7
「あ、えーっと、賢者、で合ってるんですかね?」
そのまま話を始めようとした老人の話を遮る。その王様っぽいおっさんは誰なんだ。説明をくれ。
「いかにも。私の養い子にはお会いされたようですな。」
俺の装備を見て賢者が髭をしごく。本物はこう動くのか、とぼんやり思う。
「そしてこちらが、この国の王であせられる。異邦の方々には音はわからぬだろうから、名の紹介は省かせていただくが許されよ。」
目礼した賢者に部屋の奥にたたずむ王が鷹揚に頷き、そのままずるずると崩れ落ちるように椅子に腰かけた。よほど疲弊しているのか、あまり王というイメージに似つかわしくない。
「あ、ああ。」
王は日本語を話さないようだ。というより、これが普通なのだろう。賢者たちは賢者と言うのだ、今までの来訪者たちから言語を学び、伝えていてもおかしくはない。だが。チュートリアルは何だったのか。
「水が、高い場所から低い場所へと流れるように。」
賢者が語りだし、あわてて思考を引き戻す。
「魔力もまた、魔力密度の高い場所から、低い場所へと流れる。この王都の底が魔力の湧き出る泉であるように、あらゆるものから魔力は大気へ溶けて循環する。」
なんだか小学校の授業を思い出す。水の循環。やがて海へと至るアレだ。
「その魔力に志向性を持たせて、固定するのが魔術だ。」
急に理解できなくなった。
「その、貴方が今身にまとっているローブにも魔術によって魔法が固定されている。私の養い子はきちんと管理していたようだ。まだほとんど完全な形で魔法が残っている。」
目を細めてローブを眺める賢者。父兄参観に来た父親の顔をしていることしかわからない。日本語を話してくれ。
「……。」
「固定した魔法は時間の流れによって、次第に消えていく。しかし、例外もある。」
そこで賢者は俺の顔をじっと見た。緑の眼差しは俺を捉えている。何を思っているのか、分からない。だがおよそ、初対面の人間に投げる類の視線ではない。この世界の人間は、単純なことを言っているふりをするくせに、俺に何を求めているのか分からない。
「そのローブはかつて君のような異邦人がやってきたときに作られ始めたのです。代々、賢者が魔法を込める。おいそれとは消えないほど強く。それが、半日もたたないうちに消え始めている。」
賢者だけが饒舌に語り、王は微動だにしない。
「俺が、例外だと?」
ローブの内側から両手だして、掌を賢者に向ける。王が何かを忌避するような顔をして、何かを言った。
「然り。貴方だけではないが。貴方たち……異邦よりの旅人は、魔力を持ちませんのでな。それは魔力の密度が0という事。際限なく魔力を吸い上げ、消してしまう。」
水の話で行くと、分子が失われることになる。それはあり得ていいのだろうか?
「消える?どこに行くのか分からないのか?循環するものが消えるのはおかしくないか?」
「貴方たちはここへ来る際に多かれ少なかれ幾らかを元の場所に置いてきております。完全にこちらへ来ると、元の場所との繋がりを失うことになる。」
今も俺はあのクソ暑い部屋に寝っ転がっているのだろうか。
「つまり、死ぬと。」
しかしそうでなくとも熱中症で死にそうな気はした。
「であるならば、おそらく魔力の全くないあなた方の世界へ向けて流れているのでしょうな。だが、全体で見ればごくわずかな量に過ぎず、さほど問題ではなかった。」
ならきっと、魔力の代わりにこの世界にはない俺たちの世界から何かしらが流れついているんだろう。例えば、この俺みたいな。
「じゃあ、俺もその魔力?とやらを吸ってるのか?」
広げた両手を眺めてもさっぱり魔力を吸い込んでいる感じはしないが。
「貴方は最初から元の場所との繋がりが薄いのですよ。故に吸い上げるのはごくわずかな量で、更にそのローブの魔法でほとんどは相殺されている。」
ここで、世界との繋がりが出てくるのか。チュートリアルになんとなくはぐらかされた言葉だ。
「ただ、貴方と直接触れるとやはり、魔法はほころび、崩れてしまう。先ほど、私の作っていた幻像に触れたでしょう?私一人で編んだ魔法ではそのローブの魔法とまで強度が及ばない。」
だから小さな賢者の幻像に触れた時も消えたのか。いや、そこではなく。今。私の作った幻像、といったのか。
「あのチュートリアルはお前なのか、賢者!?」
気色ばんだ俺を見て王が息を飲む。賢者は俺に向かって片手をあげて困った顔をして、一歩後辞さった。一つ、息をついて気を静める。まだ少女がじじいと決まったわけではない。というか問題はそこではない。
「いいや、魔法を生成したのは私ですが。チュートリアル、といったのですか。知らぬ言葉だ。王都の地下の少女と取引をして、私の魔術を貸しておりまして。自分で扱うのではなく、異邦の者に魔術を貸すというのは実に堪える。先ほどまで昏睡していた私が目覚めて、他ならぬ貴方がここにいるのが、私の幻像が貴方によって砕かれた証左です。」
王都の地下。それは。小さな賢者の言っていた。災厄のある、場所。
「異邦の者?」
どうしてその符号が合致するのか。俺は、何のために呼ばれた?
「あの少女は貴方と同郷なのでしょう?その話はせなんだか。」
嫌な予感があっさりと、肯定される。だからあいつは日本語を話して、馬鹿みたいに馴染みのある話をして、ゲームみたいに、この世界を案内して。同郷だから、握手の意味も知っていた。
「チュートリアルは災害を倒せと言っていた。」
あいつは俺に何をさせたかったんだ?
「それは……。」
賢者は何かを言いよどむ。苦しそうに、言葉を選びかねたように。
「私の養い子はなんと言っていましたか。」
「王都の災厄を斃してくれと。」
なら、答えは一つしかない。
「災厄は、あの少女なのです。」