36はい、あ~ん!
「そうですか……ですが、こんなにおいしい物だからこそ、私一人で味わっていたら美味しさが半減です。さ、ミルティア、口を開けなさい」
「へ?」
そういうと、マリクル様が、ウニ・ドンからサッと一匙、オコメとウニを掬うと私の口元へとその匙を運ぶ。
「あ、あのっ……あっ、んんっ!」
何か言おうと開いた口の中にするり、と滑らかな匙と、香り立つ海の香りが滑り込んだ。
とろり、と甘く、甘くとろける金色。
オコメの甘さとウニの甘さを引きたてつつも味を引き締める東洋豆の発酵ダレの風味。
「ふふ、美味しいでしょう?」
そんな口福な甘さをさらに強調させるかのように、マリクル様がふわり、と花開いたような微笑みを浮かべ、小さく首をかしげた。
……んぐ、んぐ!
思わず、こく、こくっ、と全力で頷いた。
それを見て安心されたのか、幸せそうな笑顔のまま、今度はご自分の口にウニ・ドンを運ぶマリクル様。
「ああ、やはり、ミルティアと一緒に食事を摂ると一味ちがいますね」
にこっ!
思わず、頭がぽぅ、としてしまうのは味のせいだけではない。
マリクル様からの思いやりとやさしさと顔面の情報量が多すぎて、いろいろと、もう、何かが、はじけて飛びそう……!
たった一口食べただけなのに、お腹から胸まで何かあたたかいものがいっぱいに詰まって、はち切れそう。
嬉しいんだけど! 幸せなんだけど! 何でこんなに頭に血がのぼるの!?
「さ。ミルティア、また口を開けなさい、『ハイ、アーン』」
「あう、あっ……んんっぅ!」
「『ハイ、アーン』」
「はっ、んァン……っ」
「『ハイ、アーン』」
「ま、待っ……んぐぅッ!」
「ああっ、急ぎ過ぎましたか? すみません、ゆっくり味わってからでいいですよ?」
は、はずかしいっ!!!!
でも、おいしい! うれしい! 悲しくないのに目から汁が漏れそうっ! どうしたらいいの!? これ!?
「いやぁ……それにしても、伝説の『ハイ・アアン』が目の前で見れるとはねぇ」
ふと、気づけばウニ・ドンを平らげたアルス王子が私たちを見ながらニヨニヨといたずらっ子のような笑みを浮かべている。
「マリクルは知っていたの? それが星渡の大賢者と呼ばれたスズキ・サンが祖国ニホンで恋人達が一つの料理を分け合う時に使う呪文だって」
「当然です。スズキ・サンの伝記は古典文学の基礎ですよ」
アルス王子のからかうような視線にも、サラッと氷の彫刻のような平然さで答えるマリクル様。
「……君のその豪胆さは称賛に価すると思うな、僕は」
「そうですか? 大切に想う人と食を分け合うのは、古典文学を知らないとしても、楽しいことですよ?」
顔色一つ変えないマリクル様の様子を見て、アルス王子は少し口を尖らせていたものの、しばらくすると、今度は別の何かを思いついたらしい。
「いやぁ、それにしてもミルティアちゃんはカワイイよねぇ……」
そして、がしっと、その戦士の腕でマリクル様の肩を組むと、その耳元で囁くように呟いた。
「……さっき、匙を口に入れられた時なんて、喘ぎ声みたいで色っぽかったし……」
「なっ!?」
ちょ、ま、え!?
わたし、そんな声出してました!?
わたしとマリクル様が同時に飛び上がる勢いでアルス様の銀貨100万枚のニヨニヨ笑いを凝視する。
「僕の第三夫人として欲しいくらいだよ。あ、もちろん第一夫人はシーラだし、第二夫人はマリクル、君だけど~」
一瞬、空気が不穏に震えたのは気のせいか。
「なーんて「あら、いつもの冗談だとしても、時と場合を選ばないと笑えませんわ、殿下」
「ぴゃっ!?」
!?
若い女性の声がした方を振り向くと、そこに仁王立ちしていたのはあのメイドの美少女だ。
「私とミルティア様との間にマリクル様のお名前を挟むことで冗談であることを強調したいのかもしれませんが、マリクル様では逆効果です。殿下のお顔は通貨にもなっているんですよ? 口さがない貴族たちから『両刀の現ナマホモ』と嘲笑われますわ」
両刀の現ナマホモ……それは口さがないにも程がある。
「し、ししししし、シーラっ!?」
「ああ、シーラ……お疲れ様です」
「えっ!? し、シーラ……!? まさか、あの、聖女シーラ様ですか!?」
待って、さっきの言葉は聖女のお口から飛び出してはならない単語でしたよね!?
すると、雰囲気だけでドラゴンがお小水を漏らしそうだった覇気を消しさり、少し困ったように微笑む勇猛な美少女……もとい、シーラ様。
「申し訳ありませんでした、ミルティア様……殿下に万が一の事があってはならないと思って……わたしが調理場に同席させていただいたんです」
聞けば、聖女の持つ魔力は、ほとんどの呪いや毒を無効化できるらしいのだ。
しかもその能力は、彼女から半径1.8メルト……だいたい、マリクル様の身長分くらい……の範囲をほぼ無意識にカバーしているのだとか。
「仮に、ご当人には殿下に害をなす意志が全く無くても、悪意ある何者かが、ミルティア様に有害なものを押し付けていた可能性はありますから……名乗りもせずに申し訳ありませんでした」
「い、いえ! それは当然の配慮です!!」
「シーラ、このデリカシー無しの躾け……いつものようにお願いしますね?」
「もちろんです、マリクル様。キッチリ奥歯ガタガタ言わせて立てなくなるまで指導してやりますわ」
ビッ!
親指を立てたまま、その手をおへそに向けて突き刺す動きをするシーラ様。
あ、あれ?
あのハンドサインって……結構……その、下町的というか……あまり素行の良くない男性が主に使うもののような……?
「い、いや、あの、違うんだよ、シーラ!」
「寝言は寝てから仰ってください。全く、何度マリクル様にご迷惑をかければ気がすむんです! 殿下……今夜は寝かせませんよ!!」
「アーッ!! や、優しくしてくださいッ!!」
ぐわしッ!! ズルズルズル……
「え?」
華奢で小柄な少女が、歴戦の勇者然としたアルス様の首根っこを掴んで軽々と引きずって行く。
「え?」
「ああ、ミルティアは知らなかったですか? 彼女、魔王討伐隊で共に戦った剛力聖女のシーラです」
「……剛力聖女様……」
なんでも【剛力神の寵愛】という珍しい祝福をお持ちで、その拳は魔を砕き、純白のおみ足からの蹴りは呪いをも打ち砕き、奇跡の頭突きで止まった心臓も動き出す……と謳われる武闘派聖女なのだとか。
「アルスが話していたでしょう? 彼自身に勝てるのは私の魔法と『もう一人』と。それが彼女なんですよ」
「そ、そうだったんですね……」
なお、その日は一晩中シーラ様からのアルス様への修行の声が王宮に響いていたらしい。




