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ぬかるみ、地面ごと滑る獣道を泥だらけになりながら下りきって城壁を見上げた。上から見下ろした時は大した高さにも見えなかったが、目の前に立ちふさがる白の壁は終わりがないようにすら見えた。高い城壁の向こう側には城の尖塔の先しか見えない。

「で……かいな。」

目の前には小さな跳ね橋のかかった堀がある。ぎりぎり人が渡れない程度の広さ。向こう側から跳ね橋を下されない限り城壁に取り付いて登るのも厳しそうだ。

「はい、それはもう。どうです?異世界感、出てきました?」

足元がだけが泥まみれの俺とぴかぴかのチュートリアル。違和感まみれの組み合わせである。

「それはもう。でもこれ裏口じゃないか?」

明らかに勇者を歓迎してくれるタイプの城門ではない。国が攻め落とされた時の最後の脱出口だ。チュートリアルも心なしか元気がない。空も曇り空で、時間的にだいぶん暗くなっている。世界を救う旅の輝かしい門出は飾れそうになかった。

「まぁ、そうとも言いますね。」

まるで興味がなさそうな返事だ。心ここにあらずといったところか。

「えっと……、ここから入るのか?」

とは言ったものの、正面へ回りますなどと言われても困る。上から見た時のあの城壁がこれほど大きいのだ。港へ至る城壁の端がどこにあるのかなんて見当もつかない。未だに疲れが出てないことだけがせめてもの救いだ。

「そうですね。じきに内側から開きますよ。それから王様面会直通コースです。勇者よ、我とわが王国のために力を貸してくれみたいな。じゃないですかね。最短、最速であなたを王国の最深部へ。」

なんとなくこの流れは覚えがある。

「一緒に来ないんだな……?」

一瞬チュートリアルが目を見開いて、すぐに笑顔に戻る。

「おや。一時の別れですからそんなに気にしないで、と言おうと思っていたのですけどね。」

先を越されてしまいました、と笑った。

「やっぱりか。」

チュートリアルはことごとく人に会いたくないらしい。何か事情でもあるのだろうが。しかしこの泥だらけの恰好では俺でも王様とやらに会いたくない。

「今回は少し長めのお別れですが。寂しいです?」

寂しいのはお前の方じゃないのか、と言葉が出かかったが飲み込んだ。なんだか地雷を踏みそうな気がした。

「ああ、心細いな。しばらくお前に会えないのは残念だ。」

チュートリアルはきゅっと眉根を寄せて、唇を引き結んだ。

「急にそういうことを言うのはどうかと思いますが。」

憮然とした顔で俺から目をそらす。それから、一つため息をついてこちらを見上げた時には、いつも通りのうさん臭い笑顔に戻っていた。青い制服の端を揺らして、小首をかしげてこちらを見上げる。あざとい。

「ですが、いったんはここでお別れです。ちゃんとあの小さい賢者に貰った装備は持っていますか?クエスト、受注できますか?」

ローブは身につけているからそもそも問題なし。修学旅行のお土産的な短剣は半パンのポケットに入っている。体の疲れもない。

「大丈夫だな。クエストの受注、お願いできますか?」

右手をチュートリアルの方へ差し出す。少しとは言ったものの、これだけ言い募るのはここが区切りなのだからだろう。何なのかはわからないが、きちんと挨拶くらいはしておいた方がいいと思った。

チュートリアルは差し出された右手をしばらく見た後、そろりと自分の右手を差し出した。

「では、よい旅を。」

ふと、気になったので聞いてみる。俺と別れた後は何をするんだろうか。

「お前、いつからここにいるんだ?」

ふっとチュートリアルが寂しそうに笑った。そのまま、チュートリアルの右手が俺の指先に触れる。

「2か月ほど。」

触れた感覚はなく、俺の指先へ触れた場所からチュートリアルが溶けるように消えていく。曇り空の隙間から、夕日が差した。赤い陽が落ちる中、チュートリアルは俺の目の前から何も残さず居ないくなった。



同刻。

城の奥と、地下の底。

天蓋に覆われた寝台と闇に沈んだ石の墓所でそれぞれが目を開けた。彼らの待ち望んだ時が来る。全ては、来訪者の手に。



「そういやこれも履修済みだったな……。」

チュートリアルの消えた赤い大地をぼんやり眺めながらつぶやいた。思い起こせば、チュートリアルに触れたのはさっきが初めてだった。なにかとはぐらかされるように逃げられていたように思う。こうなると知っていたのだろう。

「ん……?」

不意に城壁の奥が騒がしくなった。何か大声で騒いでいるのだが、何を言っているのか聞き取れない。何人もの騒ぐ声と、金属のぶつかる音がして、それから静かになった。

ぎぎ……と軋みながら跳ね橋が下りてくる。長らく使われていなかったようで、ずいぶんぎこちない動き。跳ね橋が落ちてくるのに従って、城壁の向こう側が目に入る。幾人もの兵が抜き身の剣を携え、並んでいる。こちらを伺っているようだが、鎧の内側の視線は見えない。ただ威圧感だけがある。まさしく中世の、重装鎧の、鈍色の兵士たちだった。

「どうすんだ、これ……。」

チュートリアルはこれが最短ルートだと言っていたが。余りにもものものしい感じがする。跳ね橋の向こう側に兵士が2列に並んでいる。ちょうど、真ん中が通れるように。真ん中は護衛対象か、警戒対象か。跳ね橋が完全に落ちて、濁った堀の上を通れるようになった。しかし、この兵士たちを前に堂々と橋を渡る勇気もない。

「あの、すみません!」

返答はない。聞こえているだろうに、何も答えない。あるいは、理解されていないのか。先ほど城壁の内側から聞こえた声達は、全く耳になじみのない音だった。チュートリアルが、賢者が、特別ではないなどと思い込んでいたが。

「異邦の人よ。」

声がかかる。日本語。跳ね橋の奥から、誰かが車いすで運ばれてくる。深い色のローブを身にまとい、豊かな髭を蓄えた。穏やかな、齢を重ねた男性の声。俺はこの人を知っていた。

「……賢者。」

車いすの老人は深くうなずいた。白いひげとローブのフードの隙間から、深い緑の瞳が見えた。緩やかに口を開く。

「こちらへ。立ち話でするような話ではない故に。」

老人は片手をあげて、従者に車いすを反転させる。

「あ、ああ。」

俺は慌てて跳ね橋を渡る。錆付いた金属がこすれる音がする。俺が跳ね橋に足をかけても、城壁の中へ踏み込んでも、縦列に居並ぶ兵士は微動だにしない。ただ、抜き身の剣を光らせて、俺を見ている。

「では、参ろうか。」

老人はそう言うと、二言三言、従者へ何事かを言いつける。全く知らない音の組み合わせ。老人は従者へ車いすを押させて石造りの堅牢な城の中へと進んでいく。その両側の壁沿いにはずっと兵士が並んでいる。こちらへ視線を投げてくるのに、俺の方へ何をするでもない。奇妙な沈黙のせいでひどく落ち着かない。

試しに兵士の一人に近づいてみる。一歩、石畳の中央からそれて鈍色の甲冑の方へ顔を近づけた。

「ひっ」

おびえた音と、何かわからない音の羅列。直立不動だった兵士は腰が引けていて、俺の方へ剣の切っ先を向けている。ここまで明確な悪意は初めてだった。

「異邦の方。兵士をあまり怯えさせないでくれぬか。彼らとて、分かってはおるのだが、それだけで済ませられるものではないのだ。」

車いすの老人が顔だけをこちらに向けてたしなめる風に言う。何の話をされているのだろうか。

「何のことだ?」

気が付けば石畳の廊下の突き当りにたどり着いていた。突き当りの重厚な両開きの扉が内側から開く。重たい金属の音がする。

部屋の奥には、廊下に居並ぶ兵士たちとは対照的な、たった一人の男が待っていた。王冠を戴き、床につくほど長いマントを身につけ、ひどく憔悴した顔の男が一人きり。老人の車いすを部屋の中へ送り届けた従者は一礼すると彼らを残して部屋の外へ出ていく。俺がその部屋に足を踏み入れると、背後で巨大な扉が閉まる。ゆっくりと。

ごぉん、という重たい音と共に完全に扉が閉ざされた。車いすの老人がこちらに車いすごと向き直る。では、と口を開いた。

「全て、お話ししよう。」




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