第9話(15) 『愚者の結末』
……全てを取り戻すはずだった。
俺が傷付くだけなら、俺が苦しい思いをするだけなら。
それだけでまた平和な日々を過ごすことが出来るのなら、喜んでリスクを負ってみせるって、そう思い続けていた。
だけどどうしてか俺が傷付くことは一度だってありはしなかった。
それどころか苦しい思いをして、苦渋の決断をして……悩んで結論を出しているのは俺ではなく、俺が守りたかった人達ばかりで。
どこで、間違えたんだろう。
いや……俺は、間違えたんだろうか。
何処がターニングポイントだったかなんて思い出せない。
最初からだったかもしれないし、直前でだったかもしれない。
だけど、過去の自分を思い返した所で意味なんかなくて。
何処からだろうが目の前の光景が変わることなどありはしなかった。
「は? ……は?」
困惑しながらもただ茫然と見ることしか出来ない光景は、酷く眩い光を放ち続けていた。
魔導具に埋め込まれた魔石はより紫色の輝きを放ち、魔石から光柱が放たれて天井を突き抜けている。
更に魔導具を支点に循環した魔石から強烈な魔力波紋が広がって、部屋の外側に沿うように設置されていた篝全てに青色の火が灯った。
状況はともかく、魔導具を停止したのに固く閉ざされていた扉が開く気配はない。
更にこの様子から三番街の異常が解消したとも思えなかった。
「なん、で……」
俺が求めていた結末とは、大きく異なっている。
本当だったら、扉が開いて俺はテーラと喜びを分かち合いながらすぐにルナの救出に向かっているはずだったのに。
なのに……なんで、こんな。
こんなにも恐怖を感じてるんだ、俺は。
「――っっ!」
状況を理解出来ずに固まっている俺と違いいち早く淡紅色の髪を靡かせたのは、肩を跳ねさせ焦りを顔に含ませたテーラだった。
どうしてかテーラは足元を見て目を見開いていて、俺自身も視界の下から淡い水色の光のようなものが灯っていることに気付く。
だからその光の正体を確認しようと、テーラの視線を追うように顔を動かす。
――だがその直前。
俺はいつの間にか宙を浮いていた。
「――がっ!?」
その瞬間、強烈な風圧が俺の身体を抉り、俺はテーラの風魔法によって吹き飛ばされたことに気付いた。
突風が俺の身体を包み込み、威力を殺すことも出来ずに俺はそのまま床へと激突する。
何度か転がり身体を床へと擦らせながらも、何とか扉のすぐ傍で静止することが出来た。
「い、っ……!」
全身に激痛が走っていた。
床を強く擦ったことから、恐らく背中の薄皮が大きく剥げていると思う。
突風による鈍痛と、剥けた肉が露出したことによるヒリヒリとした痛みが俺の顔を歪ませていた。
テーラが俺を攻撃したわけでないのはわかってる。
宙を飛んで地面に激突する直前に見えたテーラの表情は心配そうにしていたから、やり方は荒いにしても敵意を持ってやったわけではないだろう。
であれば、どうして俺を吹き飛ばしたのか。
その真意がわからなかったから、俺はそれを聞こうと痛む身体を庇いながらもゆっくりと身体を起こした。
――だがそれは、突如として全身に重力が掛かることで無へと還すこととなる。
「があっ!?」
立ち上がろうと起こした身体は、再度地面へと叩き付けられることで防がれてしまった。
全身に力を入れて立ち上がろうにも、まるで巨大な重りが乗せられているかのように俺の身体を地面へと押し付けている。
そして俺はこの感覚を忘れてなどいなかった。
「闇、魔法……!?」
天界、そして人間界とで二度受けた魔法の感覚を忘れるわけがない。
《コフィン・グラヴィター》。
幾度となく俺を苦しめてきたこの魔法が部屋全体に発動していて、今回も俺をこの場に縛り付けようとしていた。
重力に逆らって身体を起こそうにも、伸ばした腕はガクッと折れて身体を支えることが出来ずにいる。
そして部屋全体に闇魔法による強烈な重力負荷が掛かっているのなら、当然テーラも同じことになっているわけで。
「テー、ラ……!」
何とか顔だけを上げて、台座の上にいるであろうテーラに視線を移す。
「ぅ、くっ……!」
すると、やはりテーラも重力魔法の影響を強く受けているようで、何とか両手で身体を支えながらも立ち上がることが出来ず座り込んでしまっていた。
「じ、自分……だい、じょうぶ……? 痛くして、うっ……ごめんね……」
名前を呼んだことで俺がテーラの状態を見たと気付いたのだろう。
重力による重みに耐えながら、テーラは自分のことよりも俺のことを心配してくれていた。
「……は」
だがテーラの全貌を見て、俺は思わず呆けた声を出してしまう。
俺とは違い、テーラは決して重力魔法の効果だけを受けているわけではなかった。
――テーラの足元。
先程まで俺もいたその場所には水色の光を放った魔法陣が展開されていて、時間が立つにつれてその光はより光量を増しているように見える。
そして俺は人間界に来てからその魔法陣を一度だけ見たことがあった。
あれはまさしくテーラの隠れ家にもあった、『転移用の魔法陣』だ。
それに気付いた瞬間、俺はテーラによってこの魔法陣に入らないようにしてもらったことにも気付く。
「お前それっ――!」
「あはは……何処に、繋がってるのかちょっち怖いけど、自分も巻き込まれなくて良かった……」
「ふざっ、ふざけんなぁ!! 待ってろ! 今すぐ助けるから!!」
テーラは自分のことではなく俺の身を案じて眉を潜めながらも安心させるように小さな笑みを浮かべてくれている。
だけど逆に俺はその笑みに憤りを感じずにはいられなかった。
怖いけど、それでも俺のことを最優先に助けてくれたというのか。
俺はお前を危機に晒した張本人だって言うのに、それでも俺を責めずに俺だけでも逃げてほしいと行動してくれたって言うのか!?
重力魔法によってテーラはその場から動けないため、このままでは転移魔法陣が起動してテーラはここから別の場所へと消えて行ってしまうだろう。
仮にも敵の本拠地であるこの場所に転移魔法陣がある時点で、俺達にとって安全な場所に繋がっているわけがない。
それこそ今回の一件に関与している他の魔族たちの拠点へと転移してしまう可能性の方がよっぽど高いはずだ。
そしたら、テーラもルナみたいに――
「~~~~っっ!! 聖痕ッ!!」
それだけは絶対に阻止しなければならないから、俺は怒りを声へと変えて左手の甲に宿る『聖女の聖痕』の名を呼ぶ。
すると狙い通り唯一闇魔法を無効化することが出来る『聖痕』は神秘的な光を放つと、俺に纏わりつく重力の魔力を押し出し、魔力ごと消失させてくれた。
「テーラっ!」
『聖女の聖痕』は魔を払う。
闇の魔力が消え、身体の自由を取り戻した俺は全身の痛みによろけながらも両手をバネに立ち上がり、必死に一歩を踏み出した。
――そこまで、しても尚。
「――ぐがっ!?」
「――っ!? じ、自分っ!」
今度は重力ではなく、何か手のような感触が俺の足首を掴み、勢いを付けた俺は再度地面へと叩き付けられた。
そしてその手の感触はもう片方の足、太もも、背中、両腕へとどんどん数を増やし床へと押し付けてきて、その強力な力により身動きを取ることが出来ず俺は地面へとへばり付けられる。
慌てて俺を押さえ付ける何かを知るべく首を振った。
「――っ!?」
視界の先にあったのは禍々しい程に闇色に染まった、無数の手だった。
それらは床、そして天井から上限の無い腕を伸ばして俺の身体を押さえ付けている。
これもまた俺は見たことがあった。
死者の世界に誘われていた時にルナが助けてくれた時のと同じ闇魔法なんだろう。
それでも闇魔法ならば、『聖痕』の力で無力化することが出来る。
だから俺はすぐさま左手の甲に宿る聖痕の光を掲げ、神秘的な輝きを放った。
……なのに。
輝きを放つはずの聖痕の光はチカチカと点滅するだけで、魔の手が消滅する気配など微塵も無かったのだ。
「――は、あ?」
思わず、呆けた息を吐く。
これまで聖痕が効かないなんてこと、一度だってありはしなかった。
死者の世界の時だって、俺が聖痕の力を拒否したから闇の力を通すことが出来ただけで、今の俺はそんなこと微塵も思ってなどいない。
ということはつまり、この部屋自体が聖痕を何らかの力で制限しているということになる。
そしてそれもまた考えられるのは、あの異質過ぎる力を放つ魔導具しかなくて。
結果的に俺は床に身体を押さえ付けられ、今にも何処かに転移してしまいそうなテーラを見ることしか出来ずにいた。
「なん、で……なんでだよっ!?」
こんなはずじゃなかった。
まるで俺のやろうとしていたこと全てが予測されてしまっているかのようにことごとく俺のやって来たことが裏目に出てしまっている。
ルナを奪われて、そして今もまたテーラに向けて伸ばした手は、空を切ったまま何も掴むことは無い。
「なあ!? 頼む! 頼むよ!? ここで動けなかったら、俺はまたっ……! おいっ! 聖痕っっ!!」
意味も無いのに必死に声を張り上げて手の甲に宿る聖痕にそう願い続けた。
だが聖痕は俺の声に応えようとより輝くを強くしようと光を灯すが、その光はストッパーが掛かったかのように遮断されてしまうばかりで、出掛かった聖なる力はまるで粒子のように空気と共に飛散していく。
このままじゃテーラが。
そう思い必死に身体に力を籠めて魔の手からの拘束を解こうとするが、そんな様子を見ていたテーラは、ゆっくりと顔を落として。
「……《アイシクル【城壁】》」
「――は?」
思い切り重力に逆らい何とか腕を前へ伸ばすことに成功したテーラは、強大な魔力を籠めて俺を中心に円状の氷壁を築き上げた。
円状を通過した魔の手はそのあまりの魔力の強力さに押し負けて凍り付き、服と皮膚を通じて強烈な冷気が俺の身体を冷やし始める。
だけどそれは同時に、俺を氷壁によってその場から進めさせないようにもしていた。
それに気付いた瞬間、俺はテーラが弱々しく笑う姿に意味があることを理解してしまう。
「お、おい……待て。なあ、テーラ……待って!」
「自分だけでも、逃げて? ね?」
「駄目だ! 俺は、お前も助けなきゃ……だからっ!!」
「……」
テーラはもう自分のことを諦めている。
きっとテーラはこの状況を打開することは出来ないと悟っているのだろう。
風魔法で浮こうにも、重力によって地に固定されているため出来ない。
魔導具を破壊しようにも俺のことを助けるために身体の向きを変えてしまったため魔法の焦点を合わせることも出来ない。
だからせめて俺を、と。
そう思ってしまってるから、俺が必死に声を上げてもテーラは困ったように眉を落とすだけだった。
それでも俺に不安を抱かせないように。
「大丈夫っ! うちは天才魔法使いだから! 自分の期待に応えるように、必ず戻って来るから安心して! ……ね?」
精一杯の不恰好な笑みを浮かべた。
その刹那、目頭にまで届く程強烈な青い光が部屋全体を照らした。
「……やめ、ろ」
テーラの下にある転移魔法陣はより輝きを増していて、彼女を包み込むようにその光は真っ白に変化した。
その時、こちらを向き続けるテーラは不安だろうに柔らかい笑みを俺へと浮かべて。
「―――」
「テーラァァァァァ!!」
俺の伸ばした手をも虚しく眩い光が彼女を包み込んで、まるで最初からこの場にいなかったかのように俺一人が取り残されてしまった。
静寂が、俺の世界を支配する。
「こん、な……」
絶望が心身を砕いて、俺はだらりと身体の力が抜けていってしまった。
「こんな、はずじゃ……!!」
悔しさと情けなさと無力感の逃げ道は無くて、俺はただ拳を握り締めることしか出来ず瞳から涙が零れ落ちた。
そして……唯一俺を守ってくれていた氷の壁が突如として砕け散る。
「は……がっ!?」
視界を通り過ぎる魔力の粒子がやけにゆっくりと飛んでいく姿を間近に、俺は再度伸びた魔の手に全身を拘束された。
それで俺の心を砕く絶望が終わることなんて無くて。
『イヒヒヒヒヒヒヒヒッッ!!』
不意に聞き覚えのある気味の悪い嗤い声が、部屋に反響しながら耳に届いた。
「……あ、ぁ」
地に這いつくばりながら、それでもガクガクと身体が震える感覚に陥って、心臓がキュッと締め付けられる想いに駆られる。
見ないようにしたくても、点火された篝火の光が部屋全体を明るくさせて床に蠢く影をしっかりと映し出していた。
……ゆっくりと、顔を上げる。
忘れもしない、一匹の悪霊が俺を見下すようにしながら頭上を飛び回っていた。
更に魔導具から出る光柱から増殖する悪霊が次々と部屋へ飛び出し、俺の周りを纏わり始めている。
「俺、は……」
無力感が俺の心を支配する。
俺は人生で初めての『絶望』を感じていた。
頬が引き攣る感覚に陥りながら、俺はただ悪霊が飛び回る姿を見続けることしか出来なくて。
『『『『『ギャハハハハハハハハッッ!!』』』』』
まるで今の俺の姿を嘲笑うような、魂にこびりつく甲高い声を上げて悪霊が飛び付いてくる姿を。
――ただ見続けることしか、出来なかった。