第9話(5) 『大人の決意』
【帝国】。
領土争いなど無くあくまで広大な領地を管理するために複数の王が存在する天界とは違い、一人の皇帝が世界を統治しているらしい。
唯一神様の神託を聞くことが出来る『聖女』を利用して富と秩序を保ち、それに疑問を抱くか猜疑心を持つ者には騎士を使って制圧し公平な態度を取ろうとする者に圧力を掛ける。
信仰心が高いということは【帝国】の威光に従いやすい者でもあるから、そう言った者たちを優遇し非教徒と呼ばれる者たちとの分かりやすい差を作ることで表向きの平穏を保っている。
……それが、俺の知る限りの【帝国】の実態だ。
それを理解した時、俺はそんな世界は腐ってると思った。
事実それで非教徒と呼ばれる人たちは辛い日々を送っていて、そのしわ寄せがセリシアに降り注ぐこともある。
だが人は競い合えなければ衰退するだけだ。
そうすることで種としての取捨選択が行われていき、そんな世界が良くなっているのかはともかく、種族しては正しい世界を創り出すことが出来る。
個人の理想が、決して世界にとっての理想だとは限らない。
だから俺は【帝国】の行っていることに対して正しい正しくないを言及しようとは思わない。
評論家ぶるつもりもない。
俺は口だけは達者で行動はしない偽善者にはなりたくないから。
その秩序の割を喰っている人々に同情はしても、綺麗事だけを並べたとして世界は何一つ変わらないのだ。
だから俺はそんな広い世界の中の、俺が見えるちっぽけな世界さえ安泰であれば他の奴らのことなんてどうでもいい。
それが俺がこれまで人間界で暮らしてきて様々なことを学んだ結果、【帝国】に抱いた感情の全てだ。
……だけど。
それが俺の腕に包み込めるちっぽけな世界の中に介入してくるのなら、話は別だった。
「【帝国】に救援要請を出すって……」
思わず弱々しい声が口から出てしまう。
確か『聖神騎士団』の本部は【帝国】にあって、その中から選ばれた者が聖女の住む各地へと派遣されているのが騎士団の実態だったはずだ。
つまりコメットさんの言う救援要請というのは、聖神騎士団の親玉に打つ手がない醜態を告げ助けを求めるということに他ならない。
自分たちでは三番街を守ることが出来ませんでした。
なのでお願いします、助けて下さい。
コメットさんはそうやって無力さを噛み締めて、プライドを捨ててでも助けを求めようとしている。
「いやっ、まだ! まだ俺達は負けてないじゃないですか!!」
そんなことは絶対にさせられない。
焦りを強く持った俺は勢いよく立ち上がり何とか説得しようと何の根拠もない、思い付く限りの言葉だけを吐き出した。
「大丈夫、大丈夫ですよ……俺がこれからみんなを救い出す方法を探します。まだ一日も経ってないんですよ? 俺に任せてくれさえすればコメットさんたちが諦める必要だってないはずです!」
「諦めてなんかないさ」
「なら――!」
「諦めてないからこそ、私達は救いを待つ民のために応援を呼ぶ必要があるんだよ」
……意味が、わからなかった。
諦めていないのならば、そんな他力本願なことを言っていないで今すぐにでも行動を起こすべきなのに。
他人に助けを求めることの何処に諦めていないと言える要素があるのだろう。
「勝利とは決して一人だけで成し遂げるものではない。私の立場が危うくなったとしても本部の聖神騎士団は我らの仲間だ。仲間に助けを求め、共に勝利を分かち合う。一人では手に入れられないものだからこそ、そういったことが時には必要なんだ」
「だけどその本部の連中が! コメットさんたちに心無い言葉を吐き出したりもするはずでしょ!? 情けないとか、無能だとか……! そんな連中を仲間だなんて言えるわけがない!」
この世界の人々は神様が見ているからと善行をなるべく行おうとする特徴があるが、上面だけの行動をしている奴らがいるのは何処の世界でも同じはずだ。
より神を近くで感じてる天界ですらそうだった。
俺みたいな天使がいて、裏でこそこそ悪事を働く天使もいて、他者を陥れ他者を貶す天使もいた。
何でも、見てきた。
何度も見てきた俺だからこそ、奴らが三番街に来た後の光景が目に浮かぶようにわかる。
「そいつらはコメットさんたちを見下す! 絶対に見下す! 三番街で信じられるのは三番街の人達だけ……これは俺達だけで解決するべきです!」
「……私は三番街の住民たちを、子供たちを。そして聖女様を救うためならそれも甘んじて受け入れ頭を下げる。それが三番街を守る私の責任だ」
「俺がそんなの、見たくない……!」
コメットさんだけじゃない。
俺は人間のことを……勘違いしていたと気付けたんだ。
三番街の人達のことも最初はただの劣等種だとしか思ってなかった。
どうせいもしない神サマを無様に信じてる愚か者ばかりなのだと。
だけどそうじゃないって、みんなと過ごしてきて気付けたんだよ。
セリシアがそれを教えてくれたんだ。
先入観を捨ててみんなを見てみると、こんな身元もわからない俺にも優しくしてくれる人達がいて、みんな毎日を楽しそうに生きている。
それを……たかだかこんな問題で失いたくない。
その誰かが頭を下げ、屈辱に耐えてる姿なんて俺は見たくなんかなかった。
……拳を握る。
どうか考えを変えてくれないかとコメットさんを一瞥するが、やっぱりコメットさんは『大人』だった。
「君は命に信頼を賭けられるのか」
コメットさんが呟くようにそう口にする。
命に信頼を賭けられるのか。
要するに命が失われるかもしれないのに、他者を信じて待つことが出来るのかということだろう。
……けれど、そんなの答えは一つしかない。
俺も痛いのは怖いけど、死ぬのは別に怖くないから。
もしも死ぬ状況で無様を晒して下劣な言葉を吐き出し続けるような小物に成り下がるぐらいなら、俺は笑みを浮かべて死ねる自信があった。
だから俺の答えは一つしかなくて。
「俺は、賭けられる……!!」
「そうか……だが他は違う」
「……っ」
覚悟を宿した瞳でコメットを射抜くが、そんな俺の言葉すらもコメットさんは戸惑うことなく真っ向から受け止めた。
「みな、救われるのを待ち続けている。私達の独断と自信で解決出来る事柄ではない。……あの時、君とテーラ君のおかげで三番街は守られたが、あれも時間が立てば立つ程状況は深刻になっていたことだろう」
「それは……」
「私はあの時、私の力では聖女様を守ることが出来なかった。そして聖神騎士団の覚悟を持ってしても大罪人を逃がすという無様を晒してしまった。そして……今回もきっと我らですぐに解決出来る事柄ではない。頼りない私達に君が焦る気持ちもよくわかる……すまない」
「……っ。そんな、こと」
「そして私達はまた君に負担を強いてしまった。君の正義感に甘え、責任を背負わせてしまった。だからこそ『大人』として、そして一人の騎士として『聖神騎士団』が民を救うために我らの責務を果たさなければならない」
「……ぅ」
「だからメビウス君……分かってくれるね?」
そうまで言われてしまったら、もう何も言えないじゃないか。
コメットさんの覚悟は、俺が幾ら上っ面だけ取り繕った希望を含ませた言葉を吐き出しても決して崩れることのない強固なもので、俺はそれを崩すことの出来る材料を持ち合わせてもいない。
非常に時間は短く、どう足掻いても今回の事態が起こる前に解決出来る事柄では無かったが、結果的に俺が何か起こる前に状況を打破出来なかったのは事実だ。
だから俺には……もうこれ以上コメットさんの意志を引き留めることは出来なくて。
「わか、りました……」
「……ありがとう」
悔しさに目を伏せながら、弱々しい声のまま受け入れコメットさんの感謝を聞くしかなかった。
「……街の封鎖については、よろしくお願いします」
「ああ、君も無理はしないようにね」
「……はい。行こう、ルナ」
だが少なくとも、今いる聖神騎士団の人達にあの悪霊について伝えられただけでも良かったと強引に思い直して、俺はコメットさんに今後のことを任せて隣に座ってるルナへ声を掛ける。
…………けれど、そこに座っていたルナの姿は何処にもなかった。
「……ルナ?」
「どうした?」
「あ、いや。さっきまでここにいたのに、あいつまた急にいなくなりやがって……」
「さっきまで?」
きょろきょろと辺りを見回してみるが、紫色の髪を持つ女の子は視界の何処にも見当たらなかった。
あいつどこ行ったんだ。
相変わらずいなくなる時はとことんいなくなるから毎回驚くんだけど。
もしかして暇過ぎて外にでも出てしまったか。
そういう性格ではないような気もするが、急に現れては急に消えるためその可能性を否定出来ずにいる。
……だが、そんな俺とは対照的にコメットさんの表情は乏しかった。
急な俺の発言と行動に疑問を示しているように見える。
逆にそんな態度を取るコメットさんに首を傾げた俺に対し、コメットさんはジッと俺の言う隣の椅子に視線を向け続けて。
「最初からそこに人なんていなかったじゃないか」
「……は?」
まるでお互いに見えているものが違ったような、そんな違和感を持つことを口にした。
――
結局詰め所内の何処を探してもルナはいなかったため当初の予定通りコメットさんたちと別れて俺は外に出た。
空を見上げると月は相変わらずこの世界に光を与えていて、これを見続けていたら三番街も本当は変わっていないんじゃないかと思ってしまいそうになる。
「神サマは何もしてはくれない……」
でも現実はいつも非情だ。
世界は人々に永遠の幸福を与えてなんてくれない。
神が世界を創ったんだろ……?
そんな神を信仰して三番街の人達は神のために生きてきたのに、その結果はこれだった。
「それでもまだ、そんな奴を信仰出来るって言うのか……!?」
お返しを求めていないのはわかる。
結果的にセリシアによるお返しは貰えているとはいえ、少なくとも三番街の人たちはそれ目当てで神サマと聖女を信仰しているわけではないのだろう。
だけど無償の奉仕なんてものに一体何の意味があるっていうんだ。
奉仕されてるんだから! 神サマはみんなに平和ぐらい与え続けて見せろよ!?
「俺には、わからない……」
だけどそれもずっと天界でも抱いてきて、そして諦めたことだった。
悩んでも仕方がないから、せめて俺だけは神を敵視してやろうという感情が俺を形作っているのだから。
「――シロカミ」
「え? うおおうっ!?」
――そんなことを思いながら一人誰に向けてでもない憤りを感じていると、不意に真隣から聞こえて来た聞き覚えのある声によって俺は思い切り身体を跳ねさせ大きく距離を取ってしまった。
自分でも恥ずかしくなる程の情けない悲鳴を上げてしまったことを自覚しながらも慌てて声がした方へと視線を向けると、そこには相変わらず無表情のまま俺を見ているルナが立っていた。
急にいなくなったことへの心配や気配を感じなかったことに対する驚きなどがごちゃごちゃに混ざり合いながらも、それら全てより自分への羞恥心の方が大きく勝ってしまう。
顔を少しだけ赤くしながらルナへ文句を吐き出した。
「ま、毎回急に出てくんじゃねーよ! てか勝手にいなくなるなっての!」
「うん。えっと……外に出なきゃいけなくて。……ごめんなさい」
「あ、いや……」
別にそこまで怒っては無かったんだが、そうやって素直に謝られてしまうと途端に奇声を上げた恥ずかしさを誤魔化した俺が悪者に見えてきてしまう。
別にそんな申し訳なさそうにしなくていいのに。
少し言い過ぎただろうか。
「わ、悪い。ちょっと言い過ぎたかも……戻って来てくれて良かった。あんま心配させんなよな」
「うん」
「驚かせたお詫びに俺の手伝いをしてくれれば更に良し」
「わかった」
「……」
……前々から思ってたけど、コイツ完全にYESマンになってるけど大丈夫か?
変な奴に騙されないか心配になる。
もう既に俺という悪い大人に利用されてるんだからもう少し警戒心を持ってほしいものではあるのだが……
「……?」
……まあ嫌がってる様子では無いし、それを言うのはこれが終わってからにしよう、うん。
決してそれを言ったら俺すら拒絶される可能性があると思ったからではない、断じて。
「それでシロカミ、どうするの?」
どうする……か。
俺には出来ることがあると息巻いていたけど、結果はこのザマだった。
結局一人じゃ何も出来なくて、もしルナがあの時俺を死者の世界から救い出してくれなかったら今頃ここには立っていなかっただろう。
「全部解決出来れば、コメットさんが苦渋の決断をする必要は無くなるはずなんだ」
……それでも、あの時まで何も出来なかったとしても。
それが三番街を救うこと、セリシアを守ることへの諦める理由にはならない。
「まだ夜は長い。聖神騎士団の奴らがここに来るのは確定するだろうけど、だったらせめてコメットさんたちへの評価は変えずにいさせるべきだ。それを俺達でやる。俺達がもっと早くこの一件を解決させて本部の奴らに無駄足を踏ませるしかない」
「それなら闇の魔力を辿ればいいと思う」
「闇の魔力?」
「シロカミと会った場所から魔力の残滓が奥に続いてた」
「そうなのか?」
俺にはそんなの見えなかったけど、闇魔法を使えるルナならもしかしたらそういう小さな魔力の粒子が見えるのかもしれない。
本当にそんなものがあるのであれば、それは大きな手掛かりになるだろう。
解決への光明が見えた気がした。
「ならそこに行ってみるか。……眠くないか?」
「大丈夫」
「そっか」
それ以外に手掛かりが無い以上、どの道今は行くしか選択肢はない。
正直、また中央広場に戻るのは非常に抵抗があるのだが、今回は頼りになるルナもいるため苦渋の思いで受け入れることにする。
もう逃げることは出来ない。
働きもせず、教会の手伝いをする権利すらない俺が三番街に居続けることが出来るのは一重にこういったことで役に立つと思われているからだ。
神サマが何もしてくれないのなら俺がやる。
それは俺の信念としてずっと心に残り続けているものだ。
「じゃあ行くか、ルナ」
「――うん」
人間界でもその信念を崩さずにこれている。
それはこれからも変わらないから、俺は隣にいるルナの手を引いて一度中央広場に戻るため一歩を踏み出した。