第8話(10) 『気付けないこと』
一度三番街の中央広場へと戻り、各店で必要な物を取り揃えて森の中へと俺は戻った。
ある程度の額をそれで使ってしまったが、事情を店主に説明した所工具に関しては貸してくれるらしく、木材の軽い加工も無償で行ってくれた。
店主の粋な計らいに感謝しつつ森へと戻り、早速作業に取り掛かる。
車輪を取り付ける際いとも簡単に屋台を持ち上げた青年の怪力ぶりには驚いたものの、それ以外は特に問題等なく作業を終了することが出来た。
「……よしっ! これで正常に動くはずです」
軽く屋台を前後させてバランスに問題が無いか、歪みが無いかの最終チェックをした後、青年にも同様に動かしてもらう。
予定通りなんとかガタつきも無く車輪は動いてくれているようで、青年は安心したように何度も屋台を動かしていた。
「……お、おお~! ちゃんと直ってる! 器用だなぁお前!」
「父さんの影響でこういうのに慣れてるだけですよ」
10歳ぐらいまでだっただろうか。
俺は父さんっ子だったから、まるで雛鳥のように父さんの後ろをついて行って、休日とかは良くこういったことを教えてもらいながら一緒に遊んでたんだ。
それが今こうして役に立っていると思うと父さんが褒められてるようで何だか誇らしくもあった。
「ありがとな。おかげで助かった。使った金はちゃんと返すよ」
「ありがとうございます。でも次この街に来る時はこんな近道に入らないで正規のルートで来て下さいよ。今回は偶々通りかかったから良かったですけど、本当だったらほとんど人は通らないんですから」
「いやぁ、耳が痛いな……」
実際、本当に俺が今ここにいるのは偶々だ。
もしもあの時俺が近道をするのではなく正規ルートで進む『選択』を取っていたら、運命は大きく変わっていただろう。
もうじき夜になるし、そうなればこの青年の野宿は確定することになっていた。
……というか。
「そもそも一番街から来たって言ってましたけど、何しに来たんですか?」
なし崩し的に協力してしまったが、そういえばこの青年の目的を俺は知らないことに気付いた。
あくまで商人は俺の予想だ。
屋台やその場に置かれている物を見てそう判断しただけのこと。
商売をしに来たにしては時間があまりにも遅い気がするし、俺はこの青年が三番街をうろついていたのを見たことがない。
だからそんな疑問を投げかけてはみるが、当の青年から発せられた言葉には特に意外性も無く。
「商売をしに来たんだよ。ここで止まっちゃったから客引きすら今日してないけど……」
「……ふ~ん」
青年はため息を吐きながらただここで足止めを喰ってしまっただけだと言った。
……まあ、あり得なくもない話か。
この人がどれぐらいの時間ここにいたのかもわからないし、とりあえずここは素直に呑み込んでおくことにする。
商人であれば、その売り物とは一体なんなのか。
そう思い、改めて俺は屋台に置かれた商品に視線を向けた。
「……なんですかこれ?」
視線を向けて見たものの、並べられた商品に向け思わず首を傾げてしまう。
古臭そうというイメージしかパッと見無かったが、こうしてしっかり見てみると商品の分類がバラバラなことに気付いた。
陶器だったり、石像だったり、はたまた宝石だったり……どれも年季が入った物だということは分かるが、いまいち統一性が無いように思える。
そしてそれにしてはやけに値札に書かれた値段が高いことも気になるな。
「ああ、オレが売ってるのは遺跡や神殿の戦利品だよ」
「遺跡や神殿……?」
「そうそう。オレ、遺跡荒らし生業にしてるんだ」
「えっ」
まるで青年は当たり前のように笑みを浮かべてそう言うが、言われた側の俺は気が気でなかった。
そんなの、犯罪なんじゃないのか……?
だがそこまで考えてふと以前テーラに仕事について話した時のことを思い出す。
仮にそれが犯罪だった場合あの時テーラが俺にそれを伝えはしないだろうし、少なくともそういった行いも職業として成立しているということになる……のだろうか?
それでもグレーゾーンな気がしなくもないが、特に問題無いのであれば俺としても追及するつもりもないので出掛かった言葉を呑み込むことにした。
これらが遺跡や神殿で手に入れた物であるなら、購入する奴がこの【イクルス】にいるのかはともかく確かにこの値段なのも頷ける。
「……ふ~ん」
若干古い見た目だが、その価値は確かな物であるはずだ。
であればもしかしたらセリシアへの贈り物が見つかるかも……そんな淡い期待を籠めて出来る限り綺麗で目を惹くような物が無いかを探してみる。
そんな俺の様子を見ていたらしい青年が唐突に屋台の裏へと回り込むと、引き出しを開けて何かを取り出した。
「そうだ。せっかく助けてもらったんだ。お近付きと感謝の印として、これやるよ」
「――これ……!」
そう言って青年が俺に手渡してきたのは、十字架のペンダントだった。
それを見た瞬間、俺は今までずっと探し求めていた物を見つけた感覚に見舞われ思わず受け取ったペンダントを直視する。
特徴的なのは十字架の厚さだ。
横から見てみると通常の物よりも倍近くの厚さがあり、中心には溝のラインが描かれている。
何故か紐が二本結ばれているが、デザインも価値も、そして清潔さも申し分ない。
だが同時に屋台に置かれている商品と比べる必要もないくらいに綺麗で汚れの一つも無くて、俺は喜びの次に困惑が現れていた。
「明らかに他のとは違うのに、こんなん渡しちゃっていいんですか?」
「『物』ってのは、誰かが持ってないと価値が付かないんだ。落ちてる金に価値が無いのと一緒でな。そして今これに価値を付けるのはオレ。お前の善意がこれと同等の価値だって、オレはそう決めたんだよ。だから気にすんな」
「いや、こんなの人として当然のことをしたまでで……」
「善意を他人に向けるってのは想像以上に難しい。……それはお前もわかるんじゃないか?」
「……」
それは確かに……そうだ。
俺も天界にいた頃は……善意なんてものは結局少なからず得を求めているから行えるのだと、ただの偽善でしかないと思っていた。
だけど、そうじゃないって俺に思わせてくれる人がいたんだ。
俺のこの行動が善意なのか偽善なのかはわからない。
だがそれこそここでペンダントを貰ってしまったら、そうは思って無かったとしてもただの偽善になってしまうって、自分自身で思ってしまうだろう。
「でもお金は払わせて下さい。俺、これを渡したい相手がいるんです。その人にこれを渡す時、俺自身に引け目を感じたくはないから」
だから青年の言葉には頷けない。
確固たる意志でそう告げると、俺の瞳に揺らぎがないことに気付いたのだろう。
呆れたように青年は息を吐くと、苦笑して「わかった」と納得してくれた。
「でも値引きはさせてもらうよ。それはオレがそうしたいと思ったからだ。あと、これを渡すのに条件があるけどそれでもいいか?」
「条件……?」
納得してはくれたものの、いきなり『条件』というものが現れて俺は思わず困惑し眉を潜めてしまう。
意味がわからないがとりあえず騒いでも仕方ないため聞くだけ聞こうと話を促すと、青年は真剣な表情を俺へ向け。
「このペンダントは、本当に信用出来る奴にしか見せないこと。これだけだ」
「本当に、信用出来る……」
それはこのペンダントが仮にも盗難物だからだろうか。
なんにせよそれだけであればこちらとしても然したる条件じゃないため素直に受け入れることが出来る。
とはいえこれを渡す相手であるセリシアが誰彼構わず信用してしまう女の子なのが少々問題だが、もしもそんな時が来たらいつものように俺がフォローすればいいだけだ。
「それぐらいなら分かりました。これを渡す子にもちゃんと言っておきます」
「……ああ。頼んだ」
青年の条件に同意した後、安心したように頷いた青年が俺の前に手を差し出す。
「オレの名前はエルケンド。今回はちゃんとした礼にならなかったから、何かあったらいつでも言ってくれ。その時は絶対に役に立つからさ」
「……俺はメビウスです。メビウス・デルラルト。……まあ、その時が来たらお願いします」
お互いに名前を言い合い、エルケンドの手を俺は握った。
握手しただけで少しだけお互いのことがわかった気がするから、口角を緩めつつ手を放して踵を返す。
「じゃあ俺行きますね。これちゃんと包装したいので店が閉まる前に行かないと」
「ああ、改めて直してくれてありがとな!」
この十字架のペンダント、物は良いが剥き出しのままだ。
もう暗くなる。
そのままセリシアに渡すわけにはいかないし、一刻も早く店が閉まる前に包装材を買ってラッピングしなければならない。
「それと最後に一つ忠告だ!」
だから軽く会釈だけしてそのまま森を出ようと数歩踏み出すと、後ろからエルケンドによる反響した声が聞こえ後ろを振り向いた。
結構安易に振り向いたがそんな俺の気持ちとは対照的に、どうしてかエルケンドは先程までと打って変わって真剣な顔持ちで俺と目を合わせていて。
そんな様子に少しだけ驚いて肩を跳ねさせると、エルケンドはそのまま俺と目を合わせて口を開いた。
「――絶対に『悪魔』の誘惑には乗るな。奴らはいとも簡単に大切なものを傷付けていく。たとえお前にとっての大切な人が傷付けられる結果になっても、全てを見捨ててでも『悪魔』のエゴに付き合うな。……絶対にだ」
「……? は、はあ」
悪魔って……どうして今そんなことを言うんだろう。
俺も天使だから悪魔についてはある程度知っている。
人間であるエルケンドが悪魔について語るとは思わなかったが、その言葉にはどうしてか強い感情が籠められているような気がした。
けれど……多分エルケンドの言葉を素直に受け入れることは出来ないだろう。
大切な人を見捨てることなんて出来ない。
だって俺はその人を守り、救うために立っているんだから。
それが俺の表情からか、それか瞳から何となく察したのか。
エルケンドはすぐに表情を戻すと、小さく息を吐いて肩を竦めた。
「……いや、何でもない。じゃあなメビウス」
「そうですか……? じゃあ、またいつか」
エルケンドが手を軽く上げてきたから俺も一緒に上げて見せて、今度こそ振り向き直して森を出る。
「……これで良いんだよな、クレス」
最後にエルケンドが空を見上げぼそりとそう呟いた言葉を、聞き取ることが出来ないまま。
――
包装してラッピングされた箱に入ったペンダントをしっかりと抱えながら、俺の気分は最高潮に高まっていた。
「いやぁやっぱ店主に話してみるもんだな。セリシアにあげること言ったらもう包装が贈り物みたいになっちゃったし。てかなんだこれ。ペンダントが霞んだりしないよな?」
なんかもうめちゃくちゃオシャレで高価な物で包まれたような気がする。
絶対無料で包装する素材じゃないだろと思いつつも、これに関しては狙ってたので有難く包んでもらえて良かった。
あとは教会に帰るだけだ。
もう月が出始めているし、思ってた以上に総合的な時間を喰ってしまった。
夕食もあるし心配されていたら困るから急ぎ足で舗装された道を歩く。
早くみんなに会いたい。
そんな想いを抱えながら。
……だがそんな時、俺はまたしても気になるものが視界に入って足を止めてしまった。
「……何やってるんだろ?」
――視界の隅に見えたのは、三番街の住民の一人の男だった。
何故かその人はその場に立ち止まり、微動だにせずずっと空を見上げている。
……本当に、微動だにしないのだ。
風で揺れることも、手が動くこともなくただただその場に立ち続けている。
「……あの」
それがあまりにも不自然だったから、俺はそそくさと男に近付いて様子を伺いつつ声を掛けた。
「……」
「あの、何してるんですか……?」
だが男は何も言わない。
確かこの人とも前に何度か喋ったことがあるし、意図的に無視をするような人ではないことは俺もよく理解していた。
なのに何も喋らない。
それどころか顔すら向けることはなくて、俺は眉を潜めつつ顔を見上げた。
「は……!?」
…………その人は、幸せそうに笑っていた。
不自然なくらいに余韻に浸り、その瞳には俺のことなど見えていないみたいだ。
「……っ」
何かがおかしい気がする。
だけどこの顔は本心から幸せを感じている人の姿だ。
……もしかしたら、この人にしか感じられない物があるのかもしれない。
人の幸せの価値観は様々だから、きっとこの人も俺が知らないだけで周りが見えないくらい何かを感じ取っているのだと俺は判断することにした。
「……邪魔しちゃったみたいだな」
それに、俺の余計な好奇心でこの人の幸せを崩したくはない。
だから自身の首を突っ込もうとする行いに少しだけ反省しつつ、俺は大人しく引き下がることにした。
「さて、帰るか。お腹空いたし」
この人の幸せと同じように、俺もまたこのあと幸せな一時を過ごすことになる。
彼の顔に影響されてはにかみながらも、俺は教会に戻るため地を踏んだ。
……変わろうと思えるのは、現状に余裕を持ち続けることが出来ているからだ。
平和が続けば、それは慣れとなり人の心を盲目にする。
だから男の瞳に宿るものが酷く虚ろなものだったことに、俺は気付くことが出来なかった。