第10話(4) 『平和な籠』
『大人』と『子供』の差は歴然だ。
それは筋力だけに飽き足らず、知識・思考・経験。
その何もかもが足りないから、『子供』が『大人』に勝つことなどほとんどない。
そしてそれは俺も同じだった。
「――ぐあっ!」
下から木剣に強烈な負荷が掛かり、俺は耐えることが出来ずに木剣が吹き飛ばされて俺自身も尻餅を付いた。
どれだけ空中戦を制しようとしても、武器が剣な以上こちらから近付かなくちゃいけなくて、どうにか工夫してもその僅かな隙を刈られ地上へと落とされてしまう。
それがラックスさん。
そしてアルカさんと戦って俺が抱き続ける反省点だった。
「……ふう。良い動きだったね、メビウス」
「お世辞だそんなの……」
「お世辞なんかじゃないのに」
既にラックスさんとの稽古では一太刀も入れることが出来ずに敗走し、現在戦っていたアルカさんにも何も通じなかった。
チラッと見ればラックスさんは必死にエウスに話しかけ話題を尽きさせないようにしようと頑張っていて、俺はなんだか地に身体を付けた自分に惨めさを覚えた。
「ねーアルカさん。どうやったら強い人に勝てるの?」
「まだまだ人生は長いんだし、そんなに焦る必要なんてないんじゃない?」
「焦ってるわけじゃないけど……負けっぱなしは悔しいじゃん!」
「うーん、そうだなぁ」
負けると分かっていても、負け続けるのは悔しいものだ。
子供相手に疲れを見せないなど当然かもしれないけど、少しぐらいぎゃふんと言わせてみたいとどうしても思ってしまう。
そんな俺のつまらない考えからの発言でもアルカさんは真剣に考えてくれていて、
「どうしても勝ちに拘りたいのなら、相手の『隙』を突くことが大事、かな」
「隙?」
「そう。敢えて弱い所を見せて相手の油断を誘うんだ。そうすれば距離にも寄るけど一撃だけなら与えることが出来るかもしれないね。負けたフリ、諦めたフリ。きっと相手は戦いを諦めた敗者と油断するはずだ」
「なるほど~」
「だけど、僕はおすすめしないかな」
一度は納得しかけた俺だが、その直後にいきなりそれを否定されて思わず困惑の目をアルカさんへと向けてしまう。
「どうして?」
「相手に剣を向けるということは、相手の命を……人生を背負う覚悟を持つということだ。剣を持つと決めた以上プライドを捨てることは許されない。それが師匠の……君のお父さんの教えだ。だから正々堂々、自分の全力を出し切ることを考えた方がいいよ。少なくとも師匠の息子である君には、そうあってほしいな」
「……」
「だから今は、楽に勝つことを考えなくても良いと思うよ」
アルカさんの言う通りだ。
今はまだ父さんに追い付けないのは当たり間のことだ。
だけど、だからといって早く追い付こうとして父さんの息子としてのプライドを捨ててしまったら意味が無い。
父さんみたいになる。
そのためにこうして稽古しているというのに、そのことを忘れてしまっては駄目なんだ。
「子供がまだ出来ないことは、大人に任せればいいんだ。君は君の出来ることをすればいい。出来ないことは、出来るようにすればいいんだ。そうやっていつか大人を超えた時、きっと君は胸を張ることが出来ると思うよ」
「……うん。さすがアルカさんだ」
「ごめんね。ちょっと説教臭くなっちゃったかな」
「ううん。凄く胸に響いた」
……そうだよ。
俺は勝ちたいんじゃない。
大切な家族を、ただ守りたいだけなんだ。
そのための力が欲しいだけで、みんなに勝ちたいわけじゃない。
いつの間にかそのことを忘れそうになっていた。
それを気付かせてくれたアルカさんはやっぱり尊敬出来る人だ。
アルカさんの言ってくれた言葉は、ずっと俺の心の中へ浸透していくようにすんなりと入って来る。
「――お。やっぱやってるな」
地面に座っていた俺の手をアルカさんが引いてくれていると、丁度その時奥側からゆっくりと歩いて来る音と声が聞こえ反射的に顔を上げた。
「父さんっ!」
「お父さんっ!」
近付いてくる父さんに気付き、まるで雛鳥のように俺とエウスは父さんのもとへと駆けて行く。
そして父さんの前まで来ると、瞳をキラキラさせながら父さんに抱き着いた。
「父さん、副団長に怒られた?」
「ああ。そりゃあもうカンカンだったな。さすがの俺も今日は大人しくすることにした」
「今日はって……いつも真面目にやって下さいよ」
「そうっすよ。いっつも副団長が尻拭いしてるんすから」
「それは無理だ」
「「……」」
アルカさんとラックスさんが父さんに向ける目はあまりにも師匠に対して向けるべきものではないが、父さんがそうしてくれているのは俺達家族のためだからと味方をしたいものの、二人の気持ちもよくわかるため何とも言えない。
「お父さん、帰ろうよぉ」
「そうしたいのは山々なんだけどな。この後も仕事がまだ残ってるから家に着くのはもうしばらく先になりそうなんだ。もうそろそろ暗くなるし、悪いが先に家で待っていてくれ」
「えっ!? 俺達待つよ!」
「さすがに子供たちを夜まで王城内に滞在させる程俺も落ちぶれてねーの。現状自体、特例で許してもらってる所もあるしな。姫様が関係してる時はともかく、俺達だけの都合であんまり好き勝手動き回るわけにはいかない」
「……」
父さんの言う通りだ。
たとえ父さんの地位がとても高くて自由度がかなり効くと言っても、父親の威光に甘え続けることは出来ない。
父親が偉いからって、それに甘えて権力を子供が振りかざしていい道理など何一つとしてありはしないのだから。
「……わかった。じゃあ父さんの言う通り俺達はもう帰るよ。アルカさん、ラックスさん。仕事中なのに面倒を見てくれてありがとうございました」
「良いってことよ。なんとかエウスちゃんの評価も戻ったしな!」
「僕達の仕事内容を変えてるのは師匠だからメビウスは気にしなくて良いんだよ。真面目に仕事出来る時なんて、数えるぐらいにしかないんだから」
「それな」
「……部下で弟子なのにいちいち言葉に棘があるんだが」
やっぱり親しみやすい父さんと二人の関係性は、見ていて羨ましく感じてしまう程良好だ。
そんな三人の言葉の投げかけ合いに笑みを溢しながら、俺はエウスと手を繋いでいつものように正門から出るべく数歩後ろへと下がる。
「じゃあまた後でね、父さん!」
「みんなばいばーい!」
「帰り道も気を付けろよ~」
そして大きく手を振って、俺達は正門前の騎士たちに軽く会釈して王城の外に出た。
一緒に翼を広げて空を飛翔し、帰り道を飛び進みながら今日のことについて二人で思い返してみる。
「アルカさんもラックスさんも、悪い人じゃなかっただろ?」
「うんっ! 良い人だった!」
俺はまだ子供だけど、だからといって子供のままでいて良いということではない。
俺が比較的自由に王城に入れる立場なことには変わりないけど、それを踏まえた上で正規の方法を考えるべきなんだ。
成長する必要があることを、父さんはいつも優しく教えてくれる。
時には言葉で、時には行動で。
だから俺は父さんに憧れてるんだ。
「次遊びに行く時は、仕事の邪魔にならない時にしような」
「うんっ!」
次から王城に行く時は父さんに相談してからにしよう。
俺の思い付きだけで大人のみんなを困らせていい道理なんて無いし、きっと相談するだけでも今後の対応は大きく変わってくると思うから。
だから俺は笑顔で頷くエウスに笑いかけながら、翼を翻してエウスと一緒に速度を上げる。
頭上に輝く光輪は夕日に照らされて、暖かな光を放ち続けていた。
――
帰宅した後は夜まで待って、父さんが帰ってきた所で夜ご飯を食べた。
今日は久し振りに家族みんなで集まったからか、いつもはいない姉さんも一緒に食卓を囲んでくれて、これからはちゃんと一緒に食べるとまで言ってくれた。
それが嬉しくて嬉しくて……どうしてかとても懐かしく感じながらも、今日一日中感情が昂り続けていたのを自覚する。
エウスと一緒にお風呂に入って、夜も深くなってきた頃合いに俺はベッドに横になった。
「……今日は楽しかったな。エウスも、姉さんも……父さんもいる。……うん、いるんだよね。明日も休みだから、明日はもっと楽しいことが出来たらいいな……そうだ! 明日ぐらい早起きしてみんなに朝ご飯でも作ってあげようかな。早起きして逆にみんなを起こしに行ったりなんかしたら、みんな絶対驚いてくれるよね……!」
子供は早く寝なきゃいけないのに、明日が楽しみすぎて脳が一向に休まる気配がない。
こんな日がこれから毎日続くのだから焦る必要なんか無いはずなのに、どうしてか俺は毎日平凡な日々を送りたくてしょうがなかった。
それでも、早く寝ないと早起きなんて無理だろうから、俺はすぐに横を向いて布団を被り直し目を瞑る。
「ふふっ……明日も、みんないる」
明日になったら幼馴染みたちを家に呼ぶのも良いかもしれない。
みんなに我が家でパーティをしようって言ったら、きっともっと賑やかな日々を過ごすことが出来るはずだ。
……そうだよ。
大切な人たちはみんな、明日も笑顔を見せてくれる。
一人、二人、三人って……あれ?
「……みん、な?」
……違う。
何か、何かが引っ掛かる。
確か、俺にはもっと……もっとたくさんの人を守らなくちゃならなくて――
『――自分だけでも、逃げて? ね?』
「――――ッッ!?!? ぐあああああああああうむッッ!!」
その刹那、俺の視界にはどうしてか淡紅色の髪を持つ一人の少女が水色の光を放つ床にペタリと座り込み、苦しそうながらも無理のある笑みを見せている姿が浮かび上がった。
それを脳が認めた瞬間、尋常じゃない程の激痛が脳に走って、俺はのたうち回りたくなるくらいの絶叫を上げつつも家族にその悲鳴がバレないよう必死に布団を顔に押し付け声を押し殺す。
頭痛で涙が止まらなくて、少しでも痛みを和らげようと全身に力が入っていた。
「はあ……! はあっ……!!」
何か、大切なことを忘れてる気がする。
絶対に忘れちゃいけない、俺がっ……俺が助けなくちゃいけない誰かが――
「いっつ……! あ、れ、なん、だっけ……」
――いるはずなのに、痛みが和らいでいくにつれて脳と一緒に視界に映っていた『何か』は塵のように何処かへと散っていってしまった。
「……あれ?」
散ってしまうと、どうして頭痛がしていたかどうかすらもわからなくなって。
「……寝よう」
何も無いと思ったから、俺は何事も無かったかのように身体の力を抜いて目を瞑った。
『イヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!!』
高らかに嘲笑う『何か』の声を、聞くこともないまま。
左手の甲には何も――映らない。