らぎ続けていて。


「――くはっ!」


 そんな俺の姿に、男は強く口角を吊り上げて笑いを抑えられないでいた。

 両腕を大きく広げ、心底嬉しそうに瞳孔を開いた瞳がずっと俺を射抜き続けている。


「確かにそうだ! 真実から逃げ、自分を騙し続けるのもまた『欲望』の果てにあるものだ。君がもし己の感情に気付かず停滞し続けていたらその欲望は不味いだけだけど……分かっていて、それでも尚必死に理由を付けようとする君の欺瞞は――きっと今まで以上に美味だろう」


「……!? どう、いう……」


 言っている言葉の意味が理解出来ない。

 困惑の息を吐く俺に相変わらず気味の悪い笑みを浮かべた後、男はあの時と同じように、指を軽快に一度鳴らした。




 ――その刹那。




「――――ぇ」


 唐突にいつの間にか無くなっていた右腕の模様が再度現れ、その色をより濃くしたかと思うと。


「……それならさぁ」


 その模様は突如として呆然とする俺の腕から離れて宙を浮き、まるで纏わり付くかのように俺の身体を素早く這って。


「次のターゲットは……君が決めることにしよう」


 黒い粒子が俺の右腕を覆い尽くしたのと同時に、男の嬉しそうな、高らかな声だけが、ずっと脳に反響し続けていた。

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