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塗りつぶしたような黒。
塗りこめ、凝った闇の奥底に鎮座している。冷えて、湿った空気はひそりとも動かない。死に絶えた空気が満ちていて、ああ、ここは墓所に似ていると思う。
今はそうでなくとも、じきに。
水の底程に重い空気を吸い込み、緩慢に宙を仰ぐ。窒息しそうな黒。
来訪者が来る。
緩やかに目を閉じる。吐き出した呼気はどこにも行けない。
閉じた瞼裏に待ち望んだ光が見える。
もう少し。あと少しで。
粘度の高い闇の奥底で手を伸ばす。触れられることはないのだと分かってはいても。
ここは、あまりにも寂しい。
焼け落ちた商家に幌布が被せてある。幌布の小片をつなぎ合わせた大きな布の一辺の固定が外れて風にあおられていた。煤けた石畳の上に瓦礫が散らばっている。家財道具が崩れた家の下敷きになっていて、誰も片づけないものだから風雨に晒されるがままに朽ちて行っている。この家に帰ってくるものはもういないのだ。家主も、奥方も、使用人も。死んだかあるいは行方不明か。分かりはしないがどちらにせよ、あそこの商家が笑顔で地方からやってくる荷を受け取ることも、港へ買い付けに行くことも、王城へ共に行くことも、もうないのだ。
幌布が焼損部にかけられた商家を囲うように公道との境目を赤のロープが区画している。王都の王城へと至る最大の商家通りだったが、今はもう見る影もない。かつては乗合馬車や人々が行き交う真白の大通りだった。それが今では閑散として、背中を丸めた人がまばらに足を引きずって歩くばかり。砕けた石畳がひっくり返り、あちこちに土の土台を晒している。通りの両脇には居並ぶ王国有数の商家が贅を競うように居を構えていた。けれど、そのほとんどがあちこちに赤い区画のロープが張り込まれ、程度の差はあるものの、その内側に囲われた商家の半壊か全壊といった有様だった。そして、赤い区画のない家々も窓枠から黒い大喪の紀章をだらりと垂らしていた。街のすべてが重苦しく沈んでいる。
隣も死んだ。その向こうの家は焼け落ちた。向かいの家は乗合馬車の軌道が狂ったおかげで馬車の乗客ごと倉庫の壁に突っ込んだ。近所はどこも似たようなありさまだ。うちも先狂った魔力の干渉で祖代々組上げた魔術式はズタボロだ。複雑に、精緻に代々の天才たちが年月とともにくみ上げた魔術式は、今やもう一から再現することなどできない。一族の英知の結晶だった。そして、商売の根幹で、さらに言うなら我が家の根幹だった。生き残ったはいいものを、どうやって生きていけばいいのか分からない。頼るべき親族も、知り合いもどれだけ残っているやらわからない。もう誰が死んでて誰が生きているのかも判然としない。葬式にも行き過ぎているし、どこの家も黒の紀章を下げているから結局どこの家で人が死んだのかもわからない。
ほんの数日前まではいつも通りの日々が来ると信じて疑わなかったのに。
ああ、でも何より不安でたまらないのは。
この大災厄の大本が、未だ、王都の底で生きているということだ。