第8話(12) 『俺にしか出来ないこと』
子供たちを主導に聖別の儀式の準備は着々と進んでいるようで、子供たちはみんなで協力し合いながら教会の外に置かれた大量の水を礼拝堂へと運んでいた。
セリシアから聞いた話によれば外に置かれた大量の水は三番街の信者たちが早朝から上流の川に赴き、水を汲み上げて持って来たものらしい。
どうしてわざわざ運び出すのが大変な上流の川でなければならないのかを問うと、『聖水』として使用する水は出来る限り清潔で綺麗でなければならないからだそうだ。
しかもその水を更にろ過しなければならないとか。
確かに教会の物置にはそこそこしっかりしたろ過装置があったのを見かけたことがあるが、このために所有していたらしい。
あくまでも儀式の手伝いを禁止しているのは教会内での話だそうで信者たちは自分たちで行えることは睡眠時間を削ってまで行ってくれているのだと、申し訳なさそうにセリシアは言葉を溢していた。
……そうか。
みんな、セリシアのために自分が行えることをしっかりやってる。
俺には手伝う権利なんかない……そうやって一度は諦めたけど、権利とは得るのを待つのではなく、どうしたら得れるのかを探し出すものなんだ。
俺にはそれが分かってなかった。
子供たちには俺は大人だと言ったけど、こんなちっぽけな街の中ですら俺はまだ子供なのだということを思い知らされる。
それが悪いことだとは思わない。
自分の欠点を知ることが出来ればその改善を行う方法を考えることが出来るから。
それなら俺は。
――俺が出来ることを、探し出すだけだ。
――
儀式の準備が本格的に始まり慌ただしくなったため、邪魔するべきではないと俺は大人しく教会を出た。
教会を出て三番街に繋がる緩やかな坂道を下りながら俺は指を顎に乗せて思考の海へと身を投げる。
……俺が出来ること。
それを探そうにも俺は未だ教会についての深い知識を持っていない。
知識だけなら子供たちにすら負ける。
信者のみんなにだって、俺が何も知らないことは周知の事実として共有されているはずだ。
みんな俺にそこを求めてないんだ。
ならば俺がみんなに期待されてるものとは、一体何なんだろう。
「今まで俺がやってきたこと……」
そう呟き考えてる間に、俺の視界に三番街の中央広場が見えてきた。
「……ぁ?」
……いつも通りの活気的な日常。
だがそんな日常に若干の不可解な光景があることに俺は気付き、意識がそちらへと集中する。
「なんだ……?」
瞳の焦点をそこへ合わせると、何やら多くの住民たちが集まって一部の人に声を掛けてるようだった。
それだけなら特に何も思わなかっただろう。
問題なのはみんなが声を掛けつつ困惑した表情をさせている相手が、一切その場から動いていないことだ。
そしてその中で昨日の夜に俺が見かけた住民もまだそこにいた。
ずっとずっと、微動だにせず立ち尽くしていたのだ。
それは明らかに『異常』だった。
「みんな、どうかしたんですか?」
この騒ぎはともかく、昨日見かけた人が今日も同じようにいるのは明らかにおかしい。
一刻も情報を得るべく早足で中央広場へと入ると、住民たちも俺の存在に気付き話の輪へ入れようとしてくれた。
その中には三番街聖神騎士団隊長のコメットさんもいて苦悶に眉を落としている。
「……君か。君が来たということは既に聖別の儀式は始まってしまったんだね」
「まだ準備の最中です。でも時期に始まると思います。……それよりこの騒ぎは?」
「ああ。実は住民の一部が突如としてその場から動かなくなり、何の反応も示さない現象が起こっている。応答もせず家族の声にすら耳を貸さない。まるで人形のようにその場に立っているだけだ。……あれを見てくれ」
そうコメットさんが流し目を送ったため俺もそれに追従すると、確かに父親らしき男の傍で奥さんと子供が必死に身体を揺すっているのが見えた。
「お父さんっ! どうしたの!? なんでこっち向いてくれないの!?」
「どうしたのよ……ねぇ、どうしてこっち向いてくれないの……」
「~~~~っ」
そんな家族の返答として父親が返すのは虚ろな瞳だけだ。
その姿を見て、俺はどうしようもない程に胸を痛めて思わず眉を潜めてしまう。
……あの人たちにも暖かい家庭が、昨日まであったはずなんだ。
明日も同じ退屈な一日かもしれないけど、それでも安定した平穏な一日になるって……そう思っていたはずなんだ。
それなのに、あって当然なはずの平和は一瞬で崩れ落ちていく。
「他のも概ね同じ有様だ。聞き取りによるとこの現象を受けた彼らは皆、故人の名前を呟くことがあるそうだが……なんにせよ明らかに不可解な現象が起きている。騎士団としても早急に問題を見つけ解決に動きたいが、私達は騎士であり探偵ではない。正直、原因については皆目見当も付かないよ」
つまりこの現象は早朝の時点で既に起こっていたということか。
けれどセリシアによれば聖別の儀式の準備を行うために住民たちは信者としての仕事をしていたと言う。
こんな状況下にも関わらず住民たちは信者としての責務を果たすために朝から働いていたというのか。
きっと不安だったはずだ。
動かず反応もしてくれない家族を見てどうしていいかわからなかったはずだ。
それでも、聖女のために。
それを理解すると俺の中に焦りのようなものが現れてしまい、思わず声を張り上げた。
「早く、何とかしないとっ!」
「まずは原因を探らなければならない……また以前のように何者かの介入で起こっている可能性もある。聖女様に見て頂ければ、或いは……」
「――っ!」
「待てメビウス君っ!!」
「――!?」
聖女であるセリシアをここに呼べば、もしかしたらこの現象をどうにかすることが出来るかもしれない。
そんな簡単な方法がコメットさんの口から発せられたから、俺はすぐに踵を返して教会に戻ろうとすると、それを瞬時に察したコメットさんによって手を掴まれてしまった。
困惑する俺をしっかりと見つめ、コメットさんは退く気のない覚悟を持った瞳で俺を射抜き口を開く。
「聖女様を呼んでは駄目だ!」
「な、なんでだよ……! 今セリシアを呼べばみんなこんな思いをしなくて済むんだろ!? だったら――!」
「聖女様は今日これから、聖別の儀式を行う。私達信者が大切な儀式の邪魔をするわけにはいかない」
「この状況よりも、そんな儀式の方が大事だって言うのか!?」
「その通りだ。それに聖神ラトナ様がきっと私達をお救いになってくれる。ラトナ様と、そして聖女様の加護が私達には付いているんだ。私達は、私達の出来ることをして耐えれば良い」
「……何を、言って」
そんなわけない。
そんなのが、正しいことのはずがない!
だけど強い視線を感じて周りをゆっくりと見渡せば、この場にいる全員が俺の行動を咎めている目を向けていて。
「……っ」
みんなにとっては、家族は心配だけどそれよりも聖女に迷惑が掛かることの方が問題があると思っているようだった。
それは一重に、いつか神様が手を差し伸べてくれるという無意味な希望を抱いているからこそ敬虔であろうとしてるのだ。
昔の……何もわかってなかったあの頃の俺と同じように。
「……また、それかよっ」
誰にも聞こえないよう、最大限声を落としつつもそう嘆いた。
神に頼っちゃ駄目なんだよ。
神サマは俺達を救ってなんてくれない。
この状況下でそんな悠長なことをしていたら、そう遠くない内に必ず後悔することになる。
その時、この場にいる信者たちは神についてどう思うんだろうか。
……きっと俺とは違って、神を恨んだりはしないのだろう。
それは彼らの盲目的な瞳が答えだった。
「どうして……!」
俺には理解出来ない。
変わりたいと思い始めて、みんなのことを少しは見直せるようになったのに……結局この【イクルス】にいる住民は皆『敬虔なる信者』だった。
最初からわかっていたのに俺はその事実からそっと目を逸らしていたんだ。
でもだからといって、この場にいるみんなの平穏からは目を逸らすことは出来ない。
――それなら。
なら、俺が出来ることは。
「――なら、俺が解決策を探します」
これしかなかった。
……そうだよ。
この世界に来てから、俺がみんなに期待されていることはそれだけだったはずだ。
「セリシアの手を借りずに、みんなを助ける方法を探す。それなら誰も文句は言わないんでしょ」
「それは、そうだが……ここは我ら聖神騎士団に任せるべきだ。事は一個人だけに起きた異常事態ではないんだぞ」
「騎士は探偵じゃない……そう言ったのはコメットさんでしょ。それなら自由に動ける俺が探しても大きな差はないんじゃないですか」
「……」
騎士の捜査能力と俺の捜査能力の違いは数だけだ。
数が多い方が原因を見つけ出す可能性が僅かに高くはなるだろうが、聖神騎士団には今いる住民を守るという仕事がある。
その空き時間に捜査するとなれば結局はトントン……むしろ俺一人の方が効率が良い場合だってあるだろう。
そして俺には、三番街を救ったという実績もあった。
だからコメットさんも一住民である俺を、ただ守る対象だけと思うことは出来なくて。
「……わかった。この件は君に託す。こちらで何か情報が入ればすぐに君に共有しよう。君も何かを見つけたら……その時は深追いせず私達に教えてくれ。君が傷付けば悲しむ人がいる。それは一人や二人ではない……分かるね?」
「……わかってますよ」
自惚れでなければ、きっと悲しんでくれる人がいてくれる。
コメットさんの含みのある言葉の意味が分かるから俺も渋々頷いて、街を見て回るために中央広場を離れた。
――――
……誰も見えなくなった後、俺はぎゅっと拳を握り締める。
コメットさんには悪いけど、俺が何かを見つけたとしてもきっと教えることはないだろう。
「……俺にしか出来ないことがある」
それを改めて気付くことが出来た。
俺はこの赤く染まった手で悪党を裁く。
何もしてくれない神サマではなく、俺だけがみんなの平和を守ることが出来るんだ。
「平和を壊す者には【断罪】を。……今はもうそれだけじゃない。聖女を敵に回す者には、情状酌量の余地なく裁きを与えなければならないよな」
ずっとやって来たことだ。
非教徒もクーフルも、アルヴァロさんだって断罪してきた。
その度に俺は俺の居場所があることを感じられたんだ。
セリシアもそんな俺に『言わなくてもいい』って、そう言って赦してくれた。
顔を上げて青くて清々しい空を見上げる。
この太陽を曇らせたくないから、俺はみんなのために自分の出来ることをするだけだ。
「……そうだよ」
歩きながら、無意識に俺は口角を吊り上げていた。
今の俺は、帝国のことも三番街のことも教会のことも聖女のことだって何も知らない。
だから俺はこれまでセリシアの役に立てなかった。
「聞かせてほしいのは楽しくて笑い話になるようなこと。そうだよな、セリシア」
それでも今は役に立つから。
それが何よりも嬉しくて、俺はこの手に染まった真っ赤な血を想像しながら堂々と前に進み続けた。
平和や平穏が脅かされれば光は曇る。
『変わりたい』と思っていたことなど、堕落してる俺はいつの間にか忘れてしまっていた。