お茶会編3
「絶対にだめ!」
「大姉さま!」
「だめよ、カーラ。あなたが私の目の前で切られたとき、心臓が縮みあがったわ。本当に止まってしまうかと思ったの。だからこれ以上危ないことをしてはだめ。あなたはまだ子どもなのよ? 守られたことに引け目を感じないでいいの。あなたの瞳を、あなたが危険な目にあう理由になんてさせないんだからね」
キャロルは階段を駆け下り、カーラの肩を掴んで強い口調でそう言った。滅多に声を荒げない姉の剣幕に押されて、カーラは何も言えない。
「ソロさんもソロさんです! この子はあんな目にあったばかりなのに、なぜ危険なことに連れ込もうとするんです!?」
「うーん、危険な目にあったから、かな」
動けないカーラに比べて、ソロは余裕綽綽にそう言った。
「もう彼女は巻き込まれてしまったのだから、この件に無関係じゃない。、安全なところで護衛に監視されて過ごすのも、まあいいけど、もし本当にキャロルが王太子妃になるなら、いつまた似たような事件が起こるとも限らないだろう? きみはカーラはまだ子どもだっていうけれど、子どもはすぐに大人になる。危機におびえて暮らすより、危機に対処する力を学んだ方がいい」
「それは……そうかもしれませんが」
なおも言いつのろうとする姉を制して、カーラも負けじと強い口調で姉に告げた。
「そうよ、姉さま。いつまでも守ってもらってばっかりでは、それに甘えた人間になってしまう。姉さまが王太子妃になるなら、わたしも強くならなくちゃいけないわ」
そう言ってキャロルの瞳をまっすぐ見つめれば、今度はキャロルが言葉に詰まった。
「カーラ……」
「お願い、姉さま。わたし、逃げたくない。強くなりたいの。姉さまたち家族や、ソロも。大切な人を守れるくらい」
さっきとは打って変わって懇願するように上目遣いで姉を見上げる。優しい姉が、妹のおねだりに弱いことをカーラはとてもよく知っていた。
「もう、またおねだり? 困った子だわ……」
キャロルは片手を頬にあてて視線をさまよわせた。考え込むときの癖だ。
――もう一押し、かな。
カーラが姉をどう説得すればよいか考えていると、キャロルはその場で二人の様子を見ていたソロに今度は話題を振った。
「ソロさんは、どうしてここまでするんです?」
キャロルはソロが居候を始めたころからソロのことを「ソロさん」と呼び始めた。「様づけで呼ばれるのは苦手なんだ。そんなにいい生まれじゃないからね」というのはソロの言だが、王族しか持たないとされる宝石眼を持つ彼が、まさか貴族の血筋じゃないなんてカーラの一家の誰も思っていない。
しかしソロの意見を尊重して、彼を過剰な敬意で遇するのはやめましょう、という取り決めをカーラの一家は暫定的に定めていた。その一環として一家では「ソロさん」という呼び名が定着している。カーラが呼び捨てにするのは、一度「ソロさん」と呼んだときにソロもカーラもお互い微妙な顔になったからだ。
「僕?」
「カーラの目のこともそうですが……あなたがそこまで労力を費やして、私たち姉妹を助けてくださるのはなぜでしょうか?」
「なぜって……エディに頼まれたし」
「王太子殿下は私どもの身の安全のために、あなたを護衛として遣わしてくださいました。ならば差し迫った危機を排除するだけでよろしいはずなのに、なぜ危険を冒してまで根本的な解決を目指すんです?」
キャロルの言葉を聞いて、ソロは一瞬考え込んだ。
次に発した言葉は、キャロルの疑問への答えにしてはちぐはぐな気がした。
「……この国が好きだから、かな」
「なぜそれが、私たちを助ける理由になるのでしょうか」
同じことを感じたらしいキャロルがソロに訊ねる。
「この話はね、君たちが思っているより複雑なんだよ。公爵令嬢の行いは『盟約』に違反している可能性があるし、それなら僕は……彼女を断罪しないといけないんだ」
「『盟約』って、なに?」
前にも聞いた言葉だ。カーラはソロにもう一度質問するが、ソロはその問いにかぶりを振って答えようとしなかった。
「それは言えない。けど、君たちを悪いようにはしないし、僕が絶対に守る。だからどうか、協力してほしいんだ……なんて、舞踏会でカーラを守れなかった僕が言っても信用がないかもしれないけど」
「……」
それきり、キャロルは黙ってしまった。沈黙している姉に、カーラは思い切って声をかける。
「姉さま、わたしソロの目になりたい。わたしに託してくれた瞳の恩を返したいの。引け目に感じている訳じゃないわ、わたしが、わたしの意志で、ソロを助けたいの」
キャロルはカーラの瞳を見つめた。片方はヘーゼル、もう片方は薔薇色の瞳。ソロはカーラを守れなかったなんて言ったけれど、カーラにとってすればソロが身を削ってカーラを守った証である。カーラに瞳を預けてくれたソロの、カーラを頼ってくれたソロの、その力になりたかった。
キャロルはしばらくそのままカーラを厳しいまなざしで見つめていたが、ふっと視線を緩めてカーラに微笑みかけた。
「……わかったわ、降参よ。もう、カーラったら一度決めたこと梃子でも譲らないんだから」
「ありがとう、姉さま!」
カーラはその場でぴょんぴょん跳ねて喜んだ。キャロルはそれを手で制して、言葉を続ける。
「でも、お願いだからこれを持っておいて」
そう言って手渡されたのは、五弁花をモチーフにしたビーズが三つ縫い込まれたサシェだった。
サシェの中からはキャロルがいつも使っているポプリの香りがする。縫い込まれた三つのビーズはそれぞれ緑、赤、青の色をしている。まるで自分たち姉妹のようだ、とカーラは思った。青はキャロル、赤はシェリル、緑がカーラ。カーラが勝手に決めている、姉妹のイメージカラーである。
「魔法学校を卒業した時に習うおまじないを込めておいたお守りよ。本当は、人型に削り上げた銀を使うものなんだけれど、ごめんなさいね、こんなものしか用意できなくて……」
「それは……写し身の守りか。綺麗に祈りが編み込まれているね。これなら、そんじょそこらの卒業生が込めたまじないよりもずっと強い効果が期待できるよ。キャロルは、魔法学校でこれを習ったの?」
「いいえ、私たちの家には、魔法学校に通うほどの余裕はありませんでしたから……これは、さる騎士様と、その奥方に教えていただいた技術です」
ソロはキャロルの言葉を聞いて、仮面の下にある形のいい唇を引き結んだ。けれどカーラはそんなソロの様子に気が付かず、たった今貰ったサシェをいつまでも観察している。
「姉さま、このビーズは? とってもきれいな色をしている……」
「あなたが用意してくれたドレスについていたものを、いくつか使わせてもらったの」
「こんなにきれいなビーズ、あったかしら?」
「あら。魔力を込めたら少しだけ色が変わったから、そのせいかしらね……あなたが寝込んでいる間に、私とシェリーで作っておいたものよ。二人分の魔力を込めておいたから、もしあなたに危険がせまったら、身代わりになってくれるわ」
あなたが寝込んでいる間、私たちとっても心配したんだからね、とキャロルはさみし気に笑った。
「だけど気を付けて、私よりずっと魔力の強い相手には、そうそうもちはしない。あくまでもこれはお守り。危険だと思ったら、すぐに帰ってくるのよ」
「はい!」
キャロルの言葉に、カーラは笑顔で頷いた。
その様子を見て、二人の姉妹のやり取りを見守っていたソロが口を開いた。
「こんな素敵なお守りをもらった後じゃ霞んじゃうかもしれないけれど」
「なあに、ソロ」
カーラが視線を向けると、ソロの口元は穏やかに微笑んでいた。
「カーラはさっき、僕のことも守りたいって言ってくれたね。それに今さらだけど、ぽっと出の僕を家族の仲間に入れてくれてありがとう。この家のあたたかさが、今の僕にどれほどありがたかったか、とてもじゃないけど言葉にできない。きみたちはぬくもりをくれた。僕だって、その恩を返したい」
――この家にいる間くらいは、仮面を取ってくれればいいのに。
その微笑みを見て、カーラはそんなことを思った。
仮面を取ってくれれば、ソロの表情がよくわかる。
そうすれば、ソロが今どんな思いで、この言葉を言ってくれているのか、きっと今よりもっと知ることができるのに。
「だから僕にも、きみと、きみたちを守らせてほしい。僕がかけられるのはこの命くらいだけれど、この命にかけてきみたちの幸せを守ると誓う」
ソロが今までどんな人生を歩んできたのかなんてカーラには想像もできない。けれどまるで物語の中の騎士が、姫に愛を乞うかのような真剣な響きでソロがこんなことを言うものだから、キャロルとカーラは顔を赤くした。しかし、ソロはその様子を見てきょとんとするばかりだ。恥ずかしいセリフを言っているという自覚はおそらくソロにはない。
キャロルとカーラはそれに気づいたあと、目を合わせてこっそり笑いあった。