第8話(11) 『儀式の部外者』
セリシアに贈り物をあげようとした。
あの後教会に戻り、案の定心配されながら夕食を食べて風呂に入りつつ渡すタイミングをずっと探りながら。
……でも無理だった。
いや無理だろ。
贈り物なんて緊張せずに渡せるはずがない。
どうしてだろう。
いつでも渡せるタイミングはあった。
それこそ子供たちに揶揄われることも加味した上で二人っきりになれるタイミングなどたくさんあったような気がする。
それでもセリシアへの贈り物はずっと俺のポケットの中にあって。
覚悟が決まらず逃げ続けたまま……結局一日が経ってしまった。
――
朝。
朝食中食卓をみんなと囲みながら、俺はずっと心ここにあらずと言った様子で食事中発せられた言葉は全て耳から耳へと通り過ぎていた。
食事が終わり子供たちが何故か一斉にリビングから出て行った姿を見送りながら、今度こそと覚悟を決め背中に贈り物を隠しながら近付くというリッタみたいな俺を客観視して羞恥心を覚えながらも、着実に皿を洗うセリシアに近付いていく。
そんな不審な動きをするのも全て、セリシアにこのペンダントを渡す為だ。
「……あ、あのさセリシ――」
「あ、メビウス君っ。どうかしましたか?」
「……あー」
……と、思ってたけどうん、今日は止めておくか。
……忙しそうだし。
というよりこんな日常の一幕で渡すというのも味気ない気がする。
日常が一番幸せなことだとしても相手がそう思ってるかどうかはわからないし、セリシアだってこんな皿洗い中に渡されても扱いに困るだろ、うん。
「いや、なんでもない。あ、良かったら皿洗い手伝おうか? ずっと皿洗いしてると手ぇ痛くなるだろ」
いつもやらせてるくせにどの口で言ってるんだがわからんが、それでも話を変えることは上手く行ったようだ。
決して日和ったわけじゃないが、それとなく背中に隠していた贈り物をポケットへ再度隠しこのまま世間話でもしながら家事を手伝おうと意気込んでいると、何故かセリシアはそんな俺の行動に困ってるみたいだった。
「……えっと」
「……あ、悪い。あんま食器に触らない方がいいかな」
「えっ!? い、いえ! そんなことは……! ただ、えっと……朝食中にお伝えしたと思うのですが……」
「……え、あっ」
あれ……な、なんか言ってたっけ。
確かになんかみんなで話をしていたような気がするけど、ただの世間話かと思って聞き流してしまっていた。
セリシアのこの反応を見る限り、もしかしたら大事な話だったのかもしれない。
「……ごめん、聞いてなかった」
「あ、そうだったんですね。駄目ですよメビウス君。きちんとお話は聞かなければなりませんっ」
「うっ」
セリシアは俺が聞いていなかったことに対し全然気にすることなくいつもの柔らかな笑みを浮かべながら俺を叱るが、対して俺は罪悪感で思わず喉を鳴らしてしまう。
……そうだな。
こうやって渡すことに悩んで大事なことを聞き流すのは良くない。
これはまた今度、ちゃんと渡そう。
そう思うことにし、俺は気持ちを切り替えてセリシアの説明を聞くことにした。
「メビウス君もこの教会で暮らしてきて生活には慣れてきたかと思います。でもきっとまだ教会のお仕事については知らないことも多いはずなので、事前にお伝えしておこうと思いまして。私達『聖女』は年に二度、【帝国】へ【聖現物】を指定量納品する責務があるんです」
「【聖現物】?」
「【聖現物】とは、聖女が自然物に対して聖なる儀式の祈りを捧げ聖別することでその物に神聖なる力を与えた物のことを言います。今回三番街の納品義務があるのは『聖水』なんですよ」
「……なるほど?」
「なのでこれから教会は納品量を確保するまで、その聖別の儀式を執り行う予定です」
『聖別』ということは、要するに火とか水とか木材とかに聖なる力を与える為の儀式を行うということだろう。
それを教会、ひいてはセリシアを主導に行うと。
……ん? これから?
「……えっ、今日からか?」
「はいっ。子供たちも今礼拝堂の方で準備をしてくれていますよ」
「えっ!?」
じゃあ俺もこんな所にいちゃいけないじゃないか。
だからセリシアも俺がここにいることに困った顔をしていたのか。
「あ、わ、悪い。俺も出来ることがあるなら手伝うぞ。確かにこんなことをしてる場合じゃなかったよな……」
「あ、い、いえ! ……その、メビウス君は自由にして頂いて構いませんよ……?」
もしかしたら既に俺の担当も伝えられているのかもしれないが、とにかく遅れを取るわけにはいかないと一歩後ろへと下がった。
だがそんな俺の心情とは対照的にセリシアの表情が困惑から変わることは無くて。
俺のやる気をどうにか落とそうと、何とか拙い言葉を繋ぎ合わせようとしているみたいだった。
その姿と、そして声質から、セリシアに俺は現状必要とされていないことを理解してしまった。
それとも俺がこんな時でも遊び惚ける奴だと思われてるのだろうか。
「な、なんでだよ。さすがに俺だってここで手伝いもしないで見なかったことにしようなんて――」
セリシアにそう思われるのは嫌だ。
だから動揺しつつも弁解の言葉を口にしようとするが、その口から吐き出しそうになった言葉に俺自身が信憑性を持たせることが出来なくて口を結んでしまう。
……どの口で言おうとしてるんだ。
今までそういう風にして生きてきたのは俺自身だろ。
なのに今更そういう奴じゃない、だなんて……そんなこと言えない。
俺の今まで行ってきたことのツケがこうしてセリシアへの信頼の差へ繋がってるかと思うと、後悔の念が心に押し寄せてきた。
「……悪い」
だから何も言えずにその場で固まってしまう。
自分の行いには自信を持っていたはずなのに、セリシアに期待されていないと思うと胸が痛くなって顔を俯かせてしまった。
「ま、待って下さい」
勝手に後悔して、勝手に罪悪感を感じて。
そうして勝手にセリシアの目の前で落ち込んでしまって、そんな自分も嫌になる。
それでもセリシアは俺の気持ちの変化の原因に気付き、すぐに食器洗いで濡れた手をタオルで拭くと、そのまま両手で俺の手を包み込んだ。
手を少しだけ上げて、同時に俺の顔も上がる。
……手は水に濡れて冷たくて、こんな華奢な女の子に無理を強いているのを知っていながら今までずっと放置してきた。
その事実にも気付いてしまい思わず目を逸らしてしまうと、そんな俺の様子を見たセリシアは小さく破顔して見せた。
「勘違いをさせてしまいすみません。決してメビウス君が思うような感情を抱いているわけではないんです。それだけは信じて下さいませんか……?」
セリシアの両手から俺へと優しい気遣いが伝わってくる。
またセリシアに心配を掛けてしまった。
自業自得なのにどこまで自分勝手な気持ちをセリシアに押し付けるつもりだ。
「――――ッ!!」
ゆっくりとセリシアの手を放して、今度は逆に勢いよく俺の両頬を叩く。
ビクッとセリシアの肩が震え、違うベクトルで困惑した瞳を俺へと向けるセリシアから目を逸らさず、今度こそきちんと目を合わせた。
「気を遣わせちゃってごめん。話を続けてくれ。今度こそ、ちゃんと気持ちを切り替えたから」
「……ふふっ。あまり自分を傷付けては駄目ですよ?」
俺は女々しい男にはなりたくない。
カッコいい所を見せなければならないのに、こんなことで情けない姿を見せるような男だとはセリシアに思われたくなかった。
自分を取り戻せた俺に安心した様子を見せるセリシア。
セリシアも今度は俺への説明に躊躇しないよう意識しようとしてるみたいだった。
「……聖別の儀式は【帝国】に認められ教会に所属することを認可された聖職者のみで執り行わなければならない決まりになっています。三番街の教会では『聖女』である私と【帝国】によって選ばれた子供たちが【帝国】の言う聖職者です」
「だから俺が参加するわけにはいかないってことか」
「……はい。メビウス君は『聖女の聖痕』を所持していますが、それを知る者は極一部の方しかいません。【帝国】にその旨を記載した申請書を提出すればメビウス君も聖職者として認められるかと思われますが……きっとそれまでにメビウス君にとって嫌なことを、たくさん行わなければなりません。ですから申請は行わないようにしていました」
つまり俺は最初から手伝う権利など与えられてはいなかったということか。
改めて考えてみれば当然だろう。
本来教会にいてはならない人物は『部外者』だ。
聖神ラトナに認められていない愚者が神聖なる儀式に参加出来る筈がない。
セリシアが俺のことをそう思っていないというのは分かる。
きっとこの説明をしなければならないということも、セリシアが躊躇してしまった原因なのだろう。
俺は……聖職者じゃない。
宗教社会の中で神を信仰せず、あまつさえ恨み、憎悪すら抱く非教徒の俺は本来ならこの場所にいることすら相応しくないのだ。
そして仮に聖職者になる、だなんて簡単に言おうとしても……そこに必ず神サマとやらが介入してくるのは明らかだ。
「また気を遣わせちゃったみたいだな。でも『聖痕』を持つなら遅かれ早かれ【帝国】に伝えなきゃいけないんじゃないのか?」
「そう、ですね……でも私はメビウス君の意思を尊重して物事を決めたいと思っています。ですからメビウス君が『聖痕を持つ者』として生きることを拒否するのであれば、私はそれを受け入れてあげたいって思うんです」
……でもセリシアは、嫌なんじゃないのか。
本当は『聖痕』を所持する俺にしてほしいことがあるんじゃないのか。
受け入れるのはあくまで君の願いではないだろ。
俺のことばかり尊重して……君にばかり負担をいつも強いてしまってる。
「……っ」
だけど同時にここでセリシアの言葉に頷こうとする感情を、俺の中にある理性が押さえ付けていた。
今ここで【帝国】に俺のことを伝えるということは、それはつまり神に膝を付けることを俺自身が受け入れるということでもあった。
『セリシア』になら出来る。
でも神には。
神にだけは頭を下げることも膝を床に付けることも絶対にすることは出来ない。
「……礼拝堂で儀式を行うってことは、あんまり邪魔しない方がいいよな?」
だから俺は現状から逃げて話を戻す選択をした。
セリシアも答えが出るとは最初から思っていないようで、すんなりと俺の話について来てくれる。
「はい。子供たちにも協力してもらい、しばらくの間礼拝堂は聖職者以外の立ち入りを禁止する予定です。信者の皆さんにも事前にその旨は伝えていますので、しばらく教会に人が訪れることはありません」
「そっか」
そうなると俺も教会に入るためには正面玄関からではなく裏庭を経由しなきゃ駄目か。
その儀式がいつ終わるのかはわからないが、少なくとも儀式が終わるまではリビングか自室に閉じ籠る必要があるだろう。
……いや、そもそも教会にいる必要もないのか。
「じゃあ邪魔しちゃ悪いし、俺はしばらく三番街の方に行ってるな」
「え……?」
せっかく朝から時間があるんだから、三番街に限らず一番街や二番街に行ってみるのも良いかも知れない。
そんな安易な考えを持つ俺とは対照的に、セリシアは瞳を小さく揺れ動かせながら俺を見た。
「う、裏庭やリビングは使って頂いて構いませんよ……?」
「つっても一人で過ごしててもな……あ、もしかして俺が昼寝ばっかりする奴だと思ってるだろ?」
「えっ!? そ、そんなつもりで言ったわけでは……!」
「ははっ、わかってるって。最近は三番街の人達となるべく交流するようにしててさ。良い機会かなって」
「……!! それは素晴らしいですっ……! そういうことでしたらわかりました」
きっとセリシアは教会のメンバーの中で俺だけを結果的に外に追い出すことに強い【罪悪感】を覚えていたのだろう。
でも君がそんなことで思い悩む必要なんてないんだ。
俺が君にとっての妨げになっているのなら、俺は君の負担はなりたくない。
今こうして話していることさえも、セリシアの大切な時間を奪ってしまっている。
「ほら、準備しなきゃなんだろ?」
だからこうして都合の良い言葉を吐き出してセリシアを納得させリビングを出るように促した。
既に皿洗いも終わり、朝の家事は終わったためセリシアもすんなりと俺のレディーファーストを受け入れてくれた。
「ありがとうございます、メビウス君」
「お礼なんて良いって……」
いつもそうやってセリシアを優先するとお礼を言われるが、その度に俺の心はキュッと締め付けられる想いになる。
こんなのはただの好感度稼ぎだ。
なのにそれを純粋に信じて感謝してくれるセリシアを見てると、どうしようもなく俺自身の愚かさに向き合わされてしまう。
それでもいつか。
いつか、素の自分を曝け出す勇気を持てたらその時は。
そうやって僅かな希望と期待を自分に課すことで平然を保ち、俺はゆっくりとセリシアの隣を歩いていた。