第10話(2) 『みんな一緒』
漠然とした違和感のようなものを感じながらも俺の体調は家族みんなの太鼓判を押されるぐらいにまで回復し、俺と、そして俺に追従してくれるエウスの強い押しもあって、結局当初の目的通り家族みんなで出掛けることとなった。
とはいえ姉さんの勉強する時間は確保したいという主張もありそこまで長居するような計画を立てることは出来なくて、「散歩を兼ねたウィンドウショッピングでもするか」という父さんの提案のもと俺達はこうして巨大な商業施設内を歩いていた。
ウィンドウショッピングと言っても、きっと俺達が何か欲しいと言えば父さんはなんでも買ってくれるだろう。
だけど俺も、そして姉さんやエウスも何かを買ってもらうためにこうして歩いてるわけじゃないから、そんな考えなど一回も持ったことが無かったし言おうとも思わなかった。
俺達はこうして一緒に歩いてるだけで満足なんだ。
だがそんな俺達の考えとは裏腹に、父さんがこうして歩いているという事実はエンデイルにいる天使にとって多大な意味を持っていて。
道を歩けば歩く程、足を止めれば止める程父さんの姿を見つけた天使たちに話しかけられている。
「――あれ、クレス団長じゃないか! 今日は家族でお出掛けか? 良いねぇ」
「まあな。ほら、俺これでも頼りになってちゃんと子供を見てるような父親目指してっから」
「――お~いクレス団長! 偶には翼使うとこ見せてくれよ~!」
「俺は時間短縮じゃなくてゆっくり散歩する時間を大切にしてんだよ! お前も飛んでばっかいると足腰ガックガクになっちまうぞ~」
「――あらクレス団長。ふふっ、今日はお仕事お休みなんだ?」
「……それに関しては見なかったことにしてくれ。部下にバレたら絶対文句言われるし、特に副団長にいる場所バレたら礼拝堂に閉じ込められちまうから」
地上を歩いてる天使も、空を縦横無尽に駆け回ってる天使もいるから、四方八方に話しかけられて家族だけの時間など有って無いようなものだった。
それでも俺達みんなそんな人たちに対して不快に思うなんてことは無くて、ただただ信頼を集めている父さんが誇らしいという気持ちでいっぱいだ。
「相変わらず人気者ね、お父さん」
「やっぱこの服装で来たのは間違いだったな……悪いな、時間ばっか取られちまって」
そう言ってバツの悪そうに謝る父さんの服装は、純白に染められながらも大きく着崩された騎士服だった。
当たり前だが騎士団の親玉である騎士団長がそう簡単に休みなんて本来は取れない。
だから本来父さんは今すぐにでも騎士団長としての業務をしなければならないのだ。
父さん自身にも今日が休みだなんて聞かされていないし、恐らく今頃城内では副団長がその尻拭いをさせられてピキピキと血圧を上昇させていることだろう。
それは姉さんも考えていたようで、ジトっとした目を父さんへ向けている。
「お父さんがそんな様子じゃ、お父さんの真似事ばかりするメビィも適当な弟になっちゃうわよ」
「ま、真似事なんてしてないから!」
「確かに俺みたいになってほしくはないな……メビウス、俺のことは反面教師として見ていてくれ」
「自分で言ってどうするのよ……全く」
あくまで態度を変えるつもりもなく適当にいなす父さんに姉さんは呆れた息を吐くが、俺だってそこらへんの線引きはきちんと理解しているつもりだ。
というより俺以上に父さんがそれを理解している。
その証拠に父さんは仕事を無断欠勤してるとはいえ、何かあったらすぐに向かえるように私服ではなく騎士服に袖を通しているのだから。
……まあだからといって王城にいる騎士たちの心情が変わるわけではないのだが。
それでもみんなが呆れだけで済んでいるのは一重に父さんの実力と人望があってこそだ。
「俺、父さんみたいになるよ」
「ま、ほどほどにな」
「……はあ」
姉さんはああ言うけど、やっぱり俺はそんな父さんみたいになりたい。
考えを狭めないために特に肯定も否定もしない父さん含め何を言っても無駄だと男陣に呆れる姉さんのため息を聞きながら、俺達は仲良く手を繋ぎ合って道を歩いた。
だがそんな家族の中で唯一最年少のエウスだけが、手を繋ぎつつ俺の様子を伺い続けている。
「お兄ちゃん……大丈夫?」
「大丈夫だって。そんなに心配しなくていいよ」
「うん……」
出掛ける直前まで俺の主張に賛同してくれていたエウスだが、それと心配との差は比例しないようで、援護してくれた割にこうして家族の誰よりも露骨に心配の声を向け続けている。
苦笑しつつ何度目になるかわからない返答を投げながらも、俺はエウスと繋いでいた手を握り直した。
ぎゅっと少しだけ強く握り直すと、エウスも少しだけ元気を取り戻してくれたみたいだ。
それに追従するように、父さんと一緒に先導してくれていた姉さんが軽くこちらに振り向いて、先程多めに買っていたクレープを両手に持ち俺達の口元へと持ってきてくれた。
「メビィ、エウス。あなたたちもこれ食べなさい」
「……あむ」
「……! おいひー! お兄ちゃん、苺あげうむっ!?」
「あなたが食べなさいって」
相変わらず甲斐甲斐しく俺を優先しようとするエウスの行動を姉さんに防いでもらいながらも、姉さん自身も弟妹を優先してクレープに手を付けていない。
「年長だからってお前も遠慮すんなよ。というわけでほれ! ここにクレープ特盛を召喚だ」
「こんなに食べられないわよお父さん……」
だから姉さんが食べようとしないなら父さんが。
そうやって家族みんなで協力しながら楽しく過ごそうとするこの日々がどうしてか堪らなく愛おしく感じてしまう。
いつもの光景だ。
こんななんてことない日常でも、緩んだ頬は戻らずに受け取ったクレープを再度大きく頬張った。
……今はまだ父さんみたいにみんなを守ることは出来ないけれど。
いつか『大人』になったら、出会ったみんなを守れるような天使になりたいって思う。
俺はまだ子供だから出来ることは少ない。
だから今はせめて『家族』だけでも守りたい、この笑顔を壊さないようにしたいって、ずっとそう思い続けていた。
「……よしエウス! ここから先は俺達探検隊の任務開始だ!」
「うんっ!」
「ちょっとあなたたち、走ったら危ない……って飛ぶのはもっと危ないわよ!」
「あんま遠くに行くなよ~!」
「ちょっとお父さん! はぁ、もう……」
でも今は少なくとも、父さんがいてくれるから何とでもなる。
そう信じて疑わないから、俺はこうして何も考えることなく笑い合いながら生きることが出来ていた。
――
あの後も日が頂点に到達するまで家族みんなで遊び続けて、お昼ご飯を食べて楽しい日々を過ごしていた時。
食後のティータイムで胃を落ち着かせていると、翼を大きく羽ばたかせる二つの羽音が耳に届いた。
「――見つけましたよ師匠!」
「やっぱりサボってるじゃないですか!」
聞き覚えのある声だった。
それは当然俺だけじゃなく姉さんやエウスも同様で、紅茶を軽く傾けながら三人揃って父さんに流し目を送る。
「……げ」
俺達が聞こえたのだから父さんにだけ聞こえないはずも無くて。
明らかに呆れの籠められた二つの声を聞き、父さんは顔を顰めてしまった。
だけど見つかってしまった以上、もう隠し続けることなど不可能と察したのだろう。
父さんは小さくため息を吐いた後、着地した二人の青年に向け清々しい程に不敵な笑みを浮かべた。
「よっ。アルカ、ラックス。周辺警備お疲れさん」
「そんなわけないでしょ! 師匠を連れ戻しに来たんすよ!」
「副団長の機嫌が大変悪くなっていて、隊のモチベーションも低下しています。お早めにお戻り下さい」
「……あいつどれぐらい怒ってる?」
「そりゃあもう悪魔みたいになってましたよ。血圧も相当上がってるでしょうからもってあと三日でしょうね」
「ラックス、縁起でも無い事言うな。ですがストレスも相当溜まっているでしょう。これは師匠の責任ですよ」
「いやぁサボるタイミングミスったかこれは」
父さんのたった二人の弟子であるアルカさんとラックスさんは軽く頬を掻く父さんの姿を見て小さくため息を吐いていた。
まあ副団長さんの姿を見た後にこうして優雅にお茶会をしてる父さんを見ればそういった感情になってしまうのも当然と言えるだろう。
俺の幼馴染みの一人のお父さんでもある副団長さんと父さんは親友みたいな関係だからこれまでも許されて来たけど、偶にこうして絶対に許されないタイミングというものがあるらしい。
……まあそもそも副団長さんが父さんに甘すぎるというのもあるのだろうが、これ以上父さんとは一緒にいられないみたいだ。
「こりゃ、しばらく真面目にしてなきゃお灸を据えられちまうかな」
「それはみんながいつも師匠に求めてることですよ」
「そうっすよ。こっちだって公私の区別はちゃんと付けてるんですから早く戻りましょ」
「だな」
アルカさんもラックスさんも俺達のことはちゃんと知ってるけどそれでも話しかけて来ないのは今ラックスさんが言ったように公私をきちんと分けているからだ。
それを俺達も分かっているから何も言わない。
というよりいつもの光景過ぎて今更引き止める気にもならなかった。
ただただ姉さんが父さんに向ける冷ややかな目に俺とエウスが縮こまるだけだ。
「てわけで今日のお出掛けはここで中断だ。悪いな、最後まで付き合ってやれなくて。金は好きなだけ使ってくれて良いから」
「メビィやエウスにとって模範的な姿をちゃんと見せてよお父さん」
「それは出来ない相談だ。俺は模範的な父親になって仕事にかまけた結果、子供たちと話す機会を減らす方がよっぽど問題があると思ってるからな」
「いつもそう言うじゃない……」
「お前もそっちの方が良いだろ?」
「……はぁ」
父さん曰く今の姉さんは多感な時期らしいから、姉さんの考えを俺やエウスが察することは出来そうにない。
だけど父さんは姉さんの気持ちが分かるようで、二人だけで含みのある投げかけをして、結局姉さんは諦めたみたいだった。
なんにせよこのまま長話するわけにもいかず父さんは椅子から立ち上がって、翼を大きく広げ羽ばき空へ浮く。
それに続くようにアルカさんとラックスさんも空を飛んだ。
「メビウスー! 二人のこと頼むなー!」
「うんー!」
「じゃあ行ってくる!」
手を振り合って、父さんはそのまま翼を翻して王城に向け飛んで行ってしまう。
父さんたちの姿が見えなくなるまで手を振り続けそうして視界に青空しか見えなくなると、俺はゆっくりと手を降ろした。
「相変わらずお父さんはメビィにだけ甘いわね」
「そ、そんなこと」
「別に羨ましいと思ってるわけじゃないわ。私はエウスと仲良くするもの」
「エウスはお姉ちゃんも大好き!」
父さんは姉さんもエウスも等しく愛してるし俺だけを特別扱いしてるわけではないと思うのだが、姉さんはただ俺を揶揄おうとしていただけみたいだ。
露骨にエウスを引き寄せ抱き着かれて、慈しむように頭を撫でながら俺に仲良しアピールを見せつけて来る。
「俺は何もしてないのに……」
「ふふっ、冗談よ」
「お兄ちゃんもこっち来て!」
「わっ」
俺だけ除け者にされているような気がして一瞬だけ気分が沈んだが、エウスに腕を引っ張られ二人に抱き寄せられる形になった。
驚き、目を丸くする俺を見ながら、姉さんもエウスも柔らかな笑みを向けてくれる。
「家族仲良くが良いんでしょ? メビィは」
「エウスはお父さんもお姉ちゃんも、お兄ちゃんも大好きだよ!」
「せっかくお父さんから許可も貰ったんだし、あと少しだけ遊びましょうか」
そう言って俺から離れると、両手を繋ぎながら二人は軽く手を引いてきた。
「……うん」
離れない手に愛情を感じて、俺もはにかみながら二人の後に付いて行く。
幸せだ。
家族から受ける無償の愛はとても心地よくて、いつも通りの退屈であるはずの毎日を過ごせてる。
こんな日々がずっと続いてほしい。
続かなかったことなんて無いはずなのに、どうしてか俺はそんな日々を渇望していた。