第10話(5) 『幸せだけなはずなのに』
暖かな光が部屋の温度を上げて、心地よい眠りをより深くしようとしていた。
光はカーテンで遮光され、太陽の熱だけがカーテン越しの窓から俺の身体を温めてゆく。
寝返りを打ちながらも外から聞こえる鳥のさえずりが子守歌へと変わって、そのままほんの少しだけ目覚めた意識はまたしてもまどろみの中へと深く落ちていった。
「……んんっ」
良い感じの体勢を探りながら、ベッドの傍に設置された小棚の上にある目覚まし時計の針が進んで行く。
その軽音が耳に入りながらも、俺はまどろみの中で小さな違和感を感じていた。
いつもだったら俺の名前を呼びながら勢いよく突撃して来るのに、今日はやけにエウスが来るのが遅い気がする。
いつも同じ時間に来るのだ。
だから俺もいつも通りの時間にしか起きれなくなってしまって、今日もまた昨日と同じような暖かな光が俺を包み込んでいる。
いつも通りの、時間に……
「――!! やばっ!? 今何時!?」
そこまで思案して俺は昨日寝る前に立てていた早起き作戦のことを思い出し、慌てて布団を蹴り飛ばして起き上がった。
昨日決めたばかりなのに昨日の今日で諦めるなんて許されない。
誰にも言ってないからあくまで自分の中での話だけど、それでも出だしから挫けるわけにはいかなかった。
「――っ!」
勢いよくベッドの傍に置かれた目覚まし時計に視線を移す。
エウスが起こしてくれるし、逆に目覚ましの音で起きたらいじけてしまうためいつもはスイッチを落としてるから、昨日セットするのをすっかり忘れてしまっていた。
最早『妹式目覚まし』に慣れてしまった俺が目覚まし時計の音無しで時間内に起きるなど不可能に近いのだが、ほんの僅かな望みを賭けて時計の針に目の焦点を合わせてみる。
「……お、ぉう」
……が、やはり時計の針は見事にいつもと同様の時間を刺していて。
早速今日の予定が瓦解してしまったため、自分自身の起きれなさに小さく落胆の息を吐いた。
「……あれ?」
……だが、それはそれでおかしな話だ。
いつも通りの時間に起きてしまったのならもう既にエウスが部屋に突入しに来てもおかしくないのに、どうしてか今日は一向に廊下を歩く妹の音は聞こえてこない。
「珍しいな……エウスが起きれないなんて」
朝の支度が遅れてるのだろうか?
と言っても、8歳の女の子がルーティーンとして持つ支度などそこまで多くはないだろうから、何の音も聞こえないというのは我が家にしてはおかしかった。
他に考えられることと言えば……寝坊しているとか。
規則正しい生活を送るエウスが寝坊することなど今まで一度も無かったため確信を持つことは出来ないものの、仮に寝坊してるのならそれはそれで都合が良い。
時間通りには起きれなかったけど、俺がエウスを起こしてやろう。
もしも自分より俺の方が先に起きたと知ったら、きっとエウスは驚くはずだ。
そんな悪戯心を持ちながら俺はそそくさと自室を出てエウスの部屋へと向かうことにする。
エウスの部屋の前に立って、ゆっくりと起こさないよう注意しつつ扉を開いた。
「入るぞ~……」
扉を開き部屋の全貌が明らかになると、やはり俺の予想通りベッドに乗せられた布団は少しだけ盛り上がっていて、エウスが寝ていることを証明していた。
……きっと昨日たくさん遊んだから、エウスも疲れちゃってたんだろう。
それは子供らしく毎日を楽しく過ごせてる証明でもあるから、なんだか嬉しくて俺は少しだけ顔を綻ばせた。
でも、それは昨日だけじゃない。
俺もそうだが、今日もこれからも、きっと平穏な毎日を過ごすことになるんだ。
だから俺はずっと寝てたら勿体ないと思って、エウスを起こそうと嬉々としてベッドの傍へと寄って顔を覗き込む。
「お~い、エウス起きろー。今日は珍しくお兄ちゃんが起こしにき、た……――っっ!?」
だが軽く布団を捲りながら妹の寝顔を見るのも久し振りだと思っていた矢先、視界に入った異常な光景に目を見開くこととなった。
「はあっ……はあっ……!!」
ベッドに横になっていたエウスの顔は赤く熱を帯び、苦しそうに呻き声を上げていたのだ。
「おいエウスっ! 大丈夫か!?」
明らかに体調が悪そうで、俺は妹に呼びかけながら反射的にエウスの額に手を当て体温を測る。
――熱い。
身体が丈夫で耐性もある天使にとって『発熱』が起きるというのは非常に重い現象だ。
並大抵のことじゃ発症しないからこそ、発症した時それは既に重症であることが多い。
特にまだ幼く身体も弱いエウスに熱が出たとなれば、すぐに病院で治療を受けなければならない程だ。
「――っ!?」
だからすぐに家族を呼ばなければならない。
けれどそう思った所で、不意にその思考を停止させてしまうものが俺の視界へと移りこむ。
……エウスの首元。
その首元から下顎にかけて禍々しい色を持つ模様のようなものが身体に走っていた。
「なんだ、これ……」
思わず呆然として、誰に言うわけでもなくそう小さく呟いた。
こんなもの、今までの人生で一度だって見たことがない。
『発熱』だけでなく、エウスの姿は明らかに異常だった。
そしてそれを見た瞬間――俺には何か平和が崩れ去ろうとしているような、そんな予感が脳裏を過って。
「~~~~っ!!」
どうしてかそのことに酷く恐怖を覚えながら、俺は顔を歪ませてすぐに父さんと姉さんを呼ぶために部屋を飛び出した。
――
父さんと姉さんもエウスが起きて来なかったことに元々疑問を抱いていたみたいで、俺が慌てた様子で二人を呼びに行くと事情を把握し、すぐに看病用の道具を揃えて部屋へと来てくれた。
とにかく今出来ることをしましょう。
そう言って姉さんはバケツに入った水で濡らしたタオルを絞り、少しでもエウスの熱を冷まそうと看病を初めてくれている。
慌てるだけで何も動けなかった俺とは違い、姉さんはやっぱり冷静だ。
姉さんの凄さを誇らしく思うと同時に、その時何も動けなかった自分が情けなくなる。
だけど父さんや姉さんが来てくれたからといって、俺の中に宿る焦りが消えるわけではない。
「凄い熱……エウス、聞こえる? エウス?」
「う、うぅ……!」
「い、意識もあやふやみたいなんだ……! すぐに病院に連れて行こうよ!」
「そうね……お父さん、それでいい?」
動揺しつつも言葉を紡ぐ俺の声を聞きながら姉さんは呼び掛けるが、やっぱりエウスの反応は薄くて苦しそうに呻いてるだけだった。
このままじゃ、いつエウスの身体が限界を迎えてしまうかわからない。
だから一刻も早く治療を受けようと提案する俺に頷く姉さんが決定権を持つ父さんへ了承をもらおうと視線を向ける。
「…………」
「……お父さん?」
だがどうしてか父さんはエウスの身体に刻まれている禍々しい模様を険しい目付きで見つめるだけで、一向に反応を返す気配がない。
俺も姉さんもいつも余裕のある父さんしか見たことが無かったから、そんな目付きを見たことがなかった。
「……メビウス」
そしてその目付きのまま、父さんは俺に流し目を送る。
そんな目で見られたことも初めてだったから、俺は思わず肩をビクッと跳ねさせてしまった。
「俺達と別れた後、誰かに話しかけられたりしたか?」
「え、い、いや……そのまま帰ったけど……」
「……」
父さんはそれだけで何も言わない。
何か思い詰めたように、視線をエウスに戻すだけだった。
「と、父さん……」
けれどそれで終わりにするわけにはいかないから、俺は反応してくれない父さんに痺れを切らして意識をこちらに向けさせるよう服を掴み軽く揺さぶる。
「――――」
それが効いたのか、父さんは意識をこちらに向けて解を出そうと口を開く。
……だがそれは俺も姉さんも予想していなかったもので。
「……病院には行かない」
――父さんはどうしてか、エウスを治療しないという選択を取ったのだ。