第9話(14) 『生き急いだ末路』
ルナが……攫われた。
いくら名前を呼んでも、いくら手を伸ばしてもそれらは全て空を切り、何も成し遂げることなど出来なかった。
自分なら二人共守ることが出来るって、そんな根拠もない自信を持っていた結果がこれだ。
俺の両腕に抱えられるものなら守り切れるはずだったのに、それすらも俺の腕の中から零れ落ちている。
「クソッッ!!」
訪れるであろう拳への痛みなど一切考慮せずに俺は固く閉ざされた扉を思い切り殴り付けた。
だがいくら叩いても俺とルナを引き裂いた強固な扉にヒビが入ることなんかなくて、ただただ身に受ける痛みと共にどうしようもない現実を突き付けられるだけとなる。
それだけじゃない。
俺は確かにルナの手を引く人物の姿を目に焼き付けていた。
「自分、今ルナはんの手を引いてたのって……」
ルナより先に俺の傍へと来てしまったためテーラには振り向くまでのタイムラグがあった。
とはいえテーラもルナの背後に立つ者の特徴的な姿を見たようで、既に閉じられた扉を見ながら先程の記憶を思い返してるようだ。
通路自体が薄暗かったため悪党の全貌を見ることが出来たわけではないが――俺達からルナを奪った者の髪色はまさしく漆黒に染まる黒髪だった。
それだけで、今回の一件の黒幕がやはり魔族だったことが確定したことになる。
「どこまでもどこまでも……!!」
奴は最初から俺達だけでここに来ることを予測していたんだ。
捕まるならばと、死ねばもろとも理論でルナを攫いこちらに少しでも被害を出させようとするその陰湿さには憎悪の感情が湧いてくる。
もしも俺達だけでなく聖神騎士団も一緒に来ていたら、後方にも騎士を配置してくれるはずだからきっと攫われたのはルナじゃなかった。
少なくとも民を守ることを仕事にしている騎士とただの強いだけの女の子とじゃここに立つ責任は大きく違ってくるはずだ。
なのに、俺は……
俺が三人だけで良いという選択をしたせいで、今まさにルナが危険な目に遭ってしまっている。
相手は魔族だ。
きっと無事では済まないはずだ。
それこそ、ルナを奪われる直前に考えた通りの惨たらしい結末になる可能性は大いにある。
もしも……もしもここを脱出した時にルナの無残な姿が地面に転がっていたとしたら。
「魔族は生かしておけない……!!」
そう考えただけで心の中に巣食う憎悪の炎が烈火の如く燃え盛り、紅い瞳に光が灯る。
そんなこと絶対にさせるわけにはいかないが、現状何も出来ないという無力感が更に俺の苛立ちを増幅させて、殺気を全身に振りまきながら閉ざされた扉から背を向けた。
そんな俺をすれ違いざまに見るテーラの顔は心配そうに眉を潜めていたが、今の俺には表情を取り繕う余裕すら無かった。
「どうするん……?」
「まずはここを出る必要がある。あの魔族も何度かここに入ってるはずだから何処かに扉を開けるための方法があるはずなんだ。それか隠し扉でも何でも、ここを出る方法を一刻も早く探そう」
「う、うん。でも自分、焦る気持ちはわかるけど落ち着いて? ね? ルナはんならきっと大丈夫。こういう時冷静じゃないと、何か見落とすことだってあるんやから――」
「わかってるよ!」
「――っ」
気休めでしかない言葉に腹を立て俺は勢いよく振り返ると、テーラを睨み付けるように一瞥した。
俺は至って冷静だ。
だけどそんな都合の良い結末が必ず起きるというのなら今俺がここに立ってるわけがないだろ。
人は簡単に死ぬ。
だから俺は少しの時間も惜しむわけには行かないって、何度言ったら分かるって言うんだ。
『きっと』なんて言葉に確証なんてないし、俺は至って冷静だと言葉を吐き出し切るまではそう思い込んでいた。
「……ぁ」
……だが、一瞥した先にテーラが肩を震わせる姿を見た途端、その全てがただの八つ当たりに過ぎなかったことを理解する。
身体の熱が一気に冷めていくのを感じた。
テーラだってそんなのわかってるに決まってる。
だけど少しでも俺と一緒に考えながらここを脱出しようと、そう思ってくれたから気を遣ってくれていたというのに。
俺はそれを無碍にして、あまつさえ溜まった怒りを心配してくれた女の子へとぶつけてしまったことに気付いた。
「ご、ごめん……お前に当たるのは違うよな……」
「ううん。自分の気持ちわかるから。一緒にここから出て、ルナはんを助けよ?」
「……ごめん」
今更後悔の念が押し寄せてきて、俺は顔を落としながら謝罪の言葉を繰り返すことしか出来ない。
ルナを奪われて、そしてテーラに当たって……本当に情けなさすぎる。
俺はこんなんじゃないはずなんだ。
天界にいた時みたいに、みんなにはもっと余裕があって何でも簡単に物事を解決することが出来る、理想の姿を見せ続けていなければならないのに。
なのにここ最近は俺の虚勢が剝がれ始めている気がしてならない。
まだ……まだルナは大丈夫。
大丈夫なはずだから、俺はこれから先も全てを守りきり救い続けることが出来るはずだ。
そう自分の心を誤魔化して強引に平静を取り戻すと、俺は先程の言葉通りテーラと共に部屋の調査を再開することにした。
隠し扉が必ずあると心の中で断言した俺は外側を中心に。
テーラは部屋全体を俯瞰するべく部屋の内側から。
二手に分かれて探そうと言う俺にテーラは一瞬だけ困った顔をしていたけど、いつもだったらそんな些細な変化にも気付いていたはずなのに、俺はそれにすら気付けずにいた。
「何処だ……何処にある……!!」
テーラに対して罪悪感を持ったとしても、俺の脳内に湧き上がる感情が変わることは無い。
感情を表に出してしまうとまたテーラに心配されてしまうため背中を見せて隠しているが、ルナが殺されてしまうかもしれないという妄想が俺の心を酷く乱して、少しでも早く手掛かりを見つけようと壁に手を置き続け僅かな変化を探すことに躍起になってしまってる。
早く……早く、しないと!!
脳裏に呼び起されるのは、俺がこれまでやってきた断罪の景色だけだった。
クーフルも、アルヴァロさんも、そして非教徒たちも。
俺ですら簡単に傷付けることが出来たのに、本当の悪党である魔族がそれに躊躇するはずがない。
自分も同じだからこそ断言することが出来て、尚更焦りに拍車が掛かる。
だが所詮はそこまで大きいわけではない一部屋だ。
調査と言っても見える限りのものだけなら部屋自体は狭く物がほとんど置かれていないため、部屋にあるものを見つけるのには時間は掛からなかった。
「自分、これっ!」
だからこそ、中央部を探していたテーラの俺を呼ぶ声により反射的に後ろを振り向く。
「何か見つけたのか!?」
焦点をテーラへと合わせると、テーラは中央部にある台座の上に立ち下を覗き込むようにして視線だけをこちらに向けていた。
ここからでは彼女の見ている物が見えないため急いでテーラのもとへと向かう。
台座を上がってみるとその下は窪みになっていて、そこに魔導具が埋め込まれていた。
ご丁寧に魔導具に取り付けられた魔石は紫色に薄く光っていて、魔法が常時発動していることを俺達へと突き付けている。
「魔導具……!」
「暗闇でも光が協調されないよう遮光されとるね。それにしては簡易的な隠し方やけど……」
こんなの下からじゃ見えなかった。
本格的に部屋の調査が始まる前にルナが攫われてしまったため結果的に魔導具を隠すことには成功しているが、テーラの言う通り隠すにしては簡易的過ぎるだろう。
だが俺には魔族の考えてることが手に取るようにわかった。
ゴミみたいな魔族のことだ。
あの状況下でだけすぐに扉を開けられる選択肢を無くし、こうしてちょっと探したら見つかるようにすることで俺達の後悔を強くさせようという魂胆なのだろう。
事実こんな陰湿な隠し方をされたから、もしもあの時俺が台座の上もちゃんと見ていたらと後悔と自分への怒りが押し寄せてきていた。
それと同時に忌々しい程に魔族に対しての憎悪が膨れ上がってくる。
「これがあの扉を開けるための魔導具か……! すぐにこれを停止して魔族を追うぞ!」
「えっ!? ちょ、ちょっち待ってよ……! これは三番街の現象を引き起こしてる魔導具のはずじゃないん? 元々そういう話やなかった……?」
「なんにせよこの魔導具が俺達の邪魔をしてることに変わりはないだろ。これを止めさえすれば、どちらかの目的は達成されるはずなんだ。どっちかを止めれさえすれば、まだチャンスが……!」
「で、でも……」
確かにテーラの言う通り疑問は残る。
元々ここに来たのは魔力の残滓が見えるルナの先導のもと、三番街を襲っている闇魔法をどうにかするためだ。
この地下の最奥に魔導具があるのならこの魔導具がその元凶で無ければならない。
だからこの魔導具は本来扉を開けるためのものでは無いはずなのだが、物がどうあれ魔導具を停止すること自体が俺達にとってメリットでしかないはずだ。
たとえこれを停止して三番街の異常が解決しようが、可能性としてここの扉が開こうが、どちらにしてもこのままにしておく理由の方が薄いだろう。
「……そう、よね。うん、わかった……」
そんな俺の言葉が、テーラを納得させるに足りる言葉だったのかはわからない。
それでも結果的にテーラは小さく頷いてくれて魔導具の前に立ち手をかざしてくれた。
――だが魔導具の構築を確認するにつれて、テーラの表情に曇りが生じ始める。
「これ、特別な魔力しか受け付けないようになっとる……どうしよう、うちの魔力じゃ停止出来んよ」
「特別な魔力って……」
テーラの言う『特別な魔力』とは、恐らく通常ある五属性とは異なった魔力のことだと思う。
ほとんどの属性を扱えるテーラが停止出来ないということは、それ以外の魔力でしか停止出来ないということだ。
魔族が構築した魔導具であれば闇魔法は『特別な魔力』なのだろうか。
それを確認しようにも闇魔法は現状ルナがこの場にいないため確認する術がない。
だが仮にその闇魔法が『特別な魔力』に入るのなら、それは一重に闇と対を成す光魔法というものも特別な魔力のうちに入るはずだ。
そして闇と光……つまりテーラが使えない魔力に限定するのであれば。
「なら、俺の魔力なら行けるんじゃないのか!?」
それはつまり、俺の【雷魔法】もその括りに入るはずだ。
そしてそれはテーラも納得出来るものだったのか、俺の期待に満ちた瞳を逸らすことが出来なかった。
「確かに自分の魔力なら出来ると思う、けど……」
……やっぱりそうなんだ!
俺が、今度こそ俺がみんなを救うための行動を起こすことが出来る……!
気持ちが昂っていた。
三番街のみんなを助けるのは間に合わなくて、そしてルナに伸ばした手も届かなかった。
全部、間に合わなかったんだ。
だけど俺の出来ることが……いや、俺にしか出来ないことで今度こそ間に合わなかったものの解決をすることが出来ると思うと、それが何よりも嬉しくて口角が吊り上がるのを自覚する。
そう思うと、俺はいつの間にか嬉々として魔導具に手をかざしていた。
「――っ! でも待って自分! やっぱりおかしいよ! こんな限定的な構築、まるで自分がここに来るのを見越してるみたいな――」
俺を止めようとする声が聞こえた気がする。
だがテーラの俺を説得しようとする声は耳から耳へと通り抜けてしまっていて、俺は目先の高揚感だけに支配されていた。
ルナを助けることが出来るのは俺だけなのだと。
俺は失敗するわけにはいかないから、魔導具を停止さえ出来れば今度こそ失敗と成功の均衡を保つことが出来るのだと。
そんな、利己的な感情にばかり囚われてしまっていたから。
「――――!」
俺はテーラの制止の声も聞かず魔導具にかざしていた手に、全力の魔力を籠めた。
――その刹那、消えるはずだった魔導具に埋め込まれた魔石の光は……更に輝きを増すこととなる。