09掃除は潮干狩り?
青黒く、ぐちゃぐちゃ、ヌルヌルとした『何か』が手首まですっぽり埋もれるほど積もっている。
これは……モップや雑巾の出番はまだ早い。
スコップやシャベルが有った方が良い。
わたしは、道具をお借りすると、出入口付近から、積もったその『何か』をバケツに放り込み、何度も庭と寝室を往復する。
しかし……この『何か』……いや、あえて言うならば『海の欠片』だろうか?
ザクっとシャベルで掬い上げると、出るわ、出るわ。
アサリ、ハマグリ、ムール貝、牡蠣、サザエ、カメノテ……本来、砂地に居るはずの無い種類の貝が混ざっているのが実に興味深い。
掃除をしているのか、潮干狩りをしているのかよく分からなくなってくる。
わぁ……すごい! 大きくて立派なハマグリ……!
こ、こんなの、ちょっと炙っただけでも十分美味しくいただける。
出汁を取るのにも最高だ。
わたしは、嬉々として戦利品を区分けしながら『海の欠片』を片付けて行く。
すっかり床が奇麗になった寝室のさらに奥……
公爵家の執務机として考えると、かなり小さく質素な机と石造りの椅子に腰掛けたまま、ウトウトと船をこぐ人影。
……公爵様だ。
そうか……ベッドで横になると、寝具がぐっしょりと濡れて、そのうち腐ってしまうから、こうやって休んでいたんだ……
すぅすぅと静かな寝息をたてながらも眉間の皺が消えていない辺りが、なんだか、普段のストレスを物語っているようだった。
「……あ」
わたしは、船をこぐ公爵様の頭皮が剥がれ落ち、そこからウニらしきトゲトゲの海産物が零れ出しているのに気付いた。
このまま放って置いて、誤って柔らかな皮膚にウニの棘が刺さってしまっては気の毒。
何の気なしに、ひょい、とそのウニを取り外そうと掴んだ。
ばしんッ!!
「ッ……!!」
その瞬間、眠っていたはずの公爵様がわたしの腕を払いのける。
「!? 貴女は……? な、なにを……一体?」
「も、申し訳ありません……寝室のお掃除をしようと思いまして、作業をしていたところ……御髪から、これが漏れておりましたので……その、ぶつけてしまっては危ないかと……」
公爵様に叩かれた衝撃で、ウニの棘がわずかにわたしの手を傷つけたらしい。
ぷくり、ぷくり、と小さな血の玉が二つほど指に浮かんでいる。
「あ……」
それを目の当たりにした公爵様が、一瞬、口をパクパクさせて、せわしなくキョロキョロとわたしの全身を見回した。
「す、すいません……大丈夫ですか?」
公爵様が焦ると、生えて来ていた海産物たちも焦るのか……
うにょうにょと二の腕や背中に見えていた軟体動物の足も妙にせわしなく蠢いている。
「はい、この程度の怪我は大した傷ではありません」
実際、実家ではこの程度の怪我など日常茶飯事。
義母や妹が癇癪を起して投げつけて来た食器が頭に当たり、もっと激しい流血を引き起こしたことが何度もある。
「……しかし……よく、素手でそんな気持ちの悪いものを取ろうと思いましたね……」
公爵様が、メガネを整えながら、わたしの手に収まっているウニを見つめて口をへの字に歪ませた。
「気持ち、悪いでしょうか……?」
実はこれ……割って中身の黄色い部分を食べると、めちゃくちゃ甘くてクリーミーで美味しいんだけどな……?
普段は岩場……それも海藻が豊富な水域に生息しているから、自力で採るのは難しいのだ。
あの味を知ってしまうと、このトゲトゲボディも愛嬌があって可愛いとすら感じられるのだから、現金なものである。