第8話(14) 『堕落を嗤う声』
ずっと俺なら何とか出来るって、そう信じ続けてた。
これまで積み重ねてきた実績があって、信頼も勝ち取り、その上でこの地に足を付けているのだという自信があったから。
何でも出来るって。
俺に守れないものなんてないんだと、物事を簡単に考えていたような気がする。
それもそうだろう。
だって罪人がいるなら【断罪】してしまえばいいのだから。
どんな相手だろうと、今の俺はこの手を汚すことを躊躇しない。
クーフルはともかくアルヴァロさんを……大切な人を手に掛けたあの時から俺に人を裁くことを躊躇する理由は無くなってしまった。
だから今回も同じだと。
悪党さえ見つけることが出来れば、俺の背中に伸し掛かっている期待に応えることが出来るって……そう思い続けていたのに。
「なんなんだよ、これ……!?」
悪魔は決して怪物の姿をしているわけではない。
だから宙に浮いている悪霊のようなものは厳密には本物の悪魔ではないが、その見た目は天界の絵本に出てくる空想上の悪魔の姿に酷似していた。
禍々しい悪霊たちは今も尚三番街の空を縦横無尽に飛び回り、何度も何度も立ち尽くす住民を通過し続けている。
それだけじゃない。
見ればその悪霊らは中央広場の周りに建つ家の中をも、入っては出てを繰り返していた。
なのに家の中の住民が驚きながら外に出てくる気配は一向に無くて。
そのことから、外にいる人たちだけじゃなく家の中にいる住民までもがこの光景と同じことになっているという可能性が浮上する。
そしてこの仮説は正しいのだろう。
だからこそ家の明かりは付いているのに物音一つ聞こえないんだ。
「『ギャハハハハハ!!』」
「『アヒヒヒヒヒヒ!!』」
呆然とする俺に気付かない悪霊たちは絶えず口角を吊り上げて、気味悪い嗤い声を上げ続けている。
耳を塞ぎたくなる程に高く不快な音が、昨日まで平穏だった三番街で奏でられていた。
「どう、すれば……どうすればいいんだ……!?」
もう異常事態なんかで済ませることは出来ない。
確実に人間ではない何者かによる介入が三番街で行われて、それを防ぐための行動が後手に回った結果どうしようもない現実を直視する羽目になる。
「なんで、三番街にばかり……!」
悪党は平和を崩そうとしてくるのか。
【イクルス】には一番街も二番街もあってそのどちらにも聖女はいるはずなのに、その二つが大きな事件に巻き込まれたという話は聞いたことがない。
三番街が標的にされる回数のあまりの多さに、俺は疑念を超えて絶望感すら抱いてしまった。
どうする……
どうすればみんなを助けることが出来る!?
原因がわからない以上解決策も思い付かず、俺はただ言葉にならない思考を頭の中でぐるぐると回し続けることしか出来なかった。
この場にいる悪霊を全て倒せばみんなの意識を取り戻すことが出来るのか。
だが人体を通り抜けることが出来るような、実体のない相手をどうやって倒せばいいのかもわからない。
更に言えば逆に悪霊を倒した結果、それで住民たちの意識が二度と戻らなくなってしまう可能性だってある。
相手が誰かも、何なのかもわからない以上、どちらの可能性を潰すことも出来ずにいる。
八方塞がりだった。
顔を歪め頭を片手で抱えながら、俺はいつの間にか恐怖に心を支配されていた。
初めて自分ではどうすることも出来ない事態が、現実として起こってしまっている。
「こんな、はずじゃ――」
こんなはずじゃなかった、と。
そう口にしてしまえば俺を信頼してくれた人たちを裏切ってしまうような気がして、俺は反射的に口を塞いで言葉を呑み込む。
あの時、もしもすぐにテーラに協力を求めていたら――
もしかしたらこうなる前に、何かしらの解決策を出すことが出来ていたのだろうか。
実際どうなるかはともかく、少なくとも現実として一人では一日掛けて全く進歩を得ることが出来なかったという事実が、無力な俺の心に突き付けられてしまう。
……一人で解決出来ると思ってた。
俺にしか出来ないことがこれだと、疑ってすらいなかったんだ。
それに――
「悪党が出てきてくれさえすれば、俺だって……」
こうはならなかった。
みんなの役に立てた。
今頃みんなの顔は安心と笑顔になっていたはずだと、そんなありもしない幻想を抱いていた。
けれどその結果がこれだ。
この場に立ち尽くす住民たちは、みんな不気味な笑みを浮かべながらもその瞳に魂が宿ることはない。
昨日までみんな、笑っていたのに。
今はまるで意思のない人形みたいで、俺はそれを直視出来ずに顔を落とす。
「違うっ……! 俺は、こんなんじゃ……!」
俺には……俺が出来ることしか出来ない。
そして俺が出来ることとして考えていたのは、『人を殺める』という堕落的な考えだけだったことに気付いた。
悪党を殺してしまえば何も考えなくて済む。
それは堕落的な考えだと分かっていたはずなのに、いつの間にか俺はその方法しか考えていなかった。
だがその考え方はともかく現状誰かを殺して収まることは無い以上、他の方法をすぐにでも考えなくてはならない。
……少なくとも三番街全てがこの光景になっていないのであれば、この状況を知っているのは俺だけではないはずだ。
そして三番街で誰よりもこの状況を良しとしないはずの男の姿を思い出し、俺は必死に辺りを見回そうと顔を上げた。
「コメット、さんは――」
もしもコメットさんですら人形みたいになってたら――
そう思って真意を確認しようとしたが、そもそもコメットさんはこの場の何処にもいる様子が無かった。
この状況を知って、様子を見に行かない人ではないはずなのにどうして……
そう思い聖神騎士団の詰め所がある方角へと視線を向ける。
「――っ!」
すると視線の先にはコメットさんの部下である聖神騎士団の一般騎士二人組がいて、俺に背を向けながら他の住民と同様に立ち尽くしたまま動かずにいるようだった。
この様子から察するに、この二人はコメットさんに状況を報告しようとした所で悪霊の毒牙に掛かってしまったのだと推測出来る。
「騎士がここにいるってことは」
まだコメットさんは現状を知らず詰め所内にいる可能性が高いことを暗示していた。
そして同時にコメットさんがここに来てしまった時点で、コメットさんも悪霊の餌食になってしまう可能性があることも示している。
――そうなる前に、俺がどうにかしなければならない。
「コメットさんにこのことを伝えなきゃ……!」
下手に手を出すことが出来ない以上、少なくとも今俺が出来ることはそれしかない。
詰め所内にまで悪霊の魔の手が伸びていたらそこで終わりだが、伸びていないのであれば騎士たちが帰って来ないことに不信感を抱きコメットさんが外に出てしまう前にこのことを伝えることが出来るだろう。
この報告さえ出来れば。
コメットさんや他の騎士たちと共に今後の方針、解決策を話し合うことが出来るはずだ。
これ以上、被害が増える前に――
「……っ」
だがそこまで思考して、既に現状を受け入れてしまっている自分に気付く。
この状況を打開するのではなく、被害を増やさないことを考えてしまってる。
本当なら、今すぐこの場にいるみんなを助けなくちゃいけないのに。
結局俺は、どこまでもどこまでも人間界では無力だった。
……それでも、それしかやるべきことが思い付かなかったから。
俺は周りの状況を首を横に振って必死に確認しつつ、ゆっくりと後退していく。
悪霊に見つかる前に。
見つかる前に、コメットさんの所へ……
――――だがこの場で唯一動いている生命を、悪魔の姿をした悪霊たちは決して見逃さなかった。
「「「「「『アハハハハハハハ――ァ?』」」」」」
鳴り響いていた悪霊たちの、甲高い嗤い声がピタリと止む。
宙に浮く悪霊たち全ての顔が――勢いよくこちらへと振り向かれた。
「――ひっ」
喉が。
身体が。
心臓が。
きゅっと締め付けられる感覚に陥った。
真顔のまま一点を。
全員がただ俺だけに焦点を合わせたことで、まるで金縛りにあったかのように全身が強い恐怖で硬直し、俺の行動に一瞬だけ遅れを生じさせてしまう。
その刹那――全ての悪霊が俺へと狙いを定め、四方八方から一斉に巨大な口を開けた悪霊たちが押し寄せてきた。
「――ッッ!?」
無数に生え揃った牙に全身を震わせながらも、俺は反射的に雷の魔力を腕に溜め、人差し指を正面の悪霊へと突き付ける。
「《ライト――」
だが悪霊にソレは何の牽制にもならなくて。
全方位から悪霊に覆われた俺の視界は一瞬で真っ黒へと染まっていく。
全身がぐにゃりと曲がり続ける感覚に襲われ、自分が何なのかもぐちゃぐちゃに溶かされてわからなくなる。
それでも。
「『アハハハハハハハハ!!!!』」
ただただ意識を失う直前まで。
俺を見下す気味の悪い嗤い声だけがずっと……頭の中を反響し続けていた。